この鳴りの名を、まだ知らない。「なんでぇ、紅ちゃんまだ出ないのかい」
松乃湯の常連客に声をかけられ、浴槽の縁に腰掛けて休んでいた紅丸は、顔だけをそちらへと向ける。真っ直ぐに流れる黒髪の先から、ポタ、とまた一滴が落ち、熱い肩を濡らした。
「ジジイはカラスの行水だな」
「熱い湯にカッと浸かって、サッと上がる! それが気持ちいいのよ」
腰に手を当てて豪快に笑い、濡れた手拭いを大きく振って肩にかけると、お先、と背を向けて去って行った。ふ、と小さく笑んで、そういえばやけに静かになったと浴場を見回す。
誰もいない。紅丸がぼんやりと風呂に浸かったり、上がって休んだりを繰り返している間に、顔見知り達は次々と上がっていっていたようだ。いつもなら、気づかないということはないのだが。
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