家飲みバイト先からかかってきた電話を切りリビングに戻ると丸い煤色がソファーとローテーブルの隙間で揺れていた。再び鳴り始めたスマホの着信音に一瞬だけ止まった煤色。大倶利伽羅は鳴り続けるスマホを乱暴に鞄に放り込み揺れる煤色の正体を暴きに行く。ソファーを背もたれに床に座る煤色、その正体の手にはさっきグラスを合わせた時に栓を抜いたものとは違う酒瓶。壁時計の針を確認すれば20分程も電話対応をしていたようだ
瓶口から滴る雫がグラスの底で小さな音を鳴らした。ため息をつき煤色の正体と同じように床にドカリと座る。長谷部は薄く濡れたグラスの底を見つめたままへらりと緩い笑みを浮かべた。
「新しい彼女かぁ」
新しいってなんだ。内心で舌打ちする。
「違う」
「行かなくていいのか」
「いい」
「おっさんに付き合わなくていいんだぞ」
「いい」
こちらを見ようともせず緩い笑みを浮かべたままの長谷部にだんだんと苛立ちが込み上げてくる。溢れそうな苛立ちを温くなった飲みかけの酒で飲み込む。揺れてる長谷部の手からグラスを奪い、とりあえずローテーブルの空瓶を片付ける。
「なぁ」
「なんだ」
手際よく動く大倶利伽羅のその手に長谷部の手が重なった。大倶利伽羅は重ねられた細い器用そうで不器用なその手に視線を落した。長谷部は一時停止した大倶利伽羅の顔を覗き込む。
「もう、飲むのだめか?」
アルコールで火照った頬で普段の長谷部では考えられない甘えて見上げてくる仕草にキュンとした自分が悔しい。
「飲み過ぎだ」
大きくため息をつき努めて冷たく言い放つ。
「もうちょっとだけ、飲みたいです」
ぐ、
ご機嫌を伺うように潤む青紫にうっかり怯んでしまった。長谷部はクスクスと笑いながら重なった手を解き細い指を大倶利伽羅の腕に立てた。龍を階段にみたて二本指の足が元気よくトコトコ上り下りする。
「お前、手遊びが好きだったよなぁ」
「そうだったか」
手遊びが好きだったのではなくあんたの膝の上が好きだったんだ。
酔っ払いめ、
ローテーブルに頬杖をついて酔っ払い長谷部のやりたいようにやらせる。
“叔父さん”は酔うといつも俺を“ちび甥っ子”ように扱う。何度も「好き」を伝えているが「ありがとう」と返されるばかり。俺の気持ちが伝わっているのかどうかわからない。俺たちの関係はいつまでも叔父と甥のまま変わらないのか。
「子ども扱いするな」
もう“ちび甥っ子”じゃない。
長谷部の手を払いソファーに座り直す。
「む。」
思わぬ大倶利伽羅の抵抗に唇を尖らせぷくっと小さく頬を膨らます。
「じゃあおとなのを、するか?」
コテンと傾げた首に合わせて煤色の髪が腕の龍にかかる。
「は?」
目尻を赤く染めた長谷部は大倶利伽羅を見上げ不敵笑う。
長谷部は払われた腕を絡めるように取り返しその腕の中にすっぽりと収まった。先程まで元気よく上り下りしていた指の足を優しく押し当てるように鱗倶利伽羅を跨ぎ鱗を滑っていく。酔っ払いの予想外の動きに大倶利伽羅の時間が止った。腕の中を見下ろせば煤色の髪の毛の間から無防備に火照ったうなじ。跳ねた煤色が顎に当たりくすぐったい。大倶利伽羅の時間が止まっている間も長谷部の二本の指は僅かに触れるくらいの強さで倶利伽羅を撫で這い上がっていく。伏せたまつ毛が時折大倶利伽羅を観察するように持ち上がりながらTシャツの袖を潜り肩甲骨の龍の口まで辿り着く。
あんたの膝の上で喜んでいた子供じゃない。あんたをこのまま押し倒すことだってできるんだ。
長谷部の指の感触ともどかしい体温にぐつぐつと沸き上がる熱。飲み込まれる。このまま流されたい。
「な、くすぐったいだろう」
イタズラが成功した子供のように笑う長谷部に大倶利伽羅はわざと大きな溜息をついた。
大倶利伽羅の時間が動き出す。
「そうだな」
本当に酔っているのか。
ズルい“叔父さん”か。
長期戦は覚悟の上だ。
あんたも俺が好きだろう。
早く「ありがとう」以外の言葉を聞かせてくれ。
おまけ
「ところで、なんだ大人のって」
「ああ、この前居酒屋でな、隣で飲んでた人に教えてもらった」
「は?」
「リラックスできるからと」
「は?」
「いい人だな」
「…あんた」
「?」
長谷部の無防備すぎる額に渾身のデコピンをお見舞いする大倶利伽羅なのでした。