1.
「まったく君って言う人は……」
任務に出ていた私を待っていたのはあきれ果てた瞳で私を見つめる光秀さまの姿。
私が手にしているのは抱えきれないほどの花に、饅頭や団子などの甘味に酒、さらにはよだれかけや頭巾の数々。
「地蔵の姿になって山道で立つように、と命じたのは確かに私だけど、だからってここまでお供え物を持って帰るとは思わないじゃない」
光秀さまのおっしゃることは一理ある。
私が命じられたのは京から安土へとつながる山道を通るものの中で不審な人物がいないか見張ること。
最近、安土では奇行に走る男女が増えてきている。
見たものの話によれば何かを求めているようだが、言語が明瞭ではないため求めているものが何であるかわからず、また原因も特定できないとのことだった。
もしそれが外部から意図的にもたらされたものであれば問題であるため、私は人々の往来を見張ることとなった。
私が見る限り明らかにあやしいものは見当たらない。
ただ一組だけ見たこともない橙色の花を持ち歩いていたのが気になったが、珍しい花ゆえ信長さまに見せたいお気持ちがあったのかもしれない。
道中を行くものは複数人で行動する場合は楽しげに談笑しつつ、地蔵の私の姿に気がつき、手を合わせていく。
そのため、私のもとに集まったのは疑惑ではなくたくさんのお供え物だった。そもそも後ろめたいことがある者はわざわざ地蔵にお供えをするとは思えないが、もしかすると何らかの手掛かりになるものがあるかもしれない。
それにこれを贈った方の好意も無下にはしたくはない。本来、安全祈願のつもりでお供えをしたのだろうから。本当の地蔵ではないが、せめてそれ相応の働きはしたい。
そう思って供えられたものを残らず持って帰ってきたのだが、何かが気に食わなかったらしい。
何か言いたげな私の様子に光秀さまは気がついたのであろう。
「へえ」
目は口程に物を言うとはいったもの。私の考えが伝わったのだろうか。
先ほどの意地悪な言い方よりは優しくなる。そして、眼差しの色も変えて私を見つめる。
「ふふ。意地悪なことを言ってしまったね」
そう言いながらくいっと私の顎をつかむ。
至近距離で見つめられて心臓がドキドキするのを感じながらもどうしようもできない。相手が光秀さまという魅力的な男性で、ましてや私が特別な感情を抱いている相手とあればなおさら。
だけど本来私の真の姿は忍び。相手の艶やかな様子に惑わされては任務を遂行することが叶わないこともある。
そうはわかっていても私を射るような瞳に見入ってしまう。
すると、目の前の艶を帯びたくちびるからひとつの言葉が漏れ出す。
「たとえ地蔵の姿になっても君が多くの者を魅了することが面白なくなかったんだよ。大人げないとはわかっているがね」
そうして頭を撫でられる。
先ほどまでの艶めいた雰囲気はどこへやら、まるで幼子をあやすかのように。
何かを期待していたものの、まだ早いということだろう。
そのことに悔しく思いつつも、一方で安心したとも思う。
すると、おやという声が頭上から降り注ぐ。
「面白いものが見つかったよ。君の努力も無駄ではなかったらしい」
見れば光秀さまの指が摘まんでいるのはひとつの種。
ただ私には見覚えのないもの。
忍びともなれば植物にもおのずと詳しくなる。植物には毒が含まれているものも多く、その知識が欠けていると自分や主の命を落としかねない。
また、効用によっては自白の効果があるものもあり、それがきっかけで里を滅ぼしかねない。
だけど、見覚えがないということは南蛮由来のものかもしれない。南蛮由来ともなれば噂程度に効能を知ることはあっても実際に見ることは叶わない。
その種にどんな秘密があるのか。
気にはなるものの、光秀さまは今のところ私と秘密を共有するつもりはないらしい。
大切そうにしまい、私とのことがなかったかのように振る舞う。
私もドキドキする気持ちを何とか抑え、その日は自室に戻ることになったのだ。
2.
それから数日間、光秀さまは調べごとのため留守にしていた。
心の底から湧き上がるのは光秀さまにお会いしたいという気持ち。
あの方に愛の言葉を告げられて、さらには妻にしたいというもったいないお言葉までいただいたのに、自信がないためその言葉に首を縦に振ることができない。
それにも関わらずこうして会えないときは恋い焦がれてしまう。
そんな自分のわがままに溜め息を吐いてしまう。
すると、
「姫様は気になる方がいらっしゃるのですね」
傍で控えていたお糸さんにそう言われる。
そう、つい忘れてしまいがちだけど、今は姫に扮している立場ゆえ、こうして傍にはお糸さんが控えている。
そんなことを忘れて振る舞っていたことを恥ずかしく思いつつも、核心に触れられて心臓の動きが激しくなることを実感した。
「そう見えますか?」
はい、とも、いいえとも言わず私はお糸さんに問い返す。
「ええ、なんだか最近の姫様は瞳は物憂げなことが増え、ますますお美しくなったように感じます」
そう、なのだろうか?
自分では自覚がない。
だけど、目の前のお糸さんは頬を染めてもじもじとしている。
その様子がかわいいなと思って見つめていると、予想外とも言うべき言葉が飛び出してきた。
「私も気になっている男性がいるのです」
「お糸さんが、ですか?」
いつの間にというのが率直な気持ちだった。
あまり男性と親しくしているところを見たことはないし、光秀さまからもそのような話をうかがったことはないのに、いつの間にそんな男性が現れたのだろう。
「ええ、おかしなものでしょう。私のような立場の女が人を好きになっても、相手の方が目に掛けてくださるわけないのに」
「いいえ、そんなことないと思います。お糸さんは素敵な女性ですから。それにしても、誰なのです、お糸さんをそんな気持ちにさせる男性とは?」
今まで恋とは無縁そうだったお糸さん。そんな彼女にこんな表情を指せるのが誰であるか率直に気になる。
すると、彼女の口からは信じられない名前が飛び出してきた。
「七介さまとおっしゃるのです」
!!!!!
七介。
その名前にただならない覚えがかる。
なぜなら私が男性に変化したときに名乗っている名前なのだから。
確かに目立つ素振りをしていたこともあり、一部の間では有名になっているらしい。
だけど、まさか恋の対象、それもお糸さんのお相手になるとは……
『あなたが恋い焦がれる相手は私が変化したものです』
『所詮報われない恋です。他の相手を見つけてはいかがですか』
そんなことを言うこともできず、私は「うまいくいくといいですね」と心にないことを述べ、そこで会話は終了したのであった。
3.
「まったく君という人は」
数日の間、光秀さまと会えないでいたが、調べごとの進展はあったのだろう。
私を呼び寄せ、面と向かいあうこととなった。
もっともその表情が浮かないことで何かあったことを察せられ、私はお糸さんのことを話す羽目となった。
「地蔵姿でも愛嬌さが買われてお供え物をたんまりともらった君だ。七介の姿だと無意識に糸の心を奪っても仕方がないね。それにもしかすると他の女房の中にも心惹かれる者が現れてもおかしくはない」
あきれ果てているとも感心しているとも取れる声が聞こえてくる。
光秀さまはそうおっしゃるけど、私自身は正直戸惑っている。どんな姿になっても人の心を惹きつける。普段の姿だと色気と無縁なのにどういうことなのだろうか。
すると、光秀さまが何か思いついたような表情をした。
「いや、それを逆手に取るのもありか……」
何やら企んでいるような眼差し。
瞳の奥から鋭い光が射しこんできているような気がする。
だけど、その意図の奥に潜んでいるものの深さがうかがえず、ただ背筋が凍るのを感じるだけであった。
秋の剣術大会が行われたのはそれから数日後のことであった。
秋晴れの空のもとには腕に覚えのある者が集まった。
また、屋台も連なり、大会というよりむしろお祭りと言った雰囲気が漂っていた。
「七介、あなたも来ていたのですね」
以前、参加したときに勝負を交わした蘭丸が七介に変化した私の姿を見つけ、話しかけてくる。
私は相変わらず剣術大会の要領に慣れておらず、右往左往していたため、蘭丸に話しかけられ戸惑う反面、安心した部分もある。
「ええ」
そう答え、対戦対手の確認をする。
今回は小細工をしていないため、私とは面識のない武士であった。
「決勝で会えることを楽しみにしています」
勝ち上がっても蘭丸とは決勝まで進まないと当たらないらしい。
助かった。そう思いながら彼と別れ、自分の戦いの準備をする。
しかし、事件が起こったのはその直後であった。
「お兄さん、精をつけるためにどうだい?」
そう言いながら私に話しかけるのは着物の前身頃を緩めた女性だった。
艶やかな目つきと言い、しなやかな言葉遣いといい、おそらく花街の女性なのだろう。
「気持ちいいことをしてみないかい?」
そう言いながら渡してくるのはひとつの花。
夕暮れ時の太陽を思い出すような鮮やかな橙色が印象的だった。
「いえ、そのようなことは……」
そう断るものの、曖昧な言葉で引くような相手ではない。
「そんなこと言わずにぃ」
押せば乗ると思っているのだろうか。袖を引っ張られ、誘惑しようとしてくる。
どうして切り抜けよう。
そう思っていると、ひとつの声がその場に響く。
「七介!」
先ほど別れたばかりの蘭丸の声だった。
その声に驚いたのだろうか。私を引っ張る腕の力は弱まっていた。
そして、その隙を見計らい私は走り出す。
「七介、大丈夫かい?」
息を切らしながらたどり着いたのは光秀さまが待機する場所であった。
蘭丸とはいつの間にか別れ別れになっていたらしく、彼の姿は見えない。
そして、光秀さまの言葉に首を縦に振りながらひとつのものを渡す。
「よくやったね」
それは先ほど女性につかまったときに渡された花。
先日から光秀さまにその色の花には気をつけてと言われ、注意を払っていた花。
声を掛けられたときに直感が働き、花を見せられたときに確信した。
それで対応に困るふりをしながら花を盗み出すことを考えており、そして見事成功した。
「これに見覚えはないかい?」
そう言いながら光秀さまが取り出したのはひとつの種。
あっ、と私は思い出す。この間、地蔵姿になったとき、どこからか種を持ち込んだことを。
「これは、ケシの種だよ」
「ケシ……」
名前だけは聞いたことがある。南蛮からおそろしい花が持ち込まれたと。
使い方によってはこの上ない多幸感をもたらす一方、効用がなくなると人が変わったかのように求め、そして判断能力、ときには人間らしさすら失われるおそろしい薬だと。
ただ、庶民には簡単に手にできない高価な品のため、実物を見たのは今回が初めてであったが。
「信長さまの献上品の中にケシが含まれていた」
え……
言葉にはしないが内心絶句していた。
天下布武を掲げる信長さまにこのようなものを献上するということは、信長さまを骨抜きにし、日の本を揺るがそうとしていること。
「信長さまだけではない。安土城に関係する一定以上の位の者には話を持ち掛けられているようだよ」
光秀さまもそのうちのひとりなのだろうか。
仮に献上されたとしても、そのようなものに流される方ではないとわかっているものの、そのような危険に晒されているというのは紛れもないだろう。
この方が自分の知らぬうちに危機が迫っているにも関わらず、自分にできることは何もない。そのことが改めて悔しく思う。だけど、そんな私の気持ちとは対照的に光秀さまがニヤリと笑ってきた。
「おかげで首謀者の目星はついたよ」
そう言いながら私に背を見せる。
あの方のことだ。
どんな手を使ってでも必ず安土を安泰にもたらすであろう。
私はそれを待つしかない。
そう思いながらその背中を見送った。
ともに歩めぬことを寂しく思いながら。
4.
光秀さまが跡形もなく始末をつけたのであろう。
安土でひっそりと噂になっていた奇妙な男女の件はあるときからさっぱりと人々の口にのぼらなくなった。
「それにしても寂しいですわ、七介さまが安土から去ってしまわれて」
安土に吹く風もすっかり涼しいものから冷たいものへと変化している。
七介の姿で重要任務を行ったため、今後この姿で任務を行うのは危険だと判断し、この姿とは別れることにした。
ただ、それだと申し訳ないと思う人物がふたりいたため、それぞれには前もって別れを告げた。故郷に帰ることになったため、もう二度と会うことはないという名目で。
「あなたとはもう一度剣術大会で剣を交えたかったです」
「私のようなものに気をかけていただき、ありがとうございます」
それぞれからそのような言葉をいただいた。
そして、新たに変化する男性の姿を身につけているうちに、光秀さまの多忙な日々も終わったらしい。
私は久しぶりに光秀さまとゆっくりお会いできることとなった。
「これで安土もますます安泰だよ。それに七介もいなくなるしね」
光秀さまが私の膝枕で横西なりながらそう漏らす。
兄妹で水入らずの時間を過ごしたいという名目で人払いをしているため、まわりには誰もいない。
それでも忍びという立場上、まわりに誰かいないか気になってしまう。
ただ、まわりからは気配を感じ取ることはない。本当に今日は私たちふたりだけの時間を過ごせているのだ。
「知っていたのですか?」
「まあね」
全然お会いしていないのにお見通しなあたり、この方らしいと思う。
ただ、新しい変化の姿はさっそくお糸さんや蘭丸に見つかってしまった。
そのため、お糸さんからは「最近新たに気になる方ができましたの」という言葉を、蘭丸からは「あなたと剣を交えてみたく思います」という言葉を聞くことになった。
そして、おそらく光秀さまもそのことも知っているのだろう。
涼しい顔をしているようで、瞳の中におもしろくなさそうな光が浮かび上がっているのが見える。
「ほんと、君という人は……」
どうしてどんな姿になっても人を惹きつけてしまうのか、そしてこの美しく、才に恵まれた人から求婚されているのか、今でもわからない。
ただ、少しだけ考えてしまう。
忍びの立場ではともに任務を果たすことはできないことを。
「だけど、この姿でいるときは私だけのものであってほしいね」
光秀さまが私におっしゃることと、私が求める理由はきっと別だろう。
だけど、光秀さまが私を独占したいと考えるように、私はこの方とともに歩みたかった。
「そうですね……」
そう言いながら、太ももの上にある光秀さまのくちびるに自分のくちびるをそっと重ねる。
求婚は今すぐに『はい』と答えることは出来ないけれど、この方を他の者に渡したくない気持ちは同じだったから。
私が自らくちびるとくちびるを重ねる意味をわかっているのだろう。
光秀さまの目が丸く見開くのが私の視界いっぱいに映る。
そして、驚きが余裕に変わり、光秀さまが舌を絡めてくる。
……今夜は眠れなくなりそう。
そんなことを思いながら、私は徐々に体勢が変化していくのを感じた。