「永遠と刹那の狭間で」15.異世界へ15.異世界へ
七緒が目を覚ましたとき、真っ先に目に入ってきたのは幸村の顔であった。
最初に見えたのは今にも泣きそうな顔。それが一瞬にして喜びに変わる。
「ごめんなさい。また倒れていたのですね」
手掛かりを探すために出掛けたのは自分。
だけど、結果的に目の前の愛する人を悲しませている。そのことが心苦しかった。
すると幸村は七緒の身体を抱きしめてきた。最初はそっと、次はしっかりと。
「こうしないとあなたが消えそうな気がして……」
ドクンドクンと伝わる幸村の鼓動。
それが教えてくれる。自分が生きているということと、彼がどんなに自分を心配してくれたかということ。
もう彼にこんな顔をさせたくはない。改めてそう思う。
「七緒の家の近くに龍穴がありましたよね。まずはそこに行ってみませんか?」
幸村の提案に七緒は頷く。
当てずっぽうに東京で探すには無理があるのかもしれない。
それに先日のことといい今日のことといい、後手後手になっている。
形成を少しでも有利にするには、その方がいいのかもしれない。
「東京で探してもないのであれば、やっぱり一回実家に帰って探した方がいいかもしれないですね」
「そうですね。それにこの先、何があるかわからないので、一度顔を出した方がよろしいかと思います」
何があるかわからない。
幼い頃に人質として各地を転々とし、家族と離ればなれで暮らし、戦に常に追われていた幸村から発せられる言葉。七緒はその言葉の裏に隠された意味を考えざるを得ない。
……もしかするとこれが最後の別れとなるかもしれない。ちゃんと会っておかなきゃ。
悲痛な覚悟。
それを心の中で感じつつも、できるだけ感じないようにする。
七緒はスマホを握りしめ、連絡を取ることにした。
事態が事態だから五月も七緒たちに同行することになった。距離の関係で五月の方が先に実家に帰るとのことだった。
そして一美も龍穴を通れるか不明だが、とりあえず龍穴の入り口まで一緒に行くことを決めた。
ただ、互いに家族との別れのため、東京を出発した翌日に合流することとなった。
関ヶ原駅につき、バスに乗って最寄りの停留所で降りて実家につながるトンネルをくぐり抜ける、
数え切れないほど通ったトンネルであるが、次にここをくぐる日は来るのだろうか。
弱気になりながらそこを通り、天野家の玄関を開けたときに真っ先に出会ったのは意外というべきか納得するべきか判断に迷う人物がいた。
「大和! どうしてここに」
異世界で別れたきり会うことのなかった大和。
そんな彼が目の前にいたのだ。ただし、異世界で流れる時間はこちらより早いのか記憶よりもかなり大人びた容貌となっていたが。
七緒の疑問にやれやれと言った調子で大和は答える。
「もう、異世界は怨霊だらけで最悪。しかも南蛮怨霊ばっかり。そのうちの一体を追っ掛けてたらここまで来たってわけ」
大和の言葉に既視感を覚える。
少し考えて思い出す。幸村がこの世界に来たときと状況は似ているのだ。
「それにしてもお前のかーちゃん目ざとすぎ。俺が林の中に隠れてたっつーのによ、ちゃんと見つけやがって」
その口調から母が大和を見つけたときの様子が手に取るようにわかる。
大和は大和なりに気を遣ったつもりなのだろう。いくらたびたび天野家に不思議なことが降りかかってきたとはいえ、幼い頃から知っている大和が自分の子どもたちよりも遙かに年齢を重ねているのを見ると不審がると思ったのだろう。そこで大和は見つからないように隠れていたに違いない。
一方、母も気配には敏いため、誰かが隠れていることはすぐに察し、そしてすぐに大和の姿を見つけた。そんな姿が容易に想像つく。
文句を垂れる大和に対して五月がいくつか質問をする。おそらく異世界での時間経過と、そしてこちらの世界の歴史とどれほどの違いがあるか確認するためであろう。
めんどくさがりつつも大和は五月の質問にひとつひとつ答える。
「五月の話していた関ヶ原の戦い、それらしきものは起きたといえば起きたらしい。ただ歴史的に名を残すようなものではなく、随分あっさりしたものだと聞いた。江戸幕府もイメージとは全然違って平穏な形で開かれた。そんな感じだったぜ」
大和の言葉からさまざまなことを照合したのだろう。五月も少し考え込んでから口を開く。
「状況から察するに大和がやって来たのはあっちの世界でいうところの慶長19年。西暦だと1614年。もうじき大坂冬の陣が起こるってところだね」
大坂冬の陣。
その言葉を聞いて七緒は背中がぞわっとするのを感じる。
五月からさんざん聞かされていた大坂の陣。幸村が命を落とす夏の陣まで、異世界の時間であと半年。
ここで大和がこちらの世界に来たということは運命に呼ばれているのだろうか。
なぜだか七緒はそんな気がしてならなかった。
「ところでそっちの世界では石田三成は生きているのかい?」
先ほどまでの口調とは異なり、気軽に五月は大和に聞く。
石田三成。徳川家康と立場上、敵対していた人物。
七緒の世界では関ヶ原の合戦後、処分をくだされていた。
「石田三成? ああ、生きているぜ。立場が立場だったから、あまり目立った動きはしていないけどな」
「そうか」
五月の声にはほんのわずかであるが、安堵が見えていた気がする。
「何か気になるのか?」
「いや、何もないよ」
わざわざ聞くということは何かあるに違いない。だけど、何らかの事情があるのか、五月は答えない。
「そういえば、石田三成といえば怪しい南蛮人と黒い付き合いをしているってもっぱらの噂だぜ」
大和が思い出した風に呟く。
南蛮人……
「黒龍の異変と関係あるのかな……」
思わずその可能性を考えてしまう。
大和は異世界で南蛮怨霊で溢れていると話していた。
そして、その南蛮怨霊が襲ってきたのは黒龍である一美。
自然に発生したとは考えにくく、誰かが意図的に操っていると思うのが自然だ。
だけど、令和の世ではこれ以上の手がかりを見つけることは叶わない。
危険な方法ではあるが、異世界に行って確かめるのが一番だろう。
「それにしても、大和老けたね」
「仕方ないだろ」
別れたときは高校生だった大和もおそらく三十を超えたはず。
精悍さが漂う容貌は自分たちとかつて同年代だったと言われても咄嗟に信じることができない。
「ちゃんと食べてる?」
そして気になるのは彼の生活のこと。
三食当たり前にありつける現代とは異なる世界。
後ろ楯もなく異世界に飛び込んだ大和が困っていないか気がかりなのは事実。
しかし、大和はニヤリと笑って七緒を見つめてきた。
「まあな。阿国ちゃん、相変わらず人気者だから、結構いい生活している」
「阿国さんと一緒にいるんだ」
「ああ、俺は剣の修行、阿国は興行で各地を転々とするから、一緒に行動した方が何かと都合いいんじゃないかとなったわけ」
「そっか」
もちろん安定しない生活ゆえ多少の困難はあるだろう。
だけど、大和の言葉の端々からそれを含めて楽しんでいるようにも見えた。
夕飯の時間は淡々と過ぎていく。
ただそれぞれが胸に抱えたものはあるのだろう。
普段もそんなに口数は多くない父であるが、今日はより一層寡黙さに磨きをかけていた。
ただ、幸村に無言で酒を注ぐことで何かを語っている。そんな気がした。
他のものにせよ伝えたいことはあるのかもしれない。しかし、誰もがそれを口にするのを避けていた。
いわば「最後の晩餐」とも言うべき時間はそうして粛々と過ぎていった。
「お母さん、今夜は一緒に眠ってもいい?」
最近はずっと「母さん」と呼んでいた。
幼い頃の呼び方に戻るのはやはり不安な気持ちがどこかにあるからだろうか。
「ええ、いいわよ」
母は優しい声で答えてくれる。
その日は母の寝室で布団を並べて眠ることになった。
この世界にやっていたときからずっと自分を育んできた母親。
時折厳しい顔を見せることもあったが、愛情深さに包まれて幸せな日々だった。
もしかすると明日龍穴を越えるともう二度と会えないのかもしれない。
そう考えると涙が溢れ、止まることはなかった。
すると隣から母の声が聞こえてきた。
「行ってらっしゃい。あなたが無事であれは、母さんはそれで十分だわ」
そして掠れた声でそっと囁いてくる。
「幸村さんと幸せにね」
涙をこらえて呟いたのであろうか。暗闇に覆われているため、母の顔を表情をうかがうことは叶わない。
ただ七緒はそれが母からの優しく力強いメッセージだと受け止めた。死なないで、という。
この先の運命はわからない。ただ、それを乗り越え、もう一度この人に会えるようにしたい。
そう静かに決意しながら頷く。
「うん」