いっそ夢オチって言ってくれよ 「あ、有咲ちゃんいらっしゃい。今日は一人で練習でいいんだよね?」
「はい、お願いします」
受付にいるまりなさんに挨拶をして、スタジオへ入る前に飲み物でも買おうかとラウンジへ。するとソファの上に、何か小さいぬいぐるみのようなものが見えた。
……誰かの忘れ物か? 周りには誰も居ないし、仕方ない。まりなさんに届けるか。そう思いながら、“それ”に近付いて。
「……は???」
固まる。思考が停止する。いや、え??? 混乱しながら、それを抱き上げてみた。温かいな。重いな。現実だな。
“それ”が此方を見上げてきて、アクアマリンの瞳と目が合った。
「あれ、市ヶ谷さん。何して———、」
いつの間に背後に居たのか。奥沢さんの声がして名前を呼ばれて、肩にぽんと手を置かれた。それが起動の合図だったかのように、私の身体はぎこちなく動き奥沢さんの方を向く。抱える“それ”を見せるように。
「———は???」
固まった。私と全く同じリアクション。視線だけが上がって私の顔を見て、そしてまたぎこちなく視線が“それ”に戻る。
「市ヶ谷さん……いつの間に子供なんか……」
「あっ、あたしの子じゃねーからな!?!!?」
あまりにも真面目な顔でそんなことを言ってくるからついマジな突っ込みを入れてしまった。
私の腕の中にはロンパースとスタイを身に纏った小さな赤ん坊。アクアマリンに似たまんまるの瞳を私に向けていたのだが、突然その顔を歪めて泣き出してしまった。
「う゛ぇぇぇぇぇぇぇん」
「うわ!? 泣いた!?」
「市ヶ谷さんが急に大きな声出すからでしょ」
「奥沢さんが変なこと言うからだろ!?」
「早く泣き止ませなよ市ヶ谷さんの赤ちゃんでしょ?」
「だから私の子じゃねーって! これましろちゃんだろ!」
「は???」
奥沢さんが首を傾げる。まるで可哀想なものを見るような、同情するような目で私のことを見てきた。その目やめろ。
「いやいや……。確かに髪の色や瞳の色は同じかもしれないけど、でもそんなの有り得ないし」
「いやでもましろちゃんなんだよ」
「強引過ぎない???」
私もよく分からないしこんなの現実味が無さすぎるけど、とにかくこれはましろちゃんなんだよ。なんか知らんが間違いない。断言できる。なんで? 分からない。でもこれはましろちゃんなんだよ。
それはさて置き。今は奥沢さんを説得するよりも先にましろちゃんを泣き止ませなければ。……とは言え、赤ん坊の面倒なんか見たことないのでいまいち勝手が分からない。取り敢えず左右に揺らしてみる。
「……えっと、こうか?」
「びゃあああああああああん」
「うわごめん」
ボリュームが大きくなる泣き声に思わず謝る。なんでだ、左右はダメだったのか。じゃあ上下か? 上下に揺れればいいのか? 揺れてみる。これ側から見たらゆるゆるスクワットしてるみたいに見えて大変愉快じゃないか? でもましろちゃんは依然として泣き止まない。
「……っく、ふふっ……、市ヶ谷さん、頑張って……」
「撮ってんじゃねーーーー!!!!!!」
笑いを抑え切れていない奥沢さんがスマホを此方に向けていたので思わず怒鳴る。お前が笑ってどうすんだよ!!!!
ただ渾身の突っ込みに後悔した。またましろちゃんがびっくりしてしまったようだ。ああちくしょう、本当にどうすればいいんだ。ていうか今更だけど、抱っこの仕方がよく分からない。これで合ってるのか? 結構不安定じゃないか?
「ああもう……倉田さん、ほら。見て見て」
スマホをポケットに仕舞った奥沢さんが、何かをましろちゃんの目の前で揺らして見せた。———ミッシェルだ。羊毛フェルトで作ったミッシェルのマスコット……か?
「みんな大好きミッシェルだよ〜。倉田さん、スマイルスマイル〜」
いつもの奥沢さんよりもゆるくて少し高めの、所謂“ミッシェル”の声。すると今まであれ程泣き叫んでいたましろちゃんが、ぴたりと泣き止みミッシェルを目で追っていた。それを見て奥沢さんがミッシェルを手渡すと、小さな手はぎゅっとそれを大事そうに抱える。
「市ヶ谷さん。ほら、貸して」
言われるがまま奥沢さんに、ましろちゃんを手渡す。手慣れた様子で抱っこすると、背中をぽんぽんしながらリズミカルに横に揺れ出した。何か歌っている。囁くような声で優しく歌われるのは……ハロハピの曲か?
奥沢さんの歌声に導かれるように、ましろちゃんの目がうとうとと閉じていく。え、寝るの? そう思った時にはもうすっかり目は閉じられて、すやすやと穏やかな寝息が聞こえてきていた。ソファに座って安心したように微笑む奥沢さんの隣に腰掛けて、その寝顔を覗き込む。
「……おおお、すげーな奥沢さん。そんな特技あったなんて」
「いやいや大したことないよ。弟と妹が歳離れてるし、ミッシェルで小さい子相手にもするから、普通よりちょっと経験あるだけ」
謙遜して首を振るけど、いやいやそれでも凄いことなんじゃねーの? 現に私は子供慣れしてなくて、抱っこの仕方すらよく分からなくて戸惑うだけだった。
そっと、抱っこされて眠るましろちゃんの顔を覗き込む。ぷくぷくのほっぺたをそっとつついてみた。おお、ぷにぷに。なんか口をもごもご動かしている。
そんなことをしていたら、ふと違う方から寝息が聞こえてきた。顔をあげると、目を閉じる奥沢さん。……アレ、もしかして奥沢さんも寝てる?
「……ふわぁ、」
なんだか私も眠くなってきてしまった。すやすや眠る二人を見てるとどうしても眠気を誘われてしまって、重くなる瞼に抗えずにそのまま目を閉じた。
◆
「あれ、有咲さんと美咲さん?」
聞き覚えのある声がして、はっと顔を上げた。目の前でましろちゃんが、不思議そうな顔をしてソファに座る私たちを見つめていた。
あれ……、そうだ、私達寝てて……。
「え、いや、待って。ましろちゃん? 本物……?」
「え? は、はい……?」
私の意味不明な戸惑いに、怪訝な顔をしながらも頷くましろちゃん。いや、まあ突然先輩から本物かどうか疑われたらそりゃ訳分からないわ。
隣の奥沢さんに視線を向ける。まだ眠そうな彼女も、目を丸くして状況の読めない顔をしていた。きっと私も同じ顔をしているのだろう。
「……なあ、」
「……いや、まあ、そりゃそうでしょ。現実的に考えてそんなこと有り得ないし」
まだ何も言ってないけどな!? じゃあ私達は、二人で同じ夢を見てたってことなのかよ?
「……? あの……?」
「いや、ごめん。なんでもないよ。ましろちゃんは今から練習?」
「はいっ、モニカのみんなで……、」
いつもの調子でましろちゃんはそう教えてくれる。うん、さっきのことはもう忘れてしまおう。きっとアレは、不思議な夢だったに違いない。
その日の夜。奥沢さんから送られてきた動画データを見て、私は悲鳴を上げることとなる。