六月の幸福 誕生日が憂鬱だったことはない。両親は毎年祝ってくれたし、今だってプレゼントは何が欲しいかの打診が来る。中等部時代までの友人なのか知人なのかよく分からない距離感のクラスメイトからも、祝福の言葉ぐらいはあった。ひとつ歳をとった程度で何を大袈裟な、という生意気な感想は十歳を迎えた頃には立ち消えて、つまり誕生日というのは自分よりも「周囲の人間」のためにあるのだろう、というのが俺の出した結論だ。
みんな、「祝う」ことが好きなのだ。俺はただ、にこにこ笑っていれば良い。そうすればみんな満足して、俺も無駄な感情を浪費せず、歳を取ったという数字のカウントひとつで平穏に六月十七日を終えることができる。
――だから本当に、憂鬱ではないのだけれど。
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