モモちゃんもーもー牧場へようこそ ……キー、起きてー!ねぇってば!もう時間だって!
「ん…………あとごふん……」
僕は、ぼんやりと聞こえたモモの声にいつものごとく甘えるように答えた。モモのことだ、きっと三十分は余裕を持って起こしに来ているはずだから、あと三十分は眠れるはず。そう思って、少し眩しく感じる瞼裏の視界を暗くするため布団にもぐる様に寝返りを打つ。
だけどモモの声は止むことはない。まぁこれもいつものことだ。僕はあまり気にせず、微睡む意識をもう一度深く落とそうしとした、が。
ユーキー!もう搾乳の時間になっちゃう! オレ我慢できないよ、起きて!
「……んー…………ん? さく、にゅう……? 」
聞き慣れない単語に、薄っすらと目を開けると、そこには青空が広がっていた。朝日の眩しさに眉をしかめる。だが、影が出来たことで目はすぐに開くことが出来るようになった。
目の前にはモモが居る。だが格好がおかしい、非常におかしい。モモは昨年のお正月に着た白地にピンク柄の牛の衣装を着ている。着ているけれど、よく見ると首元からチャックがついていて、それは腹下のところまで続いていた。確か昨年の衣装は上下分かれたセパレートタイプだったから、とても似ているけれど違う衣装だ。その上、頭部も角がなく耳だけが付いていた。
そんなことを覚醒しきらない頭でなんでそんな衣装を着ているのかとぼんやりと思っていると、モモの顔が僕の目前までやってきた。
「やーっと起きた! もぉー、ユキったら! 搾乳の時間に遅れたら、オレのお乳パンパンになっちゃうじゃんか! 」
「…………はぁ?」
おちち?
モモの放つ強烈なワードに頭がついて行かず、眉頭が先程よりも中央に寄るのが自分でもわかった。
訳がわからない。わからなすぎて眠気が飛んでしまった。起き上がろうと寝ているであろうベッドへ手をつけば、そこはガサリと音が鳴り指先とその間に乾いた硬い繊維が当たった。
よくよく見れば、僕はなぜか干し草の上に寝ていた。しかも昨晩着たはずのバスローブのまま。
まるでアルプスの少女じゃないか。ごわごわしていて全くもって快適ではない。
よくこんなところで寝むれたなと我ながら思っていれば、モモが元気よく声を上げた。
「ほらほら、もうすぐゲームも始まるし行きますぞ!」
まだ何が起きているのかよくわからないのに、バラエティノリのモモに腕を引かれる。だけど寝起きの重い体でもモモにかかれば慣れたものなのだろう、なんてたって僕を起こすプロだ。気付けば夢遊病のごとくふらふらと歩かされていた。
マットレスに脚が付いただけのシンプルなベッド、大きさは大人ふたりが余裕で寝れる位はある。勿論壁なんかない、だだっ広い原っぱの中央に置かれているだけだ。眩しいくらいの太陽に照らされる草原の中のベッドはとてもシュールだった。
ベッドの存在感で気づかなかったが、柵に木製の看板が建てられていたことにも気づく。そこにはモモの字と思われる少し右上がりの力強い筆跡で『モモちゃんもーもー牧場 搾乳場』と書かれていた。太い油性マジックでかいたのだろう、それが安っぽさをかもしている。
だけどそれに反応する間もなく更に腕を引かれた僕は、ベッドまでモモに導かれるまま進んでそこに座らされた。
「では改めまして、モモちゃんもーもー牧場へようこそっ! 人気ナンバーワン乳牛のモモちゃんですっ」
「……モモちゃん牧場なのにナンバーワンとかあるの?」
「細かいことはいいの! 今日はお客様のユキとゲームをしたいと思います! ドンドンぱふぱふぅ~!」
やたらテンションの高いモモに寝起きの僕の脳はまだ付いて行けない。
「……ゲームってなに」
「人乳牛ゲームだよ!」
「じんにゅうぎゅう……?」
「そうそう、この間お正月企画で人狼やったでしょ? あんな感じというか、まぁ配役を決めるってだけなんだけど」
そう言うと、モモはにこにこしながら僕の隣へ腰を下ろした。
全く意味がわからない。そもそも人狼ですら未だよくわかっていないのに。乳牛ってことは今回は木こりがいるんだろうか。
「全然わからない」
「まぁまぁ、とにかくやってみようよ。ほら、オレのおちち、もうこんな状態なんだから」
そう言ってベッドで膝立ちになったモモは首元のチャックをジジジと下げた。胸の少し下まで下げると片側の布地を握って胸を晒す様に開く。
…………。
僕の目はモモの胸に釘付けになる。だって、モモの胸は通常よりも膨れ上がっていたから。正確に言うと、膨れるというか張りのある状態だ。女性の様に胸があるということではない。けれども胸自体はいつもより丘を描き、その先端はツンと立ち上がって艶々としていた。大きさは小指の先程はあるかもしれない。
僕の記憶にあるモモのは、もっとささやかだった気がする。最後に見たのはTRIGGERとの夏のデート対決での水着姿だったから、この半年ほどの間でモモの胸になにかあったんだろうか。
……なにかあったなら、なんか嫌だな。
胸にもやりとしたものが湧き上がった。
「ねぇ、モモ、その胸……」
無意識に伸ばした手がモモの胸のふくらみに触れた途端、ほのかに色づいた突起からぽたりと白い液体がしたたり落ちた。
「!?」
ただただ驚きで止まった手は、モモが服を戻したことで遮られてしまう。モモの頬は真っ赤に染まっている。
「ダーリンっ、お触りは厳禁ですぞっ」
「…………」
モモになにか言われているけど、僕の目は一瞬見えたそれに釘付けだ。だけど白い雫は既に緑の牧草の隙間の地面へ染み込んでもう消えたようだった。
「モモそれって……」
「百君、そろそろ時間だよ」
僕の質問を遮った聞きなじみのある声にはっと顔を上げれば、またも眩しさに目を細めることとなる。だが逆光でわからないにせよ、よく見なくてもわかる、万だ。目がなじんで姿をよくよく見れば、万は薄緑の上下同じ生地の作業着に同じ色のキャップ。首には白いタオルという、農家のような格好をしていた。
「万、おまえなにして……」
「飼育員さんっ、ありがとうございます!」
「どういたしまして、じゃあ始めようか。カード持ってきたよ」
万は僕に返事をする気もないらしい。僕抜きでどんどん話が進んで行く。
「ねぇ、なに、カードって」
「さっき言った人乳牛ゲームのだよ!」
さも当たり前とでも言うようなモモの声に、僕はむっとした。
「だからそれってなに」
けれどふたりは僕の態度など気にした風もなない。相変わらずにこやかにしている。そして、なぜか万が代わりに答えた。
「人乳牛、生産管理者、消費者に分かれてするゲーム。人乳牛は搾乳されて、生産管理者は搾乳する人。消費者はそれを飲む人。以上。わかったならほら、さっさと引けよ」
わかったようなわからないような……。だけどカードは既に差し出されている。出されたカードは三枚。表に見えているのは背面で、三枚ともビビッドピンクだ。広げられたカードをじっと見つめる。どれがどれだろうか、全く検討がつかない。
眺めながら少し考えてみる。三枚ってことは、さっき言われた配役のみがここに揃っているんだろう。
そう考えて、おかしなことに気づいた。
「え、モモも引くの?」
「うん、そうだよ」
「モモ以外が人乳牛になちゃうかもしれくないか?」
「大丈夫だって! オレが人乳牛じゃなかったら後でちゃんと搾乳タイムあるから!」
え、それって僕か万が当たることもあるってこと?
冷静に働いた頭がすぐさま僕と万のグラピアを脳内に展開させようとしたためゾッと身震いがして思考は強制停止して。なんたそれ、絶対にいやだ。
「いやだ、絶対にしたくない」
「えーーっ! うーん……、でもさぁ、それじゃぁ飼育員さんとオレのふたりっきりでしなきゃじゃん……」
モモは頬を染めながら万をジッと見つめた。それに気付いた万がファンサのように片目を瞑ったため、モモが、きゃぁっ! とギャルのような声を上げ握った両手を胸元に寄せた。
なんだ、その反応は。
若干イラっとしつつ、脳内はまたも勝手に展開する。今度浮かんだのは牛柄の服のはだけたモモ、そしてそこにのしかかる万だった。
……いやだ、それも絶対に絶対にいやだ。
語彙力が小学生並みにしか出てこないが、もやりとする心はそれ以外の言葉で表現できそうもなかった。
そもそもこの不愉快な気持ちの理由もわからない。僕はそれを掻き消すように髪を搔き上げて盛大なため息をついた。
「……わかった、やるよ」
「やったーー! じゃあユキから引いていいよんっ、お客様だもん」
手を上げて大袈裟に喜ぶモモの横で気だるげな万が再度カードを差し出してきた。
「ほら」
「……」
僕は真ん中を迷わずに引く。次にモモがカードに手を伸ばした。
「オレはこれー!」
「よし、俺はこれだね」
「じゃあいくよ、せーの」
モモの合図で僕らはカードを裏返す。僕のものには『消費者』と書かれていた。続いてモモのものに目をやれば、そこには『人乳牛』と書かれている。
ということは残るは……。
「俺が『生産管理者』かぁ。悪いな、ユキ」
そう言いながらも、万は悪びれもなく笑った。
「じゃあオレ、飼育員さんに絞られちゃうんですねっ」
きゃるんと音でもしそうな瞳でモモが万を見つめる。
「そうだね。まぁ、いつもやってるけどな」
「いつもやってるのか!?」
衝撃の事実に思わずベッドから立ち上がった。万に詰め寄るように叫べば、やんわりと手で押し戻される。
「そう言われても、飼育員だしなぁ」
言い方も腹立たしい。……僕はなんでこんなにイラついているんだろうか。とにかく、モモの乳を万が絞るのはいやで仕方がない、それだけはわかる。
「でもユキの前でなんて……」
モモのこの恥じらいも、無償に腹が立つ。腹が立つが、立ちながらも僕はあることに気づいてしまった。
「ていうか、僕の立場って……」
「『消費者』だから、あそこの席で座ってミルクが出来上がるまで待ってるんだぞ」
万の指さした先を見ると柵の外に背もたれのところに『消費者』と書かれた看板が付けられた木製の古びた椅子があった。こちらもモモのものらしい筆跡の太マジックで書かれていた。なんだか貧相な席に見える。
「なにあれ」
「おまえはあそこで待ってるんだよ」
「はぁ?」
「ダーリン、いいこで待っててくれればモモちゃんの絞りたてのミルク、すぐに届けるからねっ!」
そんなふざけたことを言いながら、無意識に寄っていたらしい僕の眉間をモモは人差し指で揉むように撫でて伸ばしている。だけどそんなことでこの気分の悪さが治るわけがない。
「そもそも僕がお客じゃないのか!」
「う~ん、「でもそういうルールだしなぁ」」
「なに、その息の合い方」
「ほら、はやく席に行けよ」
「僕が行ったら万がモモの乳を搾るんだろ! やすやすと行けるかっ」
「でもルールだからぁ……行ってくれないなら警備員さん呼ばないといけなくなっちゃう……」
僕を上目使いで伺いながら人差し指通しを合わせバネのように動かすモモの予想外の返答に驚く間もなく、後ろから声がかかった。
「呼びましたか?」
またも聞きなじみのある声だ。振り返らなくてもわかる。振り返れば案の定だ。そこにはおかりんがいた。だけどこちらもまたおかしなことに、警備員の恰好をしている。白手袋までつけて。マネージャーのはずのおかりんが着るべきものでは全くもってない。
「おかりん、なんでこんなとこに……」
「じゃあお願いします、岡崎さん」
「ダーリンっ、大人しく警備員さんに従ってねっ」
「お任せくださいっ。はい、お客様こちらですよ」
「ちょっ、なにするんだっ、おかりん」
おかりんは僕の腕を引いて柵の外へ連れ出そうとし始めめた。抵抗しようとするも、存外力が強く抗えぬまま引きずられてしまう。
「はい、『消費者』の方の席はこちらですからね~」
引かれる間にモモはベッドに横たわり、万も片足を乗り上げさせていた。モモなんかは既に胸元のジッパーを下に下ろしはじめている。離れたせいで会話は聞こえないが、頬を染めて最初に僕に見せたように胸元をめくっていた。万の手はそこに触れる寸前だ。
「おかりんっ、はなせっ! 万、触るな、モモ脱ぐなぁぁぁ!!」
僕の渾身の叫びは、草原中に響き渡る。
そして、ここで僕の意識は途絶えた。
「おっじゃまっしまーす……」
ガチャリと注意深く玄関の扉を閉めて、オレはいつものルーティンに入る。
ここはユキんちマンション。ちなみに只今の時刻は早朝五時。
今日は八時からスタジオ入りだから七時にここを出るとして、ユキの行動を逆算してのこの時刻だ。ユキが目が少し覚めてくるまで大体起きて三十分、そこから朝の身支度をして三十分、覚醒してコーヒーとオレの焼いたちょっと焦げたパンを食べ終わるまで三十分。それが終わっておかりんがユキんちに到着したらベストな感じになる。
ん? 計算がおかしいって? 三十分余ってる? 何言っちゃってんの、これはオレのご褒美タイムに決まってるじゃんか!
勝手知ったるユキの家だ。リビングのエアコンを付けると、物音を立てないようにユキの寝室へ向かう。そしてそっと扉を開ける。さぁ、オレのご褒美タイムだ。本当ならもう三十分遅く来てもいいのを、三十分早める理由。それはユキの神々しい寝顔を拝むためなのだ。
起きててもそりゃぁイケメンだけどさ、もう寝顔の美しさは神を遙かに超えてるからね! そのあとの微睡三十分のユキも可愛いのなんの……! この為だったらどんなに長い飲み会の後だろうと起こしに来れちゃうオレなんです。
ユキの安らぎタイムを邪魔しないよう扉を後ろ手でゆっくりと閉める。ユキのだだっ広いベッドへ向かおうとした。するとオレは異変に気付がついた。今まで聞いたことのないようなうめき声が聞こえたのだ。
オレははっとして、慌ててベッドへ駆け寄った。なんと、ユキがうなされている。
「うぅ……やめ…………んぅぅ……」
「ユキっ、ユキー、どうしたの、朝だよっ」
オレは小声で、だけど起こす様に少し揺らしながら名前を呼ぶ。こんなこと五年一緒にいる中でも初めてだった。
「ユキっ、大丈夫?」
それでも起きず更に揺らせば、ユキの長いまつげが震えたかと思うと、ぱちりと切れ長の瞳が開いた。
「はっ……」
「どうしたのユキ、うなされてたよ?」
そうは言ったものの、寝ぼけているのかオレの声はユキに届いていないようだった。がばっと起き上がると謎の剣幕のままオレの肩を掴んできた。
「モモ……?……って、モモっ! おまえ、胸はどうしたんだ!」
「は? 胸?」
オレの疑問と同時に、ユキはなんとオレの腕を引いてベッドに押し倒した。そして、なぜか上着をまくり上げはじめたのだ。
「ちょっ!! なにやってんの、ユキっ!?」
抵抗が遅れたせいで既にスエットの上着は胸上までまくり上げられていた。いつもと様子の違うユキは、まじまじとオレの胸を覗いている。
「……ユキ?」
「遅かったか……、もう絞られたんだな……」
なぜか物哀し気なユキに首をひねりつつ、男同士とはいえ恥ずかしいからと服にかかったユキの手を外そうと試みる。だけ全然はなす気がないらしい。
「なに言っちゃってんの、ユキ……?」
「絞れないなら、僕が直接飲む」
寝起きのユキのどこにこんな力があるのか、はたまた気が動転してオレの力がでないのか、ユキの頭を止める腕はどんどん曲がって行き、ユキの顔がオレの貧相な(筋肉はあるけどもっ)胸に近寄ってきている。もう半泣きだ。そんなオレを無視して、ユキは口を開けてオレの乳首を咥えようとしている。一体何が起きてるのかもうオレには訳がわからない。
「はぁ!? ちょっと……ユキッ! ……えっ、うそうそ……むりっ、ねぇっ、ユキさんっ……ちょっ、ん……やぁっ……ぅん…………あっ♡」
おかりんが来る頃にオレがどうなっていたか? ……ご想像におまかせします。