クロロレワンドロワンライ第32回「薬」「臆病者の手下がよくここまで入り込めたもんだな。褒めてやるよ」
カリードは自ら捕らえた密偵が隠し持っていた手紙を目の前で広げた。この手紙はある意味自分が長年求めていた薬だ。母ティアナに向けて書かれた密書にはリーガン家を断絶の危機から救えるのはお前が生んだ息子だけだ、と書かれている。
「俺の為人を確認してから母さんに渡すつもりだったのに気の毒だな」
怪しげな動きをする女官が母の命を狙っていると思い込んだカリードは容赦なく、だが死なない程度に薬草図鑑の角で頭を殴った。文鎮がわりにしている紫水晶の塊程度では昏倒しないと判断したからだ。猿轡を噛ませ飛竜の頭絡に使う革帯で手足の自由を奪って絨毯の上に転がしてから手製の気付け薬を嗅がせ今に至る。
「ああ、これを言うのを忘れてた。騒がないなら外してやるぜ?」
拘束を解かれた密偵は乱れた服装を整えるとカリードの部屋を去った。この身に流れる血を利用してパルミラと国境を接しているレスター諸侯同盟を乗っ取ることが出来ればどんな薬湯や煎じ薬を飲んでも治らない息苦しさが解消されるのだろうか。
まだ小さかった頃、異母兄弟たちに寄ってたかって痛めつけられた時に一番辛かったのは身体を押さえつけられ上から跨られることだった。腹と胸の境に太った兄が跨ると首を絞められた時と同じくらい息が苦しくなるのは何故なのか。首を絞めたわけでもないのに大袈裟だと嘲笑う声に言い返す余裕もなく忌み嫌われた緑の瞳から涙をこぼしていた。選べたならこいつらの兄弟になど生まれていない。
死の淵で求めた答えを探すため母に咎められても毒物や人体解剖に関する本を読み漁りカリードは横隔膜の存在を知った。横隔膜が動かせないと肺も動かず空気を吸うことも吐くことも出来なくなる。
カリードは密偵の手足を拘束していた革帯が絡まないように軽く束ねそこらに放り出すと母の部屋に向かった。母の部屋に至る長い廊下には等間隔で様々な陶器が飾ってある。瞳と飾りに本物の紅玉を使った白い飛竜の人形がカリードのお気に入りだ。鱗の一枚一枚が精巧に再現されている。
扉を叩くと入りなさい、という母の声が聞こえた。向こうから捻る感触があったが思い切って把手を回す。召使がいたら例の件について話し合うことはできない。だがカリードは賭けに勝った。すでに人払いをすませた母が自ら扉を開けたのだ。
「話が早くて助かるな」
「片田舎と馬鹿にしてかかると火傷するわ。本気で取り組むつもりなの?」
緑の瞳と緑の瞳から放たれた視線が空中でぶつかる。
「息が苦しいんだよ。これ以上こんなところに居たくない」
先にため息をついて視線を逸らしたのは母ティアナの方だった。母もまた故郷に同じ思いを抱いてフォドラの喉元を越えている。
「訛りや行儀作法の矯正が終わるまで外に出られないと思いなさい」
「すぐに覚えるさ」
カリードは大きく伸びをした。これまでにないくらい気持ちよく背や腕を伸ばせた気がする。
「気を付けておいた方がいいことってあるか?」
「グロスタール家の者に気をつけなさい。円卓会議で意見が一致したことがないわ」
「パルミラ軍が攻め込まなかったらレスター諸侯同盟は簡単に瓦解してたかもな」
カリードがまぜっ返すとティアナが嗜めるように白い指で褐色の手の甲をつねった。
「どんな奴らなんだ?」
「そうね、本家の者たちは皆背がとても高くて私より色が白くて髪と瞳が紫よ」
母より肌が白い者をカリードは見たことがない。それにパルミラの者は皆、髪が黒いのだ。紫色の髪と言われても全く想像がつかない。
「髪や瞳が紫?珍しいな」
「カリード、あなたそんなことで驚いていては駄目よ。薄紅色や水色の人も珍しくないのだから」
文鎮代わりに使っている紫水晶の塊を見る目が変わりそうだった。