腕「――眠ったと思ってもすぐに起きるんだ。こんなにずっと泣くなんて知らなかったよ。腕がもっと必要だと思った。父さんみたいに」
「お前も赤子の時はさんざん泣いたな。残念だが、六本あっても足りなかったぞ。そりゃあ、大変だった」
「そうなの?覚えてないよ」
「そうだろうなあ。こんなに小さかったからな。魔物たちとみんなで、寄ってたかって世話をしたものだよ」
横に座った父は、顎の骨をかつかつと鳴らして笑う。ああ、子どものときと同じ、あの懐かしい声だ。何度も話しかけるたびに笑って「そうか」と聞いてくれた、優しい声。話していると、幼い時のような喋り方になってしまうのが自分でもおかしかった。
まだ話したいことがたくさんあった気がする。ここに来るまでに、長い、長い時間が経ってしまったから。
でも、もう行かないといけない。立ち上がって振り返ると、あの時と同じ顔で父は笑った。
「……話しができて嬉しかった。父さん」
「ワシもだ。……さあ、もう戻りなさい」
「また、会える?」
父は静かに微笑んで、しかしはっきりと首を振った。
「消えたものは戻らない。これはお前の夢だよ。ヒュンケル」
そう、これは夢だ。ふと眠ってしまって、思い出の中の父と話しているだけ。
もう会えない、それは分かっていた。
「ほら、待っているぞ。行きなさい」
「――うん」
父の手がそっと背中を押す。血肉を持たぬ骨の手の触れる固さも、遠い昔の記憶と同じ。
でも、冷たいはずのその手は、なぜか温かい気がした。
***
雲の中のような白いもやに囲まれた中から、ふわりと意識が浮上する。
目を開けて、視界に映ったのは木造りの天井。自分のいる場所がどこか、一瞬分からなくなって瞬きを二、三度繰り返す。
何か夢を見ていたような気がしたが、その輪郭は捉えようとしても端から霞のように散ってしまってもう思い出せなかった。でも、とても懐かしくて、優しい夢を見ていた気がする。
「……寝ていたのか……」
背中が不思議に温かかった。窓から見える陽を見ても、眠ってからそれほど時間も経っていない。仮眠のつもりだったが、そんなに深く寝入ってしまったのだろうか。
不思議に思っていると、扉の向こうから――ああ、ふああ、とぐずるような泣き声が聞こえた。
***
ドアを開けると、寝台に並んで座っていたマァムとレイラがあら、とそろって顔を上げた。
「まだ寝てていいのに」
「大丈夫だ。お前こそ、ずっと寝ていないだろう。代わろう」
寝不足で少し青白い顔をして、それでもいつものように屈託なく微笑むマァムの腕の中から、小さい小さい手がひょこりとのぞく。
「今お腹がいっぱいになったところよ。元気いっぱいねえ」
寝てちょうだい、とおどけた調子でマァムの横に座るレイラがそのふくふくと柔らかい頬をつつく。
「ばう」
答えるように溢れでた、まだ言葉にならぬ柔らかな声にレイラとマァムは顔を見合わせて微笑んだ。
「お返事したわ!」
「きっとね、『寝ないぞ』って言ってるのよ」
「……それは困ったな」
手を差し伸べると、座って並ぶ母娘と同じ面差しの、栗色の瞳がぱちりと瞬く。
「――おいで」
ヒュンケルが抱き上げると、愛し子は不満そうに喉を鳴らしたあと、ふああ、と大きな声で泣き出した。