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    のくたの諸々倉庫

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    POIPOI 57

    「俺たちだけのかみさま」/転生話。死ネタなど含みます(+時事ネタ)

    後で色々修正して支部に上げるやもしれません。何でも許せる方のみどうぞ。

    #鍾タル
    zhongchi

    その男はただ、岩のように目を閉じていた。
    「……ねえ、お兄さん大丈夫? 生きてる、よね」
     その様子を見かねてか、声をかけたのは茶髪の青年だ。腕組みをして道端に1人、微動だにしなかった男の目がゆるり、と開かれる。
    「ああ、生きているぞ」
    「よかった、さすがに立ったまま死んでる……なんてことはないと思ったけどさ」
    「……ふむ、お前はひとつ、失くしものをしているな?」
    「へ……」
     言われて青年は、深海の瞳をひとつまたたく。どうして、とこぼれたその言葉が、続く理由で問いになるのを待つ間──男こと鍾離はふと、とあることを思いついた。
    「よく分かったね、お兄さん。俺この辺りについては詳しくないんだけどさ、どうしてかずっと……うん、それこそ生まれてからずっと、ここに大事なものを落としたような気がしてて」
    「そうか、ならば俺も……お前と一緒に探し物をしよう」
     言うなり鍾離の体から、ふわりと光が浮かんでは消え──青い瞳の青年が呆然と見守る中、それらが全て宙に消えてから、「それでは行くぞ」と背を向けた。
    「……お兄さん、今の何?」
    「鍾離だ。大したもの……ではあったが、俺が持っていると不公平になるものだな」
    「はは、何それ。俺が探し物するだけなのに、不公平とかある?」
    「ああ、俺ばかりが抱えて重くなったのだから……まあ、しばらく泳がせておくのも良いだろう」
     言うなり歩き出した鍾離を、追うべきか少し悩んだ。青年は鍾離のことを何ひとつ知らないが、どうしてか隣にいるとひどく安心する上に──「ついて行け」と自らの本能が叫んでいる。
     こんなことは初めてだった。故に少し、怖いとすら思う。
     青年が話したことに偽りはなかった。この璃月の地を踏んだことすらないというのに、いつからかずっと、罪悪感が身を焦がしている。
     ……きっとその全てを知っているわけではないだろうが、それを鍾離に言い当てられたことが怖い。何か裏があるんじゃないか、とすら思うけれど、生来自分の勘はいい方だと自覚していた。
    「……俺はタルタリヤ。ねえ鍾離さん、歩くの速くない……⁉︎」
     だから折衷案として、偽名と共について行くことに決めた。その名に前を歩く鍾離が、ほんの少しだけ目を伏せたのを悟ることはできなかったが。


     最終目的地を璃月港と定め、そうして2人の旅は始まった。
    「だがタルタリヤ、お前はどうして石門から璃月港を目指す? 港というくらいだ、船やワープで訪れた方が余程早いだろうに」
    「んー、なんでだろうなー……? 俺がここに来た理由ってさ、ほんとに漠然としてて……それならせっかくだし、ぐるっと見て回ろうかなと思った、ってとこかなあ」
     旅の都合でしばらくモンドにいたのだというタルタリヤは、風のような気楽さもなかなか気に入ってるけど、と鍾離に笑みを向ける。
    「やっぱ俺、ある程度の縛りとか責任が欲しい方かもなって思って。いっそのこと誰かに仕えてみるのも手かな、鍾離さんいいとこの人っぽいし……俺が失くしもの見つけるまで雇う気はない?」
    「随分と信頼されたものだな……俺が明かしたものといえば名前くらいだ、それも偽名かもしれないというのに」
    「そうなんだよね、でもなんでか分からないけど……鍾離さんってこう、嘘とか苦手なタイプでしょ。そんな気がする」
    「……さて、どうだろうな?」
    「うわー、なんかごまかされた!」
     とりあえずの目的地を望舒旅館と定め、並んで歩く時間はタルタリヤにとって好ましいものだった。理由はよく分からないのに、鍾離の笑みは彼にべったりと染み付いた罪の意識を──誰に向けたものかすら分からないそれを、静かに洗い流してくれるようなもので。
     だがそれを口にするのは、あまり賢くないだろうとタルタリヤは目を伏せる。だって重すぎるだろう。漠然とではあるにしろ、この旅の目的のうちにあなたが含まれている気がしている、なんて。
     そもそも明確な理由も分からないまま、自分は旅を続けているというのに。初対面の男に何を考えてるんだ、なんて自重の笑みを浮かべて。
    「   」
    「……え?」
     隣の彼が、何かを呟いたことだけは分かった。けれど内容までは聞き取ることができず、思わず顔を上げた先。
    「どうした?」
    「……今、俺のこと呼んだ?」
     きょとんとした顔で見つめられて、口をついたのはそんな言葉だった。鍾離が一瞬、迷うように目を泳がせた理由など知らない。それでも今、自分は大切なことを聞き取れなかったのでは、と吐き気にも似た不安が広がる。
    「……いや、聞き違いだろう。昔の友のことを、考えていたんだ」
     天気は良い。風だって穏やかで、近くを流れる川は鏡のように凪いでいる。そんな中で、鍾離はあたたかな日差しを受け──長くきれいな髪を静かに揺らしていた。
     その笑みがひどく美しい理由など、やっぱり自分は知らないけれど。刹那胸中を占めた不安は、その笑顔を前にして無力だった。
    「俺にはたくさんの友がいてな。皆先に逝ってしまったが……いずれまた巡り会うことができる、だから待つことにした」
     そこにあるのは確信だけだ。悲壮感などひとつも漂わせることなく、空を見上げる鍾離の目にはしかし、たくさんの悲しみが映ったのだろうとタルタリヤは思う。
    「……そのお友達がどんな姿になっても、鍾離さんはきっとその人だって分かるんだろうね」
    「そうだな、どのような姿形であれ……再会は喜ばしいものだからな。再び話ができるという点で言えば、人間として再会できるのが好ましいが贅沢は言わない」
    「神様みたいなこと言うね、鍾離さんは」
    「そう聞こえるか?」
    「うーん、半分くらいはね。鍾離さんまだ若いように見えるからさ、ちょっと不思議な感じだなって」
     肩の荷物を背負い直す。手荷物らしきものを何ひとつ持っていないというのに、鍾離の自宅は璃月港にあるらしい。加えて見た目とのギャップを感じさせる言動だ、不思議なものだとタルタリヤは笑う。
    「……言っておくがモラは持っているぞ」
    「なんでさ、今それ心配してないよ」
     だから鍾離が取り出した財布の紐に、ひっそりと結ばれていた指輪すら、タルタリヤにとっては「大切な人がいたんだろうなあ」程度だったけれど。
    「……お前の失くしものが、早く見つかるといいな」
     鍾離がそれをそっと隠したことに関しては、少しだけ唇を尖らせたい気分になった。相変わらず理由は、知らない。


     タルタリヤは昔から、あまり夢見は良くない方だ。件の罪悪感も影響している──というよりは、その夢によってそれが増幅しているのだが、ともあれその夢は世間一般の言う悪夢とはまた少し違うものである。
     ──高い山の上、世界を見下ろす夢を見る。隣にはいつも誰かがいるが、顔はぼんやりと霞がかっていて確認することができない。
     性別すら分からないその「誰か」に、タルタリヤは深く愛されているのだと初めて夢を見た日から知っている。顎をすくわれキスをされるのも心地いい。けれど悲しいことに、己の足は腱が切れていることも知っていた。
     普段は何故か浮くことができるので、移動に関して不便はない。顔の見えない相手が悲しそうに、とても悲しそうにその場所を撫でるので、仕方なかったんだよと笑うのがいつものことだった。
     だからいつも、タルタリヤは相手を喜ばせようと様々なことを試みる。相手は表情こそ分からないが笑ってくれているのが分かるから、とても幸せな気分で夢から覚めることができるけれど。
     朝起きるといつも不安になる。どうして自分は今、その「誰か」の隣にいないのだろう、と。
    「……おかしいよね、多分その相手は……俺の自由を奪ったやつだろうにさ。
     押しつぶされそうなほど、悲しくなるんだ。小さい頃はごめんなさいって泣きながら、目を覚ましたことだって少なくない」
     望舒旅館にたどり着き、食事や湯浴みなどを済ませ──2人は今、並んで夜風に当たっている。
    「……タルタリヤは、夢の中の御仁を愛しているのだな」
    「えっ」
     なんでそうなるのさ、と慌てた様子のタルタリヤを、見つめる鍾離はどこか満足気で。けれど一度伏せた目を開いた鍾離は、「だがどうして、それが璃月につながる?」といつもの凛とした表情に戻っていた。
    「調べたんだけどさ、どうもその山、璃月特産の……なんだっけ、清心とか石珀とかがあった気がするんだよね。まあ夢の中のことだし、整合性を求める方が間違ってるとは思うんだけど」
    「なるほど、それで璃月の地を踏んだ感想はどうだ?」
    「んー、多分合ってる……と、思う。
     なんかやけにさ、しっくりくるんだ。知らないのに全部、知ってる感じがする。箸の使い方だって知らないはずなのに、なんでかちょっと練習したら使えたしさ」
     だから、と。まだここから見えることのない、璃月港の方角に目を向けて──タルタリヤは「それ」を口にする。
    「探してるんだろうね、その夢に出てくるひとを」
     言いながらも、鍾離がその人ではないかと揺れる心は確かに存在していた。ここで鍾離が動揺するならば、と鎌掛けも兼ねたその言葉に、鍾離の返答はただ平坦だった。
    「……だが山ではなく、なぜ璃月港に、その人物がいると思った?」
     まだ答えの出せるリアクションではない、と思いつつ、相手が死んでいる可能性を示さないことに、タルタリヤは内心ほくそ笑んだ。そしてそれが少しばかり、顔に出たことには気付かない。
    「勘がいいからね、俺は」
     きっと見つけてみせるよ、と紡いだ唇を、鍾離はじっと見つめている。タルタリヤにはまだ、その意図を知ることはできないけれど。
     雲間から月がのぞく。月光にハッとするように、あるいは怯えるように、顔を上げた鍾離とタルタリヤの視線が絡んだ。
    「多分しばらく、璃月に住むよ。俺のこと雇うっての、結構真剣に考えてほしかったり」
    「雇って、何をすればいい」
    「なんでもやるよ、掃除も料理もできるつもりだ。喧嘩にもそこそこ自信があるからね、用心棒とかそういうのでもいい」
     ね、だからそばに置いてよ。そう言って一歩、距離を詰めたタルタリヤに、鍾離はたじろぐ様子もなく。まっすぐ向けられたままの視線に、いっそタルタリヤの方がひるみそうだった。
    「……俺にこだわる理由はないだろう」
    「あるよ、だって鍾離さんは……俺の話を馬鹿にすることなく、聞いてくれたから」
     ここで言い負けてはいけないと、タルタリヤはもう一歩分距離を詰める。鍾離の瞳は揺らがなかった。
    「……とある男の、話をしよう」
     だが音もなく下りた瞼が、石珀の瞳をそっと覆う。
    「男はとても長い時を生きた、璃月の神だった。とある人間を深く愛し、いつかその人間が自分を置いて死ぬことをひどく憂いた。
     そして男は思いつく。人間を自らと同じものにしようと。
     ……だが、その目論見はむなしくも失敗に終わり……結果として男は、自らが愛した人間の首をじわじわと締めていたことに気付く」
     もう一度、鍾離は目を開ける。無数にヒビが入った鉱石のように、その瞳には人間にはない光が宿っていた。
    「人間は死んだ。身体機能を徐々に失い、それでも最後まで笑いながら。
     ……少し考えれば分かることだっただろう、人間の体が……存在を作り替えるための仙術に耐えうるものではないことなど。そんなことすら頭から抜け落ちるほどには……喪いたく、なくて」
    「……鍾離、さん?」
     輝いたままの瞳は、瞳孔がはっきりと開いた上で──目の前の青年ではないものを見ていた。タルタリヤの背に冷たいものが走る。
    「なあ、『公子殿』……お前、なのだろう……?」
     そして鍾離は、タルタリヤの腕を掴む。長い髪がほどけ、不可視の力でふわりと浮いた。
    「……な、なんのことだか分からないよ、鍾離さん……」
    「それでいい、お前がまた……会いに来てくれただけで」
     瞳どころか周囲すらほんのりと光らせて、引かれた腕にタルタリヤは逆らえなかった。あくまで静かな鍾離の声に、誰かが起き出してくることはなく。すがりつくように抱きしめられて、息が止まる。
    「今度こそ、間違えるものか。お前と添い遂げてみせる。
     ……そのためには何を、犠牲にしてでも──」
    「し──鍾離さん、ッ!」
     言う間にも鍾離の体に、土色の鱗や角が現れ始める。タルタリヤにとっては噂程度にしか知らない──加えて既に、死んだものだとばかり聞いていた岩王帝君。まさか本当に、と見開かれた深海に、黄金の月が揺れている。
     このままではまずいことになる、と理解すれども体は動かず、声も出なかった。だがそんなタルタリヤを前に、鍾離は数秒、口を閉ざした後。
    「……やはり、思い出すことはない、か」
     とても悲しげに眉を下げた。まばゆいばかりの光ごと、角と鱗も消し去って、鍾離はタルタリヤを開放する。
    「……すまなかった。頭を冷やしてくる」
     その言葉を最後に、鍾離の姿はかき消えた。



     それから数日待ったものの、鍾離が戻ることはなかった。
    「……どこまで行ったのさ、鍾離さん……」
     ぼやきながら旅館を出て、タルタリヤは空を見上げる。雲ひとつない晴天、と言いたいところだが、ここから見える空はどんよりと曇っていて。
    「……あーもう辛気臭いなあ、俺としてはパーッと……うん、やっぱり派手に色々、さあ」
     うまくまとまらない言葉と共に、足元の石を蹴飛ばした。そして何気なく、それが転がっていった先を見れば。
    「……なに、これ」
     タルタリヤに目を向けられた途端、まるで飼い主を見つけた犬のようにふわふわと飛んできたのは──小さな小さな仙霊だった。
    「きれいな色、してる」
     鍾離の瞳を思わせる、黄金色のそれはタルタリヤにすり寄るようにして漂っている。かわいい子だな、と手を伸ばし、指先で触れたその刹那。

     ──さみしい、よ……

    「ッ!?」
     すすり泣くような声と共に、鍾離の背中がタルタリヤの脳裏に焼き付く。それと同時にぷるぷると、仙霊も小さく震えていて。
    「……泣いてるの?」
     反射で離してしまった手を、もう一度仙霊に触れさせる。そうすれば今度こそはっきりと、先ほどと同じものが見えた。

     ──こうし、どの……すまない、すまない……

     幻影の鍾離は、ぐったりと力の抜けた「誰か」を抱きしめている。見えたわけでもないのに、その「誰か」が自分と同じ顔をしていることをタルタリヤは悟った。
    「……君は、鍾離さんの感情とか記憶とか、そういう……?」
     そっと手を放し、問えば仙霊は頷くように震えた。両の掌を上に向け、おいでと呼べばほんの少しだけ迷った後、仙霊はタルタリヤの掌までやって来る。
    「……そっか。最初に鍾離さんが手放したのって、君のことだったんだね」
     言葉や表情はなくとも、仙霊が申し訳なさそうにしていることだけは分かった。タルタリヤが顔を寄せ、キスをするように唇を触れさせれば──その仙霊はひときわ強く輝いて。
    「……ふふ、照れちゃったかな」
     またしてもぷるぷる震え始めたそれに、タルタリヤは笑みをこぼす。ほんのりと胸の奥があたたかくなると共に、悲痛な声を思い出した。
    「……ねえ、君って仲間はいる? 鍾離さんが最初に飛ばしていった光、少なくとも君だけじゃなかったよね」
     言えば仙霊はうさぎのように、耳のようなものを2本立てた。つまりはあと2体、仲間がいるということで間違いないだろう。
    「……よし、それじゃあ一緒に行こう。仲間の元まで案内してほしいんだ」
     ──自分であり自分ではない「公子」を呼び、泣いていた鍾離を思い出す。今ここにいるタルタリヤには、鍾離が愛した彼の記憶はない。
     それでも、とタルタリヤは前を向いた。知り合って間もなく、そして同時に生まれる前からの付き合いでもあるのだろう鍾離のことを、もっと知りたいと思う。
     感情の読めなかった輝く瞳は、それでも微かに揺れていて。タルタリヤが自分を望んでいるわけではないと気付いた途端、おそらくは過ちを繰り返さぬようにと身を引いた岩神。
     臆病なものだ、と思った。ひっそり惹かれていたのは間違いではないと、知れただけでも大きな進歩だ。
     自らの周りをくるくると飛び回り始めた仙霊に微笑む。そうして先導するように飛んでいくそれを追いかけ、果たしてどれほど走っただろうか。
     体力に自信があるタルタリヤも、さすがに息が切れ始めた頃。黄金の仙霊はふと、何もない平原でその動きを止めた。
    「……ここに、何かあるの?」
     言えばぴょこぴょこと上下に跳ねる。タルタリヤがその真下を雑に掘っていけば、そこには小さな箱が埋まっていた。
    「うわ、っ」
     だがタルタリヤが箱を開けた途端、何かが彼の頬を直撃する。しかし痛みを感じることはなく、見ればそこには古ぼけた指輪と──飛び出してきた桃色の仙霊が入っていたらしく。
    「はは、どうしたの」
     最初に見つけた仙霊と、色以外そっくりのそれは黄金のそれよりも甘えん坊だった。以前鍾離が財布に結んでいた指輪と、よく似たそれを手に取って──もう片方の手で、桃色の仙霊に触れる。

     ──おれのこいごころを、ここにほうむる

    「……鍾離、さん」
     ぴょんぴょんと元気よくなついてくる割に、桃色の仙霊が与えてくれた情報はそれだけだった。そしてこの指輪はきっと、とタルタリヤはそれを握る。
     試しに故郷の方式にのっとり、右手の薬指にはめてみればぴったりとはまった。目印も何もなく、埋められていたそれを見つけ出すのはきっと、仙霊がいなければ不可能だっただろう。
     空中で仲良く戯れる仙霊たちに、集合をかけて「あともうひとり?」と訊けばそれぞれ片耳を立てた。礼を告げて仰いだ空はゆっくりと雲が切れ始めている。
    「……『夢の中』、行くしかなさそうだね」
     呟いて目を閉じた。世界各地に置かれたワープポイントのことを思い出す。先に調べはつけてあった、とある山への転移を念じた途端──
     ひゅう、と風を頬に感じた。目を開ける。
    「……やあ、待ってたよ」
     そうして目の前に浮かんでいたものが、自分と同じ顔をしていたことにはもう驚かない。見えてるかい、と軽薄に笑ったその青年は──鍾離の言う「公子殿」で間違いないだろう。
    「いらっしゃい、未来の俺。残念ながら今の俺は、仙霊を連れてる『タルタリヤ』が現れた時用に声と姿を残した残像だから……一方通行で話させてもらうよ。
     そして君が探しているのはこの子、かな」
     言葉と共に、ぽわんと現れたのは青い仙霊だった。随分と弱っている。ふらふら、よろよろと飛ぶそれをそっと掌に包んで、タルタリヤは青年の残滓に目をやる。
    「君はなんにも知らないだろうけど、俺もね、先生にやられてばっかりじゃあいられないからね。
     ……その子に関しては、鍾離先生じゃなくて俺の記憶が詰まってるよ。見るなら平らな場所で、落ち着いて触ってあげて」
     言葉通りタルタリヤのことは見えていないのだろう。虚空を見つめる青い瞳は、やはり自分とそっくりだと思った。
    「……でもまあ、『君』が望まないなら、その子のことは握りつぶすといい。人生の選択なんてそんなものだよ、せめて後悔しない道を選んでおくれ」
     声と姿が薄れていく。意思の色を失いつつある青年の瞳は、それでもやはり、笑っていたから。
    「……失くしもの、見つけたよ鍾離さん」
     璃月港のワープポイントまで一息に飛ぶ。倒れたならばその時と、黄金と桃色の仙霊を撫でてから──世界に溶けてしまいそうな青い仙霊を、そっと自らの胸に当てた。



     鍾離という男には、いつか人間の恋人がいた。
     喪ったのは自分の落ち度だと知っていた。だから長い時を経て、再び巡り逢えたとき──彼が自分を望まないならば、手放すつもりではいたのだ。
     タルタリヤと名乗った、記憶の中の恋人と同じ姿の青年。どうして偽名まで同じものを使うのだろう、と自宅のベッド上で1人、ぼんやりと宙を見つめる。頭を冷やしてくるなんて言いながら、結局自分は拒絶が怖かっただけだ。
    「……手の届かないところに行ったのではない、俺が手放した、んだ」
     璃月港は変わらない。それでも静かに時は流れた。その間に消えてなくなるどころか、忘れ去るどころか、鍾離の中で膨らみ続けていた想いたちは、今璃月のどこかにいる。
     もうそれらが揃うことはないだろう。いつかと同じことをしないためにと散らしたくせに、離れがたくて一緒に旅をしようだなんて馬鹿な提案をした。
    「その結果がこれ、か」
     落ちぶれたものだと、1人自らをあざける。離れることは決まっていたのだろう。だから諦めるべきなのだ、と。
     鉛のように重い覚悟を、鍾離が呑み下そうとした瞬間だった。
     こん、とベッドに面した窓がノックされる。反射でそちらに目をやり、その時鍾離が浮かべた表情に──返ったのはただ、懐かしい笑顔だった。
    「……ただいま、なのかな」
     背負うのは晴れ空と夕日。慌てて鍵を開けた窓の向こうから、軽い身のこなしで青年は室内に降り立つ。鮮やかなほどの潮風が、よどんだ空気を散らしていった。
    「ごめんね鍾離さん、俺は『公子殿』の記憶を見たけど……そのものには、なれなかったよ」
    「タル、タリヤ」
    「ううん、俺はアヤックス。名前まで、同じだったんだね」
     喉が震えた。彼ではない。それでも今、同じ記憶を有した青年がそこにいた。


     黄金と桃色の仙霊が、アヤックスの手から鍾離に渡り──それらが戻ってきた途端、あふれたものは涙と嗚咽だった。
    「……俺の失くしものは、鍾離さんのことだったんだね」
     あっという間に夜の色へと移り変わる世界に、明かりをつけていない室内は急速に染まっていく。ほろほろ涙として落ちるそれらは、つい先日まで自分の中にあったもののはずだったのに。
    「苦しいね、鍾離さん」
     アヤックスの言葉に、鍾離はただ頷くことしかできない。一度手放したものが、諦めかけた恋情が、今手の届く場所にあるのだ、と。
    「……殺してしまったと、ずっと……申し訳なく、思っていた」
    「はは、公子殿はそれで本望だったみたいだよ。先生に忘れられたくない、ってすごく、見えたし聞こえたし感じたから」
     腕の中のアヤックスは、よしよしと鍾離の背を撫でている。それでも自分が奪ったものは、あまりにも大きかったのだとこぼす鍾離に──「ねえ、鍾離さん」と。
     かけられた声の真剣さに、鍾離は彼の肩に埋めていた顔を上げる。だが直後、その唇にちゅ、と軽いキスが落ちた。
    「また最初から、俺と恋をしてくれませんか」
    「口付けてから、言うのか」
    「ごめん、ちょっと先走った……いやでもさ、いくら俺と公子殿が同じ姿でも、完全に同じじゃないなら『最初から』がいい」
    「……添い遂げることが、できないのにか。お前もまた随分と、残酷なことを言う」
    「……ごめんね、でもそのことがどうしようもなく嬉しいんだって、公子殿も俺も思う」
    「趣味が悪いな」
    「ほんとにね」
     でもさ、と。アヤックスの上げた声が空気に溶けるのを、泣きそうな心地で鍾離は聞いている。
    「帰ってきたときにさ、ただいまって言えるの……こんなに嬉しいんだってすごく思った」
     知ってたはずなのにな、と頬をかくその姿は、鍾離が愛した彼と寸分違わず──けれど決して同じものではない。ああ、それでも。
    「ね、鍾離さん。俺が死ぬたび、悲しい思いをさせるのはほんとに申し訳ない、けど……うん、また何度でも恋をしたい。俺はこれからの生を全て、鍾離さんに捧げたい」
    「……はは、随分と熱烈だな」
    「そうでしょ、でも鍾離さんも多分、負けてないよ」
     言って微笑んだ瞳には、公子とは違い光が灯っていた。そうしてアヤックスは、愛おしき魂はただ、鍾離に初めての笑みを向けて。
    「愛してるんだ。俺たちだけの、優しくて脆いかみさまを」
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    のくたの諸々倉庫

    DONEなるほどそういう地獄もあるか/鍾タル

    ※ないです。
    こんな感じで始まる先生×ショタタルあったら嬉しいなって。死ネタなどご注意ください。
    雨が降っていた。
    「どうせこの命を終えたところで、お前と同じところには行けまい」
     少しばかり、血を流しすぎただろうか。腕の中の痩身は既に、体温を失って微動だにしない。
    「……後悔はない、が……あっけないものだな、公子殿」
     世界が回る。彼を抱えたまま倒れ込み、雨によって流れ、薄められていく血溜まりを見た。
     もはやどちらの血だったかすら分からない。ああ、これが──末路か。
     俺はなかなか悪くない人生だったよ、なんて。わざわざ俺と比べずとも、あまりにも短命な彼の笑顔を思い出した。
    「……お前と生きる未来が、欲しかった」
     今となっては叶わないが、と閉じていく視界の中思った。ようやく死ねる、と思う心よりもそちらの未練の方が大きいのだから、俺も案外単純なものだ。
     ……ああでも互いに、それなりに殺しをした。となれば次に会うのが地獄である可能性も、まだ、どこかに──


    「おはよう先生、今日もいい天気だよ」
    「……ッ!?」
     目を開ける。耳慣れたものよりも少し高い声と共に、全開にされたカーテンから朝日が差し込んできた。
    「……公子殿?」
    「ん、誰それ? ていうか汗びっしょりだよ先生、なんか変 752