走る男の裏での話 這々の体で理由もわからず走っていく背広の男の背中を見送り、女は今一度坂の下を見やる。
先程まで幼い子どもたちの姿をしていた“それ”は、最早ヒトとは到底呼べない巨大な何かへと変貌していた。
「お冠のようね」
女がそう呟くと、どろりと固まった情念の集まりのようなそれが咆哮を上げた。聴くものの心を蝕み、視るもの全てを奈落へと引きずり込まんとするようなそれに、女は毛ほども顔色を変えることはなかった。
悍ましいそれは獲物を奪われた怒りをぶつけるように腕のような黒い塊を振り上げ、女のいた場所へ叩き付けた。が、女は軽やかにその一撃を避け、ただ静かに目の前のそれを見つめる。女の瞳は先程の背広の男を見つめていたのとは対象的に、ひどく冷たく恐ろしいものだった。
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