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    RiToMS_WT

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    RiToMS_WT

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    5月4日、吾が手に引き金をGW2024で頒布予定の犬影小説本のサンプルです。
    かなり飛び飛び。

    現実逃避、非逃避。「うわーーーーー!!!」
    犬飼の絶叫が家中に響き渡る。止めた記憶の無いアラームが勝手に止まっていて目を覚ましスマホを見ると、8時27分と表示されていた。学校のHRが始まるのは8時30分。遅刻確定。これはやばい、と青ざめる。一限の開始15分までに着ければその授業は欠席扱いではなく遅刻扱いになるので、それまでには頑張って着きたいところ。
    …なんて色々考えている暇など一切無い。
    「めちゃくちゃ遅刻じゃん!ちょっ…!明理ちゃん!何で起こしてくんなかったの!?」
    「アラーム鳴っててもずっと寝てて、うるさかったから勝手に切ったわよ。アンタが悪いんだからね〜。」
    「まじで最悪!」
    バタバタと狭い家中を走り回り、最短速度で身支度を終わらせる。いつも丁寧にセットしている髪の毛は櫛で数回といただけでふわふわのままだ。ゆっくり鏡を見ている時間など犬飼には残されていなかった。
    「ご飯は〜?」
    「いらないっ!!行ってきまーす!」
    朝食も食べずに通学カバンを引っ掴んで家を飛び出した。家から駅まで走って4約分、そこから電車で10分、さらに学校まで走って約3分、20分位だろう。だが、電車を逃してしまったら1限目は欠席扱い確定である。
    一限目の数学の教師の怒った顔を思い出して少し震える。犬飼は、やばい、と一言口に出して走るスピードを上げた。トリオン体なら疲れないしもっと速いのに、ボーダーの人間なら誰もが思ったことはあるだろう事を考え、信号待ちで息を整える。発車まであと2分。行ける、と思った犬飼は車用信号機が赤になった瞬間走り出し、改札を抜け、ホームへの階段を駆け上がる。が、駅員に駆け込み乗車はおやめ下さいと止められ、目の前の電車は犬飼を置いて発車してしまった。
    「はあ、はあ…、うっ……、はあ、はあ…」
    今までに無いくらいの全力疾走をしたが、惜敗。こんなにも焦っているのに何故乗せてくれないのだろうか、という苛立ちが募るが、駅員の言っていることは正しいので何も言えまい。
    犬飼は呼吸を整え、次の電車が来るのを大人しく待つ。
    「はあ…最悪……行くのめんどくなっちゃったなあ…」
    ボーダー関係の公認欠席以外で遅刻や欠席をした事の無い犬飼だったが、今日初めて寝坊という理由で遅刻をしてしまい、さらに運悪く電車を逃してしまい、張り詰めていた糸が切れたようにやる気が一気に無くなってしまった。
    「もういいや、ゆっくり行こ。」
    次の電車が到着し、いつもより少し空いている車両に乗り込む。が、ぱっと顔を上げると見慣れたウニ頭をした黄金色と目が合い足が止まった。
    「チッ…」
    「え、カゲじゃん。」
    発車アナウンスが鳴り、反射的に影浦の隣へと歩み寄る。だが、隣に来たところで何も会話は生まれず、ただただ気まずい沈黙が訪れるだけだった。腕時計を見ると8時58分を指している。さすがにこの時間では影浦も遅刻のはず、と思った犬飼はこの沈黙を破った。
    「カゲも遅刻だよね?どしたの?」
    「寝坊した」
    「あはは、おれもなんだー。初めて寝坊してめちゃくちゃ焦った。」
    「はっ、ざまぁ」
    犬飼と同じく遅刻した影浦は、顎に引っ掛けていたマスクを上げ、鼻で笑う。マスクを上げる瞬間に一瞬だけ見えた鋭い歯に犬飼は心臓が跳ね上がった。
    犬飼は影浦のことが好きだ。友達としてではなく、恋愛対象として。犬飼は決してゲイでは無いが、たまたま好きになった相手が影浦で、男だった、ただそれだけ。影浦にはきっと自分の気持ちが刺さっていてバレているだろうとは思っているが、感情が溢れてしまうのは仕方がないので、隠す気もない。そして伝える勇気もない。影浦から聞かれたり、ぽろっと口から零れてしまったらそれはそれで伝える、そのくらいの小さな恋だ。
    「遅刻確定なのに行くのってめんどくさくない?」
    「間違いねえな。」
    「それなのにちゃんと行くおれたち偉すぎー。優等生じゃん。」
    「遅刻した時点で優等生じゃなくねえか。」
    「優等生だって寝坊くらいしますー。優等生なおれたちにもっと優しくしてほしいよねー。」
    1度会話を交わすと、犬飼の口はよく回る。そして今日は何だか影浦も機嫌が良い。いつもは「死ね」や「うるせえ」と言って会話すらしてくれないが、今日はちゃんと聞いてくれて返してくれる。そして笑った。それが嬉しくて、駅に着くまで会話を止めたくないと犬飼は思う。
    ちり。ぱち。
    影浦の身体に犬飼の感情が小さく刺さる。嬉しいとか、好き、とか。前に告白してきた女子と似たような、それ以上になんだか面倒くさそうな、少しねっとりとした感情が混じったものが影浦を刺激する。それを逃さなかった。こいつはきっと____。
    「…一緒にサボるか?」
    「え…?」
    胸の奥から勝手に出てきた言葉に思わず影浦自身も少し驚く。でもそれ以上に犬飼が1番驚いていた。そりゃそうだ。影浦が犬飼に向かって”一緒に”など今まで1度も言ったことは無かった。2人して目を丸くして、少しの間見つめ合う。ガタンと電車が揺れ、我に返る。
    「…悪い、何でもねえ。」
    ぱっと視線を足元へと外す。柄にも無いことを言ってしまい、耳が少し熱を持った。そして犬飼も、胸が熱くなった。
    「いや……サボる。」
    「は…、」
    「カゲと学校サボりたい。」
    どくどくと犬飼の心臓が音を立てる。この高鳴りは、サボることへの恐怖や不安か、それとも、影浦と常識から外れたことをすることへの期待や高揚感、背徳感か。きっと後者が当たりだろう。ワイシャツの胸元をぎゅっと掴み、影浦の瞳の奥を見つめる。
    犬飼の鼓動が伝わったかのように、影浦の心臓もとくとくと速さを増していく。犬飼のパライバトルマリンが影浦を射止めて離さない。嬉しい、楽しみ、期待、感情が全身を包み込んで、呑まれる。思わず口元が緩んだ。
    「んじゃ、共犯だな。」
    「…うん…!」
    朝の清々しい陽の光が2人をキラキラと照らした。

    「まだ降りないの…?」
    「まだ」
    「…」
    「心配すんな、変な危ねえ所には行かねえよ。」
    「うん。」
    いつも降りている学校の最寄り駅を過ぎ、1駅、2駅と、さらに進んで行く。だんだんと知らない風景になっていくことに犬飼は少し不安になった。周りにいた会社員も次々と降りていき、混んでいた車内には犬飼と影浦と、5人程でスカスカだ。その不安が影浦を刺激し、影浦は頭をがしがしと掻いた。
    影浦は目付きが悪く、髪もボサボサで、周りから不良扱いされることがあるが、飲酒、喫煙、暴力、賭け事、どれにも手を出したことがない。深く関わり知っていけば、気は短いが裏表がなく根は優しい普通の男子高校生だということがわかる。犬飼はそれを知っているから、影浦が連れて行ってくれる場所自体に不安は無いが、補導されるんじゃないかという危機感が心の底にあって、それが無意識に顔に出てしまう。
    影浦は1度上げたマスクを外し、犬飼の瞳をじっと覗き込んだ。
    「たまには枠から抜け出してみるのもいいもんだぜ。特に、おめーみたいな他人に気ィ遣って生きてるような奴は、ずっとそうしてたら疲れんだろ。息抜きみてえなもんだよ。」
    「っ、……ふふ、ありがと。」
    ふわり。犬飼の柔らかな感情が影浦の頬を撫でる。今の言葉で犬飼の心が少し軽くなった。
    「次、降りんぞ。」
    「え、あ、うん…!」
    降りると、見た事ない駅名が書かれている少し古びた看板が目につき、潮の香りが鼻をくすぐった。



    (略)



    犬飼と影浦が付き合って早1ヶ月。2人は学校が違う為、会うのはボーダー本部にいる時が多い。それに、辻と荒船以外には付き合っていることをまだ言っていない為、ラウンジや廊下ですれ違いざまに目を合わせ、内部通信で静かにやり取りをする。こっちの隊室が空いてるから今から来いだとか、3階の休憩所に1時間後に集合だとか、2人きりになれる場所と時間を伝えてこっそり会う。周りの人達は受け入れてくれそうだが、こうして秘密にしながら2人だけの時間を楽しむのが実は好きだったりするのだ。
    「ねえ、そろそろ皆に言う?」
    「……いや、気づいたら言うスタンスで良いだろ。」
    「まあ、そーだね。」
    「コソコソすんの嫌か?」
    「ううん。特別感あって楽しいよね。」
    今日も人気のない上階にある休憩所で好きなジュースを飲みながらまったりする。お互い任務や待ち合わせがあり、制限時間は約30分。
    「……でも、そろそろ2人でおでかけとかしたいなー…なんて…。」
    犬飼は少し寂しく思う。もちろん、影浦とこうして2人きりで会うのは楽しいし好きだ。でも、たまには放課後一緒に遊びに行ったりしてみたい。ちゃんとしたデートでなくても、高校生の遊びみたいな、2人で出かける時間がほしいと思っている。
    「そうか…。」
    気まずい沈黙。でも、影浦は何か色々考えているような表情でぶつぶつと1人口を動かしていた。時たまスマートフォンで何かを確認している。少しの間待っていると、影浦は犬飼を見て口を開いた。
    「明後日。」
    「あさって?」
    「放課後、行くぞ。」
    「どこに?」
    「おでかけ。」
    「おでかけ。……おでかけ!?」
    犬飼は目玉が飛び出しそうな程見開いて驚く。影浦の口からおでかけという言葉が出てきて思わずオウム返しをしてしまった。数度瞬きをして我に返る。影浦が思っているおでかけはどんなものなのだろうか。
    「い、いいけど。どこ行くとかあるの?」
    「無ぇ。」
    「だろうね!?」
    2度目の大声に影浦はびくりと肩を跳ねさせる。犬飼の驚く姿を見て、相手のスケジュールや行きたい場所などを確認せずに自分の考えだけで言ったことを少し後悔した。
    「……でも、嬉しい…。ふっ、あはは!カゲの口からおでかけって…、あははっ!」
    「なっ…!何がおかしいんだよ!おめーが言ったんだろ!」
    「うん、そうだね。…ふっ、おれが言ったね。ふふっ、」
    前言撤回。犬飼の楽しそうな姿と刺さってくる嬉しいという感情。影浦は誘って良かったと、内心小さくガッツポーズをした。腹を抱え、涙まで溜めて笑っている犬飼がとても愛おしく見え、ネクタイを引っ張り勢いに任せて唇をぶつけた。トリオン体なので痛くはないが、歯がぶつかる感触に思わず眉間に皺が寄る。
    「なに…、情緒不安定すぎない?」
    「っせ。んで、行く行かねえどっちだよ。」
    「行くに決まってるでしょ。」
    犬飼の唇が弧を描く。ちり、と唇に刺激を感じ、引き付けられるようにもう一度優しくキスをする。
    「じゃあ明後日ね。」
    「俺の方が終わるの早ぇから、そっち行く。」
    「分かった。ありがとう。」
    「誰かに見られても文句言うなよ。」
    「言うわけないよ。寧ろ自慢しまくっちゃうね。」
    「ふっ、しまくるのはやめろ。」


    6限が終わり、ホームルームが始まるまでの少しの時間にメッセージ画面をちらりと確認する。『着いた』『前のコンビニんとこいる』というメッセージを見て『了解』とだけ返事をして緩む頬
    引き締める。ホームルームが終わった瞬間、誰とも会話を交わすことなく、急いで階段を駆け下り、影浦の元へと向かう。
    「ンな全力疾走しなくてもいーだろ…」
    「はあ、っ、はあ…、は、はあ…だって…、」
    会いたかったから、楽しみだったから、という言葉は走ったせいで苦しくて出てこなかったが、言葉の代わりに感情で訴えた。それが伝わったのか、影浦は耳を赤く染めて小さく笑った。
    「ほら、水飲め。」
    「…っ、ありがと…。」
    犬飼に会う前にコンビニエンスストアで買っていた水を開けて犬飼に渡すと、喉仏を大きく動かして勢いよく飲んだ。その喉仏を見てどきりと心臓が跳ね上がる。それを誤魔化すようにペットボトルのキャップを指で転がす。
    「ぷはっ、生き返る…。あ、ごめん、飲みすぎちゃった。」
    「いや、いい。それやる。」
    「え、いいの。」
    「おめーに買ったやつだ。」
    「え、ほんとに?ありがとう。さっきのキャップ開けてくれてたのもそうだけど、カゲのそういう小さな優しさめちゃくちゃ好きだな~。」
    「あーー、うるせーー」
    「あはは、照れてる。」
    指で転がしたキャップを犬飼に放る。慌ててキャッチした犬飼はその弾みで水を零し、カッターシャツを濡らした。それを見て2人して笑う。
    「どうせ帰るまでに乾くだろ。」
    「そうだけどさー。…で、今日はどこ行くの?」
    「おめー、行きてえ所無え?」
    「カゲの行きたいところについていくよ。」
    「じゃあついてこい。」
    「カゲの行きたい所?気になる!行く!」
    漸く犬飼の息が整ったところで、おでかけスタート。影浦には行きたい場所があった。と、いうより買いたいものがあった。そしてそれを犬飼に選んでほしかったのだ。そのことをまだ犬飼には明かさず、目的地へと足を進める。自分の隣を嬉しそうに楽しそうに、お花をぽこぽこ飛ばしながら歩く犬飼を影浦は愛おしく思った。
    「どこ行くのー?」
    「さあ。」
    「ふふ、楽しみだなあー。」
    両手はスラックスのポケットに入ったままだが、2人の距離は肩同士が触れ合うくらいに近い。それが恋人同士の距離だと気づいたら、なんだか小っ恥ずかしくなり、ほんの少しだけ離れて歩く。それでも、なんだか心地よかった。違う制服姿で歩いていると少し注目を浴びるが、2人は気にしない。知り合いとすれ違っても話しかけることは無かった。それくらい2人は楽しく話ながら歩いていた。お互いの学校の話で盛り上がり、同じ科目でも勉強しているスピードが全然違ったり、体育祭の種目で独特なものがあったり、似ている先生がいたりなど、話題が尽きることは無かった。そして楽しく話し込んでいると、時間が経つのは早く、すぐ目的地に着いた。
    「ここは…?」
    「革財布屋。」
    目的地は革財布屋。店自体はこじんまりしているが、革財布の他にもキーケースやアクセサリーなどの小物も数多くあり、品揃えが良くオシャレなお店だ。小学6年生の時に兄からお下がりで貰ったコンパクトな三つ折財布をずっと使っていた影浦だったが、つい最近雨に降られてファスナーが錆び使えなくなってしまった。そして今日、新しい財布を買いに来て犬飼に選んでもらおうと思い連れて来たのだ。
    「なんか珍しいね。」
    「ずっと使ってたやつが壊れたから新しいの買いに来た。兄貴のオススメの店だとよ。」
    「へえ~!」
    少し古びた木製の建物は木のいい匂いがする。ドアのベルを鳴らしながら入店すると、丸メガネをかけた若い男性が駆け寄ってきた。優しそうなお兄さんだ。



    (略)



    犬飼には悩みがあった。それは、
    「カゲとえっちがしたい…」
    影浦とえっち、所謂セックスがしたいのだ。
    2人は大きな喧嘩や問題が起きることなく、付き合ってもうすぐ3ヶ月が経とうとしているが、まだハグやキスばかりで、それ以上の触れ合いをしたことが無い。もちろんそれだけでも十分幸せなのだが、犬飼も年頃の男子高校生だ。恋人と性行為をしたいと思わないわけがない。
    「俺に言われても困る。」
    「でも荒船にしか相談できないもーん!」
    「あー、うるせえうるせえー」
    犬飼と荒船は試験が近いということで学校帰りにファミレスで課題を広げていた。お互い数学の問題が解き終わったところで集中力が切れた犬飼が急にぽつりと悩みを零した。荒船はため息をつき、呆れた様子で適当に返事をする。そんな荒船の様子をそのままに犬飼は続ける。
    「今までで1番慎重にお付き合いしてるからまだ手出してないんだけど、カゲに触りたくてしょうがないんだよね…。荒船さ、魔の三ヶ月目って知ってる?」
    「はあ?なんだそれ。」
    魔の三ヶ月目。付き合いはじめは気持ちが盛り上がり一番楽しい時期であり、月日が経つにつれて段々と気持ちが落ち着いてくる。そして三ヶ月程経つと2人の間に相手への気持ちの差が出始めてきて別れるカップルが多い時期だとか。その時期のことを魔の三ヶ月目と呼ぶらしい。恋愛三ヶ月説、とも言われている。
    犬飼はそれを気にしているのだ。以前付き合った彼女にも、三ヶ月程で飽きた、楽しくない、面白くない、などと言われてしまい振られている。影浦にもそろそろ飽きたから別れる、とか言われるんじゃないかと心の奥底に少し不安を抱えながら慎重に過ごしていた。それでも、犬飼はもちろん影浦のことが大好きなのだ。キス以上の触れ合いもしたいと思っている。
    「話は大体分かった。そんな深刻に悩む必要ないだろ。普通にセックスしたいってカゲに言って、2人で話し合えばいいだけだ。カゲだって犬飼のことちゃんと好きなんだろ?理解はしてくれるだろ。」
    「まだちゃんと好き、なのかなあ…」
    「好きだと思うぞ。見てりゃ分かる。」
    「そっかあ…、分かった。話してみる。」
    「おう、そーしろ。」
    さすが話は大体分かるテツジアラフネ。普通のこと言ってるだけなのにとても説得力があるように聞こえる。そして心のモヤモヤが少し晴れた気がした。
    犬飼は残りの課題を終わらせると、影浦に次いつ会えるのかの連絡を入れて返事を待った。


    「で、話って何だよ」
    「何でちょっと怒ってんの、怖いんだけど」
    影浦の家の部屋で向かい合う。犬飼は正座で改まり、影浦胡座をかいて両膝に手を置いている。しかもベッドの上で。色気など1ミリも無い。
    あれから返信がきて、影浦の家で話し合う事になった。だが、犬飼のメッセージの入れ方が悪かったのか影浦は眉間に深く皺を寄せていた。
    「怖いのはこっちだ。内容全く教えてくんねえし、話がある、の一点張りでよお、」
    全ての音に濁点がついているように聞こえるくらい、影浦は機嫌が悪かった。バサバサな前髪から覗く鋭い瞳でガンを飛ばされ、思わず縮こまる。
    「だって、言うなら直接の方がいいかなって。」
    「別れ話とかじゃねえよなァ?」
    「別っ…!違う!!おれはカゲと…!」
    「なんだよ、」
    「カゲと………、セックスがしたいです。」
    「セックス…、」
    セックス、その言葉を聞いた瞬間、影浦の頭の上にクエスチョンマークが浮かび、沈黙が訪れる。勝手に別れ話だと思っていたせいで、真逆のような話を振られて混乱しているのだ。
    犬飼は顔を真っ赤にしながら影浦を真っ直ぐ見つめ、ぐっと口を一文字に結び影浦の返答を待つ。
    「だめ、ですか…、」
    「……おめーはおれを抱きてえんか、それとも抱かれてえんか。」
    「だっ、抱きたいっ。」
    再び訪れる長い沈黙。この間犬飼の心臓は今にも破裂しそうな程に早鐘を打っていた。影浦のようなサイドエフェクトを持っていないので、影浦が今何を考えているのか、犬飼のことをどう思っているのかなど、全く分からない。ただただ、表情を眺めることしかできずもどかしく感じた。
    そして長考の末影浦が出した答えは、
    「分かった。」
    「えっ、」
    「抱かせてやる。」
    イエスだった。
    「本当に!?え、待って嬉しい…ありがとう。」
    「でも何か色々準備することあるんだろ、だから時間くれ。」
    「それはいいけど…、本当にいいの?抱かれる側で。」
    「おう。」
    影浦も男だ。自分が同じ男に抱かれるなんて想像出来なかったのだ。それでも、自分のことを愛してくれて抱きたいと言ってくれた犬飼の気持ちを尊重したいと思った。自分の尻の安否なんかどうでも良くなってしまうくらい、影浦も犬飼のことが好きなのである。
    「ちゃんと考えた上で言ってんだ。」
    「そっか。うん、じゃあゆっくりやっていこう。どれくらい時間かかりそう?おれも手伝おうか?」
    「いい。手伝われるなら死んだ方がマシだ。」
    「失礼すぎでしょ。」
    「に、2、3週間はくれ…」
    「分かった。じゃあそれくらいでお互いシフト空いてる日にしよ。スケジュール教えて?」
    「おう…。」
    お互い空いてる日、3週間後の金曜日の放課後にすることに決定し、この日は解散した。


    * * *


    3週間が経ち、ついに来てしまった。
    授業が終わり、犬飼は影浦の家へと早足で向かう。早足で歩いても汗をかかないくらいの寒い季節になったが、今日は特別あつい。暑い、ではなく、熱い。犬飼の身体は緊張し少し火照っていた。
    影浦は5限までで、犬飼は6限まであった為、既に影浦は家で待っている状態だ。信号待ちで何度もメッセージのやり取りの履歴を見ては頬が緩む。傍から見たらかなり怪しい人だが、期待と楽しみで心が踊っているので仕方ない。車に注意しながら、無事に影浦の家へ到着。1度深呼吸し、インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
    「感情がうるせえ、来たのすぐ分かった。」
    「え、あ、ごめん、」
    「入れ。」
    「うん。」
    どうやら犬飼の感情が届いていたらしい。何百メートルも離れた狙撃手からの殺気も刺さるくらいなのだから、数メートルの犬飼からの感情が分からないわけがなかった。
    影浦は犬飼が来る前に既に準備は終わらせていた。犬飼へシャワーを浴びるよう促し、コンドームとローションをベッドの上に広げ腰を下ろして待つ。なんだかソワソワして落ち着かない。
    この2、3週間、影浦は男同士のアナルセックスについてネットで調べ、グロい映像を見ながらそれを真似して準備の仕方やアナルの開発を勉強した。体力や精神が根こそぎ持っていかれそうになったが、犬飼のことを思えばクソだるい勉学よりは何百倍もマシだと思った。辛い思いをしないように、お互いちゃんと気持ちよくなれるように、毎晩犬飼が善がる姿を想像しながら指を入れて掻き回し、前も一緒に扱きながら自慰をした。そのおかげで不快感を感じることが無くなり、快感を得られるようになった。
    犬飼がシャワーを浴び終えて、影浦の部屋へと向かう。階段を上り近づいてくる足音に段々と鼓動が早くなる。
    「シャワーと部屋着も貸してくれてありがと。」
    「…、おう。」
    風呂上がりの犬飼は初めて見たが、髪の毛がぺしゃりと下りていてなんだか幼く見えた。乾かさないと風邪を引いてしまうと思ったが、影浦の気持ちはそれどころではなかった。犬飼がベッドに上がり、ギシリとスプリングが音を立てる。触れるだけのキスをし見つめ合うと犬飼は眉毛を八の字を描いた。
    「最後にもう1回確認したいんだけど、カゲ、本当におれとえっちできる?無理してない?嫌なら嫌って先に言って。カゲが嫌だと思うことはしたくないから。」
    ぽたり、犬飼の髪の毛から落ちた水滴が影浦の頬を伝う。いつも余裕そうな顔をしている犬飼だが、今日ばかりは不安がいっぱいで緊張しているのが目に見える。
    「ネチネチうざってーな、こっちは覚悟出来てんぞ。するって決まったあの時から毎日ケツいじってちゃんとケツで感じれるようにしてやってんだ。」
    「えっ、うそ、」
    「嘘じゃねえ、」
    犬飼は目を見開いて驚く。じわじわと耳が赤く染まっていくのが見えて思わず笑ってしまった。
    「……情けなくてごめん…」
    「謝んな、やるんだろ。」
    「…う、うん。絶対優しくするから。」
    「たりめーだ。痛くしたら殺す。」
    「はは、精進します。」



    (略)(R-18)



    「おはよ。」
    「ん、はよ。」
    「さすがカゲ、早いね。まだ15分前。」
    「いや、まじで今来たとこ。」
    「ふふ、そっか。」
    デート当日。お互い待ち合わせ時間より15分も早く着き驚く。影浦は元から早めに集合する性分で、犬飼は楽しみでいても立ってもいられなくなり早めに家を出たのだ。その感情が影浦に刺さっているんだろうなと思い少し恥ずかしく思う。それでも、予定時間より15分も早く会えて嬉しくも思った。
    影浦はいつもの全身真っ黒な服装ではなく、白のパーカーに紫色のジャケットを羽織っている。足元も編み上げのショートブーツを履いていて、マスクはしているがいつもよりお洒落だ。
    犬飼はというと、白色のタートルネックセーターに、ベージュのロングコート、さらに少し厚底のローファーを履いている。完全にお出かけ仕様である。
    犬飼は海に行きたいと言ったが、影浦によると夕陽が綺麗とのことで行くのは夕方頃にすることになり、それまではショッピングモールで買い物をすることにした。犬飼は影浦の手を引いて改札口へと向かう。2人分の切符を買い、電車に乗り込む。
    「だめだ、ずっとにやにやしちゃう。ふふふ。」
    「やめろよきめぇな。」
    「だって、初めてのちゃんとしたデートだもん。嬉しいんだよ。」
    「あっそ。」
    「カゲも満更じゃないくせに。」
    「っせ。」
    端の座席に座りながらこそこそと小声で喋る。誰も2人を気にしている人などいない。ただの男友達、周りはそう思っているだろう。恋人同士で今からデートに行く、それを知っているのは自分たちだけで犬飼はわくわくが止まらない。そして顔に出ていないだけで、影浦も同じだった。
    「着いたよ、降りよう。」
    「ん。」
    ショッピングモールの最寄り駅に着き、降車する。手を繋ぐことはしなかったが、肩同士が触れ合うくらいの距離で歩いて目的地へと向かった。
    広いフロア、高い天井、数え切れない程の照明。開放感のある大きな建物にテンションが上がる。休日なだけあって、家族連れが多い。耳を澄ますとあらゆる所から子供の声や赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。ふと、犬飼はその声が聞こえる方を視線を向ける。すると、若い夫婦が幸せそうに笑みを浮かべて赤ちゃんをあやしていた。無意識に歩く速度が落ちる。
    「おい、犬飼。」
    「あ、ごめんごめん。ぼーっとしてた。」
    影浦の声に我に返り、ぱっと笑顔を作って影浦の隣を歩く。それでも視線はまだ夫婦から離せなかった。そして影浦はその様子を見逃さなかった。
    「犬飼、アレが羨ましいんか。」
    「へ…?」
    「ずっと見てんな。」
    「えっと、……うん。ごめん。」
    犬飼はあの幸せそうな家族が無意識に羨ましく思っていたのだ。もちろん犬飼は影浦といて毎日楽しいし幸せだと思っている。だが、あの夫婦のように子供がいてその子供の為に助け合って生きていく、その姿がとても輝いて見えたのだ。
    「謝んなよ。俺もいいなとは思う。」
    「うん…、」
    「けどよ、俺にはおめーがいる。それで十分だ。」
    「…!」
    「おめーは違うのかよ。」
    「ううん。違わない。カゲが傍にいてくれるだけで嬉しいし幸せだよ。」
    犬飼は影浦の手を取り、そっと握る。そして影浦も同じ力で握り返し、顎に引っ掛けていたマスクを取っ払った。
    男同士だと子供は出来ない。あの夫婦のようにはなれない。けれども、犬飼と影浦の間にはちゃんと自分たちだけのカタチをした愛があり、一緒にいれるだけで幸せなのだ。
    「おめーを好きになった時点で覚悟できてんだよ。」
    「えっちする時も思ったけど、カゲって覚悟決めるの早いよね。かっこよすぎでしょ。」
    「たりめーだ。そんくらい本気っつーことだ。」
    「それ、おれが本気じゃないみたいじゃん。」
    繋いだ手をそのままに肘で小突き合う。こんな小さなやり取りでも幸せは生まれる。これで十分だ。



    (この後も18シーンあります。)
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