「永遠と刹那の狭間で」16.龍穴の先には16.龍穴の先には
トンネルをくぐると雪国だったではないが、七緒と幸村、そして五月と大和が龍穴を通り抜けるとそこには確かに先ほどまでいた場所とは景色が異なる場所だった。
見渡すとそこに見えるのは膨大な水量を湛える湖面であった。
「琵琶湖…… 竹生島についたようですね」
以前何度か訪れた場所。
だけど、気のせいか風もいつもと違うような気がする。
今はいつなのだろう。
大坂の陣はどうなっているのだろう。
それが気がかりだった。
「目的地の近くに着いてよかったですね」
「ええ」
幸村が心ここにあらずといった感じで答える。
少し前から見せていた様子。それが気にならないと言えば嘘になる。
「幸村さん、何を知っているのですか?」
「お話したいことはあるにはあるのですが…… でも今は言葉にするのはやめておきましょう」
そう言って笑う。まるで儚げに。
そして、今にも消え入りそうな瞳で七緒を見つめてくる。
「ただ、忘れないでください。あなたを愛するひとりの男がいるということを」
幸村が言わんとしていることは何なのだろう。
七緒は気になりつつも、幸村が話そうとしない以上、あえて聞くのをやめることにした。
「とりあえず黒龍の手掛かりを探りたいところだけど、一美さん、何かわかるかい?」
そう、五月が聞いたが、一美は気分が優れていないのが一目でわかった。
顔色は悪く、悪寒がしているような感じすらする。
それを見ている自分も具合が悪くなるような気がしてきた。
気を何とか保ちながら七緒は立つ。
「何かが近くにある感じはする…… だけど、何かに阻まれて近づけない感じもする」
「何かに阻まれている…か。結界かもしれないね。一美さん、君はそこで休んでて。ほら、大和、付き添って」
竹生島の中を歩かなくて済むとわかったのが嬉しかったのだろう。大和の表情は心なしか明るかった。
そして、竹生島の中を探るべく歩き出した一行であったが、意外な人物と出会った。
「兼続殿!」
「幸村じゃないか。はは、君は何も変わっていないな」
「ええ」
確かに年は記憶よりも重ねている。
そして、向こうの中では自分たちは十年以上昔に別れた存在。
それにも関わらずこうして時の流れを感じさせることなく話せるのが嬉しかった。
「令和の世に行った君たちがここにいるということは、何かあったのだね」
「そういう兼続さんこそ、ここにいるということは『何かありました』と言外に伝えているようなものですよね」
「ああ、気になることがあってな」
聞いてみたところ、佐和山城に滞在していた石田三成が気配を感じたとのこと。
自ら赴くことも考えたが、八葉の方が何か気づくことがありそうだと判断し、協力を要請してきたとのことだった。
もっともその本人は現在大坂にいるらしいが。
「そっか。関ヶ原の戦いが俺の知っているものと変わったということは、兼続さんは石田三成とも相変わらず懇意なんだな」
七緒には聞こえてくるが本人には聞こえない大きさの声で呟く。
そう。
七緒の世界の歴史では、関ヶ原の戦いの前に兼続が仕えていた上杉家が徳川についたことで兼続も三成と敵対することとなったが、こちらの世界ではその歴史を辿らなかったらしい。
「あと、先ほど意外ともやはりとも言うべき人物にも会ったよ」
そう遠回しに話してきたが、どうやらそれは柳生宗矩のようだった。
彼は彼で徳川家康の密偵としてここに来ているのかもしれない。
徳川と、豊臣、それぞれに近いものが竹生島に集まっているということは、やはりここには何かがあるのだろう。
ただ、核心が何であるか今は見えていないだけで。
そして、兼続も加わり竹生島の中を歩くが、確かに黒龍の気配らしきものは感じるが、そこへつながる手掛かりは見つからない。
徐々に息が切れてくるのを感じてきたが、おそらく他の者は日頃鍛えているからだろう。
そう納得し、七緒は自分を奮い立たせる。
それにしてももう少し別の面からアプローチした方がいいのかもしれない。
そう考えていたのは七緒だけではなかったらしい。
五月も兼続にこの世界のことを訊ねている。
「三成から伝え聞いた話だが、去年の春頃、カピタンが大坂に戻り、淀殿に近づいてきた」
「カピタンが……」
その前を聞いて幸村は眉を寄せる。
「それで武器を売りつけてきた。もちろん南蛮のな。そして、淀殿がカピタンにそそのかされて起こしたのが先の戦いだ」
「先の戦い?」
「ああ、君たちはこの世界にいなかったから、わからなくて当然か。豊臣が挙兵したのだよ。もちろん徳川から天下を取り戻すためにね」
兼続の言葉を聞いて七緒はその戦いが何であるか察した。
大坂冬の陣だろう。
七緒たちの世界では真田幸村が真田丸を築城したことで有名な戦い。もっとも豊臣側は寄せ集め感がひどいため、敗北に終わったが。
大和が令和の世に来た頃はまだ始まっていない戦いであったが、いつの間にか終わっていたらしい。
それよりも先ほど聞こえてきた人物の名が引っ掛かる。
七緒たちが旅をする上で何度も出くわした人物。
確かに最初は偶然だったかもしれないが、偶然が重なると必然と捉えることもできる。
竹生島で手掛かりが見つからない以上、カピタンの動向を探った方がいいのかもしれない。
そのためには大坂城へ行き茶々に聞くのが一番だろう。七緒はそう思った。
一美たちと合流し、竹生島から船で琵琶湖を渡る。
そして、港に着き、早速大坂へ向かおうとすると後ろから五月が話しかけてきた。
「七緒、お前は大坂城へ行くんだよな?」
七緒がこっくりと頷くと五月は意外とも言うべきことを言った。
「じゃあ、俺は他にも気になることがあるから、そっちを調べるよ」
五月の言葉に七緒は耳を疑う。
「兄さん、戦いが始まるのに!」
これから起こるであろういくつもの戦い、そして大坂夏の陣。
そもそも自分たちは黒龍を解放するためにここに来たのではないだろうか。それを放棄してまで調べたいこととは何なのだろう?
七緒が瞳で訴えたところ、五月にも伝わったらしい。
「戦はこの世界に住む人に任せるよ。それよりも気になることなんだ。できれば兼続さんと一美さんにも来てほしい」
一美が関係し、戦いの行く末よりも大切なこと。
それは何なのであろう。
幸村といい、五月といい、どうして自分に隠し事をするのだろう。
どこかでそんなことを思ってしまう。
だけど、やはり五月も話さないと決めた以上、話さないのはわかっている。
兄の調べたいことが何であるか気になりつつも、七緒は幸村と大坂城へ向かうことにした。
「それにしても、私たちだけ年齢がほとんど変わっていないから、不審がられそうですよね」
「ええ」
以前、淀殿-茶々と会ったときは想定される年齢より8歳ほど若くても信じてもらえた。
今回も、令和の世に戻る前に文を出したとはいえ、時空の流れが異なる令和の世に行ってたがゆえに年が変わっていないことを受け入れてもらえるだろうか。
しかし、その心配は杞憂だったようである。
「やあ、幸村に神子殿。久しぶりだね」
大坂城に足を踏み入れるとそこにいたのは懐かしい顔、石田三成であった。
淀殿に代わり相手をするとのことで出てきたそうだが、七緒たちにしてみれば客観的な話を聞けそうで都合がよかった。
彼は自然と自分たちがこの世界にいるものたちと年齢が異なることを受け入れているらしい。疑いの眼差しがもたされなかったことに七緒は安堵する。
それにしても。
現在の三成は四十代に差し掛かっているのだろうか。自分の父親より少し若い年代ということもあってかどことなく風貌が似ている気がする。
一方、幸村は不思議そうな眼差しで三成を見つめている。
「三成、本当に無事だったんだな……」
その様子に三成は苦笑いで返す。
「それは単に行き長らえていることに喜んでいる口ぶりではないな」
三成の言葉に幸村はしまったと思ったのだろう。焦っている様子が伝わってくる。
そう、五月から聞かされていた自分たちが帰ったあとの歴史では、関ヶ原の戦いが起こり、石田三成は処刑されることになっている。
七緒の世界の歴史を知らない幸村でさえも、もし三成が徳川に敗北した場合の末路は考えないわけではない。
しかし、この間大和から三成は命を落とさずに済んだということを聞かされた。
そして、目の前に本人が現れたところで、そのことを素直に受け入れることはできない。
「まあ、いい。状況を説明しよう」
七緒と幸村、ふたりが自分に向けてくる怪訝な眼差しはおそらく気になっているのだろう。しかし、今はもっと重要なことがある。
三成は口を開いた。
「先の冬の戦いは豊臣の敗北で終わっている。俺はこれ以上の戦いは無益だと思い、淀殿にもその旨進言している。だが……」
「カピタンがそれを許さないのだな」
三成の言葉を幸村がつなげる。その口調は穏やかだがしっかりしたものだった。
「ああ。そのせいもあるのかもしれない。豊臣側のものたちは気が立っており、徳川といつ戦いが起こってもおかしくはない。さすがに江戸は徳川のお膝元ということもあり安定しているとの情報が入ってきている。しかし、ここ大坂は豊臣の本拠地ということもあり、今すぐ争いが起こってもおかしくはない。最悪の場合、大坂城に敵が攻め入り焼き討ちに遭うことを考えた方がいいくらいにな」
大和から聞いたここ異世界の歴史は、確かに七緒が去ってからの数年は平穏に満ちたものであり、大きく異なっているように感じた。
しかし、だんだんこの異世界は五月から聞かされた七緒の世界での歴史と相違がなくなっているのを感じる。
違うといえば、カピタンが大きく歴史に関わり、七緒が知っている歴史に近づけさせようとしていること。
七緒の表情が暗くなっていることに気づいたのだろうか。三成は表情を緩める。そして、七緒の方を見つめてくる。
「物騒な話ばかりして申し訳ない」
「いえ、それだけ戦が身近な状態でしたら仕方がないかと思います」
「ありがとう、神子殿。ところであなたには確か兄上がいたかと聞いておるが」
三成の思いもよらない質問に七緒は目を見開く。
この戦いと関係あるようには思えない。
戸惑いつつも答える。
「五月兄さんのことですか?」
「五月……殿は息災か」
「ええ。私と幸村さんの仲は面白くないようですが、自分なりに頑張っていますよ。今も何やら調べたいことがあると言って、私たちと別行動をしています」
七緒がそう話すと三成は小さく溜め息を吐く。
「ならよかった」
その言葉が示すように、その溜め息は安堵のように感じられた。
それからしばらくは表向きは平穏な日々が続いた。
幸村は昔の縁故を使い、馴染みの家に滞在させてもらっている。
いわば他人の家でありながらも柔らかい春の日差しに吸い込まれそうになる、そんな緩やかな時間が過ぎていく。
しかし、三成も話していたように幸村の元に入ってくる情報は決して安心の材料ではなく、むしろいつ戦いが起こるかわからない危険の種があちこちに蒔かれている、そんな感じであった。そのため幸村は上田にいるかつての家臣に文を出したり、また大坂に滞在しているかつての友の元に面会を申し出るなど準備に余念がないようだった。
そして、こちらの世界へ来る最大の理由である黒龍の手掛かり。それをつかむことにも余念がなかった。
「兄さんや一美さん、大丈夫かな」
黒龍の手掛かりを探りにきたはずなのに、肝心のカピタンの行方がわからない。
何かをしたいのはやまやまであるが、慣れない土地で動き回っても足手まといになるのがわかっているので、動けない自分が歯がゆい。
「それにしても、争いは避けられないとしても、せめて被害を最小限に抑えられたらいいのに」
そう。
豊臣が徳川に戦いを仕向けることは避けられないかもしれない。
だけど、被害を抑えることはできるはず。
ただ、やはりそうするにしても、カピタンに南蛮の武器を売るのをやめてもらうのが手っ取り早い。
そうなればカピタンの行方がわからない現在は手掛かりがないことに等しい。
すると家のものだろうか。幸村に文を渡すのが見えた。
幸村は一瞬目を輝かせた。そして、真剣な眼差しへと変え、七緒を見つめてくる。
「カピタンの居どころがわかりました!」
「カピタンの?」
「ええ。案外近くにいるようです。二本先にある商家にいるようですよ」
二本先。
目と鼻の先とまではいかないが、かなり近いことに違いはない。
灯台もと暗しとはこのことを指すのかもしれない。
七緒は幸村とともに様子を探りに行くことにした。
「そういえば、大和がこっちの世界は南蛮怨霊だらけと話していたのに、全然見かけないですよね」
「ええ、私も不思議に思っていました。怨霊を呼び寄せる体質ではなさそうですし、となれば、誰かが意図的に怨霊を放って大和はたまたまそこを通りかかったのかもしれませんが」
竹生島から大坂に移動するとき、何体かは見かけたが「溢れている」には程遠かった。
大和は大坂に来る前に阿国と合流し、阿国の巡業に付き合うがてら剣の稽古をしている。
さすがにこの状況のため、大坂からそんなに遠く離れたところには行かないと話していたので、今度会ったら怨霊のことを聞いてみよう。七緒はそう思った。
「どうやらこちらのようですね」
文に記されていた家についたらしい。幸村が足を止める。
「真っ正面から堂々とうかがうべきか、それとも裏からこっそり回るべきか……」
建物の規模や家の作りなどを見ながら幸村は思案しているようだった。
場合によってはかつての仲間の協力を得ることも考えているのかもしれない。
すると、七緒の耳に何やら呻き声が響き渡る。
「南蛮怨霊!?」
そこに現れたのは一体の南蛮怨霊。
しかし、誰かに使役されている風ではなく、当てもなく彷徨っているようにも見受けられる。
どう動くべきか思案していると、特徴的なイントネーションの声が耳に入ってくる。
「オゥ、ノー。困りマシたネー。勝手に動かれテハ。あの神子ハまだ龍神に変化シテもらっては困るのデース」
幸村に身体を引っ張られ、ふたりは隠ることになる。そして、声の主の姿を確認し、耳をすます。
年を重ねているけどすぐにわかった。顔の造作に見覚えがある。
そして、あの肌の色に大きな瞳、そして、宝飾品の特徴を照らし合わせるとカピタン以外にはあり得なかった。
しかし、彼の言っていることが理解できない。
神子はおそらく自分のことだろうが、龍神に変化というのが理解できない。
すると、後ろにいる幸村が息を呑んでいるのが伝わってきた。
おさらく彼はカピタンの言葉に心当たりがあるのだろう。自分が知らない何か。それを幸村は知っている。
いつの間にか怨霊はいなくなったらしい。
呻き声は聞こえなくなり、カピタンの姿も見えなくなった。
幸村が七緒の肩を掴みながら話掛けてくる。その手は力がこもっているようで、小刻みに震えているのが伝わってきた。
「邸に帰りましょう。そこでお話したいと思います」