……僕の隣の席には、魔法使いがいる。
そう言うと、語弊があるかもしれないし、妄想乙!と笑われるかもしれないけど。
それくらい彼はクレバーでミステリアスで。
ふわふわと、不思議な雰囲気のひとだった。
社交的で話し上手で人気者で。
授業中は、いつも手元でなにか他のことをしていて、授業はどこ吹く風。欠席も割と多かったが、それでも成績はいつも上位で。
先生からの評価も上々。
誰とでも上手く付き合うけれど、誰にも踏み込ませない。
誰も、彼のトクベツにはなれない。
皆そう言っていたし、僕もそう思っていた。
ある日。
ふと隣を見ると、彼は教科書を立てて。
手元でトランプを弄んでいた。
ある意味、いつもの光景。
違ったのは、整った横顔をチラチラ見ていたこちらの視線に、彼が気付いたこと。
彼はこちらを向いて微笑むと、スッと人差し指をくちびるの前に持ってきて、声に出さず、しー、と囁くと、また笑った。
6時間目も、終わりに差し掛かって。
グラウンドからの西陽が、そのひそやかな表情を照らした。
ごくん、と無意識に唾を呑む。
喉がカラカラに渇いて。心臓が、割れそうなほどに早鐘を打った。顔が熱くて、思考がドロドロになる。
そんなこちらの動揺も知らぬげに、彼は、手元に視線を戻すと、何事もなかったかのように、またカードを切り始めた。
その日以来、自然と彼を目で追うようになった。あまりに視線を注ぐものだから、気味悪く思われていないか不安だったが、当の彼は全く気に留めた様子もなく。
いつも通り、人当たりの良い笑顔を向けてきていた。
けれど、ある日を境に。がらりと彼の雰囲気が変わった。
どこか作り物の風情があった彼は、いつのまにか血の通ったニンゲンになっていった。
彼は誰でも受け入れるけれど、誰のものにもならない。(だから、僕のものにならない代わりに、特定の誰かのものになることはない)
なんて。思いを告げることもなく、認識すらされていない自分を慰める、ただの言い訳だった。何の保証もない。
実際に、彼は何かに、あるいは誰かに出会って、変えられてしまったのだ。
彼を変えたのはなんなのか。
未練がましい気はしたが、どうしても知りたくて色々調べて回った。
これでは、ストーカーみたいなものだ。
自嘲気味にそう思ったが、それでも知りたい気持ちに蓋をすることはできなかった。
そうして嗅ぎ回った結果、彼は現在、一級下の科学部部長にご執心であるとの噂を耳にした。なんでも、高校生ながら先生も舌を巻くような、超高校級の天才児らしい。
科学者=マッドサイエンティスト、なんて貧困な想像力しかない僕は、彼がその下級生に騙されているんじゃないか、などと、また誰目線かわからない妄想に逃げ込んだ。
そもそも、彼を騙せるレベルの知恵者なら、自分などが到底敵うはずもない。
まるでルーチンワークのように、そんな結論に落ち着いた。
それから数日が経過して。
かたん、と軽やかに席を立ち上がる気配に顔を上げると、教室の入り口に白衣を着た見慣れない男がいた。身長は、彼とそう変わらない。特徴的なペールグリーンの髪をした、端正な顔立ちの男だった。……とにかく、顔がいい。あんなやつ、このクラスにいただろうかと訝しんでいると、ぱたぱたと小走りに、彼がそちらに駆けて行った。
「 ………………!…………、…………♬ 」
会話の内容は全く聞こえなかったけれど、わかった。わかってしまった。
……あれが、彼を変えた男なのだ。
彼は、見たこともないような笑顔を浮かべて、頬まで染めて、キラキラした目で白衣の男を見つめていた。
────……そうして、告白するどころかたった一言を交わす勇気すら出せないまま、僕の初恋は終わった。
初恋泥棒の彼は、それからも教室で顔を合わせるたび、目に見えて変わっていった。
よりわかりやすく言えば、キレイになった。
以前の、どこか作り物めいた硬質な美しさではなく、角の取れた、やわらかな表情が垣間見えるようになった。
それだけ、日々彼の中であの男の存在が大きくなっているのだと思うと、失恋はとうに確定していたと言うのに嫉妬で気が狂いそうだった。僕が知らない間に彼の心を奪ってしまった男は、自分がいかに幸運であるかなど知らぬげでいつも淡々としている。
僕があの男の立場なら、舞い上がって、彼のためにどんなことでもしただろうし、どんなお願いも聞いただろう。
けれど、あの男は今の幸運を喜ぶどころか、当たり前のような顔で彼のそばにいて。
彼に笑顔を向けられている。
許しがたいと思った。
……わかっている。これは八つ当たりだ。
けれど、どうしても諦めがつかなくて。
ある日の放課後、部活生の影もまばらになって来た頃に、最近彼が入り浸っていると言う科学準備室の前まで行った。中庭の生垣を超えたあたりに、ちょうど中の様子を伺えるスポットがあることはすでに調べて知っていた。
生垣を抜け、こっそり窓から中を覗き込むと、彼の後ろ姿が見えた。
髪の隙間から覗く、白いうなじと、やや肌蹴られた黒の学ラン、彼を抱きしめる白衣の腕のコントラストが妙に鮮やかだ。
彼の腕も、白衣の男の背に回されていて。
……二人は、乱れた着衣でキスをしていた。
頭を殴られたような衝撃で、目を逸らすこともできない。
男はそのまま、彼の首筋に顔を埋めて。
そこに、あかい痕を残した。
そうして、赤く染まった耳になにごとかを囁いたようだった。
ぱさりと軽い音を立てて、学ランの上着が床に落ちる。……なぜそんな細かい音まで聞こえてしまっているのかはわからない。
普段はかっちりした学ランの下に隠れて見えることのない、真っ白なカッターシャツがなんだか艶かしかった。
男は彼を片腕で抱きしめたまま、器用にシャツを緩めていく。……これは、まさか。
唾をごくりと呑み込んで前のめりになったところで。
……男と目が合った。
炎を思わせる真っ赤な目は、こちらを捉えると、ちりちりと炙るように凝視する。
そうして、整った眉が不快げに顰められた。
……やはり、この男は顔が良い。
などとどうでも良いことが脳裏を掠める。
間をおかず、男は羽織っていた白衣ですっぽりと彼の姿を覆い隠して。
そのまま、空いた手を伸ばすと、シャッと大きな音を立ててブラインドを降ろした。
窓の隙間からは、時折彼の吐息混じりの声が聞こえて。
……今度こそ、完膚なきまでに僕の初恋は粉砕された。