もう一度君と。「すぐる!おれとずっといっしょにいて!」
「さとるはさびしんぼだもんね。」
「そして、おっきくなったら、おれとけっこんして!」
「おとこのこどうしでもけっこんできるの?」
「おれも、すぐるも、すきだったらできるんじゃない?」
「じゃあやくそく。ずっととなりにいてね。」
「あたりまえだろ!」
懐かしい夢だ。遠い遠い記憶。幼い頃からずっと一緒だった、幼なじみのこの親友には、前世の記憶なんて存在しない。俺は前世の記憶を持ったまま生まれ変わり、幼いながらにプロポーズなんてして。少女漫画とかでよくあるガキの戯言。良くも悪くも、子どもというのは素直で残酷だ。あのときのあの言葉を、今の傑はきっと、なんとも思っていないだろう。お互い薬指にはめた形の違う玩具の指輪。小指と小指を絡めたあの時の約束を。
午前中のかったるい授業が終わる鐘が鳴る。開いた窓からそよそよと入ってくる風が心地よい。桜の木は葉桜となり、これからジメジメとした梅雨が来る。
机に突っ伏していた顔を上げ、周囲を見渡す。グラウンドへ向かう運動部や学食へ向かう人。一緒にご飯を食べようと席に集まる人。あ、もう昼休みか。そう思うと同時に前の席に座る男は、椅子をこちら向きに置き直し、弁当の包を広げ始めた。幼なじみであり、前世からずっと想いを寄せている男。
「悟。またさっきの授業寝てただろ。」
「あんなの聞かなくても分かるっつーの。」
夏油傑。この世界でも全く同じ苗字、名前。背丈も顔も、何もかもがあの時と同じ。唯一違うことは前世の記憶がないこと。それに比べて俺には前世の記憶がある。
この世界には呪霊なんて存在しない。つまり呪術師も存在しない。俺たちが生きたあの世界ではない、別の世界で俺たちは生まれ変わったらしい。姿も名前もあの時と一緒のまま。
「いいかい悟。授業態度も大事な評点に「あーはいはい。俺正論嫌いなんだよね。」
似たようなやり取りも、前世であった。懐かしいな、なんて思うのは俺だけだ。呪いなんてない、ただただ平和な世界で、おまえとまた一緒に青春を謳歌することができるなんて前世の俺は思いもしなかっただろう。でも、俺だけに記憶があるのは思っていた以上に堪える。こうして苦しくなるのも、何度目だろうか。俺は胸のモヤモヤを誤魔化したくて菓子パンを齧った。
「そういえば部活、地区予選もうすぐだろ?どうなの調子は。」
「まぁまぁ、かな。地区予選はあくまでも通過点と思ってるから、あまり気負わずいこうと思って。」
「ふーん。」
菓子パンとコーヒー牛乳を机に並べる俺と違って栄養バランスにも気を使っているだろう弁当は傑の母親の愛情を感じる。前世の趣味、特技が格闘技だった男が、今では空手部に所属していて全国でも通用するくらい強くなっていた。何でも一通りこなしてしまう俺はどの部活にも所属していなかったから、こうして傑の部活の話を聞くのが大好きだった。
「最後の高総体だし応援行こうかな。」
「えぇ…悟目立つからなぁ…」
「はぁ?傑が来んなって言っても行くからな。」
「冗談だよ。応援よろしく。」
高校3年生。俺の記憶が正しければ傑は高専3年の夏から痩せ始めて体調も悪そうだった気がする。俺は自分のことばかりで傑に気の利いた声もかけてやれなくて。だからこの、「高校3年生」という今の状況に対して少し心はざわざわとしてしまう。前世とは違うと分かっていても、あの時の事は忘れられない。
「夏油くん!ちょっといいかな?」
綺麗に空になった弁当箱を鞄にしまう傑に声を掛けてきたのは別のクラスの女子だった。確か学年で一番かわいいって言われてる女子。
「いいよ。あ、悟。貸してたノート、机に置いといてね。」
「はいはい。女子またせんなよ。」
さっさと行ってやれよ、と思いながら菓子パンのゴミをグチャグチャに丸める。そう、傑は先輩後輩関係なく女子によくモテる。この呼び出しも何回目だろうか。呼び出される理由なんて決まっている。そのたびに俺はちくちくちくちく小さな針で胸を刺されているような気持ちになる。これが何かなんて、分かりきっているけれど、だからと言ってどうにもすることができないでいる。女子と並んで教室を出る傑の背中を見つめ、俺は小さく溜息をつく。
「五条〜!先生呼んでるよ〜!」
「あー今行く。」
コーヒー牛乳を飲み干し、さっきの菓子パンの袋と一緒にゴミ箱へ投げ捨てるとガコン、と音が響いた。俺の恋も、こうして捨てられたら良かったのかな。そんなことを思いながら、俺は職員室へ向かった。
「傑。今日部活何時まで?」
「大会も近いから七時くらいかな?」
「分かった。図書室で勉強してるわ。」
「気にせず帰ってもいいのに。」
「いいの。昼休みの事も聞きたいし。モテモテの傑くん。」
放課後。各々が部活に向かったり勉強したりそれぞれの時間を過ごす。俺はいつも傑の部活が終わるのを待って一緒に帰るのが日課だった。傑が嫌がらないのを良いことに、こうして俺は傑との時間を少しでも多く過ごしている。
「じゃあ終わったら連絡するよ。」
「おう。部活頑張って。」
部室へ向かう傑を見送り、俺は図書室へ向かう。図書室は常に静かで、唯一聞こえてくるのは外で部活に取り組む人たちの声だけだ。俺はここでよく時間を潰す。
もう、高校3年生だ。これからの進路のことだとか、このままずっと傑の側に居続けるのは難しくなるだろうとか、考える事がたくさんある。
このままでいいとは思わない。だからと言って、今この関係が崩れることはもっと嫌だ。傑が今、この瞬間、心の底から笑えているのなら、俺はそれを大切にすべきなんじゃないか?俺の気持ちでその世界が壊れる可能性があるなら、見守ることも愛情ではないだろうか。
「27歳で死んでるし、今世はもっともっと人生謳歌してもらいたいじゃん。」
うまく纏まらない想い、考えがぐるぐると脳内で繰り返される。広げたノートに、「将来どうなりたいか。」とシャープペンシルを走らせた。
「俺の将来…まず前提として、」
傑が幸せに過ごしていること。俺のことはその次でいい。でも傑が幸せに過ごすってなんだろう?傑が幸せな人生を送るってどんな人生だろう?俺は傑が幸せに過ごすお手伝いができるのだろうか。
「……高校生が考えるようなことじゃねぇだろ。」
自分を嘲笑うように吐き出す。勉強のやる気も何処かへ行ってしまった俺は傑からの連絡を待ちながら、机に突っ伏して一眠りすることにした。
何か、話し声が遠く聞こえる。よくよく耳をすませばその声は傑の声のような気がした。
「うん。ごめんね。ありがとう。戸締まりは私がしておくから。」
意識はうっすらあるのに瞼を開けることができない。そのまま俺の隣の椅子を引く音が小さくすると、エナメルバッグが机に置かれる音がした。
「悟。」
「ん……?」
聞き慣れた声にようやく脳みそは覚醒していく。ゆっくり顔を上げるとやっぱり隣に座ったのは傑だった。
「全然返事くれないから心配したんだよ。」
俺は手に握りしめていたスマホを慌てて見ると傑からのメッセージと着信の通知が溜まっていた。
「ごめん。」
「いや、何も無かったから良かった。そういえば母さんが夕飯一緒にどう?って。悟のお母さんたちしばらく出張でいないんだろ?」
両親同士の仲がいいのも考えものだ。だがそれを断れない俺も馬鹿だなぁと思う。俺は広げていたノートや筆記用具を仕舞い、立ち上がるとスクールバッグを肩にかけた。
「サンキュ。んじゃ今日もお世話になるわ。」
「あ、鍵返してから帰るよ。君が居眠りなんてするから図書委員の子、困ってたんだ。」
ギギと椅子が片付けられる音が虚しく響く。図書委員の子。きっとソイツも、傑に声を掛けられて顔を赤くしながら「ごめんね、お願いします。」なんてお願いしたんだろう。勝手に想像して胸に渦巻く黒いモヤ。これが何かなんて、分かりきっているがこれを傑に打ち明ける訳にはいかなかった。目を伏せた先に見える、傑の手の中にある鍵。俺はそれを奪うように手に取った。
「俺が返してくるから校門前で待ってて。」
目を丸くした傑の顔を、俺はなんでかちゃんと見ることができなくて、分かったって、たったの一言だけ残して先を歩く傑の後ろ姿を見つめた。しょうもない勝手な嫉妬で、何をしてるんだろう。図書室の電気を消せば暗闇に包まれて帳みたいだな。なんて思い出さなくてもいい光景を思い出しながら、ガチャンと鍵を掛けた。
「そういえば昼休みの呼び出しは何だったの。」
「ん?あぁ、いつものやつだよ。でも部活に集中したいからごめんねって断った。」
「まーたそれかよ。オマエそれ何人目?つーかそれ部活終わったら戦争起きねぇ?」
傑の家に向かう道中。こうして駄弁りながら並んで歩いて帰ることも、卒業したら無くなってしまう。そう思うと、どんな会話だろうとこの時間を大切にしようと思えた。だが傑の返事に、俺は脚が止まってしまう。
「うーん……でもなんか、女子を好きになれないんだよね。いや、女子っていうか人…?仮に付き合ったとしても彼女が求めるような事はたぶんできないよ。あ、でも、悟が女の子だったら付き合ってたかもね。」
なんだよ。なんだよそれ。俺が女だったら付き合ってた?思ってもみなかった言葉が、胸を抉っていく。当たり前のように隣にいて、学生時代を過ごし、離反したオマエの最期を見送って……そんな前世の記憶が無ければ、「何言ってんだよバーカ」とか軽い口を叩けたのだろうか。この場を誤魔化せただろうか。抉られた胸の傷がじわじわと迫り上がってくる。歪む視界になんとか耐えたくて唇を噛んだ。
「……あっそ。」
一言返すのが精一杯だった。その後この手の話が続くことはなく、夕飯なんだろうね。なんてしょうもない話ばかりし続けた。傑の気持ちは分からない。分からないけれど、少しだけ見えた表情が、どこか寂しそうに感じられたのは、俺の勝手な幻覚だろうか。さっきまで俺たちを照らしてくれていた月はすっかり雲に覆われていた。
傑の家でご飯をご馳走になり、家に帰る。賑やかな傑の家とは対象的で、「おかえり。」と言われることもなく、真っ暗な廊下を進み電気をつける。前世でもそんな生活長くしてたし今更寂しいなんて気持ちもない。共働きの両親が楽しく働けるならどうぞ、という気持ちだった。ふかふかのソファーの上に仰向けになる。脚はもちろんはみ出る。ぶらぶらと脚は遊ばせながら今日の会話を振り返るがどうしてもやっぱりあの言葉が何度も何度も繰り返されてしまって、その度に苦しくなるばかりだった。
「俺が女だったらって、何なんだよ。」
ぐるぐるぐるぐる、答えの出ない問いについてひたすら考える。気付けばじんわりと視界が滲んできて、俺は腕で目元を押さえつけた。誰もいないんだから、声を出して泣いても良かったのに、何だか一人傷付いてモヤモヤしてるのがかっこ悪く思えてしまって、唇を噛み締めながら静かに涙を流した。
なぁ、傑。オマエは俺のこと、どう思ってんだよ。
【つづく】