zügeln 同じところを回り続ける仕掛けなんて子供騙しだと思う。
この馬は疲れない。相性もないし、機嫌の良し悪しだってない。生き物の温かみもない。そのかわり、木彫りの滑らかな感触と機械の駆動音がする。人間の都合で動いて、止められる馬。その代わりどこへもいけない馬。繋がれて回って、同じ高さで、同じ顔をして。
「もうちょっと楽しそうにしろよ」
「楽しいですよ」
「そうは見えないが…」
「新しい技術ですから、きっとあなたの役に立つでしょう。ただの娯楽でも技術には変わりない」
人間の技術はいつも人を殺すところから新たな段へ進む。この絡繰だってそうだ。無害そうな見た目で、この単純な仕掛けが何から成り立っているかわからない私ではない。人の暮らしはどんどん前へ進む。花形だった騎兵、軍人の誉は文字通り形骸化して、感傷に浸る間も無くただ前へと時代が過ぎる。
「顧問も乗りませんか?」
「正気か?」
「案外悪くありません。技術も必要ない。子供も女性も、誰だって楽しめるでしょう」
「俺は子供でも女性でもない。だがまあ、民衆受けが良さそうならそれでいい。ご苦労だったなヘルムート」
「回転木馬を置くと仰った時は、どういうおつもりかと訝しみましたが」
「政治的事情だ。詳しくは言わん」
配電が落ちる。煌びやかな電飾がゆるやかに色を失う。まるで夢の国だ。掴んだらすぐ見えなくなって、楽しい時間からすぐに終わる。顧問は私に背中を見せて、本当にそれ以上の関心を持たなかった。私を馬に乗せるなど彼らしい配慮だ。そして同じくらい残酷だ。
「軍人の仕事は多岐にわたる。そう実感する毎日だ」
「それは教官としてのご指導ですか?」
「似合わない仕事を担わされてる奴の愚痴だ。忘れてくれ」
「先人のご配慮、痛み入ります」
私は再び回転木馬に繋がれた木作りの馬を撫でた。芦毛のつぶらな目をした、実践であれば到底使えない小ぶりな体躯だった。馬は強い。馬が倒れるときは人が死ぬときだ。自分の通ってきた道のことを考えた。蹄の轍を、背の低い草を。そうして振り返ったとき、「私の馬」しかいなかった日のことを。
「顧問」
ゆっくりと振り向く。大きな背中に触れる前に。その背中の熱を私は知っている。背負うものの重さも、大きさも、下ろすことの難しさも。言語化されないからこそ却って的確に伝わってしまうことは、全て彼の背に教わった。
「いずれあなたにも乗っていただきます。この無益で子供騙しな馬に」
「からかってんのか?」
「そういう世界になればいいと思っただけです」
顧問はすぐには答えなかった。答えない代わりに、私が追いつくまで歩みを止めた。手を繋がない、指一本触れないのに、心ごと抱かれているようだった。
本当に心が繋がれたら、なにもいらないのかもしれない。手綱を引かれた馬より、舞台に貫かれた木馬より、私はずっとこの人の手につながれている。何よりも厄介で、何よりもほどけない、言葉にして告げるのすら生ぬるい「なにか」が、じくじくと私の腹の底に渦巻いていた。
zügeln [動]
(4格) の手綱を引き締める、好き勝手にさせない
(再帰) 自制する
【プログレッシブ独和辞典】