「永遠と刹那の狭間で」17.永遠か刹那か17.永遠か刹那か
「先ほど、カピタンが変なことを話していたけど、幸村さん、もしかするとあなたも心当たりがあるのではないですか?」
七緒の直球な質問に幸村は息を呑む。
それは肯定を意味するということを彼もわかっているのだろうが、誤魔化せるほどの器用さも余裕もないのだろう。
幸村は首を縦に振る。
「カピタンが話したように、あなたは龍神の神子ではなく、龍神そのものなのです」
「そんな……」
それしか言えなかった。
確かに自分には不思議な力があった。
しかし、それは龍神の神子だから備えているものであり、まさか龍神そのものだとは思いもしなかった。
そう言われてもにわかに信じがたいのも事実。
「幸村さんが嘘を吐くようには思いません。証拠はあるのですか?」
七緒の問いに幸村は瞳を伏せながら口を開く。
「先日、渋谷で怨霊が出現したとき、七緒が光に包まれたかと思うと龍神に変化しました。そして、あたり一面に輝きをもたらし怨霊を浄化しました。そして、怨霊に逃げ惑う人々はまるで何もなかったかのように歩き出したのです」
幸村の言葉を聞いてもそれが自分の行いだとすぐに受け入れることはできない。
だけど、以前、この世界に来たときに起こった数々の出来事、そして令和の世で起こったことを考えあわせると自分は龍神、それも白龍なのだろうということは理解できる。
「じゃあ、一美さんは私の対?」
今年の春に出会った大学の先輩・地位一美が黒龍だとわかったのはつい最近のこと。
そして、いわば黒龍の本体がとらえられていると知り、黒龍を救うために異世界にやってきた。
しかし、まさかその過程で自分の真実の姿を知るとは思いもしなかった。
一方で納得する。
彼女は黒龍だったからこそ、対である自分と何かと気が合い、そして何かと気にかけてきたのだろう。
「それにしても、正直、妬けますね」
「え?」
「黒龍とのことです。私が七緒に一番近い立場であるという自負がありました。だけど、あなた方はそれを悠々と越えていく」
一見軽口を叩いているのように見えるが、内心かなり傷ついているのだろう。
幸村とも関係が親密になるのに案外時間は掛からなかったが、一美とはそれ以上の早さで親密度が増した気がする。
「でも、一美さんはお姉さんみたいなものだし、私が恋しているのは幸村さん、あなたです」
「七緒……」
幸村に名を呼ばれたかと思うと身体が引き寄せられるのを感じる。
身体も気持ちも離すまいとしている意思の強さが感じられる腕の強さ。
そして、くちびるにあたたかいものが触れ、それが幸村のくちびるであることに気がつく。
一方でそのくちびるが震えていることに七緒は気がつく。
彼はおそらく自分に関しての秘密をずっと抱えていたのであろう。そして、いつか自分が人の姿を失い、人として生きてきた記憶も失い空に帰ることを危惧していたのかもしれない。
そう思うと今度は自分から口づけたくなる。
何度も触れ、何度も想いを重ね、吐息が乱れそうになったそのとき、ふたりの耳に懐かしい声が入ってくる。
「盛り上がっているところ申し訳ないのだけど……」
声の方向を見ると、そこにいるのは兄・五月であった。隣には一美の姿もある。
七緒は慌てて幸村から離れ、少しだけ乱れた服を直す。
「五月……!」
「兄さん! それに一美さん」
「はは。相変わらずだな、幸村」
相変わらずとはどういうことだろう。そう思っていると五月に話しかけられる。
「ところで、七緒、幸村から教えてもらったんだね」
何をとは聞かれない。
だけど、おそらくひとつのことを指しているに違いないと確信し頷く。
「うん」
「そうか。じゃあ、いつかきちんと話し合わないとね」
さすがに今すぐ考えさせるのは難しいと判断したのだろう。
五月は今すぐ結論を出すことを求めてこなかった。そして、一美、つまり七緒の白龍としての対である黒龍が来たということは、七緒が本当に龍神であることを知っているものがいるということでもある。
自然と七緒の白龍時代の話になる。
「なお姫だった頃のこともあまり覚えていないけど、白龍として生きていたなんて実感が湧かないんです」
そう七緒が切り出すと、幸村はフォローに入る。
「仕方がないですよ。今日まで人として生きていたのに、いきなり龍神ですと言われて受け入れるものはいないかと思います」
すると一美が何かを思い出したかのようにクスリと笑う。
「でも、七緒は龍神であっても、人であっても全然変わらないね」
「えー、全然覚えていないのに」
なお姫として生きていた頃の記憶もおぼろげなのに、ましてやその前の白龍の時期なんて簡単に思い出せるものでもない。
しかも、それを昨日のことのように覚えているものがいることが悔しい。
「足利が将軍だった時代の終わりもこの国土が荒れていて、状況打破のため七緒は神子を選んだのだけど、どの神子も戦の最中に命を落としてしまって。
それを見かねて『私が神子になる!』と言って龍の世界を飛び出していったんだよね」
まったく覚えていない。
一瞬、目の前の一美が自分をからかうために嘘をついているのではないか勘繰ったが、自分の性格を考えるとやりかねないのも事実。
だけど、天野七緒として生きている時期のことを省みても、一美が話すようにやりかねないことでもある。
そして、こんな感じで一美は自分の忘れてしまったエピソードをたくさん持っているのだろう。
当分、目の前の先輩には逆らえないような気がした。
「あと幸村さん」
一美が幸村に話しかける。それは先ほど七緒をからかったときの瞳ではなく、優しい眼差しで。
「はい、何でしょう」
「白龍と黒龍はいわば八葉における天地みたいなもの。あなたが妬む関係ではないのでご安心を」
「あ、はい」
一美はそう口にしたものの、幸村は複雑そうな表情であった。
そう。男女の関係としては彼は自分と誰よりも深い絆で結ばれたはず。
だけど、人智を越えた存在の対の関係となれば、男女のそれには遙かに及ばない気がしているのであろう。
「そういえば兄さん、調べたいことがあると言ってたけど、どうなったの?」
「ああ、それな。一美さんの協力もあって確認できたよ。あとはお前の気持ち次第だ」
「私の?」
何だろう。
おそらく自分が白龍であることと関係あるのだろうが。
「そうだね。もう少ししたら話すよ」
五月はそれだけ話した。
そして、そこで一同は話を切り上げることにした。
夜、数えきれないほどの星たちが夜空を煌めく。
春の夜はまだ風が冷たいが、縁側から見つめてしまう。受け止めきれないこと、そして考えたいことがあったから、まだ眠りにつきたくなかった。
その星のように自分も空から人の世を見つめてきたのだろうか。
幸村にも一美にもそれぞれ違う形で説明されたが、やはり実感は伴わない。
「七緒、ここにいたんだね」
ふと声を掛けられる。五月だ。
「うん、ひとりで考えたくて」
七緒の言葉を聞いて五月は、そっか、それだけを呟く。
「幸村も話していたけど、いきなり自分が龍神と言われても信じられないよな」
七緒はこっくりと頷く。
そして、これからのことを考えずにはいられない。
胸の奥に確実にあるのは、幸村とこれからも一緒に歩みたいという気持ち。
だけど、龍神である以上、それは叶わないのかも知れない。
「永遠の時空を流れ人の世を守る龍神となるか、あるい刹那のときを人として生きるか、だね」
五月の声は優しかった。
そして、どこか寂しそうでもあった。
永遠か刹那か。
その選択の狭間に立たされている。
自分がどうしたいかは既に決めている。ただ、本当にそれでいいのかという気持ちがどこかにある。
それを察したのだろうか。五月が話しかけてくる。
「龍神の役目を放棄することを気にしているんだろ?」
七緒はこっくりと頷く。
そう、自分の率直な気持ちとしては人として幸村と生涯を全うしたい。
だけど、自分が人であることでこの世界の静謐が守られるかは疑わしい。
「その心配はしなくてもいいよ。俺も一美さんを連れて確かめに行ってきたから」
七緒は信じられないといった瞳で五月を見つめる。
自分が龍神だと知ってから諦めかけていたこと。幸村とともに過ごすという。
だけど、それが叶うかもそれないのだ。
「幸村だけじゃないよ、お前に人として生きてほしいのは」
そう呟いた五月の声は温かかった。
それを聞いて七緒は彼ときょうだいとして過ごしてきた十年以上の歳月を思い出す。幸村と違う形で彼も七緒のことを愛してきた。
もしかすると兄以上の感情も含まれているのかもしれないが、正直、今はそのことを考えたくないことにする。
七緒は五月の瞳を見据えはっきりした声で話す。
「兄さん、私、人として生きたい。幸村さんがいない永遠より人としての刹那の時間を選ぶ」
翌日、七緒は五月に連れられて龍穴をくぐり抜けた。幸村と一美もともに行動している。
現代にいったん戻り、再び異世界に戻ってきたときに目に入ったのは天守閣を持つ城であった。
「ここだよ」
そう五月が話す隣で幸村が呟く。
「佐和山城…」
その固有名詞を聞き、七緒がそこがどこであるかを知る。石田三成が城主を務める城。
「許可はもらっているから入ろう」
そう言われて門をくぐり、たどりついたのは庭であった。
そこにあったのは城の中にあることを考えると圧巻な大きさを持つ池。
「結界が張ってあるらしい。この力を利用しようとするすべてのものから身を守るためにね」
そう言って五月は結界を解く。
近づくとぬいぐるみくらいの大きさのものがプカプカと浮いているのが見えた。しかし、目をよく凝らすと、浮いているのではなく、ひれを使ってチャプチャプと泳いでいた。
「もしかするとあれは小さな白龍……?」
全身が白く、小さな角が生えている。
そして、自分が知っている白龍にどこか似ているし、どことなく懐かしさも感じる。
七緒が見つめていることに、その物体も気づいたらしい。
目を輝かせて話しかけてくる。
「あねさま……」
まさか自分のことを差しているとは思わず、辺りを見渡したが、どうやら自分のことを差しているらしい。
白龍としては自分が先輩にあたるのだろう。残念ながら白龍として過ごしてきたときの記憶はないし、自分が白龍の力を持っているという自覚もいまだにないのだが。
「この子にお前の持っている力を与えれば、お前の白龍の力は失われ、人として生きることができるよ」
五月が言ったことを信じられない気持ちで七緒は受け止める。
人として幸村と生きたい気持ちは存分にある。だけど、その選択をすることでこの世界の平穏が守られない可能性が出てくることに抵抗があった。
だけど、白龍の力を受け継ぐものが現れ、そして自分も人としての幸せを享受できる。
幸村の方を見ると、彼も頷いている。
小さな白龍に近づくと、不安げに話しかけてくる。
「あねさま。あねさまは人として生きられるのですよね?」
「ええ」
そう。だからこの白龍とともに生きることはない。
自分の力がどれだけのものかわからないが、おそらく莫大なものを秘めているのだろう。それを急に授けられるのだから、龍神といえども不安に思っても不思議ではない。
すると、白龍が意外とも言うべきことを口にしてきた。
「あねさま、龍神の神子になっていただけませんか?」
信じられない申し出だった。
そして、光栄でもある。
龍神として生きることを捨てたことにより罪悪感がどこかにあったが、人間だからこそできることもある。
自分でよければ快諾しよう。
七緒はそう思った。
「じゃあ、私の持っている力を譲るね」
そう言って手を白龍にかざす。
何か力が吸い取られる感覚がしたものの、それは一瞬のことであった。
辺りに光が射し込み、ふと見上げるとそこには一体の龍神の姿があった。白き光をまとっていることから考えると、先ほどまで小さな姿を取っていた白龍だろう。
「すごいな……」
いつの間にか一美が近くに来てそう呟く。
そして、感嘆の表情をしていたが、何やら決意めいた表情に変える。
「今日から君が私の相方だ。よろしくな」