かきかけ〜「篭手切江、貴方にお願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
食事を終えて自室に戻ろうとしている途中、主からの呼び出しがあった。私が軽く身だしなみを整えてから主の部屋へ赴くと、主は珍しく浮かない顔をしていた。そしてしばらく躊躇ってから徐ろに口を開いたかと思えば、開口一番にこう告げた。
「先に遠征の任務についている御手杵を回収してきてほしいのです」
「……回収?」
聞き慣れない表現に、私は思わず言葉を繰り返す。
「実は……」
聞くところによると、とある時代に遠征した御手杵の状態があまりよくないものらしい。しかし、主の説明もまた雲をつかむような、要領を得ないものだった。
「主。その、『良くない状態』と言うのは?」
「……このような事態は初めてで、正直どう言っていいのかわからないのです。『その時代に魂が癒着してしまっている』とでも表現すればいいでしょうか」
「時代と癒着……。それって」
御手杵さんが遠征任務についてから、この本丸では随分と月日が過ぎている。はっと主の方を見れば、主は分かりやすく渋い顔をしていた。
「……検非違使と遭遇しないように、今回は貴方だけを送るつもりです。もしも危うくなったときは新たに部隊を編成し、強行突破で帰還してもらいます。しかし」
1度言葉を切った主は絞り出すように呟いた。
「無理やり帰還させれば、『心』にダメージを負う可能性が否めません」
「そう、ですか……」
「篭手切江。できますか?」
この本丸の主は、いつだって私たち刀剣男士のことを1番に考えてくれる。肉体を得て、心を持ち、初めての感覚に戸惑う私たちを優しく導いてくれるのだ。
「…………やります。絶対にやってみせます」
私が力強く頷くと、主は少し安心したように小さく頷き返した。
そのまま主の部屋を出て、自室で遠征の準備をする。今回の任務は今までと違って単純なものではない。御手杵さんの心をきちんと守らなくては。
決意を固めた私は、主から貰ったお守りを握りしめて御手杵さんがいる時代へと向かった。
御手杵さんが潜入しているのは『学校』というところらしかった。
下調べをしていた私は、直ぐにその時代の人間のふりをして、同じ学校へ潜入することができた。
「……こら、お前たち! 席につけー!! 紹介するぞ〜」
先生と呼ばれる人間に促され、私は教壇の上から"くらすめいと"となる人達に自己紹介をする。
「初めまして。私は篭手切郷。今日からこの学校の生徒になります。よろしく」
この時代でも違和感の無さそうな名前に変えて、私は自己紹介を乗り切った。ざっと教室にいる生徒を見ると、1人だけ見慣れた顔がいた。制服を気崩して、長い脚を窮屈そうに机に押し込み、ずっと窓の外を眺めている男。『コテギリゴウ』という音に反応し、ちらりと視線を寄越してこちらをじっと観察するように見ていたが、それ以上の反応は特に無かった。
御手杵さん、私のことを認識していない……?
「んーと、じゃあ……君はあそこの席に座って」
先生に指し示されたのは、御手杵さんの隣の席だった。それもその筈である。主の力を借りて、だいぶ任務を楽にしてもらったのだから。
「御手杵さん、よろしくね」
「……ああ」
席に着いてから声をかけても、張り合いのない返事しか返ってこない。それよりも、くらすめいとの視線が私に集まっていることが気になった。
「……アイツ、初日からギネの隣とかツイてないな」
「仕方ないよ、だって皆が座りたがらなかったから席空いてたんだもん」
少し聞こえた生徒たちの話に私は不安になる。御手杵さんはこの時代で今まで一体どんな生活をしていたのだろうか。
昼休みになって、早々に席を立とうとする御手杵さんを捕まえて私は話し掛けた。
「御手杵さん、この学校、ちょっと案内してくれないかな」
「…………別にいいけど」
ぶっきらぼうに返事をする今の御手杵さんは、きっと本丸にいた頃の御手杵さんとは違う。けれど、頼まれたら断れないところは変わっていなかった。なにが御手杵さんをこうも変化させてしまったのか。謎は深まるばかりだ。
「……向こうが音楽室。んで、こっちが屋上」
「屋上かぁ。ねぇちょっと出てみようよ」
御手杵さんを引っ張っていくと晴れ渡った空が私たちを優しく迎えてくれる。もうすぐ秋になろうとしているような、さらりとした風が心地いい。
「…………なぁあんた。俺の事、怖くないのか?」
「怖い? 御手杵さんが?」
振り返ると、御手杵さんはまだ扉の近くに佇んでいた。深刻そうな表情をしている御手杵さんを見て、私は思わず笑ってしまった。
「それはないかな。だって御手杵さんは、」
同じ本丸に顕現された刀剣男士で……私の好きな人だから。
言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。今言うと、御手杵さんを混乱させてしまうかもしれない。もう少しだけ様子を見て、御手杵さん自身の力で思い出せるように動いた方がいいだろう。
「……俺は?」
御手杵さんが聞き返したその時、背後に時間遡行軍が現れる気配がした。
「………………っ!」
禍々しい気を纏った刀を向けられて、御手杵さんの身体が固まる。槍の間合いなら瞬殺なはずの敵だったが、御手杵さんの様子を見た私は、咄嗟に隠していた刀を抜いた。
首を狙い、刃が届いた瞬間に切り落とす。鈍い音を立てながら時間遡行軍は塵となって消えていった。
「時間遡行軍……。どうしてこんなところに」
「……こ、こ、こてぎり」
「え?」
「い、今のって」
震えている言葉を聞いて、今の御手杵さんが『刀剣男士』という存在を理解していないことを悟る。
「ああ、もう大丈夫だよ。御手杵さんは大丈夫?」
「俺、先端恐怖症だから……」
「えっ?」
刺すことに特化した槍の男が『先端恐怖症』とは。
この時代に来て、御手杵さんの身に一体何が起きたんだろうか。
「……そっか。それは怖かったね」
「……な、なぁ……こてぎり…俺って、何なんだ?」
「今は気にしないでいいよ。……御手杵さんが自分の『役割』を思い出すまで、待ってる」
「役割……?」
疑問符を並べるだけの御手杵さんに私は少しだけ怖くなった。このまま御手杵さんが何も思い出さなかったら、強制帰還しか方法がなくなってしまう。それだけは避けたい。
検非違使と遭遇しないようにしつつ、御手杵さんに負担が掛からない方法で一刻も早く思い出して貰わなければ。
「こてぎり〜、なんでギネなんかと仲良くしてんだよ〜〜」
ある日、くらすめいとからそう言われた。私は学校に入ってからすぐにくらすに打ち解けたのだが、御手杵さんと話している時は誰からも話し掛けられることはなかった。
「あの、御手杵さんって何かあるの?」
「何ってお前……。あの話、聞いた事ないのかよ」
気さくな男子生徒は御手杵さんがこの学校に入った時のことを話してくれた。
「あいつ、体育倉庫の前で血まみれになって倒れてたんだって。通りかかったうちの担任が手当したらしいんだけど、身体中痣だらけだし、何かに刺されたみたいな傷もあったみたいだし……。けど翌日には傷口は塞がってて本人はケロッとしてたんだと」
「……へぇ」
傷口が塞がって傷痕が残ったままになるのは刀剣男士としてよくあることだ。
ただ、この時代で御手杵さんが重傷を負うほどの敵が出現したことに、私は違和感を覚えた。
「お前、これ聞いてギネが普通の人間だと思うか……? どこかのヤのつく怖い人達の実験台にされた奴だとか、そうでなくても人間に近い『化け物』みたいな奴なんじゃないかって噂されてるぜ」
「化け物、ねぇ。御手杵さんがもし本当に『化け物』だったとしても、私は気にしないかな。御手杵さんは、いい人だよ」
「ギネがいい人……?」
「私は御手杵さんのこと、君たちよりもよく知ってるから。まぁ、今の御手杵さんは、なんだか知らない人みたいだけど」
「ええ……?」
御手杵さんが化け物なら、私も同じ類の仲間になってしまうのかな。そういえば江は『お化け』みたいなものだ、ってりいだあがよく言ってたっけ。
なんて、そんな能天気なことを思いながら、御手杵さんに寄り付こうとしないくらすめいとの話を私は笑って聞き流したのだった。
御手杵さんと行動を共にして1ヶ月程。
学校内での御手杵さんの評判は少しずつ普通の人になってきていた。評判というのは良すぎても悪すぎても人間の記憶に残ってしまうから面倒だ。私たち刀剣男士は、任務中にその時代の人間とあまり関わらないことが定石だが、今の私たちは少し馴染みすぎているように思う。
「ギネ! 呼び出しだぞ!」
御手杵さんは『ギネ』という愛称で呼ばれ、なんやかんや人間達に受け入れられている。こんな光景を他の刀剣男士が見たら卒倒するだろう。
「呼び出し?」
長い手足をぐうっと伸ばしてから立ち上がった御手杵さんが、男子生徒の影にいる他学年の女子を見つけた。
「あ、あの、すみません。ここじゃ話せないのでちょっと移動しませんか!」
「え? ああ。別にいいけど」
断れない性格は相変わらずで、今もこの先に待ち受ける展開を知らずについていこうとしている。
私はため息をひとつ吐いて、気付かれないように彼等の後を追った。
「わ、私っ、ずっと前からギネさんのことが好きで……!」
「俺が好き? そうか、ありがとう」
「助っ人で出てたバスケの大会でのダンクシュートとか、バレーで圧倒的な高さで絶対勝っちゃうところとか、もう本当にかっこよくて大好きで!!」
「うん」
「ギネさんがよければ、わ、私と付きあ…………」
「あ! 御手杵さん! こんなところにいた! さっき先生が呼んでたよ!」
最後まで言葉を言わせる前に、私は『偶然』通りかかったかのように御手杵さんへ声を掛けた。
「え? 先生が? 俺なんかしたっけ……ああ悪い、また今度な」
「えっ、は、はい……」
あっさりと中断されて女子生徒は混乱のまま止まってしまう。そんな事にも構わず御手杵さんはさっさとこの場から立ち去ってしまった。
その場に残った私は、女子生徒の方を見て泣いていないか確認した。
大丈夫。まだ、戻れる。
「ごめんね邪魔して。でも御手杵さんはやめておいた方がいいよ」
「えっ、どうして……」
「詳しくは言えないんだけど……。まあ、きっとすぐに忘れちゃうから、あまり深くは考えないで。じゃあ私はこれで」
次はいい人と巡り会えますように。
心の中で呟いて、私は彼女に背を向けた。
任務が終わったら、その時代の接触した人間達の記憶から私たちは消える。だからといって関わりすぎると、消えるはずの記憶が残ってしまう可能性が高くなる。時代を遡り歴史を守るとき、そこに『絶対』は存在しない。だからこそ、念には念を入れて行動をしなくちゃいけないのだ。
彼女から随分と離れたところで、御手杵さんが私を見つけて駆け寄ってきた。
「こてぎり!」
「どうしたの、御手杵さん」
「えっと、どの先生が呼んでたんだ?」
「…………あぁ。あれ、嘘だよ」
私がさらりと言うと、御手杵さんはぽかんとした顔のままで固まってしまった。
「え?」
「御手杵さん、『ああいうの』断れないでしょう?」
そう言われて否定はできないのか御手杵さんは口籠もる。
「あと、これからは、部活の助っ人はあんまりやらないでほしいんだけど」
「なんでだ?」
「目立ちすぎ」
「こてぎりには関係な、い、だろ……」
私の言葉に不服そうな顔になった御手杵さんを見て、なんだか懐かしい気持ちになって笑ってしまった。本丸で、畑当番を賭けたじゃんけんに負けたときに、同じような顔をしていた覚えがある。
昔を思い出すように笑っていると、御手杵さんは変な顔をしたまま口を閉ざした。