「永遠と刹那の狭間で」14.ついに破られる平穏14 ついに破られる平穏
空に漂っていたと思われる黒い龍はやがて人の姿を取り戻しながら地上に戻ってきた。
周りのものには見えていないのか、その様子を気にするものは七緒たち以外にはいなかった。
「関ヶ原が終わってまもなくしてからかな。空を舞っていたら召喚されたの。あまりに不意打ちで対処もできなくて捕らえられそうになったそのとき、私の一部が分裂してこの世界にきたの。そして、人間として生活するために交通事故で命を失いかけている少女の身体を借りることになったんだ」
念のため七緒たちの住むマンションに場所を移し、七緒・幸村・一美の三人はひとつのテーブルを囲む。
家を空けていたこともあり冷蔵庫は空のため、テーブルの上にあるのは自販機で買ってきたペットボトル。
「つまり、本当の地井一美さんという人物がいたけど、その方が事故に遭って亡くなりそうになったから取り憑いたということ?」
「まあ、聞こえは悪いけど、そんな感じ」
にわかに信じがたい話であった。
目の前にいる人の形をしている者が人間ではなく人に取り憑いた黒龍であるとは。異世界でさまざまなものを見聞きした自分でもすぐには受け入れがたいことであった。
そういえば……
一美の話と自分の身に起こったことを照らし合わせて七緒はひとつのことに気がつく。そして、頬を染める。
「どうしたの。真っ赤になって」
一美が七緒の顔を覗き込んでくるが、さすがにここで話すような内容ではなかった。
昨年のゴールデンウィークを機に幸村をやたらと求めるようになった。
黒龍が助けを求めていたことに対して、もしかすると反応していたのかもしれないと思った。あくまでもひとつの仮定に過ぎないが。
そう思いながらもうひとつの疑問を口にする。
「黒龍の一部って?」
七緒の質問に対して、一美は言葉を選びながら口にする。
「黒龍や白龍、いわゆる龍神と呼ばれる存在は集合体みたいなものなんだ」
わかるようでわからない。
首を傾げる七緒と、先ほどから隣で考え深げにしている幸村に対し、一美はクスッと笑って説明してくれる。
「水で例えるとわかるかな。例えば水はまとまって存在している。でも、その中の一部を汲み取ることも可能。そんな感じで黒龍は集合体ではあるけれど、何らかのことをきっかけに分離することもある。そして、そのうちのひとつが私というわけ」
先ほどよりは少しわかった気がする。
形があってないようなもののうちの一部。
まだ信じられないというか実感を伴わない部分も大きいが、そのうち納得できるようになるのだろうか。
すると、先ほどからずっと口を閉ざしていた幸村が口を開いた。
「一美さん、先ほどあなたは捕らえられそうとおっしゃいました。ここにいるあなたが黒龍の一部というのであれば、その捕らえられている黒龍はどこにいるのですか?」
「そうね…… 私も記憶があやふやだけど、おそらく異世界の竹生島かと思うわ。それにあそこは龍神と深い関わりのある土地だし」
一美の言葉を聞いて七緒が竹生島に行ったときのことを思い出す。
呻き声のようなものを感じたこと。
あれは気のせいではなく、時空を伝って聞こえてきた黒龍の助けを求める声だったのかもしれない。
ここまで知ってしまった以上、七緒がすべきことはひとつ。
「どっちみち黒龍は捕らえられているのですよね?」
「たぶんね」
「だとすれば助けにいかないと! 黒龍が力を使えないようだと気がうまく流れないし、それに何といっても黒龍がかわいそう……」
「ええ、そうですね。それがよろしいかと思います」
七緒の提案に幸村も頷く。
一美はやれやれといった風にしながらも拒絶しているようには見えなかった。
さすがに今日は長距離の移動もしたし、怨霊とも戦い疲労が限界に達していた。
一美はそこで帰宅することにし、七緒たちも今日は疲れを取ることに専念することにした。
「でも、一美さんが黒龍だったとはね……」
「ええ……」
七緒の言葉に幸村は頷いているが、心ここにあらずといった感じであった。
それが気になりつつも、七緒は明日からどうするかを考えることにした。
「せっかくなら実家にいる間に一美さんが黒龍だとわかればな……」
思わずそんな言葉も出てしまう。
「そうすれば兄さんもいたし、前に使った龍穴が今も使えるかもしれないから、何かと便利だったのに」
だけど、実家にいる間や竹生島に行ったとき怨霊を見かけることはなかった。
東京だからこそ現れる理由があるのかもしれないが、その理由は当然わからない。
「どっちみちできることをひとつずつやっていくしかないですよね!」
自分を鼓舞するつもりで七緒は大きなひとり言を口にする。
すると、家に帰ってきてからずっと深刻な面持ちをしていた幸村が七緒の方を見つめていた。
「お願いします。これから先は龍神の力を使わないでいただけますか?」
単なるお願いではなく、それは魂からの懇願のように七緒は受け止めた。
単に危険から身を守ってほしい。そんな類いの言葉ではない。
しかし、それについては頷くことはできない。
「幸村さんの頼みと言えども、それは聞けません」
ときどき現れる怨霊。
それを浄化できるのは自分だけ。
それなのに、みんなが怨霊相手に苦しむのを黙って見ることはできない。
「そう、ですよね……」
七緒の気持ちが伝わったのだろうか。幸村が表面上は納得する。
しかし、心の底では納得していないのであろう。
伏し目がちにした瞳に切なげな色が走っているのがいつまでも忘れられなかった。
数日後、七緒は幸村とともに渋谷に行くことにした。
そろそろ部活が始まり幸村とのんびり過ごせる日が少ないことと、怨霊や龍穴の手掛かりがどこかにないか探したかった。
以前、池袋に行ったときに倒れたので池袋にもう一度行くことも考えたが、あそこで見掛けた怨霊は南蛮怨霊ではなかった。そうなれば別のところで手掛かりを探した方が効率がいいという判断だった。
東京に少しずつ慣れてきたとはいえ、やはりこの人混みの多さには毎回驚かされる。
スクランブル交差点で信号待ちをしているとあっという間に人の列が二重三重へと増えて、たった数分で渋谷駅前は人の渦ができあがる。
どの方向へ向かって歩こうか考えたそのとき。
「きゃー」
前の方から叫び声が聞こえてきた。
そして、あたりは逃げ惑う人々で溢れかえっている。
その元をたどると見えてきたのが南蛮怨霊。
それも一体二体なんてものではなく、数えきれないほどたくさん。
「幸村さん!」
「ええ」
いざというときのために薙刀を持ち歩いていたが、本来なら役立ってほしくなかった。
だけど、ここにいるみんなを守るためには力を使うしかない。
「くっ……」
どこから現れたのか、誰が操っているのか。
そのことが気になるが、今はそんなことを考える余裕はなく怨霊を倒すのが精一杯であった。
「姫!!」
遠くから聞こえてくる想い人の声。
彼が手にしているのは戦国の世で振るっていた槍ではなく、フェンシングの剣。
致命傷を負わすことは無理だが、意識を失うことくらいはできるらしい。
あっという間に敵を薙ぎ払い七緒の元へやってきた。
「幸村さん!!」
「ご無事ですか!?」
「ええ」
ふとそのとき、幸村の頬にほんのわずかではあるが切り傷がついていることに七緒は気がついた。
ふたりで敵を払っていても、おそらく自分たちの体力がなくなるのが先だろう。
それならば手っ取り早く目の前の敵を一掃した方がいいだろう。
そう考え七緒は久しぶりに、戦国の世にいたときのあの日以来となる神子の力を発揮することにした。
「めぐれ天の声、響け地の声……」
七緒の声に導かれるようにして発せられる白い光。
それらに包まれるかのように一瞬で怨霊たちが消え去るのが見えた。
そして。
「姫ーーー!!!」
自分の元に駆け寄る幸村の声。
それを聞きながら七緒は目を閉じた。
この人の、幸村のいる世界を守れたことに安堵しながら。