書きかけのレオ♂ダ♀ちゃん再開話窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりで、目が覚めた。まだ重たい瞼をゆっくりと開きながら、頭を傾けて窓の方へと視線を動かす。
カーテンの隙間から射す陽の光は確かに朝の光であるのだけれれど、しかしその光はカーテン越しだという事を含めてもまだ弱弱しく、辺りは薄暗い。早朝も早朝。夜が明けたばかりだ。
ベッドから身を起こす前に、深く息を吐き出して、今日もあたしはゆっくりと自分の名前を小さく呟く。これが今のあたしの毎朝の日課だ。
……変な事をしていると思われそうだけれど、これにはあたしなりの理由がある。実はあたしには、一年以上前の記憶がなかったりするのだ。
去年のちょうど今頃。この村の近くの森の中で、あたしは大怪我をして倒れていたらしい。モンスターにでも襲われたのか、それとも事故か何かにあったのだろうか。何せ怪我をしていた本人に記憶が無いのだから、一年が経った今でも詳しいことは何も、誰にも分かっていない。
命さえ危うい状態だったあたしを助けてくれたのは、ジョンという男だった。男、と言っても年は多分あたしとそうは変わらないだろう。多分というのは、もちろんあたしの正確な年齢が分からないからだ。12、3歳くらいだと思うのだが……と、あたしのことは一先ず置いておいて。
ジョンは村に住む魔法使いであるのだが、両親が僧侶だったためか簡単な回復呪文が使えて、薬草などの知識も持っている。そのため村では医者のような事もしていて、その日は治療に使うための薬草を取るために森に入っていた。そしてそこで見つけたあたしを彼は村に連れ帰り、治療を施してくれたと言うわけなのだが……。
しかし3日ほど経ってようやく目覚めたあたしは、過去の記憶をきれいさっぱりと忘れてしまっていたのだった。
「あたしの名前は……」
声に出して呟きながら、今日も自分の名前を探る。
記憶というのは忘れる時も突然なら、思い出す時も突然に訪れるものなのだとか。何か劇的な体験で思い出すこともあれば、普段の何気ない生活の中で思い出すこともあるのだと、ジョンがそう言っていた。
そんなわけだから、もしかしたら眠っているあいだに何か思い出している。なんて事もあるかもしれないし、こうして記憶を探る事が、失ったモノを取り戻すきっかけになるかもしれない。そう思って、毎朝自分の名前を確かめることにしているのだ。
「名前、は……っ……。……マリア」
しかし記憶をどう探っても、浮かび上がってくるのはこの一年間の記憶だけ。それよりも前の事はちらりとも思い出してはくれない。結局唇から零れる名前は、いまのあたしの名前だ。何も覚えていないあたしに、ジョンが付けてくれた仮の名前。
もう一年以上、毎日名乗って呼ばれている名前だというのに、この響きはちっともしっくりきてはくれない。本当の名前も何もかも思い出せないのに、それでもあたしの心は「これは自分の名前では無い」と、キッパリと拒否を返してくれているのだ。……ここまで否定するのなら、正しい名前を教えてくれてもいいのに。なんて思っしてまうのは、八つ当たりのようなものだろうか。
「はぁ……」
軽くため息など吐きながら、ベッドから下りて鏡台の前へと腰を下ろす。昨夜置きっぱなしにしたブラシを手に取って、鏡に写った自分を見つめて……。そこでまた深く、ため息がこぼれ落ちた。
ブラシを置き直して、右頬に触れる。返ってくる感触は柔い普通の肌のもの。
しかしそのままゆっくりと指を滑らせていけば、やがて固くザラザラとした箇所や、逆にぶよぶよと腫れた部分へと行きあたる。
先ほども述べたように、一年前。森の中で倒れていたあたしは、大怪我をしていた。もっと正確に言えば、全身に大火傷負っていた。
この顔に残っているのは、その火傷の痕だ。ある程度は回復呪文や薬草などで癒えたが、こうして跡が残ってしまっているところも沢山ある。
顔だけじゃなくて、今着ている服の下にも、ところどころこの右頬と同じような痕が残っている。
『もっと高位の回復呪文なら、痕も癒せるはずなんだけど……ぼくは本当に初級の回復呪文しか使えないから……』
ジョンは申し訳なさそうにそう言っていたけれど、彼は本当に懸命に治療を施してくれた。だって、確かにこうして火傷の痕は残っているけれど、逆に言えばただそれだけだ。普通に歩けるし、走ることもできる。物を掴むことも、食べる事だってできている。普通の生活を送るには、何も支障がないのだ。ジョンには感謝こそすれど、不満に思うことは何も無い。
だけど……それでも。鏡に写る自分の姿には、こうしてため息が零れてしまう。せめて顔だけでも、元に戻れたらいいのに、と。
「…………」
一度置いたブラシをもう一度手に取り、髪を梳かす。元は長かったらしい髪は、火傷を負った際にかなり傷んでしまっていたので、その殆どを切り落としてしまった。今はまた背の中頃辺りまで伸びてきているけれど、元の長さに戻るまではもう、あと一年と少しはかかるだろうか。
別に髪なんてもっと短くてもいいし、むしろその方が楽だ。だけど、何故だろうか。早く元に戻ってくれないと何だか落ち着かない。以前のあたしは、ロングヘアでなないと嫌だとか……そんなこだわりでもあったのだろうか?
髪を梳き終え、席を立つ。そのまま隣のクローゼットの前へと移動して、今日の分の着替えを取り出す。取り立てて特徴もない、普通の村娘風の布の服だ。今の季節はそろそろ夏が訪れるころで、昼間は少し暑くなり始めている。だけどあたしのクローゼットに入っているものは、基本長袖にロングスカートだけしかない。
……前途した通り。あたしの身体は、ところどころ火傷の痕だらけなのだ。ジョンも含め、村の人達は誰もそれに何も言わない事は知っている。だけど、毎朝鏡を見ている自分でさえため息を吐いてしまうのだ。他の人が見ても気持ちのいいものではないのは、確かだろう。
「でも、さすがに暑くなってきたし、もう少し薄手の服にしようかな……」
一度出した服をしまい直して、夏用の生地の薄い服を出し直す。鏡はあまり見ないようにしながら着替えて、最後にケープを羽織り、後ろに付いたフードを深く被る。視界はあまり良くは無いし結局暑いのだけど、しかしこれで顔の痕も人からは見え難くなるのだから、そこは我慢というものだ。
「ふぅ……」
なんとはなしに軽く息を吐き出して、カーテンを開け締め切っていた部屋の窓も開ける。途端にふわりと舞い込んでくる風は、まだ早朝ということもあって冷たい。しかし微かな緑の匂いを運んできてくれて、とても心地がいい。少し鬱々としていた気持ちが、息を吸い込む度に晴れていくようにすら感じられる。
しばらく瞳を閉じたまま、風が運んできてくれる朝の空気を堪能しながら、気持ちを切り替える。これも、いまのあたしの毎朝の日課になっていると言えるかもしれない。
「さて、朝の準備をしなくちゃ」
ようやくそう呟いたのは、どれくらい経ってからだろうか。長い間だったのか、それとも拍子抜けする程に短い時間だったのか。それを計れる物も人も、いまここにはいない。……あたしが、毎朝鏡の前でため息を吐いている事は、誰にも知られていないはず、だ。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出して。窓を閉めて踵を返し、部屋の扉を開ける。まだジョンは起きていないのか、それとも必要な薬草を採りに森にでも行っているのか。家の中はしぃんと静まり返っている。
記憶も何も無くて行くあてのないあたしは、ジョンの家に住まわせてもらっている。この家は診療所も兼ねていて、両親も亡くなった家では一人で住むには広すぎるから。そう言った彼の言葉に甘えさせて貰っている、とそう言った所だろうか。
そのお礼、という訳でもないのだけど、食事や掃除洗濯など、あたしに出来ることはやらせてもらっている。と言っても、どうやらあたしは料理は不得意だったらしく、ごくごく簡単で単純なモノしか作れない。これから行う朝の準備というのも、卵とハムを焼いて、パンとスープを用意する。ただそれだけの事だ。
一度外に出て近くの井戸で水を汲む。朝食に使う分は、二杯もあれば十分だろうか。必要な分を持ってきた桶に移して、ついでに顔も洗ってしまう。
朝の井戸水は、冬ほどではないけれど冷たくて、まだ微かに残っていた眠気を払うには十分すぎる程だ。そのままそよりと吹く風を受けるていると、何とも言えない気持ちよさを感じる。このまましばらく風を感じていたくもあるけれど、しかしそういう訳にもいかない。ポケットに入れていたハンカチで、顔に残った水を拭う。
「おはよう、マリア」
背後から聞こえた声に、フードを被り直しながら振り向く。
そこに立っていたのは、茶色がかった黒い髪を短髪にした、あたしよりも少し年上くらいの少年。まだ眠たそうに瞳を擦りながらもにこやかに笑う彼は、見知った顔……どころか、この1年間毎日を一緒に過ごしてきた相手だ。
「ええ、おはよう、ジョン。今日はずいぶんと早いのね」
「う、ん……。森の方に薬草を取りに行っておこうと思って」
井戸水で顔を洗うジョンの後ろ姿に挨拶を返しながら問いかければ、彼はタオルで顔を拭きながらそう答える。そういえば、痛み止めに使う薬草がもうなくなりかけていたっけ。
「なら、朝ご飯は向こうで摘まめるものがいいかしら。それとも、帰ってから?」
「そうだね。……摘まめるものがいいかな」
少し考えこみながらそうと答えた彼に、ならすぐに用意すると答えて、水を汲んだ二つの桶を両手に持ち上げる。あたしはだいぶ小柄な体格をしているけれど、どうやら力はあるらしく、これくらいならば特に重たいとも思わない。
しかし、ふいに片方の手にそっとジョンが自らの手を重ねる。どうか、したのだろうか。
「帰ったら、スープも飲みたいな」
なぜかどこか照れ臭そうに言いながら、
彼は重ねた手を滑らせるようにして桶の取っ手を掴んだ。持ってくれる、という事だろうか。……あたし一人でも全然持てるし、そこはこの一年間を一緒に生活してきた彼も分かっていると思うのだが。
……そういえば、あたしがここに来る二年ほど前に、ジョンは両親を二人とも事故で無くしているのだと聞いた。彼はそれからずっと一人暮らしをしていたそうだから、今一緒に暮らしているあたしの事を、妹のように思っていてくれているのかもしれない。そうだとするのなら、彼の好意を無為にするのも悪いかしら。
「じゃあ、お願いね」
「うん、もちろんだよ!」
言いながらこちらから手を放せば、彼はとても嬉しそうに笑った。
二人で水の入った桶を抱えて家に戻る。ジョンは自室で出かけるための準備を始め、あたしはその間に台所で朝食の準備を始める。
外で摘めるものなら、サンドイッチ辺りがいいだろうか。具は……元々朝食に使う予定だったチーズとハムと……、そうだ。レタスが少しだけ残っていたっけ。それを使い切ってしまおう。
そんな風に考えながら、材料を取り出して机の上に並べていく。サンドイッチの作り方すら危うかったころから考えれば、格段の進歩だと言えるだろう。それはきっと喜ばしいことだ。
……このままここで暮らして、いろんなことを覚えて……。そうしたあたしは、例え記憶が戻ったとしてもはたして元の自分なのだろうか。別人とはまではいかなくても、やはり少し違った人物になってしまうのではないだろか?……時々そう考えてしまうこともある。
ふぅと、軽くため息がこぼれていくけれど、それでも手だけは自然と動いていく。パンの表面にバターを塗り、その上にレタスとハム、チーズを重ねて最後にもう一枚パンを重ねる。それを馴染ませるように上から軽く手で押さえる。後はしばらく置いてから食べやすい大きさに切って完成、である。
サンドイッチを置いている間に、今度はスープの準備だ。
お鍋に水を入れて火にかける。中身が温まるまでの間に、次はスープの具材になる物を切っていく。玉ねぎ、人参などの野菜と、サンドイッチの余りのハム。それらを一口サイズにして、くつくつと煮立ってきた鍋の中へと入れ、それと一緒にスープの素を一つ落とす。
この小さな茶色の固まり。これは元々旅人用の携帯食糧だったのだけど、出汁をとるなど面倒なことは何もせず、お湯に溶かして後は具材を煮込むだけ。と、とっても手軽で便利だから、今では普通の家庭でも使われているものなのだとか。
……そういえば、あたしはこれをどこで覚えてきたのだろうか。いまのあたしができる料理の殆どは、村のおばさん達に教えてもらったものだ。だけどこのスープの素の事や作り方は、最初から知っていた……覚えていた。
ーねえ、【⠀ 】これはなに?
ーこれ?これはね、携帯用の調味料なんだけど……
ーわぁ!【⠀ 】が作ってくれたスープ、とっても美味しいよ!
ーそ、そうかな?でも、味付けはあたしがしたわけでは無いというか……
不意に、何かの映像が頭の中を過ぎっていく。話をしているのは、あたしと……それから、誰なのだろう。1人は女性のようで、もう1人は男性のようだ。2人とも顔はよく見えなくって、呼んでくれているあたしの名前も、そこだけが雑音にかき消されて聞き取ることが出来ない。それがとても、もどかしい。
記憶が映像として過ぎっていく。これは初めての事ではなくて、今までにも何度か経験してきた事だ。だけどその何れでも、例えば名前などの決定的や事はわからないまま。あたし以外の人物の顔にも影がかかっていて、それが晴れてくれたことは無い。
……もう少しくらい、何か浮かんできてはくれないだろうか。料理の手を止めて、しばらく考え込む。けれど、やっぱりこれ以上は何も浮かんできてはくれない。
「やっぱりダメか……」
大きくため息を吐き出して、止めていた手を再び動かす。
スープは、後はこのままじっくりと煮込むだけ。吹きこぼさないように火を弱めて、サンドイッチの準備の続きをするとしよう。
パンと具材がしっかりと馴染んでいることを確認して、包丁で食べやすい大きさに切り分けていく。切ったものは包み紙に包み、小さめの籠の中へと詰めこむ。サンドイッチだけでは少し隙間が空いてしまうので、乾燥させた桃の果実を並べてみる。……うん、こんな所だろうか。
「わぁ、今日もとても美味しそうだね!」
出かける支度を終えたジョンが、籠の中を覗き込みながらそう言った。お腹を空かせているのか、果実の方へとさっそく手を伸ばす。いまここで摘む用に詰めた訳では無いのだけど。そう心の中で呟きながらも、彼の指が一つだけ摘んでいくのを見守る。でも許すのはそれだけ。後はダメだと、さっと蓋を閉めてしまう。
「あとは向こうで食べてね」
言いながら籠を差し出せば、ジョンは苦笑を浮かべながらそれを受け取る。
「はーい。……じゃあ、行ってくるね」
手持ちの袋の中にサンドイッチの入った籠を入れて。ジョンは外へと続くドアを開ける。まだ早朝である事は変わりないが、陽は少し高くなっているようで、まだ柔らかさを残しながらも強い眩さを感じさせる光が入り込んでくる。
「今日も暑くなりそうね」
森へと出かけていくジョンの背中を見送りながら、あたしはぽつりとそう呟いたのだった。
*
まだ朝の早い時間帯のはずだが、ずいぶんと眩く、そして無遠慮に照らしてくる陽の光に、思わず空を見上げた。
中央にはまだ程遠い場所で輝く太陽の周りには、雲一つなく、どこまでも広がる青い空。
何でもないような風景のはずなのに、しかしぎゅうっと胸が締め付けられるのは、一体何故なのか。……理由は考えるまでもない事だ。
青い空も、眩い陽の光も。ぼくにとっては、ただ一人の少女を連想させるモノだから。
彼女-勇者ダイが、黒の結晶の爆発と共に姿を消してから一年が経った。その一年の中で、ぼくの世界は目まぐるしく変わった。今までのような国王代理ではなく、しかし正式と言う訳でもなく。だけど確かに、ぼくはこのパプニカの王になった。ー何故正式では無いのかは、今は置いて置く。
王子であった頃よりも当然、やらなくてはならない事は多くなって、あの頃の自分は今思えばだいぶ自由にさせて貰っていたのだと、今更のように実感している。王都以外の復興の予算や手筈、人材の確保。復興関連以外にも、やらなくてはならないことは色々あるし、その中には自国の事だけではなくて、他国とのやり取りもある。この一年間で、自分の時間を持てた事は全く無い、と言う訳では無いけれど、かなり少なかったことは事実だ。
今日も王都からは少し離れた場所まで視察に行かなければならない。そのためにまだ日も昇ったばかりのこの時間に馬車に乗り込もうとしているわけなのだが。
「どうかされましたか?」
空を見上げたまま足を止めたぼくに、兵士の一人が首をかしげながら問いかけてくる。ぼくは軽く息を吐き出しながら、何でもないと短く答える。
……ダイくんがいなくなってから、一年間。"まだ"と言っていいのか"ようやく"と言っていいのか。そんな時間が流れた。けれど、告げられなかったぼくの恋心は、あの頃からまだ止まったまま。いまでもぼくは、ダイくんの事が忘れられないでいる。恋をしたままでいる。
もう一度空を見上げて、扉を開けたまま待っている馬車へと乗りこむ。けれど、
「あれ?」
車内に何か……袋のような物が落ちているのに気がついて、それを拾い上げる。小さな、手のひらに乗るくらいのサイズで、何が入っているのかは分からないけど、重さは殆どない。空なのか?と思いながら軽く振ってみると、何かカサカサしたような音が聞こえてくる。一応、中身は入っているらしい。
「どうかしましたか?」
入り口に足をかけたままのぼくに、アポロが後ろから声をかけてきた。護衛件、補佐役として彼も一緒に視察にくるのだ。
「うん、何か落ちてたんだけどー」
車内の用意をした者の落し物かな?そう口にしようとした言葉は、しかし遮られることになった。
「うわぁぁぁ!!」
突如上がった、悲鳴によって。
一体何があったのか。確かめるために振り返って、ぼくはそのまま言葉を失う。
ライオンヘッドにサーベルウルフ、エリミネーターにバーサーカー。例え魔王の邪悪な意思がなくとも、凶悪・獰猛さでよく知られ、出会ったのならば即逃げろが鉄則。そんなモンスター達の姿がそこに並んでいた。
「なんで王宮にモンスターが」
深い森の中や洞窟の中ならばともかく、ここは王都の、しかも王宮の中だ。現れるはずの無いモノの出現に戸惑うのは、とてもよく分かる。だけど何時までも固まってはいられない。
今日の遠出は地方の復興の様子を見に行くのが目的で、この場には兵の姿よりも文官などの戦えない者が多い。先ずは彼らを逃がす事を考えなくては。
「半分はここに残ってモンスターの迎撃を、もう半分は避難する者の護衛を!」
『 はっ!』
ぼくの声に、周りの兵達が声を揃えそれぞれに動き出す。
「陛下はこちらへ」
「うん」
ぼくもアポロに伴われ、城へと避難する側だ。戦えるか戦えないかで言えば戦えるのではあるが、しかしぼくは自分の身を1番に考えなくてはならない。そういう立場なのだ。
だが、しかし。
「グルゥオオオッ!!」
雄叫びを上げて、サーベルウルフが飛び出してくる。周りの誰にも目をくれず、ただ真っ直ぐにぼくへと向かって!
「真空呪文(バギ)っ!!」
アポロがサーベルウルフに向かって呪文を放つ。真空の刃がその皮膚を切りつけるが、しかしサーベルウルフの突進は止まらない。それどころか、
「ガォオオンッ!!」
「キシャアアッ!!」
他のモンスターも雄叫びを上げながら、やはりぼくの元へと真っ直ぐに向かってくる!
一体なぜ?疑問ではあるが、しかし今はそれを考えている暇はない。腰に下げたホルダーから自分の得物であるムチを取り出し、突進してくるモンスターに向かって振るう。こうして武器を持っているものの、ぼくは接近戦は得意ではない。そもそも、ムチは中距離・長距離向けの武器だ。これで牽制しつつ、呪文を叩き込んでいく。それがぼくの主な戦闘スタイルだ。
「ふっ」
短い呼気と共に振るったムチが、斧を振り上げて飛びかかってきたバーサーカーの顔面を捉えた。
「グギッ!!」
だいぶ痛かったのか、悲鳴を上げて地面へと倒れんだ。そこへ、兵の一人が剣を構え切り込んでいく!
「ウォォッ!!」
しかしその横手から、今度はエリミネーターが切りかかる!
バーサーカーを斬れば、その間に自分が斬られる。エリミネーターを斬れば今度は立ち上がったバーサーカーに斬られる。そう判断して、兵士は短く舌打ちをしながら後ろへと下がった。
ぼくへと突進をかけていたサーベルウルフは、しかし器用に脚を止めてムチの一撃を交わした。だがそれでも構わない。ぼくはそもそも武器よりも魔法の方が得意なのだ。
「氷系呪文(ヒャド)っ!!」
ぼくの声に応え、魔力の吹雪が吹き荒れサーベルウルフの身体を包み込んでいく。このまま凍ってくれれば、先ずは一匹片付けられる。そうでなくとも、
「グルゥッ!!」
吹雪の中から飛び出すようにしてサーベルウルフが出てくる。凍ってはいない。だが、凍えた身体には先程のような俊敏性はない。
「たぁああっ!!」
動きの鈍ったサーベルウルフに向かって、兵が剣を振るう。先ほどはムチをかわして見せたサーベルウルフだが、今度はまともに動くことも出来ない。 ザムっと、鈍い音を立てて刃がその身体に突き刺さった。
「ギャウっ!!」
悲鳴にも似た鳴き声を上げるが、それでもサーベルウルフは自らに剣を突き立てる兵へと噛み付こうと、大きく口を開く!
「剣を離してそのまま後ろへ下がれ!」
しかしアポロがそうと声を上げ、兵もまたそれに疑問を挟むのでもなく大人しく言葉に従う。
「火炎呪文(メラミ)っ!」
兵の姿と入れ替わるように飛んでいくのは、大きな火の玉。アポロが放ったそれは、狙い違わずサーベルウルフへと直撃、燃え上がる!
「グギャアアアッ!!」
鳴き叫びながらジタバタと暴れるが、それもやがて弱弱しくなり、そして完全に動かなくなった。
これで一匹!残りの三匹もこの調子で片づけてしまいたいところだ。
「ウオォォ!!」
叫びを上げながらエリミネーターが投げつけてきたのは、自身が手にしていた斧。真空系呪文で風を起こし、投擲の勢いを殺す。
今ならば相手は武器を持っていない。斬りかかるなら今だと、エリミネーターのすぐ側にいた兵が構えを取る。いざ距離を詰める為に地を蹴った、だが。
「ウォォオンッ!!」
まだ1度も動いていなかったライオンヘッドが、後方で大きく吠え声を上げた。その瞳には、紅い魔力の光が点っている。
「うわ、わ!!」
兵とエリミネーターとの間に、閃熱の炎が生まれる。ライオンヘッドは、いかにも獣といった風体の割にいくつかの呪文を使ってくるのだ。今使ってきたベギラマ程度なら直撃を避ければ問題は無いが、ぼくやアポロなどの呪文をメインの攻撃手段にするものにはとても厄介で致命的な呪文も唱えてくる。……呪文封じ、マホトーンだ。
先にライオンヘッドから片付けてしまうべきか?そう考えるが、相手に攻撃をするには呪文にしろ武器にしろ距離が離れすぎている。向こうからもぼくまでには距離があるが、向こうは獣の脚力に翼まで持っている。距離なんてあって無いようなモノと言ってもいいかもしれない。
燃え上がる閃熱の炎に足止めを食らう兵の前に、しかしエリミネーターがそれを飛び越えて現れた。
「わ、」
ずしりとした足音と共に目の前に現れた巨体に、先程の兵が慌てて剣を構え直す。だが僅かに遅かった。
「ヌウッ!」
「が、はっ!!」
ブンっと勢いを付けたエリミネーターの腕が、兵の身体を直撃。まともにそれを食らった彼は呻きを上げて地面に倒れ伏す。
「う、ぅ……」
命に別状は無さそうではあるが、暫くは立ち上がれそうにない。直ぐに回復に向かいたい所ではあるが、エリミネーターは倒れた兵の腕から剣を奪い取り、その切っ先を真っ直ぐにぼくへと向けてくる。……あくまでも狙いはぼくだということらしい。
モンスターから狙われる心当たりなど正直思いつかないのだけど、そこは今考えていても仕方がない。
「グォオオオッ!!」
ライオンヘッドが天に向かって吠え声を上げた。呪文の使用、ではなくただ雄叫びを上げただけだ。だが、それはこちらの注意を引きつけるのには十分だった。
「!?」
思わず視線がライオンヘッドへと向かった。その隙をついて、エリミネーターとバーサーカーとが走り出す。
「陛下っ」
この場に残っているのは、先ほどエリミネーターに倒された者を除いて五人。全員がこちらへの進路を阻もうとしてくれているが、モンスター達は酷い興奮状態らしく、彼らの攻撃をものともしない。魔法が使えるものは呪文を投げつけてもいるが、焼け石に水程度にしかなっていないようだ。
「ギィーっ!!」
バーサーカーが腕を振り上げる。いつの間に拾ったのか、その左手には先ほどエリミネーターが投擲した斧が握られていた。
ギンっ!!
斧が振り上げられた先にいた兵が、右手の斧の一撃を剣で受け止める。だがそうして固まった動きに、今度は左手の斧が振るわれる!
「ちっ!」
兵は舌打ちをしながらも、しかしその場を離れない。それどころか、頭を庇うように左腕を掲げた。いくら篭手があろうとも、さすがに斧を受けるのはまずいのでは。そう思ったが、しかし彼は斧が直撃する寸前に呪文を解き放つ。
「スカラ!」
防御力を上げる呪文である。薄い魔力が術者を包み込み、鎧のようになるのだが、弱い攻撃ならばともかく今回のように勢いを付けた斧の一撃を無力化する事はさすがに無理だ。
しかし勢いを削ぐには十分。勢いを殺された一撃は、ガツンと硬い音を立てて篭手に弾かれることになった。呪文なしに篭手だけで防いだのなら、斬り飛ばされないにしても、折れるか痺れるかで腕は暫くは使い物にならなかったかもしれない。
「ギィッ!?」
「だぁっ!」
痛恨の一撃になるはずだった一撃を防がれて、バーサーカーが驚愕の声を上げた。一瞬ではあるけれど、その動きが固まる。この隙を逃すものかと、兵は相手の腹へと蹴りの一撃を叩き入れ、その勢いを利用して一度下がり、相手との距離を取り直す。
「ギギィ……!」
ゆっくりと顔を上げたバーサーカーの視線は、ぼくではなく、たった今まで相手にしていた兵士一人へと向かう。どうやら彼を先に片付ける気になったらしい。
……こちらの戦いも非常に気になるところではあるが、しかし他所を気にしてばかりもいられない。エリミネーターはまだぼくを標的と定めているようだ。
「ウォォッ!!」
雄叫びを上げながら走るエリミネーター。その進路に立ち塞がろうとする兵士達を、その勢いのまま次々と殴りあるいは切り倒していく。皆致命傷などは負っていないように見えるが、しばらくは立ち上がれなさそうな者も何人かいる。
「……私が切りこみますので、呪文での援護をお願いできますか」
腰に下げた剣へと手をかけながら、小声で問いかけてくるアポロに、頷く代わりに呪文を唱え始める。彼もそれを了承と理解し、敵に向かって走っていく!
「はぁぁっ!!」
気合いの一吠えを上げながら、アポロがエリミネーターに斬りかかっていく。腹を狙った一撃はしかし、相手の斧でうち払われた。
エリミネーターは、外見は覆面を被っている以外はほとんど人間の男と変わりはない。まあ、その覆面の下がどうなっているのかはよく分からないが、とにかく見た目だけはかなり体格のいい人間の男だ。だがやはりモンスターである。その力は人間よりも遥かに強い。
それに対してアポロは普通の人間である。腕力では到底、モンスターに勝てるわけが無い。
しかし彼はとても優秀な人間だ。賢者というのは誰でもなれる訳ではなく、回復呪文と攻撃呪文。どちらも使いこなせる人間というのは、実はかなり少ない。
そして三賢者という役職は、パプニカでは各大臣に次ぐほどの地位である。先代が先の大戦でいなくなってしまった為でもあるが、若くしてそのリーダーを勤めているのはもちろんその実力あってこそ。魔法はもちろんだが、剣の腕も一流とはいかないが普通以上には立つ。
「はぁぁっ!!」
一度は打ち払われた刃を、再度構えなおし切り込んでいくアポロ。彼の背に向かって、唱え終わった術を放つ。
「ピオリム!」
ぼくが今放ったのは、補助呪文の1種で対象者の素早さを上げることができるモノ。
アポロの動きが先ほどまでとは明確に違う。エリミネーターが再度振り上げた斧を振り下ろす。それよりも早く、アポロはその懐へと飛び込んで、剣を一閃させた。
「ウォゥ!?」
エリミネーターが声を上げるが、しかし剣はその皮膚を浅く薙いだだけ。大した傷ではないと、直ぐにまた斧を振るうが、それよりも早くアポロは地を蹴って飛び上がり、その肩へと着地。そして直ぐにまたそれを蹴飛ばすようにしてその背後へと飛び降りる。
肩を押されてエリミネーターが僅かに体勢を崩した。そこに向かって、唱え終えた次の呪文を放つ。
「氷系呪文(マヒャド)!!」
ぼくの声に応え、白い吹雪がエリミネーターを包み込むように吹き荒れる。氷 はやがて刃となり相手を切り刻み、またはその身体を透明な氷の中へと閉ざしていく。
氷系の呪文は得意ではあるのだが、正直こちらまで寒くなるのであまり好きではない。寒いのはどうしても苦手なのだ。
そんなことは置いておくとして、他の戦況を確かめるべく視線を動かす。アポロももうエリミネーターは倒れたものとして、後ろを振り返ることはなく別の相手へと動き出している。彼が向かうのは、ぼくらから見て後方にいるライオンヘッド。
既に何人かが取り囲むようにして攻めているが、互いに有効な一撃は与えられずにいるようだ。
「はぁっ!!」
一吠えと共に、一人が槍を突き出す。だが、ライオンヘッドは軽く地を蹴って飛びかわし、そのまま兵たちの中へと飛びかかっていく。
「グルォオオッ!! 」
猛獣の雄叫びを上げながら、ライオンヘッドはその鋭い爪を振り下ろす。その先にいるのは、槍を突き出した兵だ。彼はその爪の鋭さにかそれとも、ライオンヘッドの雄叫びにか。一瞬身をすくめ、反応が遅れる。
「っ!」
直ぐに訪れるであろう痛みを想像してなのか、襲いかかる爪を前にして、瞳を固く閉じる。しかし次に上がった声は、彼の物ではなかった。
「ギャウッ!」
ライオンヘッドが悲鳴のような声を上げた。その前脚には、1本の槍が突き刺さっていた。どうやら別の兵が放った槍が突き刺さったらしい。
地面に脚を着け、ライオンヘッドは低い唸りを上げながら周囲を睨みつける。その瞳には、再び魔力の光が宿っていた。
またベギラマがくる!?そう身構える兵達の間を、一つの影が駆け抜けていく。先ほど駆け出していったアポロだ。
彼はピオリムの効果が切れないうちにと、一気にライオンヘッドとの距離を詰め、その顔面に向かって剣を横薙ぎに振るう。
「グギャァアっ!!」
呪文を封じられ、その視界も奪われたライオンヘッドは、もう苦悶の声を上げるしかない。畳み掛けるなら、今だ。
「みんな、一気にいくぞ!」
『おぉー!!』
アポロの号令に、周りの者が声を上げ、武器を構える……!
ライオンヘッドの方は、向こうに任せておいて問題無さそうだ。すると残るはバーサーカー。こちらの方はどうなっているだろうと、再度視線を動かす。
「ギギィ!!」
「うぉぉ!!」
互いに吠え声を上げながら、斧をあるいは剣を打ち下ろす。2つの武器は硬い音を立ててぶつかり合い、しかしそれは両者の身体には届かない。
そんな打ち合いはどれほど続いているのだろうか。まだ互いに決定打は与えられていないようだが、しかし兵の方は人間だ。モンスターの様な体力は持ち合わせていない。その顔には疲労の色が見え始め、身体に纏ったスカラの効力も、もうほとんどが消えかかっていた。
対してバーサーカーの方はもともと読みにくい表情をしているとはいえ、疲れている様子などは特に見えない。いつも笑っているように見えるその顔が、更に口の端を持ち上げた、ように見えた。
「ギィッ!!」
これで終わりだとでも言うように、バーサーカーが斧を高く振り上げる。兵の方にはそれをかわすような体力はもうないらしく、荒く息を吐きながらも真っ直ぐと相手を見据えながら剣を構え直す。
しかしあの様子では斧を受けきることは不可能だろう。体力のあった打ち合い初めの頃ならば、受けることも、なんならそのまま押し返すこともできただろう。だが、今の状態ならば間違いなく押しきられる。
体力の回復をしなければならないが、しかし大抵の回復呪文は相手に直接触れなければ発動できない。相手に触れず、複数の人数を対象にできる術もあるらしいのだが、しかしぼくはその契約方法を知らない。破邪の洞窟の奥に潜れば、それを知ることが出来るかもしれないが……。今はそんなことを言っても仕方がない。
今から走ってもきっと間に合わない。それどころか、バーサーカーの標的が彼からぼくに変わるかもしれない。それが恐ろしいという訳ではなく、自分の命を自分で思う以上に大切にしなければならないという事だ。それがぼくの立場であり、血に対する責任でもある。
しかしそれならば、この事態をただ見守っているだけなのか?攻撃呪文を使おうにも、彼らの距離は近すぎてバーサーカーだけでなく兵の方も巻き込みかねない。身の守りを高めても結局攻撃を受けることは避けられないし、先ほどとは違って相手が全力で振り上げた一撃だ。重症は避けられないだろう。素早さを高めても、彼は攻撃を仕掛ける気でいるから今からでは回避は難しいだろう。……今、この状況で使える呪文は……。
「バイキルト!」
思い当たったのは、この一つだけ。対象者の攻撃力を上げるための補助呪文だ。
ギィンッ!!
金属どうしがぶつかり合う音が響き渡る。両者は互いに視線を外さぬまま、剣と斧の圧し合いを続け、そして……。
「でりゃぁああっ!!」
気合いの声と共に相手を圧しきったのは、兵の方だった。剣で相手の斧を打ち払い、その体勢が崩れた所へ一気に仕掛けていき、そして。剣を真っ直ぐに突き出す!
ゾムっと鈍い音を立てて、バーサーカーの腹に剣が突き刺さった。だが、まだその動きは止まっていない。最後の力を振り絞るように、震える手が斧を頭上まで持ち上げていく。しかし、
ゴトッ
重たい音を立てて、バーサーカーの手から斧が滑り落ちた。それが合図となったかのように、その身体から一気に力が抜けていく。……どうやら力尽きたらしい。
「はぁー……」
一度大きく息を吐き出して、辺りを見回す。死骸となったモンスターが四匹。動いているモノは……いない。どうやら全て片付いたようだ。
「これは一体なにごとで!?」
城から出てきた応援と思われる者たちが口々に言うが、それはぼくが知りたいくらいだ。
とりあえず、辺りの捜索は彼らに任せることにして、ぼくは怪我人の治療に回ることにする。
ぐるりと周囲を見回して、怪我人の状況を確かめる。みんなそれぞれ大なり小なりの怪我を負っているが、軽症の者は既に捜索の方で動き回っている。回復魔法を使える者は自分で治療しているようだし、彼らのことは心配しなくても大丈夫だろう。
しかし、かなり大きなダメージを負っている者も少数ではあるが、いる。ぼくが看るべきは、そういった者たちだろうか。
まず目に入ったのは、エリミネーターに殴打され、倒れたままの兵。彼の側に屈みこみ、手をかざして術を唱える。
「回復呪文(ベホマ)」
手のひらに柔らかい光が灯り、やがてそれは彼の身体を包み込みこんでいく。
「ぅっ……」
程なくして、唇から小さな呻きがこぼれ落ちる。どうやら意識を取り戻したらしい。
「ぁ……モン、スターは」
二、三度ゆっくりと瞬きをしながら問いかけてくるが、その言葉には張りがなく、身体も起こすことが出来ない。
「全部倒したから、今は大人しくしてて」
言い聞かせるようにしながらも、呪文を続けるが、頭部への殴打はかなりダメージが重かったようで、顔色は良くなってきたのだが、まだ全快する様子は見られない。回復呪文をかけ続けるよりも、しばらく安静にさせた方のがいいかもしれない。
「陛下、この者もお願いします」
自力で動けない怪我人がぼくの所に連れてこられる。ちらりと視線を移してみれば、足を噛まれたらしく太ももから下の部分が真っ赤に染まっていた。一応止血はしてあるようだが、放っておいて良さそうな状態ではない。
たった今運ばれてきた彼の治療を引き受け、代わりに今まで治療していた者を休ませるようにと引き渡す。
口の中で呪文を唱えながら辺りに視線を動かす。重症の者はあと何人かいたはずだが、しかしどうやら他にも回復呪文の使い手が応援に来ているようだ。ぼくが診なければならないのは、どうやら目の前の彼で最後のようだ。
*
治療をあらかた終えて一つ息を吐き出す。そんなぼくの所に、こちらも辺りの捜査を終えたのだろう。アポロと、彼と同じく三賢者の一人であるマリンがやってくる。
「陛下、これを」
言ってアポロが差出してきたのは、黒色に鈍く光る筒。彼の手に四本ほど握られているそれには、見覚えがあった。
人やモンスターに向けて呪文を唱えると、それを捕獲収納でき、また別の呪文を唱えれば任意で解放できるアイテムー魔法の筒と呼ばれる物だ。
なるほど、モンスターはどこかから紛れ込んだ訳ではなく、意図的に持ち込まれたということか。まあ一匹や二匹でなく、種族もバラバラのモンスター四匹となれば、そうである可能性の方が高いとは思っていたが……。
「ああ、そういえば」
モンスター達が現れる直前に、馬車の中で何かを拾った事を思い出す。あの時は誰かの落し物か何かと思ったが、あれも意図的に持ち込まれた物、だと思った方がいいだろうか。
ポケットに入れたままにしていた物を取り出し、二人に見せる。アポロには拾った時に見せたが、マリンに見せるのは初めてのはずだ。しかしどうやら彼女はそれに心当たりがあるらしく、ぼくの手のひらの上のそれを手に取り、中身を開けてみせる。
中に入っていたのは、カサカサとした音から想像していた通り、枯れた様な葉っぱや、草の様なもの木の根や枝の様なものだった。
マリンはそれらを一つまみして、鼻先でにおいを確かめる。……ポプリか何かの一種なのだろうか?気になってしまって、ぼくも彼女と同じようにしてみせる。マリンは素手でそれに触れ、においを嗅いでいるのだし、これ自体やにおいに毒などは無いだろう。多分。
すん、と鼻を動かして最初に感じたのは、甘ったるい香りだった。……香り、と表現するのは少し違うかもしれない。なんて言うか、気分のいい匂いではなく、ただひたすらに甘ったるくて、少しだけならいいけれどずっと嗅いでいると気持ち悪くなりそうな……。匂いではなく、臭いと表現するのがぴったりとくる。
「何これ。ポプリにしては変な臭いだね」
一度臭いを確かめてから顔をしかめるぼくとは違って、マリンは何か深刻そうに手のひらのそれを見つめ、もう一度その臭いを確かめるように鼻を動かした。それで手のひらの上のモノを確定出来たのだろうか。袋の中にそれらを戻し、固く紐を縛ってしまう。
「それで、マリン。これが何か分かるの?」
「私も実物を見た事がある訳では無いので、確実だとは言えませんが」
そうと付け加えながらも、マリンはソレの正体を口にした。
「においぶくろ、ではないかと」
においぶくろとは、その名の通り袋状になっているモノで、その中にはモンスターが好むにおいのモノが入っている、らしい。らしいというのは、普通に生活していく上では関わることの無いアイテムで、その名前や用途は知っていても実際に目にするのはこれが初めてだからだ。
だって、モンスターの好むにおいを発しているということは、つまりそのにおいを目当てにモンスターが集まってくるのだ。おまけにそのにおいには興奮作用まであるのだとか。
よほどの腕があったとして、興奮状態のモンスターを呼び寄せ続けるアイテムだなんて、厄介以外の何物でもないだろう。
これを主に使用するのは、魔物使いなどの限られた職の者だけ。その製法も彼らだけにしか伝わっていないという話だ。
もちろん、街中の道具屋などには間違いなく流通しない。するはずがない。
「……こんな物が偶然に転がってるなんて、ありえないよね?」
アポロの手の中の魔法の筒、マリンの手のひらの上のにおい袋。彼らの持つそれらを交互に見つめる。
2年ほど前。地の神の洗礼を受けにデルムリン島を訪れた際に、ぼくを狙った暗殺未遂事件があった。詳しい内容は置いておくとして、その騒動の中で犯人たちが使用していた物の一つに、魔法の筒があった。においぶくろと同様に、一般には流通しないような、珍しいアイテムだ。
「ええ、偶然はありえないかと」
ぼくの独り言とも言えるような呟きに、アポロとマリンは顔を見合わせて頷き合いながらそう答えた。その頬には一雫の汗が流れ落ちていく。
偶然にはありえないアイテム達と、モンスターの襲撃。その二つが合わさって導かれる答えは、一つきりしかない。
つまりぼくは、また命を狙われているらしい。
*
太陽が空の中央を少し過ぎた頃。あたしは、森へと続く道を歩いていた。
いま暮らしている村は山の奥深くにあって、年四回ほど商隊がやってくる以外には滅多に旅人も訪れないような所だ。だから生活に必要な食料は基本的には自給自足。畑で野菜を作って、鶏を絞めて。足りないものは森から採ってきたり、他の人と物々交換をしたりする。そんな生活をしている。そんなわけで今日は、川で魚を取って後は果物も少し採ろうかなと思っているわけなのだが。
いつもお世話になっているおばさんにおすそ分けもしたいし、少し多めに取ろうか。なんて考え事をしていたら、後ろから走ってきた気配に気づくのが遅れてしまった。
「おねえちゃーん!」
「ひゃっ!?」
背後からじゃれつくように抱きついてきたのは、村に住む子供の一人だった。名前はルーシー。あたしにもとても懐いてくれている、いつも明るくて可愛らしい子だ。
「ねぇねぇ、聞いて聞いて!」
何か相当嬉しいことがあったようで、とてもはしゃいだ声をあげる。いったい何があったというのだろうか。少し落ち着くように言いながら、二人で道の端ーと言うか、草原に腰を下ろす。
「それで、何があったの?」
小腹が空いた時にでも食べようと思っていた桃のドライフルーツを、ルーシーに差し出しながら問いかける。
「うん」
言いながら彼女の小さな手がフルーツを一つ掴んで、その口元へと運ぶ。あたしも一つ摘みながら彼女が話し出すのを待つ。
「あのね、マイクのことなんだけど」
マイクというのは、彼女の幼なじみの男の子の事だ。と言っても、この村に住んでいれば、歳の近い子はみんな幼なじみなのだけど。と、そこは置いておいて。
ルーシーはフルーツの最後の一口を口内へと放りこみ、飲み込む。その頬は正に桃のように、ほんのりとしたピンク色に染まっていた。
「大きくなったらね、私のことをお嫁さんに貰ってくれるんだって……!」
ほぅっと息を吐き出しながら言うその言葉は、喜びに満ち溢れていた。あたしは、彼女たちのことはこの一年間で関わってきた以上のことはよく分からない。だけど本当に仲の良い二人なので、きっと将来その約束は果たされることになるのだろう。
「そうなの。それは楽しみね?」
あたしもフルーツの最後の一口を飲み込んで、言う。と、ルーシーはまだ何か言いたげにじぃっとあたしの瞳を覗きこんでくる。……いったいどうしたのだろうか?
「ねぇ、マリアおお姉ちゃんはどうなの?」
「……?」
どうとは、いったい何が「どう」なのだろうか。質問の意味が分かりかねて、あたしはただ首を傾げるしかない。
「ジョンお兄ちゃんのことよ!」
痺れを切らしたようにルーシーが言うけれど、そこまで言われてもやっぱりよく分からない。
「ジョンのことと言われても……」
どう思っているかなら、とりあえず『 恩人』だと言うしか無いのだけど。
「んー、そうじゃなくて……」
しかしルーシーはその答えには納得してくれない。どう言ったらいいものか、彼女はしばらく「んー」と考え込む。
「あのね、ジョンお兄ちゃんは、お姉ちゃんの事が好きなんだと思うの」
なぜか小声で、あたしの耳元に囁くようにルーシーは言った。彼女のその言葉に、あたしはまさかと笑って返す。
彼は、家族がいなくなってしまって寂しいのだと。あたしが彼の家で一緒に暮らし始めて少しした頃に、そんなふうな事をぽつりと漏らしたことがあった。だから、ジョンはあたしの事を妹とか、そんな風に見ていてくれているだけだと。そう、ルーシーに伝える。
けれど彼女は、何だか不満そうな顔をする。
「えー。そんなことないと思うんだけどー」
むーっと頬を膨らませるルーシー。彼女は、きっと恋愛話をしたいのだと思うのだけど、申し訳ないけれどあたしにはその手の話題を提供することは出来なさそうだ。
「ねぇ、お姉ちゃん。ジョンお兄ちゃんじゃなくても、誰か気になる人とかいないの?」
そろそろ行かなくちゃ。そう思って腰をうかしかけたあたしに、ルーシーはそう問いかけてきた。
いないよ、と。そう口に出そうとした。けれど、ふいに頭の中を過ぎったものが、それを押し止める。
ー これ、あげるよ。また会えますようにって、おまじない……みたいなものかな?
そう、わらったかおはすこしてれていたようなきがする。ほおがあかいのは、ゆうひのいろのせいだったろうか。きらきらと、きんいろにひかるかみが、かぜになびいていて……、
「……、……!」
「……マリアお姉ちゃん?」
心配そうにあたしの顔を覗き込むルーシーの瞳。その中に写っているのは、いつものフードを目深に被った自分のみで、いままで目の前に見えていたはずの彼はどこにもいない。いるはずもなかった。
「どうしたの?……もしかして、何か思い出したの?」
ルーシーは手を引くようにして、もう一度あたしを地面に座らせる。それに逆らうこともせずに、引かれるがままに腰を着けるけれど、固いはずの地面の感触ではなくて何だかふわふわしているような気がする。
目の前に浮かび上がってきた景色は、もう今はどこにも無い。それでも、顔も声もはっきりとは思い出せない『彼』の事を、呼びたくてしょうがなく思う。ああ……きっと、あたしは!
「……ねえ、ルーシー」
「な、なあに?」
頭がぼぅっとして、胸が燃えるように熱い。それはけっして不快ではなくて、むしろとても心地が良い。初めての気持ちのはずなのに、なぜかとても馴染みのある気持ち。
……過去のあたしは、きっと。恋をしていたのだと、思う。
「あたしね、顔も名前も思い出せないけれど……好きな人、いるみたい……」
ほうっと、どこか熱のこもった吐息を吐き出して、その場から立ち上がる。
「……お姉ちゃん、どこいくの?!」
まだ足元はふわふわとしていて、歩き方もどこかぎこちない。そんなあたしを心配してか、ルーシーがあたしの服の裾を掴んで引き止める。
しかしあたしにはどこかに行く気など……今のところは無くて、ただ、森へと用事を済ませに行くだけ。うん、ただそれだけだ。
まだ心配そうに見上げてくるルーシーにそう伝えて、あたしは改めて森へと足を進めていくのだった。
*
木の上に登って、程よく色付いた果実を一つ二つもぎ取り、持ってきた籠の中へと放り込んでいく。辺りの木々には同じように食べ頃になった物がいっぱい生っていて、まだまだ採っても大丈夫そうだ。
だがこの後魚も取りたいと思っているのだし、そうなると流石に荷物が増えすぎになるだろうか。
籠の中にもう二つほど果物を放り込んで、あともう一つはそのまま自分の口元へと運んでいく。
しゃくっと軽い歯ごたえと共に、みずみずしい果実の甘さが口の中に広がっていく。どうやらあたしは甘いものが好きなようで、今に限らず、甘味を口にする時には必ず頬が緩んでしまう。そんなあたしを見ながら、ジョンは「マリアは本当に甘いものが好きなんだね」なんて言うけれど……過去にも同じことを誰かから言われたような気がする。……いったい誰から言われたのだろうか。
もう一口かじりながら、目の前に広がる景色を見つめる。と言っても、周りには森の木々ばかりで、他にある物といったら遠くにそびえる山ぐらいのものだ。
海は、見えないな。ふとそんな事を思った。どうしてそう思ったのか。分からないけれど、昔にこうやって木の上から景色を眺めた事がある様な気がしたのだ。その時に見えたのは……、森の木々と青い空、陽の光に煌めく海……。ああそういえば、先ほど何かを思い出しかけた時にも海が見えたっけ……。
ーこりゃ、……!そんな所に昇って、降りられなくなってもしらんぞ!
ーへいきだよ!これくらい…………どうしよう、おりられない~!
ーだから言ったじゃろう!ああ、少し待っておれ!危ないからじっとしているんじゃぞ!!
「…………」
また、目の前に浮かび上がる風景。やっぱり相手の姿などは靄がかかっているようにはっきりとしないけれど、今までに見えた人達とは違った立ち位置のような気がする。友人などではなく、もっと親しい……家族。
「家族……」
ぽつりと呟きながら、果実の最後の一口を飲みこむ。今まで考えたことがなかったけれど、あたしの『家族』はいまはどうしているのだろう。生きているのだろうか、もう……この世にはいないのだろうか。あたしを探しているのだろうか、それとも。
「村を出ることを考えてみるべきかしら」
もう一言呟いて、座っていた枝から立ち上がりそのまま飛び降りる。
よく考えてみれば、何気なくやっているこの行動も、普通の村娘ならありえない事だろう。山奥の村だから、木登りが出来るくらいは珍しくもない。先ほどのルーシーだって、高くはない木なら軽々と登ってみせるのだ。だけど、みんな降りる時は上から飛び降りたりはしない。初めてこれをやった時には、ジョンを初めみんな驚いていたっけ。
「あたしは、本当に何者なのだろう」
また呟きながら歩き出す。木登りをしにここまで来た訳ではなくて、今晩の夕飯魚を取りに来たのだ。そろそろ川までいかないと、夜までに村へ戻れなくなる。
「うわぁー!!」
歩き始めて程なくして。突如悲鳴が辺りに響き渡った。
「!?」
声は男性の物のようで、けれど悲鳴以外の……例えば、がけ崩れ等のような音は何も聞こえてこない。何が、あったのだろうか。
音の響きからして、その人のいる場所は遠くはなさそうだった。ただの聞き間違えならいいが、しかし聞き間違えなどではなくて、その人が事故か何かで怪我をしたというのなら、放っておくことはできない。
「……っ!」
もう一度、今度は先ほどの枝よりも高い所に登って、上から辺りを見回す。しかし辺りは静かで、時おり風に揺られて木の葉のざわめく音が聞こえるくらい。他には何の音も聞こえない。
聞き間違え、だったのだろうか。首を傾げながら、下へ降りようとした。その時。
「ひぃぃっ!!」
また声が聞こえた。上から見た景色では変わったところは無いけれど、何かが起こっている事は間違いないようだ。
木から飛び降りて、声の聞こえた方角へと走り出す。……よくよく考えてみれば、あたしが向かったところで何が出来るのだろうか。そんな疑問が湧き上がってもくるけれど、しかしあたしの足は止まらない。
「さあさあ!命が惜しければ、荷物は全部置いていきな!」
誰かがそうと声を張り上げるのが聞こえてくる。まだ相手の姿などは見えてこないけれど、そのセリフだけで一体どういう相手なのかは察することができるだろう。
盗賊か野盗か。どう呼んだって大した違いなど無いけれど、とにかくそうと呼ばれる者が誰かを襲っている。どうやらそういう事らしい。
それならばなおさら、あたしが行ったところでどうしようも無いじゃないか。そう思うのだけれど、しかし今更足を止めてもどうしようも無い。だって、彼らの姿はもう森の木々の向こうに見えてきているのだから。
「ぜ、全部だなんてそんな……。お金は置いていきますから、せめて荷物だけは」
「うるせえ!」
商人たちを囲んでいる男のうちの一人が怒鳴りあげる。と、その傍らにいる男の手に光の球が生まれでる。
少し離れたここから見る限り、野盗と思しき男はたったの四人だ。それなのにその倍以上はいるはずの商人たちが抵抗する素振りを見せないのは、相手の攻撃魔法を恐れての事のようだ。
その場に足を止め、木々の隙間から彼らのやり取りを眺めている。だって、あたしには戦う力なんてない。あの場に飛び出していったところで、何も出来ないのだ。ここはやはり村に戻るしかない。野盗たちからは助けられないかもしれないけど、商人たちの保護くらいはしてあげられるだろう。
「わ、わかりました!荷物もお金も置いていきますから、命だけは……!」
「へへ……最初からそう言やいいんだ」
目の前で繰り広げられるやり取りから目を逸らして、踵を返す。しかし、
パキッと乾いた音が辺りに響き渡る。ギクリとなりながら自分の足元に視線を落としてみれば、あたしの足は見事にというかなんと言うか。一本の枝を踏み折っていた。
きっと、誰にも聞こえていなかった。そう祈りながら、恐る恐る振り返る。
「誰だ!?」
しかしあたしの祈りは届かなかったらしい。野盗たちの一人が、鋭い視線と声とをこちらに向ける。
「近くの村のやつか?へへ、運がなかったな?」
サクッと足音を立てながら、男がこちらに迫ってくる。走って、逃げなければ。そう思うのだけど、足が上手く動かない。走るどころか、歩くのにでさえ震えてもつれてしまいそうだ。
「なんだおい、女じゃねえか」
「お、そいつはいいなぁ」
後ずさるあたしに迫る男が、わざとらしく声を大きくする。と、今までは商人たちを見張っていたはずの男もニヤニヤとした笑みを浮かべながらこちらに迫ってくる。残る二人は動かないが、やはりニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見ている。
……野盗たちの視線は全て、あたしに向かっている。そこを逃げ出すのかそれとも反撃のチャンスだと思ったのか、商人たちのうちの一人がそろりと動いた。
だが、見張りに残った男の片方はそれを見逃さなかった。キリと弓を構え、動いた商人の頭のすぐ横に矢が飛んでいく。
「ひぃっ」
悲鳴を上げてその場にへたり込む商人。だが野盗達はもうそちらには興味が無いようで、全ての瞳はあたしに向けられている。
ガッ
「!?」
足元をよく見る余裕なんてあるはずもなく、地面に出ていた木の根に躓いた。そのまま体勢を立て直す間も無く、地面に尻もちを着く形で倒れる。立ち上がらなきゃ、なんて思うまもなく、男の手があたしの腕を掴みあげた。
「へへっ、大丈夫かい?」
セリフだけならば、転んだところを助けてくれた人に見えなくもないが、しかしあたしは彼らのせいで転んだのだ。その上、腕を取ったのは親切心などではなく、危害を加えるため。
「放して……!!」
言いながら掴まれた腕を振りほどこうとする。だが、あたしの腕を掴んでいる手は少しも離れようとはしてくれない。
「そんなに嫌がるなよ……」
ニヤニヤとした笑いを引っ込めようともせず、腕を掴んだままの男が、空いているもう片方の手であたしのフードへと手をかけた。
「そんなもん被ってたら邪魔だろう?まあ、一緒に楽しもうや」
言いながらその手がフードを外した。そして……
「うわっ」
短く悲鳴のような声を上げる。人の顔を見て、そんな反応をしてくるだなんて、全く失礼な話である。……あたしだって、この顔を気にしていて見せたくないからこそのフードだというのに。さすがにこれは少しくらいは傷つくというものだ。
とはいえ、これで彼らが諦めてくれるのならば、ある意味では助かったと言えるのだろう。
「なんだなんだ?……ああ、なるほど。傷物か」
「せっかく久しぶりの女だと思ったんだけどなあ」
「しかし、これじゃあ売り物にすらならないじゃないか」
心底残念そうに、好き勝手な内容を言う男たち。あまりな言い分に腹が立たないでもないが、下手に抗議の1つでもして「ならば」等と気を変えられるのも困る。ここはじっと黙っていることにしよう。
だが、しかし。
「傷物でも女は女だろう?」
一人がそう言い出し、大股にあたしへと近づいてくる。その顔には、先程と変わらないニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。
「まあ、そりゃそうだけどよ」
「お前、度胸あるなあ」
「なんだよ、お前らも顔が気になるなら袋でも被せときゃいいじゃねえか。それに世の中幾らでも好きもんはいるもんだぜ?」
一人のとんでもない言い分に、残りの男たちは顔を見合わせて……。
「なるほど」
「一理あるな」
「それなら」
ある意味先程よりもとんでもない事を言い始めた!ちょっと、そんなとこで納得なんてするんじゃない!そう叫びたい気分ではあるが、困ったことにあたしの内心とは別に声の方は喉に貼り付いたまま出てこようとはしない。脚もまだ震えたまま、立ち上がることも出来なくて、地面に尻を着いたままで後ずさるしかできない。
「じゃあ、今度こそオレ達と楽しもうや……」
男があたしの腕を再び掴んだ。
その時、何故だろうか。男の腰に差された小ぶりなナイフへと目が移った。刀身はそう長くもなく、柄にも余計な装飾も何も無い。軽くて扱いやすそうなナイフだ。
ーあれを奪い取ればいい
頭の中で、そうささやく声が聞こえた。そんなとんでもない事をささやくのは一体誰なのか。……あたし、だ。間違いなく、その声の主はあたし以外の何物でもない。
だけどあたしは調理以外にナイフなんて使ったことがない、はずだ。だいたい今だって立つことすら出来ないというのに、ナイフなんて奪ってどうすると言うのか。いやそもそも、奪うことすら出来ないのでは?
ささやいてくるあたしに言い返すように、そうと並べ立てて見せる。だが、身体が勝手に動く。頭の中にもう一人のあたしがいて、そちらがこの身体を乗っ取ってしまった。そう思いたくなるほど、あたしは自分の身体が動いていくのを止めることが出来ない。
事は、一瞬だった。
「ん?な、んっ!?」
掴み上げられた腕を逆につかみ返し、そのまま捻りあげて地面に叩きつける。
ドスッ
「ぅぐっ!?」
あたしのどこにこんな力があったのだろうか?確かに重い物を持つことに苦労を感じたことなどは無かったが、大の大人をこんなに簡単にねじ伏せられるだなんて……。
しかし自分に疑問を抱いている間にも、あたしの身体は動き続けている。地面に倒れた男の腰からナイフを奪い取り、構えを取る。……迷いも何もせずに、ごく自然に構えている。
男の方は叩きつけられた時の打ちどころでも悪かったのだろうか。短く悲鳴を上げてそのまま意識を失っているが、死んでいるわけでは無いのでこのまま放っておいて構わないだろう。
「な、何だ!?」
残りの男たちが一斉にどよめく。無力なただの女だと思っていたら、思いもよらない反撃をされたのだから当然かもしれない。自分にだって、どうしてこんなにも身体が自然に動くのかよく分かっていないのだから。
「……へへ。お嬢ちゃん、ナイフなんて構えてどうするんだい?」
しかし、そんな中でも動揺を見せない者もいる。大剣を獲物にした、多分野盗たちのリーダー格であろう男だけは、ただ面白そうに笑っている。あたしが彼らを倒せるなどと欠片も思っていないらしい。
「傷物とはいえ、せっかくの女だ。殺すなよ」
「お、おう!」
リーダーに言われ、弓を持った男はまだ動揺を隠せないながらも、自身の獲物であるそれをつがえる。
先ほど商人を撃った時は、直接命中はさせずにその頭の横を射抜いていた。彼の弓の腕前を見たのはその一度きりだけど、かなり正確な腕前をしているのは確かだろう。
相手は、あたしを殺すつもりで矢を放ってはこない。ならば狙ってくるのは頭の横か、動きを止める為に脚もしくは腕か。どこを狙ってくるかは分からないが、しかし狙いが正確だからこそ避けやすいし迎撃もしやすい。
「……はっ!」
短い呼気と共に、矢が放たれた。ヒュッと風を切り裂いて飛んでくる矢は、予想通りあたしの腕を狙っていた。先ずは武器を握れなくするつもりのようだ。
射線から僅かに横に逸れて、前へと走り出す。先ずは遠距離攻撃をしてくる物から片付ける!
「なっ!?……ちっ!!」
矢が当たる、その前に走り出したあたしに、男は驚愕の声を上げるが直ぐに舌打ちしながらも二本目の矢をつがえる。だが、思った以上にあたしの動きが速いのか、彼はまだ狙いを定められずにいるようだ。
「何でもいい!とにかく射ってしまえ!」
大剣の男が吠えるのにしたがい、弓の男が二射目を放った。脚を狙うつもりだろうか。あたしの進路上、やや低めに矢が飛んでくる。
もちろん、それが分かっているのにそのまま突っ込んでいくなんてマネはするわけが無い。
地を蹴って飛び上がり、木の枝の上に着地する。動きが止まったそこがチャンスだと言わんばかりに、矢が再び飛んでくるが、それもまた枝から脚を離すことで交わしてみせる。
枝から離れて向かう先はどこなのか。もちろん、ただ地面へと向かって落下していくだけだ。
今度こそかわせない。そう思ったのだろう。弓をつがえる男は、口の端を持ち上げて凶悪に笑って見せた。もはやボスの言葉など覚えていないのか、その視線には殺気がこもっているようにも感じられる。
「貰ったァ!!」
叫びながら男は、四射目の矢を放った!あたしの落下地点、ちょうど額に来るだろう位置へと矢が飛ぶ。このまま落ち続けていれば、待っているのは確実な死。だがもちろん、それが分かっていてこのままだなんて事はありえない!
下、地面に向けて手をかざし。そして唱えるのは、真空の刃を生み出す呪文。
「真空系呪文(バギ)っ!!」
あたしの声と共に生まれでた風が、刃となって吹き荒れる。その範囲内に敵はいない。だがこの呪文の使いみちは、敵を切り刻む事だけではないのだ。
下から吹き荒れる風によって、身体が浮き上がるとまではいかないが、落下スピードにブレーキがかかり、あたしの額に命中するはずだった矢は、虚しく足元を通り過ぎていった。
「ま、魔法が使えるのか!?」
今の今まであたしも知らなかったその事実に、男たちが慌てふためく。正直に、あたしの方こそ何がどうなっているのか分からない状況なのだが、しかし今はそれを気にする暇もなければ、身体が唇が動くのを止めることも出来ない。
驚きに動きが固まっている男たちに向かって走る。まず狙うのは、最初の予定通り遠距離攻撃を手段とする二人。
「たぁっ!」
声と共に地を蹴り飛び上がる。弓の男の頭上を飛び越え、着地した先にいるのは呪文を使う男。
「え、わ……」
狼狽えながらも何か唱えようとしているのだろう。その手元に魔力の光が宿る。けれどそれは解き放たれる事はなく。
ドゴッ
「う、ぐぅっ」
腰を深く落としたまま。真っ直ぐに伸ばしたあたしの拳が、男の腹へと沈みこんだ。
どさりと倒れ込んだ男には目もくれず、そのまま立ち尽くす弓の男へと手をかざす。唇が動くままに唱えた呪文は、先程と同じく真空系の呪文。ただし威力は少し落として、ただ突風を吹かせるだけ。
「真空系呪文(バギ)っ!!」
ごおうっ!!
「う、わぁっ……!!」
吹き荒れる風が、容赦なく男の足を地面から引き剥がす。しかし、吹き飛ばされてなるものかと、後ろ足にぐっと力を入れるように男は踏みとどまる。けれど、絶え間なく押し寄せる風の勢いに堪えられたのは、本の一瞬だけだった。
「ぅぐ、ゎ、あ、ぁぁー!」
風に押し倒されるようにして後ろへと倒れこみ、そしてその身体は地面に触れるよりも早く、そのまま後方へと流されていき……。ダンっ!と大きな音を立てて、男の身体は木の幹へと叩きつけられた。
「ぅ、ぅぅ……」
小さく呻く声を上げながら、男は身体を起こそうと身じろぎをする。だがどうしても起き上がれないらしく、二度三度ともがいて……。やがて諦めたのか、気を失ったのか。その身体が力を失い、がくりと地面へと横たわった。
これで残るは、あと一人。
大剣持ちの男と、あたしの視線とがぶつかる。お互いの目に宿るのは、敵意のみだ。
「ちっ!小娘一人にこのザマとは、なさけねえなぁっ!」
吐き捨てるように男は言って、剣を構える。その構えには隙がない、とは言わないがそれでも中々様にはなっている。ある程度は使えると思っていいだろうか。
「さあ……行くぞぉ!」
吠えて、男が駆け出した。スピードは、速い方だと言っていいだろう。もともと大した距離は開いていなかったけれど、みるみるうちに距離が縮まり、気がつけば相手はもう目の前にいる。
「ふっ!!」
呼気を一つ吐き出しながら、剣が真っ直ぐに振り下ろされた。その一太刀で終わりだと、彼はそう思ったのだろうか。その顔には笑みが浮かんでいた。
目の前の男は、いかにも野盗のリーダーといった出で立ちで身体も大きく腕なども太く逞しい。そこから繰り出される大剣での一太刀はきっと、威力も大したモノになるのだろう。剣技ではなく、破壊力で相手をしとめるタイプだろうか。
一方、あたしの方は身体も小柄で腕も細い。加えて持っている獲物は小ぶりのナイフが一本だ。自分のものでは無いので、このナイフがどういったものかはわからない。少なくとも、特別な出自の強力な武器だということはないだろう。ただの普通のナイフだ。これで相手の一撃を受ければどうなるだろうか。
相手は、岩すら砕きそうな勢いでかかってきているのだ。この小さなナイフでは、下手をすれば刀身が折れてしまうかもしれない。確実にそうだとは言えないけれど、そうなる可能性の方が高いだろう。受け止める、この選択肢は取ることができない。
しかしならばと、前へと体重をかけて、そのまま転がるようにして相手の背後へと回り込む。
「っ!!」
男が息を呑む音が聞こえた。相手の目からは、あたしの姿が一瞬にして掻き消えたように見えたのだろう。彼は剣を振り上げた体勢のまま、あたしを探して左右に視線を走らせる。
相手があたしを見つける、よりも早く。その足元へと払いをかける。