成功かは神のみぞ知る*
火拳のエースと海侠のジンベエを同じ牢に繋ぐことについて、危惧の声がなかった訳ではない。堅牢な鎖に封じられた中で万が一にも起こりようはないが、二人が結託して反乱、脱走を企てたら。
しかしマゼランはその可能性も全て織り込み済みでそうせよと命じた。
エースを守るため、ひいては海軍側の要求を守るために。
地獄の大監獄において、囚人が獄中死するなど日常茶飯事である。責苦に耐えかねて発狂する者などは掃いて捨てるほどいる。
海軍も政府もそれを咎めたことは一度もない。
だがポートガス・D・エースを収監する際は少し様子が違った。
言葉の端々から、この男の死や発狂は許さぬと、厳重に管理せよという圧。聞けばエースの収監は一時的なものであり、近日公開処刑を執行する予定であるという。
海軍がこの若い男をなんの罪状で裁くかはわからないが、公開処刑という刑罰がいかなる意味を持つか知っているマゼランは重々しく了解の意を返した。
この男が死を迎える時、裁く者と裁かれる者の立場は一目瞭然でなくてはならない。情け深い民衆の目にさえ、まちがいなく正義と悪として映っていなければならない。
民衆とは善良であるが、時に心弱く迷い多き存在である。例えば、処刑台の上の罪人がか細く泣いていればそれだけで同情を抱いてしまうし、気がふれて苦しんでいれば海軍や政府のやり方に疑問を感じてしまうこともある。特にまだ若い罪人の場合は。
そうあってはならない。公開処刑の場に立つ罪人は正気を保って堂々としていなければならない。
エースはマゼランや他の看守の多くが名を知っているほどの有名な海賊だ。名に恥じぬ強健さで大監獄の洗礼に耐えた。それどころか今すぐ自分を殺せと暴れる始末で、仕方なく体力を奪うために鞭を打った。それでも骨ひとつ折れることなく鋭い目線で看守を睨みつける様は公開処刑に処されるに足る凶暴さをマゼランに感じさせた。
エースはLEVEL6へ投獄すると決まった。そうすべき重要な罪人であると判断したからだ。
それに少なくともあそこは肉体への直接的な危険は少ない。永遠の退屈と拘束が広がる深部。決して死なせてはならない罪人を投獄するにあたって、この監獄で最も閉ざされた場である無間地獄がふさわしいとはおかしな話だった。
しかしこれ以上この男の心身をすり減らしては沽券に関わる。
マゼランに取り押さえられてからは無言で俯くばかりの青年を乗せて、リフトは最新部へと向かった。
エースがそこへ足を踏み入れた時、その他の囚人らは鉄格子に張りついて好奇の声を上げた。
無限の退屈がのしかかるこの場において、新たな囚人というのは一種の刺激や娯楽となる。
エースに対する囚人らの反応は真面目なマゼランには理解し難いものであった。
「オイオイ、随分可愛らしい坊やがきたぜぇ!」
「まだ若いじゃねぇか! 肌も張りがあって悪くねぇ!」
ここにいるのは誰も彼も凶悪な犯罪者である。そういった輩はたいていが強面で欲深くて品に欠けている。そんな凶悪犯たちにとって二十歳のしなやかな体躯の青年はずいぶん魅力的であるらしかった。
「野郎なんざいらねぇよ! 女だ女!女よこせぇ!」
「おれぁ男でも若けりゃいいからよぉ!こっちによこせよ!」
「よぉ猫ちゃん!何やってこんなとこぶち込まれたんだよぉ! 大将のベッドにでも忍び込んでバレちまったのか!」
「ヒューッいいねぇ! 可愛がってやるからよぉこっち来なよぉ!」
下品極まりない野次が次々と青年に投げかけられる。
めちゃくちゃにしてやりたい、男などいらない、欲望と揶揄が入り乱れてもはや一つ一つの声を拾えないほどの騒ぎになった。
おぞましいほどの歓迎の中、その全てを一身に浴びている青年は意に介さず俯いていた。遠目にはそう見えただろう。お高く止まりやがって、ととても口に出せないような罵倒が飛ぶ。
青年の斜め後ろを歩いていたマゼランにははっきりとわかった。青年がわずかに肩を震わせ、唇を噛んで、一瞬呼吸が乱れたのが。
エースという青年はその高名さと肉体の屈強さに反して精神はやや繊細であるらしかった。
精神への攻撃は時に肉体へのそれを凌駕するものだ。
囚人から恨まれる立場である自覚がある上でもなおマゼランでさえLEVEL6の連中の口汚さには辟易とする時がある。
不躾で卑猥な視線と罵倒にじわじわと精神を壊され、最悪の場合自死に至る。そんな事態もあり得るかもしれない。
マゼランの監督下において、海軍と政府の命令を遂行できないなどあってはならないことだ。
かと言って他の階へ移す訳にもいかない。
囚人たちにはマゼランが睨みを効かせてはきたが、何せ凶悪な無法者の集まりである。マゼランの目の届かぬところでは舌を出して嘲笑っているのがありありと浮かぶ。
エースの手錠は他の囚人たちと違い、壁に固定して両腕を吊り上げるようにと命じた。自害を防ぐ為である。時折発狂して手錠を額に叩きつけて頭を割る囚人がいるのだ。
エースは無言でなすがままに両腕を壁に縫い付けられた。
そして見回りを強化し、エースの様子を念入りに確認して定期連絡を入れさせた。
案の定、エースはマゼラン不在の間は見世物のように扱われていた。
長く捕らわれている大物が多いせいか、近年になって急に名を上げたルーキーをよく知らない者がほとんどである階層なのも災いしたようだ。
規定通りの囚人服でなく肌の見える姿で磔になっているエースは強力な海賊ではなく、溜め込んだ鬱憤と欲の発散先でしかなかった。檻越しにうんざりするほどの俗悪な野次が飛び交い、映像を見るだけで海賊というものへの嫌悪が募る。
当のエースはというと、自分への扱いに対して睨み返す程度の精神力はあるようだった。
だが日に日に鬱屈とはしていくようで、何度も自分を殺せと看守に食ってかかるのは困りものだ。興奮すると暴れ出すので何度か獄卒獣を差し向ける許可を出した。
それを繰り返すうち、眼光こそは消えていないもののエースは滅多に声も出さないほどおとなしくなった。そのくせ骨のひとつも折れていない。実に屈強な肉体だとそこについては感嘆する。
同時に度の過ぎた野次の主にも獄卒獣からの折檻を与えると、見せしめの意図に気付いたかひとまず口を噤むようになった。
そうして四日が過ぎ、ようやっと小康状態になった時だ。
マゼランの元に元七武海である海侠のジンベエのインペルダウンへの投獄決定の報が届けられた。
マゼランは先に述べた通り、このジンベエをエースと同じ牢へ拘束するようにと命じた。マゼランにとっても苦肉の策だ。
ジンベエもまた名の通った海賊である。だが曲者の多い七武海という集団において、多少なりとも義侠心のある男であるという評価も耳にしている。海賊でありながら海賊嫌いとも聞いているが、かといって無闇な簒奪や殺戮をしないというのが周知されている印象であった。
友好的な話し相手に、とまではいかないだろうが、エースに対して嗜虐心を抱くような輩でもないだろう。
味方ではないが敵でもない存在。そういう存在を同じ牢に入れておけば少しはエースの精神安定につながるのではないかという目論見だった。
牢内において退屈や孤独は精神を蝕む。他者と会話を交わすという刺激はほんの二言か三言であっても馬鹿にできない影響を持つ。
エースに向けられている悪意をジンベエに分散させる効果もあるのではないかと踏んでいる。
公開処刑まであと24時間を切った。
エース自身もそれを感じ取っているはずだ。常人であれば加速度的に精神の均衡を失い始めても不思議ではない。
最後の最後に正気を失わせる訳にはいかなかった。
暴れないよう、またエースの自害の手助けをしないよう、ジンベエもまた壁面に緊束するように指示を出して、マゼランは微かに息を吐いた。
了