すべては私が眠る間に~プロローグ、1、2プロローグ
「ゆっくりおやすみください。 私の姫」
幸村さんはそう言いながら眠りにつこうとする私のおでこを撫でてきた。
力強く大きな手。 その温かさと優しさに安心して私は眠りにつく。
だけどそのときの私は知らなかった。
幸村さんは、ううん幸村さんだけではない。 兄さん も、そして他の八葉も、悲愴な決意を胸に抱いていたということを。
そんなことに気づかなかった私は疲労感が身体に広がっていくのを感じ眠りにつく。
ただ、 先ほど幸村さんが触れてくれたおでこ。 そこから広がる温かい気持ちが心地よく、私はぐっすりと眠りについたのだった。 幸村さんたちが死闘に向かおうとしていることに気づきもせず。
1
冬の凍てつく空気が頬を掠めていく。
普段なら寒いと感じ、建物のなかにこもるところだけど、ここ九度山ではその空気すら愛おしいと感じる。
上田にいたときから感じていた体調不良。
養生しているにも関わらず一向に佳くなる気配を見せず、私は床に伏せる日も多くなった。
ただ、今日のように晴れている日は多少身体が重くても外に出るようにしている。
太陽の光と新鮮な空気が少しでも健康につながればいいと願いながら。
「姫、体調はいかがですか?」
私が起きていることに気づいたのだろう。
外で稽古をしている幸村さんが話しかけてきた。
九度山に来てからも幸村さんは徳川の目の届かないときを見計らいこうして剣や槍の稽古をしている。蟄居の身と言えども、いつかまた戦いに赴くことがあるかもしれないため、いつ何時も備えたい。そういう思いを込めて。
「ええ、今日はいつもに比べると身体が楽に感じます」
私がそう言うと安心したのだろうか。幸村さんは笑みを浮かべている。
「そうですか。よかった……」
その声は心の底から安心したという様子が伝わってくる。
上田にいたときから、ううん、もっと前から、もしかすると出会ったときから、幸村さんが私を心配してくる様子に私は救われている。そして、それが今の私の希望ともなっている。
「近くに住んでいるものからいただいたのです。よろしければ」
蟄居中の身とはいえ、幸村さんのことを気に掛けるものがそれなりにいるらしい。
そして、彼のその笑みが訪れた者の心を奪い、さらにそれが噂となって新たな来訪者を生み出すらしい。
自分たちの身の上のことを考えると、私たちは信じられないくらいまわりに恵まれた生活を送っていた。
「ありがとうございます」
幸村さんから渡されたのはみかん。
ここでは珍しくもなく、どこの家の庭先に必ずと言っていいほどあるもの。
だけど、私たちが暮らしている建物はしばらくの間人が住んでいた形跡はなく、庭も荒れ果てた様子であった。そのため、太陽を思わせる実を収穫することは今年は望めない。
だけど、建物は少しずつ私たちが手入れをして、来たときよりは過ごしやすくなっている。
そして、庭もここで一緒に暮らしていく間に整えられていくのであろうか。
思うようにならない身体を抱えながらも、春になれば種を植え、夏に草花の生長を感じ、秋に収穫の喜びを感じる。
そして、隣には幸村さんがいる。
そのことが今の私が未来につなぐ希望であった。
2
「七緒、お前の調子は相変わらずなのかい?」
幸村さんとみかんを食べていると、どこからか兄さんがやってきた。隣にはあやめちゃんの姿も。もしかすると、ふたりで何か探し物をしていたのかもしれない。
「うん」
もし令和の世にいれば、心配性の兄さんのことだ。今頃病院に連れていかれたことであろう。
だけど、ここでは薬すら簡単には手に入らないので、ひたすら寝て、美味しいものを食べることくらいしか対処法がない。
「あの、つかぬことをうかがいますけれども、神子さまと幸村さまは、あの… その…」
一緒にみかんを食べていたあやめちゃんが何やら言いにくそうにもじもじとしている。
何となく頬が赤いのは気のせいだろうか。
私があやめちゃんが何を言わんとしているのかわからずにキョトンとしている一方、聡い兄さんは察したのだろう。
「あの、あやめちゃん。七緒と幸村は『そういう』関係ではないから」
「そ、そうですよね。私としたことが。失礼しました」
顔を真っ赤にしてあやめちゃんはどこかへ駆けていった。
そして、隣にいる幸村さんも真っ赤になっている。
「七緒、急にごめんね。俺、ちょっとあやめちゃんを探してくる」
そう言って兄さんもどこかへ言ってしまった。残されたのは私と幸村さんのふたりのみ。
「幸村さん、あやめちゃんは何を聞きたかったのでしょう」
すると、幸村さんは赤い頬をますます赤くする。
そして、目を泳がせながら口を開き始める。
「姫…… つまり、姫が、その、か…懐妊しているのではないかと、思ったようです」
か、懐妊……!?
それってつまり、私が妊娠しているのではないかと、あやめちゃんは思ったということ、だよね……?
言葉を聞きながらも自分のことだと受け止めることはできなかった。
「申し訳ございません」
どうして幸村さんが謝るのだろう。幸村さんは悪くないのに。
「でも、愛とか恋とか正直よくわかりませんけど、その、幸村さんとはずっと一緒にいたいと思っています」
令和の世で友達が恋愛談義をしていたときも、どうしても感覚的につかめなかった「人を好きになる」という感情。
この世界に来てからやはり戦いの中に身を置くことが増えたからだろうか、ますますわからなくなったような気がする。
だけど一方で思う。
龍穴が閉ざされこの世界へ残ることになったとき幸村さんに信濃に来てくれないかと誘われ、とても嬉しく感じたこと。
岐阜での生活も悪くなかったがやはり幸村さんに会えない日々は寂しかった。
だから岐阜城で会えたときは嬉しかった、
その後も、何度も離れ離れになりそうになったけど、幸村さんの言葉に甘えて彼の行く先々に着いて行っている。
自分の身を守るだけでも大変だろうに、私という足手まといとも言うべきを抱えてまで、幸村さんは私が隣にいることを受け止めてくれる。
彼に返せることはほとんどないけれど、少しでも幸村さんの役に立てれば嬉しい。
それが私の率直な気持ちだった。
幸村さんも顔の火照りは落ち着いており、私が落ち着いたのを見計らったのか、真っ直ぐに私を見つめてくる。
そして、口を開く。
「姫、私はあなたをお慕いしております」
その言葉を聞くのは初めてだった。
だけど、私は言葉にしてもらわなくても、いつしかそのことを当たり前のように受け止めていたような気もする。
一方で幸村さんに言葉にしてもらってやっとわかった。私も幸村さんのことが「好き」なんだって。
離れたくないという気持ち、支えたいという気持ち、これは彼のことを愛しているという感情だということに。
「私も、です」
気持ちが高ぶっているのか、うまく言葉にならない。
幸村さんはその言葉をどう受け止めたのだろうか。ただ、隣から安心したような吐息が漏れるのが聞こえてきた。
こんなところと言っては失礼かもしれないけど、令和の世に帰ることもなく、幸村さんと一緒にいたいために九度山までついてきた。
彼の方では私の気持ちは透けて見えていたのかもしれない。ただ、私がはっきりと自覚をしていなかったから伝えなかっただけで。でも、やっぱり私と同様、伝えられたからこそかんじるのものもあるのだろう。
「ありがとうございます」
そっと幸村さんが隣に寄り添い、私を抱き寄せてきた。
九度山の冬は寒い。そして、風も冷たい。
だけど、そこに射す光は眩しく感じた。