無垢を擁いて ――某日、都立呪術高等専門学校所属、虎杖悠仁の秘匿死刑が決行された。
紆余曲折を経て、千年に一度とされた両面宿儺の器――悠仁は、呪いの王にして最凶最悪最上の呪い、両面宿儺の指二十本を無事その身へ納めた。
当初より、悠仁の死刑は両面宿儺の指をすべて取り込ませるまで、という執行猶予だった。
凶悪な呪いをひとつ世から排除出来るならと、呪術界上層部は悠仁の身柄を即座に拘束し、幾重の封を施して処刑の日時まで牢へ幽閉した。
当然、五条悟ら悠仁の知己の面会が許されるわけはなく、五条も悠仁と再会を果たしたのは、死刑執行の日だった。
現呪術界に於いて、最強を謳う五条が、悠仁の死刑執行人だったからだ。
生徒ひとり助けられない無力さに、五条は小刀の呪具を手に、ミイラの如く全身を呪符で拘束される悠仁を前に、言葉を交わす。
「――悠仁、ゴメンね」
「……その声、五条、先生?」
「うん。声、掠れてるね。水も飲ませてもらえないの?」
「ここ入れられてからは、なんもね。声出したのも、久しぶりな気がする」
「そう。最期なのに、こんな扱いで、本当にすまない」
「五条先生が謝ることじゃないじゃん」
「いいや、これは僕が謝るべきことだ。こんなの、縦社会の汚泥でしかないよ」
「先生。責めなくていいよ。それに俺の死刑、最初から決まってたことだし」
「それでも、納得してるわけじゃない」
「俺もそうだけど、もう……呑み込んだ」
「悠仁……。宿儺はどうしてるの? 随分大人しいけど」
「宿儺? いまは静かに、――待ってる」
「あの宿儺が? 待ってるって、死ぬのを?」
「そりゃ、最初めっちゃ暴れてたけど。なんか、俺の未来を寄越せって云うから、いいよって云ったら、大人しくなった」
「未来を寄越せって、宿儺がそう云ったの?」
「うん、そだよ。でもおかしいっしょ? 俺、アイツ道連れに死ぬのに。未来も何も失いのに」
失いものが、慾しいなんて――。
「そういえばさ、伏黒たちは元気?」
「恵も、野薔薇も、悠仁に会いたがってたよ」
「うん。俺も会いたかった。でも……、ゴメン。元気で、長生きしろって云っといて」
「判った。でもそれ、僕にはないわけ?」
「あはは。先生もみんなも、長生きして、元気で。俺たちの後輩、ジャンジャン育ててよ!」
「そのつもりだよ。――悠仁、そろそろだ」
「そっか。……ねぇ、先生」
「何?」
「一撃でさ、お願い出来る?」
「そりゃもちろん♪ 僕だって苦しませずに送ってあげたいからね」
「よろしくおなしゃす!」
「それじゃあ、悠仁。おやすみ――」
「おやすみ、先生」
ドス、と胸へと深く刃が突き立てられ、悠仁は抵抗することなく意識を手放した。
――消えゆく意識の中。誰かに手を握られ、引き寄せられ、抱きしめられたのを、ぼんやりと感じた。
□ ■ □
「よう、虎杖。久しぶり。元気だった?」
「……釘崎、それはなんか違くないか」
「いいのよ。私ら、ここでしかもうコイツに直接会えないんだから。決めてたのよ、そう云ってやろうって」
「そうか」
人体が焼けた臭いが残る収骨室にて、五条を筆頭に、悠仁と同期の伏黒恵、釘崎野薔薇、一学年上の乙骨憂太 、禪院真希、狗巻棘、パンダが顔を揃え、悠仁の収骨を行なおうとしている。
これは、死に際には立ち会わさせられなかった恵たちに、五条がせめてもと、もぎ取った権利だ。第一、両面宿儺を恐れて悠仁の遺体ですら、遠巻きにしている上層部に収骨を任せれば、適当にされるのは目に見えていた。
ならば悼む場と最期の面会を、生徒たちに与えたところでなんら問題はない。もちろん、これは任意での参加なので、強制ではない。姉妹校である京都校の東堂葵も収骨へ参列したいとあったが、任務の都合により、本日は欠席である。
「いくら、すじこ」
「うんうん。それじゃ、始めようか。硝子、手順指導ヨロシク★」
「キミはこの場でも適当だな。……足から順に入れていくから、まずはふたり一組で大きい骨を御骨箸で拾って、橋渡しにしてくれ」
家入の指示で収骨をしていき、下半身が終わる頃、伏黒が怪訝な声を出した。
「なんだ、これ……?」
「恵、どうしたの?」
「これ。この胸と腹の辺りにある骨なんですが……」
崩れた肋に埋もれながら、明らかに違うと判る骨が散乱している。それを家入が御骨箸でひとつ摘み、検分するまでもなくその骨がどの部位か言葉にする。
「これは――指の骨だね」
「指……!?」
「悠仁の指の骨は、ちゃんとここにあるよ」
「しゃけ、しゃけ」
そう指したのはパンダであり、悠仁の手先にはしっかりと十本の指の骨が在る。
「つまり、この指の骨って――」
「両面宿儺の指、だろうね」
悠仁の指の骨とは太さが異なる、両面宿儺の指の骨が、二十本。
その身に収めた呪物の残骸が、確かにここに在ったと主張するように、おそらく心臓が在っただろう場所から胃へかけて残っている。
「どうするんだ。一緒に骨壺に入れるのか?」
しんと静まった場に、真希のきっぱりとした言葉に、骨をじっと見つめていた五条が、人差し指を立て、くるくると円を描くように振る。
「う~ん……。その骨自体には、呪力ないし、一緒に収めちゃっていいんじゃないかな★」
「呪力がない? 五条先生、それホントなんですか?」
「うん。きれーに、なんも感じない。ただの骨だよ、それ」
「ってことは……。虎杖はちゃんと、宿儺のことあの世に引っ張って逝ったんだな――」
感慨深く恵がそう零し、悠仁の頭部を見つめる。そこには虚ばかりの眼孔しかなかったが、恵にはニッカと笑う悠仁の顔が思い浮かんでいる。
「ま! 宿儺の指の骨残してもしょーがないしね。下手に残ってると、また上が煩いし。ここはみんなで共犯ってことで、黙ってよ♪」
ささ、骨を拾っちゃってー、と五条が収骨の続きを促し、生徒たちはまた骨を拾い始める。
「私は賛成よ。五条先生、虎杖の骨って、宮城の虎杖の墓に入れるんでしょ?」
「なんも害意が残ってないって、僕が証明するし。一応封印の札は貼らせてもらうけど、戻してあげるつもりだよ。おじいさんの御骨も在るしね」
「そのほうがいいと思います。虎杖は、強制的にこっちに来てたわけだし」
「すごく、東京満喫してたらしいけどね……」
「だったらさ、みんなの旅行兼ねて、年一くらいに悠仁の墓参りしたらいいんじゃないか? 俺牛タン食べたいし」
「梅、こんぶ、わかめ!」
「ん? 棘はずんだも食べたいのか?」
「しゃけしゃけ!」
「仙台名物って、あと何あったっけ」
「八月に七夕祭りがあるよ。旧暦での七夕だね」
「真希さん、仙台に限らず東北制覇しましょ! もち、交通費は五条先生の奢りで!」
「云うねぇ、野薔薇。まっ、いーけど」
「いいんですか」
「そりゃそんくらいは出せるよ。僕は大人だからね★」
「五条、キミは二十八歳児の間違いだろう」
「硝子、お土産何がいい?」
「そうだね、食事に合う日本酒」
「即答なのが、やっぱ硝子だね!」
「そして訊いといて買って来ないのが、キミだね、五条」
「悠仁の墓参りのときは買って来るよ。そんで一緒に飲もうよ」
「仕方ない。献杯なら付き合ってあげるよ。つまみは私が用意しよう。キミに任せると、ヘンなものを持って来そうだからね」
「そして抜け目ないのが、硝子だよね」
収骨に加わらず、生徒たちに任せる五条は家入と取り止めない話をしつつ、目隠しの下ではじっと生徒たちを見つめている。
「あの……おふたりとも、虎杖くんの遺骨、あと頭部だけなんですが……」
「ああ。ありがとう、伊地知」
遺体と共に焼かれた小銭を拾ったりと、伊地知も参列者たちの補助スタッフとして、悠仁の収骨へ参加していた。生徒たちが拾い集めた骨を壺に収め、最後の頭と首になったところで、五条らへ声を掛けたのだ。
壁から背を離したふたりは、粉と化した骨以外がほぼ残らぬほど、綺麗に拾われた台上を一瞥し、残る頭蓋が崩れないよう丁寧に扱い、そっと骨の頂へ乗せた。
そうして、お終い、と区切りのように骨壺の蓋を閉じた。
□ ■ □
ふ……、と悠仁の意識は浮上した。
瞳を開けて認識したのは、白、という色だった。
「……何処、ここ……?」
茫洋に声を出すも、起き上がろうと思っても身体が重く怠い。白で構成されるこの空間は、明かりもないのに眩しいほどであり、上下左右の感覚はなく、浮いているのか立っているのかさえ判別出来ない。
最期に憶えているのは、闇に覆われたまま、静かに胸に突き刺された刃の、冷たいようで熱い感覚。スッと意識が失くなっていくのは、本当に眠りに落ちる感覚と酷似していた。
俺はいったい何回心臓をぶっ壊されるんだ、と思ったのはいま意識があるからだ。
「起きたか、小僧」
「……すく、な……?」
悠仁の傍らに立ち現れたのは、共に死を迎えた両面宿儺である。宿儺は悠仁を模した姿のままであり、生得領域のときと変わらず、灰白の着物を纏っている。
「ここ、何処? 俺と、オマエ……死んだんじゃ……」
「ああ、死んだとも。ここは死界と生界の狭間の空間、と云えば低能なオマエでも判るか?」
「……三途の、川?」
「そことも違う。あれは既に死界の門だ。――いいか、俺とオマエは、いま真に魂だけの状態だ。肉体は先ほど焼き上がったところだ」
「火葬、されてた……?」
「そういうことだ。身が重く感じるのも、まだ肉体の感覚が残っているからだろうな」
どれ、小僧の最期だ。己の収骨の様でも見せてやろう。
宿儺のやさしさというよりは、悠仁の現世への未練を見せ付けるため、足許へ指を向けると波紋が広がり、やがて小さな池ほどの水面と成り、一体の骨が横たわる一室を映し出した。
「見ろ。これが現世でのお前の成れの果てだ」
「う……っ」
悠仁は重い身を動かし、なんとか上半身だけ起き上がらせ、上下の感覚さえ判らないが、水面がある場所を床として、座る姿勢を取る。
「――あれ、俺またマッパじゃん……」
悠仁は自身の恰好に漸く気付き、傍らの宿儺を寝惚け瞳状態の半眼で見上げると、宿儺はケヒヒと嗤う。
「オマエの身は劫火に焼かれ、骨だけとなった。そのため衣服が失いのだろう。何、どうせここではなんの問題もなかろうよ」
「そりゃ……寒いとかは、ねぇし。いいけど」
「そんな些末なことより、ほれ。始まるようだぞ」
「……あ――」
悠仁が全裸で座る脇には、池ほどになった水面の向こうに、五条らの姿を映し出している。
『よう、虎杖。久しぶり。元気だった?』
『……釘崎、それはなんか違くないか』
『いいのよ。私ら、ここでしかもうコイツに直接会えないんだから。決めてたのよ、そう云ってやろうって』
『そうか』
「釘崎、伏黒……。元気そうで、良かった。先輩たちも……」
皆、大なり小なり怪我の跡が残っているものの、概ね元気そうな姿であることに、悠仁はホッと胸を撫で下ろした。
するとポツリ、水面へ雫が落ちた。
「へ? あ……」
ぽた、ぽたと顎を伝う雫は悠仁の涙であり、何故泣いているのか悠仁自身判らず、慌てて目許を擦る。強く擦ったため眦はすぐに朱くなり、拭っても拭っても涙は零れ落ちる。
別段悲しいわけではない。
皆の無事な姿に安堵したのも確かだ。
だからこの涙は悲しいのではなく、未練が昇華された涙なのだと思った。
しかし涙は一向に止まってくれず、止めようと思ったほうが視界が悪くなる。
なので涙が流れるまま、自身の収骨の光景を悠天井から、水面越しに見つめることにした。
収骨室は、かつて祖父の遺骨を納めたことを思い出す。
その際、悠仁と監視として五条が居たが、本来なら悠仁独りきりであった。
けれどいまは、同級たちがいつもの調子で話しながら、自身の骨を拾ってくれている。これならば、祖父の遺言に反したことにはならないだろうかと、早々墓に入っても怒られはしないだろうと思う。
葬儀という場に於いては、収骨者たちの会話内容が明る過ぎる気もするが、どうせ身内しか居ない場なので、構いはしない。悠仁も、泣きながら骨を拾われるよりは、このくらいの調子のほうが気が楽だった。
「へへ。宿儺、良かったな。みんな、俺たちの墓参りしてくれるって」
「戯け。参られるのはオマエだけだろうが」
「でもほら、オマエの指の骨? も、俺と一緒に収められるみたいだし。いいじゃん、俺たちの墓参りで」
「はぁ。何処までも目出度い頭だな」
呆れ果てた宿儺の言葉に、悠仁はくすくす笑い、収骨されていく様を見守る。
宿儺としては、現世への未練に泣く姿や、気持ち悪がる素振りを期待したのだが、あっさりと受け入れ、収骨者たちの会話内容に喜びさえ見せる。
「本に、奇異な小僧よ」
やがて身体全てが壺に収まり、残すは頭部だけとなり、家入が殊更丁寧に頭蓋と咽喉の骨を壺へ納めてくれた。
「あ……れ? す、くな……、ゴメ……。急に、眠、ぃ……」
骨壺の蓋を閉められたと同時に、急激な眠気に襲われ、瞳を擦るも開けて居られず、悠仁はぐらりと背後へ倒れ込む。その背を抱き止めたのは宿儺であり、涙の跡を残す子どもは健やかな寝息を立て始めた。
「やれ、手の掛かる」
溜息を吐き、宿儺は己の襟巻を外し、悠仁の両手首を縛る。次いで解いた帯で両足首を縛った。最後に、宿儺が纏っていた着物を脱ぐと、悠仁の身に羽織らせ軽く包む。
「では――行くとするか」
準備は整った。宿儺は悠仁を横抱きにして立ち上がり、水面へ見向きもせず背を向けて歩み出す。
『――虎杖――』
『――悠仁――』
不意に、背後の水面から各々が悠仁の名を呼ぶ声があった。それに耳聡く悠仁は眠ったまま反応し、応えようとしてか眉間に皺を寄せる。
「う、……ぅん」
歩みを止めた宿儺は、わずかに水面を振り返り、複眼にて現世の未練共を睥睨する。しかしそれも刹那のことであり、腕の中で唸る子どもをあやす。
「良い良い。寝て居れ、小僧。何も気を遣ることはない。何も気に止めることもない。オマエはただ、俺の腕に抱かれて居れば良い」
「……ン」
宥めるように、宿儺は眠る悠仁へそう囁き、抱く腕の力を強める。そうして、また歩みを果ての見えない白へと進める。
『――虎杖――』
『――悠仁――』
またもや水面からの呼び掛けがあったが、宿儺は振り向く素振りもせず、現世を捨て置いた。
「オマエは俺に、共に死ねと願った。だからオマエの未来を捧げることで成約した。なればこそ、虎杖悠仁は永劫――俺のモノだ」
厭うても、厭いても、何度輪廻ろうとも。
オマエの未来には、俺が存在る。
END