全ては愛のために。 鬼狩りの後というのは、だいたい気が立っている。難しい任務であれば尚更で、そんな時は自分でも抑えきれない「何か」が暴れ出しそうな気がしていた。
だから任務終わりの明け方、宇髄が嫁たちの待つ自宅に帰らずに煉獄の元を訪れるのはその「何か」を抑えつけるためだ。それはたいがい、煉獄と激しく性交すれば収まる。感情に任せた、激しい獣染みた行為も、煉獄は黙って受け入れてくれた。女を抱く時に毎回こんなことをしていれば、壊してしまうに違いない。
感情と行動を抑制できないことを、宇髄はひっそりと恥じていた。煉獄以外にこんな情け無い姿を見られたくない、とも思っている。
その日に首を切ったのは、兄弟の鬼だった。まだ何も分からない子供のうちに鬼にされた、哀れな鬼たち。
それが自分の心に押し込めた昔の記憶が次々と溢れ出して、常よりも精神が揺れた。いつものごとく、このまま自宅には帰れない。
足は自然と、煉獄の元へと進んだ。
慣れきった尻穴は、宇髄の大きなモノでもすんなりと受け入れるようになった。
初めて見たときは、あんなモノが自分の中に入るはずがない、と血の気が引いたものだが、人間は成るように成るものだ。ただ、その相手が密かに想っている男だったから、というのもあるかもしれない。
強い力でねじ伏せられて、手首に痣ができるとか、足を大きな広げられて、卑猥なことを言われるとか、裸の尻を高く上げさせられて、恥ずかしい場所に舌を這わせられるとか。
そんなことも、全て「布団の中のこと」と思えば快楽の一端に過ぎない。宇髄に、直に触れられたところは全部熱くて、無条件に気持ち良かった。
手首が痛かろうが尻穴が少々切れかけようが、構いはしない。事が終わって、後ろから抱きしめられていたら、何も考えずに余韻に浸れていた。
ただいつもと違ったのは、頸あたりの髪に宇髄が顔を擦りつけながら呟いたことだった。
「杏寿郎」
途端に心臓を直に掴まれたかと錯覚した。弛緩しきっていた体に一気に緊張が走る。
そして、それだけは駄目だと思った。
「なあ、君」
声が震えるのを必死で抑えながら(だが口の中は急に乾ききっていた)煉獄はゆっくりと、振り向いた。目元の化粧は落ちかけて崩れていたが、宇髄の顔は相変わらず美しかった。
「どうした?」
聞かれて、言葉に一瞬詰まる。ひどく可愛げのないことを言おうとしているからだ。
「下の名前で呼ばないでくれ」
「…嫌だったか?」
「そんなことは、ないが」
「じゃあ、」
何故、と続けて聞かれる前に、煉獄は迷いながらも本心を口にした。
「君に大事にされてるようで、つらいから」
つらい、かなしい、くるしい、などと簡単に口に出すのはかなり矜持が傷ついた。まるで裸を人前に晒されているような恥ずかしさもある。
だが、うっかり口をついて出てしまった。そんな自分に煉獄は自分で内心驚いていた。
その時の宇髄の表情を見るのがそれこそつらくて、煉獄はわざと庭先に顔を向けた。外は朝日が昇り、かなり明るくなってきている。
煉獄の心の中とは、真逆に。
「大事に、されたくはねえのかよ。お前は」
馬鹿なことを聞くものだと思った。そんなことをされたら、何もかも我慢ができなくなると言うのに。
「俺は、君がつらい時に一緒にいて、役に立てればそれでいい」
気など使われたくはない。自分だけに弱くて傷ついた所を見せてくれればそれでいい。この男がそんな姿を晒すのは、煉獄杏寿郎にだけだ、と分かっていれば、それでいい。
そう言い聞かせて、煉獄は宇髄の腕から離れた。母が言っていた。愛の形は、究極は無償である、と。愛したければ、相手に何かを求めては、いけないのだ。
愛は寛容であり、愛は情け深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
『新約聖書』-コリント人への第一の手紙(コリント人への手紙Ⅰ)第十三章より。