養父尾鯉ボツシーン 唇が触れて、離れる。
「寝るか」
律儀に日課をこなした養父は、性的な雰囲気をかき消すように明るい声を出した。
ふわりと残り香が鼻をくすぐるが、動いた空気によりすぐ霧散した。階段を上がる後ろ姿を黙って見上げる。
待つ条件として求めた「親愛のキス」は毎日の日課となっていた。加えて、追加の要求もなんとか通した。
続いて階段を上がった尾形は、躊躇なく養父の寝室に入り、いつものように水なしで飲める錠剤を服用するところを見せた。鯉登には医師から処方された睡眠導入剤だと言っているが、ビタミン剤とすり替えてある。
睡眠障害については、夏よりは回復したものの治ってはいなかった。なので、服用は続けている。薬が効いて眠りにつくのは服用十五分後である。寝間着のポケットにいれたそれを、後でこっそりタイミングをずらして飲むのだ。
ダブルベッドに上がったが、鯉登は拒まない。早く寝よう、とリモコンで照明を消す。
ラブホテルでの出来事が七月末で、待つと約束したのが九月中旬。寝室のドアに取りつけられた鍵は、結局二か月も使われなかった。
待つ約束をした。それをたてに、また同衾を再開させたのだった。もしくは、睡眠障害の方が大きなファクターだったのかもしれない。「あんたと寝ると悪夢を見ない。途中で起きる回数が減った」と言えば、養父は唇を引き結んだまま頷いたのだった。
「親子」にしてはおかしい行動だが、罪悪感と憐憫に付け入るのは簡単だった。
口づけも同衾も、尾形にとって大した重みはない。この程度の接触によって変わることは何もない。
――が、鯉登にとっては違うだろう。
持久戦でじわじわ抵抗を削ぐ。そのために日々の接触は不可欠だった。
「っ……!」
寝床に入ってしばらく経ち、睡眠導入剤が効いたはずの時分。狸寝入りをしながら寝返りを打つ。横向きになってこちらに背を向けた体に後ろからぴったり添った。
以前まではまるで警戒していなかった獲物が、今日も寝たふりを続けながら身を硬くする。息だけで名前を呼ばれるが、今は寝ている(・・・・)のだから返事をすることはない。
顔を埋め、息を触れさせたうなじがぴくんと動く。
「っ…………は、」
鼻の頭が滑らかな肌にちょんと触れる。感度を増した肌に湿った吐息がかかる。
息がわずかに乱れ、時折体が震えるのが分かる。背中と肌、尻と脚の付け根も接触している。乱暴に後ろから羽交い絞めにして挿れてやりたかった。
数分の根比べの果てに、養父はそうっと体の位置をずらした。生意気にもまた逃げた。
しばらく動かずにいれば、静かに寝返りを打った気配がした。
失った体温を探すように、目を閉じたまま手を動かす。
むに、と手が柔らかい胸に触れた。滑った手の先、爪が服越しに突起をかする。
「ッ~~~~!」
息を呑む音もよく聞こえる。
十秒、数十秒。手を動かさずにいると、鯉登はそっと手をこちらに押しやってきた。
――今日はここまでだ。
数日に一度仕掛ける悪戯にも、もちろん狙いがあった。
再度の寝返りの後、ほんの少しだけ、布が擦れる衣擦れの音が耳に届く。大きく体を動かすのではなく、指を少しだけ、しかしながら連続させた動き。
「っは、っは、っは…………、だめ、だ…………っ」
息だけの声に、背徳がにじむ。息がどんどん荒くなるのが聞こえる。
少しだけ目を開けるが、背中越しでは何も見えない。初めてではないので、何をしているのかはよく分かった。
我慢できずに、自ら胸を触っているのだ。
ぞくぞくと背筋に喜悦が走る。
ここまで淫乱に仕込んだのは俺だ。俺のもんだ。
いますぐ身を起こして本性を暴いてやりたかったが、まだ早い。自ら堕ちてくるように仕向けると決めたのだから。
ごそりと衣擦れの音がして、右手が下半身に伸びる。
「っは、っは………………うぅ、」
やがて、男は手を止めた。
ふーっと息を吐いて、両腕を布団から出す。髪をくしゃりとかき乱す音。
今日も耐えた。
子供の横ではしたなく自慰をするのはさすがにやめたらしい。ベッドを抜け出し手洗いに行ってもおかしくはないが、この数週間に一度もそういうことはなかった。
約束は、もう一つあった。
こちらも我慢するのだから公平性を期すために、と鯉登に課したのは、後ろでの自慰禁止だった。言われた瞬間の顔はなかなか見ものだったが、そんなことするわけなかという早口の言質も得た。
二十四時間の監視はさすがにしていないが、おそらくこの堅物は約束を守っているはずだ。時間をかけて数分でメスイキするようにしつけてやった後膣が、もう二か月絶頂をお預けされている。
――早く、堕ちてこい。この手の中に。
この持久戦はこちらも消耗する。ムラムラする。イライラする。
が、勝つまではやめない。
派手にため息をつきたい気持ちを抑えながら、尾形は音もなく睡眠導入剤を服用した。