永遠と刹那の狭間で:6.あなたからの呼び名は縁が深まるまで変わらずに6.あなたからの呼び名は縁が深まるまで変わらずに
「そういえば、あいつらが飲んだり食べたりしたものはちゃんと減っているんだよな」
落ち着きを取り戻した七緒が1階へ行くと、食品庫をあさりながらぼやく五月がいた。横にいるのは幸村。
つい、先ほどのことが頭をよぎってしまい恥ずかしい気持ちが込み上げてくるが、幸村の方はいつも通りの様子だった。
五月は空になった段ボールを見ながら溜め息をついているが、七緒にしてみれば八葉のみんながこの家に来たとき、ポテチのどの味が好きか、落ち着いたら買い足さなきゃとか話していたのが懐かしい。
また、一部の仲間に好評だったふわラテは、餞別がわりに渡した。
「代金を請求することはできないし、もちろんそんなことをするつもりはないけれど、せめてあいつらが活躍することで返してもらいたいよな」
そこまで話し、五月はしまったという顔をする。
「って、長政さんたちが活躍するということは、幸村には不本意な結果になることにつながりかねないね。失言だった。ごめんごめん」
「いえ、私がこちらに来た時点であちらの世界の関与しないことは決意しましたので」
「そっかー」
ふたりの会話を聞きながら七緒も食品庫や冷蔵庫の中を確認する。
五月が話すように、異世界に行く前に比べてやはりいろいろなものがなくなっている。
今日はなんとかなっても、先のことを考えるともう少し買い置きをしておきたい。それに、これから長い時間をともにする男性の好みも知っておきたい。
「幸村さん、明日は一緒に買い物に行きましょうか。こっちの世界に少しでも慣れた方がいいですし」
「私も姫と一緒に過ごしたいので、いいですよ」
幸村の笑みは七緒の心をほぐし、それでいながらどぎまぎさせてしまう。
七緒はそんな幸村の様子を見ていると胸がトクンと鳴るのを感じる。
―私、この人のことが好きなんだ。
そんなことを改めて実感する。
異世界で、そして先ほども徐々に縮めた気持ち。
それは七緒が幸村を好きという気持ちから起こるものであるが、改めてそのことを実感する。
そして、そんな大好きな人とこれから生活を、そして人生をともにする。
そのことを考えるだけで七緒は胸がいっぱいになった。
☆ ☆ ☆
翌日、七緒は幸村を連れて街の大型スーパーへ出掛けることにした。
「そういえば、幸村さん。おうちのこととかは大丈夫なのですか?」
男性物衣料品コーナーをまわりながら七緒は問いかける。
ずっと聞きたくて聞けなかった幸村の事情。
本当は異世界にいる間に確認しておくべきだったのかもしれないが、なかなか聞き出すことはできなかったこと。
今さら聞いたところでもう異世界に戻ることができないのに確認したのは、自分が安心したいためなのかもしれない。
「ええ、父上と兄上の了解は得ました。無理矢理了解させた、と言った方が正しいかもしれませんが」
にこやかに微笑む幸村とは対象的に七緒は怪訝な顔をする。
それは本当に家族の了解を得たと言っていいのだろうか。むしろ脅迫なのでは。
七緒がそう思っていると頭上から幸村の声が降ってきた。優しい、思いやりが込められた声が。
「姫」
見上げるとそこにあるのは、異世界から何度も見てきた彼の笑顔であった。
すべてを包み込むような、安心するような、そんな眼差し。
それに惹かれつつも、七緒は気になることがあった。
「外でもその呼び名なのですね」
こちらでは恥ずかしい以外の何者でもない『姫』という呼称。
他のものがいないときであれば構わないが、外で呼ばれると照れの気持ちが芽生え、ういあたりを見回してしまう。だからといって、『七緒』と呼ばれるとそれはそれで恥ずかしい気持ちがあるのも事実だが。
しかし、幸村は七緒の戸惑いなど気にしない様子だった。
「ええ」
そして、さらに続ける。
「それにこちらにきて改めて実感しました。あなたの名はもう少し『縁が深まって』から呼びたいと」
縁が深まってから。
なんとなく澱みを感じる言い方。含みと言った方が正しいのかもしれない。
七緒が気になったことに幸村も気がついたのだろう。
それは一瞬で消し、いつもの爽やかな笑みを七緒に見せてくる。
「本題に戻りましょう。五月が話していました。姫が龍脈を整えたので、若干かもしれないけど歴史の流れを変えられるのかもしれない、と」
幸村の言葉から希望を感じ取り、七緒は幸村に尋ねる。
「では、大きな戦は起こらないと?」
しかし、幸村は首を横に振る。
「それは難しいかと思います。私たちがこちらの世界に来る時点で、あちらの世界は既に戦いの予兆がありました。それは神が関与するものではなく、人と人との争いなのですから、すべてを避けるのは難しいかと思います」
そう話したあと、七緒の瞳を見つめてくる。
少しだけ表情を緩めながら。
「でも、気候に恵まれ、作物が実る。それだけでも争いの原因は減ります。
ただ、本来起こるべき事項のうち、どれくらいを回避できたのか…… それは私にはわかりかねますが」
幸村がいた時代の争いの原因は案外単純で、食べ物に苦しむゆえであることが多い。
七緒が龍脈を正すことで、それはある程度解決されたらしい。
ただ、一方で神が関与できない領域も多々ある。例えば人と人とが権力を争うこと。それについて神が関わる時代は終わり、人間同士で解決する時代になった。
そして、幸村が最後に呟いた一言。
何気ない言葉だったのかもしれないし、とてつもなく深い意味があるのかもしれない。
ただ、七緒の心にはなぜかその言葉が引っ掛かって離れなかったのだ。
☆ ☆ ☆
次の日、五月からの連絡を受けた両親が急遽帰国してきた。
飛行機と連絡バスの都合上、家についたのはすっかり夜も更けた頃だった。
「七緒、あなた異世界で素敵な方と出会えたみたいじゃないの」
玄関のドアを開くなり、母はそう切り出した。
ついこの間まで七緒にとって当たり前のように生みの母だと思っていた人物。
幼い頃、異世界で過ごしていた記憶が甦ったことにより、この人はあくまでもこの世界にたどり着いた自分を育ててくれた人物であると知った。真実を知ってから会うのは初めてで、思わずまじまじとその顔を見つめてしまう。
しかし、母の顔には決して他人行儀なところはなく、以前と変わらない慈しみの眼差しがそこにはあった。
母は幸村に簡単に自己紹介をし、柔和な笑みを見せる。
「大和くんがいなくなって寂しいけど、幸村さん、あなたが来てくれて嬉しいわ。
ここまで来たということは、七緒との将来のことも考えているのよね?」
さきほどとは打って変わり問い詰めるような視線を母は見せてきた。しかし、それにたじろぐこともなく、幸村はしっかりと母親に視線を向けて告げる。
「ええ、もちろんです」
「さすが、噂に名高い真田幸村ね。あなたの瞳を見て安心したわ。きちんとした話し合いもしたいけど、それはあなたがこの世界に慣れてからにしましょうか」
「ええ、お願いします」
最低限のことを話し、会話はそこで終了する。
ふたりの会話をうかがっていた五月が何か言いたげにしているのを感じ、七緒は居間をあとにする。後ろには幸村も従って。
「やはり姫の母君ですね」
「緊張した?」
「ええ。戦のときとは違う類いのものですが。でも、どこか凛としていらっしゃるあたり、姫に似ていると感じます」
七緒の部屋に幸村を招き、ふたりで話をする。
幸村のセリフを聞いて七緒はどこかに安堵の気持ちが浮かぶ。
ずっと知らなかった血がつながっていないという事実。
確かに見た目に関しては「親子なのにあまり似ていないわね」と言われたことはよくある。
しかし、たとえ血はつながっていなくても、家族として一緒に暮らしていたのは事実だ。
性格や行動は無意識に似ているのかもしれない。それがなんだか嬉しかった。