【鶴清】大遅刻バレンタイン2024 手のひらに載るほど小さな箱にかけられたリボンを解いて蓋を開けると、これまた小さなチョコレートが四粒入っていた。それぞれ色や形が違う。同封されていたカードとチョコレートとを見比べて、俺はとりあえず左上の丸っこい粒を口に放り込んだ。
「……ふむ」
そして思わず目を瞠った。ほろ苦いそれは舌の上でたちまち溶けていく。なるほど、これは美味い。活気に引き寄せられてふらりと入った店だったが、大枚はたいて買った甲斐があったというものだ。
そう、最初は全くの興味本位で。ただ見物に来ただけのつもりだったのだけれど。
黒い箱にかけられたリボンの赤や箔押しされた図案の、主張しすぎず、それでいて華やかなこの商品が目に留まり、どうも立ち去る気になれなくて結局買ってしまったのだった。
まったく、爺が何やってんだか。
なんて思うと嘲笑ものだが、いやいや、菓子として想像以上に上質だったし、それにこれは違うのだ。別に俺の趣味というわけではなくて、本当に偶然も偶然、驚きの不可抗力で。
——本丸一のお洒落さんが頭をよぎってしまったから。
加州清光。黒檀に紅の差し色がよく映える、身繕いにも鍛錬にも一切妥協しない見上げた子だ。だが俺としては、もうちょっと気を緩めてもいいのではないかと思う。いつだったか遠目に欠伸を目撃したことがあったが、あんな仔猫みたいなの、別に隠さなくてもいいのに。
ともかく、だからチョコレートの包装に惹かれたのも仕方ないことだろう。
続いて口に入れた一粒をじっくりと味わっていると、不意に遠くから足音が聞こえた。
咄嗟に動きを止めて耳を澄ます。
これといって特徴があるわけではないが、最近判別できるようになったあの足音は。
俺はそろりと襖を開けてみた。やっぱり加州だ。
足音はだんだん近付いてくる。それならせっかくの機会だ。ちょっと驚かせてやろうと待ち構えて——
「鶴丸さーん、いる?」
どこか気怠げなあの声がすると同時にスパンと勢いよく襖を開け放った。
「うわ!?」
「何だい?」
呼ばれたので来ましたよ、というていで、しれっと返事する。「びっくりするじゃん!」と怒った加州に「すまんすまん」などと謝ると、加州はやがて溜息をついて用件を告げた。
「主から伝言。こないだ出してくれた遠征の報告書、なんか気になるとこがあったから後で来てー、って」
「遠征の?」
「ちょっとしたことみたいだけどね。怒られはしなさそう」
「そうか? 承知した。わざわざすまんな」
「いーえ。じゃ、よろしくね」
任務を果たした加州はあっさりと踵を返す。
——のを、俺は「ちょっと待った!」と引き止めた。
「えっ、何?」
「いいものがあるんだ」
「いいもの?」
不思議そうに首を傾げる加州をよそに俺は部屋の奥に戻り、こいこいと手招きした。加州は戸惑いながらも「お邪魔しまーす……?」と敷居を跨ぎ、傍にちょこんとしゃがむ。
「よかったら食べていってくれ」
俺はチョコレートの箱を手に取って、目の前で蓋を開けてみせた。
それを加州はしげしげと眺めていたが、すぐにギョッとした。
「えっ待ってこれとんでもなく高いやつじゃん!」
「おひとつどうぞ。お裾分けだ」
「いや四分の一を俺にって勿体な……、ていうか貰い物なんじゃないの?」
「まさか。ちょこれーとだってきみに食べられたがってるぜ? 遠慮はご無用さ」
別にチョコレートの声が聞こえるわけではないが。
加州はあからさまに訝しんでいたが、ついに「……じゃあ、お言葉に甘えて」と受け入れてくれた。
「そうこなくっちゃな!」
俺はさっそく意気揚々と箱を差し出し、どちらがいいか尋ねた。
「うーん……」
悩んだ末に加州が選んだのはハート形のチョコレートだった。可愛い、と控え目にはにかむ。
「ほんとにいいの?」
「勿論だとも」
ニッコリと笑いかける俺になぜだか少々気圧されたようで、加州は毒物を取り扱っているかと思うほど慎重にチョコレートをつまむと、恐る恐る口に運んだ。
口元を手で隠したので見えないが、おそらく舌の上で転がし。
みるみるうちに、こわばっていた表情が綻んで、いとけなく瞬きをした。
「ん!」
驚いたように小さく声を上げて加州は俺の方に顔を向ける。
バッチリと視線が合って何か訴えたげに急いで咀嚼を始める加州に「ゆっくりでいいぜ」などと言いながら、俺は早く喋りたいのと味わいたいのとの狭間で揺れているらしい様子を見守った。
ややあって、加州はこくんと飲み込むや否や言った。
「美味しい!」
「だろう? お気に召したかい」
「ええと、中に……ラズベリーかな、ソースが入ってて、うわ、めちゃくちゃ美味しい……」
頬を染めながら余韻に浸る加州の柘榴色の瞳は、驚くほどキラキラして見える。
これだ、これ。
おすまし顔が綻ぶ瞬間。
こういうのはいくらあってもいい。俺も思わず頬が緩んだ。
「でも意外。鶴丸さん、チョコなんか買うんだ」
「買ったのは初めてだ。やたら賑わっていたから、どんなものか気になってな」
「へー。鶴丸さんぽい」
加州は可笑しそうに笑う。
「ぽいって何だい」
つられて俺も笑い出したら、何だか酔ったように身体がふわふわしてきた。そういえば、こんなふうに二人きりになったのは初めてかもしれない。しかし案外悪くないもんだ、この空気を独り占めできるというのは。
じわりと広がってきた暖かさを噛み締めている俺をよそに、
「ごちそうさまでした!」
加州は小さく手を合わせた。
「なんだ、もう行ってしまうのかい? こっちも食べていいぜ」
「さすがにそんな貰えないよー。せっかく自分用に買ったんだからさ。絶対おいしいよ?」
「それはそうだが……」
もちろん、美味いだろうことは分かっている。だが俺は、最後の一粒の味よりもっと気になるものがあって。
「いっこで充分満足。ありがとね」
しかしそう言って微笑まれてしまったら、更に引き留めるのは不自然すぎた。
「どういたしまして。……またいつでも遊びに来てくれ」
名残惜しさは伝わっただろうか。
静かになった部屋にまた独り。元に戻っただけなのに、ぽっかり穴があいたような気がする。俺はポツンと残されたチョコレートを見下ろした。
「……明日にするか」
そっと蓋をする。再びリボンをかけながら、さっきの気持ちを反芻した。
身体にポッと火が灯ったかのようで、なんだか胸の辺りがうずうずした。気心知れた誰かにとっては、あんなふうに感情を顕にしているあの子も珍しくないのだろうか。いいなあ、とさえ思う。
「加州の分も買えばよかったな……」
何気なく呟いて、いやいやいやと頭を振る。そもそもこれは興味本位で偶然店に入って偶然見つけただけで。あくまで自分用で。購入に至ったのも偶然加州を思い出したからで、
——もしかして、ちょっと苦しいか、これ。
菓子を贈る行事が来月にもあると俺が認識したのは、この翌日のことだ。