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    後 南館あ7「Ofuton」 無配SS展示

    転生現パロのジャミカリのおはなし

    #ジャミカリ
    jami-kari

    二周目は君とカレーを まもなく夏も終わろうかという八月の終わり。
     落ち始めた陽と、あちこちで鳴いていた蝉は押し寄せる薄黒い雲とどこかへ消え、夕立が白く降る。激しい音を立て、大粒の雨がコンクリートを叩きつける歩道橋を二つの傘の花がかしげ合い、すれ違っていく。
     互いが二、三歩通りすぎたところで紺色の傘がくるりと半回転すると、青年が肩につく程の黒髪を靡かせ顔を覗かせた。振り返ったビニール傘の向こう側には雨に濡れ、妖しく光る白銀の髪。見間違うはずもないーー友達でも、知り合いでもないのに感じるひどく懐かしい面影。青年にはそれが誰なのかが直感でわかった。

    「カリム、?」

     そう呼び終えたのが先か、振り返った緋色の瞳が青年を射抜いたのが先か。勢いよく投げ捨てられたビニール傘は浅い水溜りに沈み、“カリム“と呼ばれた男は青年の胸に飛び込むと、迷子が親でも見つけたかのように自分より少しだけ広い背を強く抱きしめて言った。

    「会いたかった……っ」

     と。

     ーー

     "どうも自分は誰かの生まれ変わりらしい"
     ジャミルがそれに気がついたのは6.7歳の頃だった。日常の些細な何かが引き金となって、頭の中に見たこともない国の風景がよく浮かんだ。砂漠、宮殿のような場所、人で賑わう市場ーー場所は様々だったけれど、決まっていつも目の前にあるのは同じ笑顔。透き通るような白い髪と、柘榴色の目をした歳のそう違わない子どもだ。会ったこともないその少年にジャミルはいつも不思議な懐かしさを感じていた。
     点と点、或いはパズルのピースのようなフラッシュバックは、ちょうど3年前、17歳の誕生日を迎える頃にぴたりと止んだ。すべて、思い出したからだ。

    「ジャミル!」

     年々酷くなったフラッシュバックの中で、嫌というほど見てきた気の抜ける笑顔。涙とも雨ともわからないものでぐしゃぐしゃになって、すっかりふやけていた。ようやく出会ったというのに、なんだよ、その顔。可笑しくて笑ってしまいそうになる。
     何年、何十年、正確な時間こそわからないけれど、あの時となにひとつ変わらないカリムが今、目の前にいる。生きて、笑っている。たったそれだけのことに胸がいっぱいになってしまうことが、ジャミルにはたまらなく悔しかった。

    「ジャミル、ジャミル、ジャミル!」

     歩道橋を降りた先に広がる並木道の真ん中を小走り行くカリムは足を止めて振り返ると、ジャミルの名前を口に出しては、この瞬間を噛み締めるようにはにかんでいる。

    「なんだ、ここにいるよ」
    「へへ、嬉しいんだ。名前、また呼べるのが」

     "今世こそは出会わずに関わらない”。そう心に決めていたはずなのに、そんなことを言われたら誰だって堪らない。そもそも、そんな誓いをたてておきながら、声を掛けずにいられなかった時点でどう考えてもこちらの負けだ。何度も突き放してきた相手に、執着心に似たなにかを捨てきれずにいるのは自分の方なのだという事実は、二周目の人生ともなればさすがに否めない。決して態度には出さないが。

    「……危ないから、前を見て歩け」

     カリムは「わかった!」と景気よく返事をすると、今度はジャミルの隣に並んでくるくると傘を回し始める。5本の骨が描く曲線に沿って、小さな雫が飛び散って服を濡らしても、それを咎めるジャミルはここにはいなかった。この世界のカリムはジャミルの主人ではないし、多分、命を狙われる日々を送るような商家の跡取りでもないだろう。ようやく“普通”を手に入れた、ただのーー等身大のカリムなのだ。ジャミルは”不本意だ“と歯噛みしながらも、今のカリムには何でも好きにさせてやりたかった。

    「ところで、今どこへ向かってる」
    「あれ?言ってなかったか?オレ、バイト終わってちょうど帰るところなんだ!よかったらこのまま寄っていってくれよ!雨宿りっていうか……とっ、とにかく歓迎するぜ!」

     カリムは内心、やっと出会えたジャミルを少しでも引き留めたくて必死だった。前世では一生を自分の側で過ごさせてしまった相手だ。やっと自由を手に入れたジャミルに、我儘を言って同じことを繰り返させるわけにはいかないから、ほんの少し。たった数十分、数時間だけでも一緒にいられたらと思った。

    「あ……いや!無理にってわけじゃないんだけどさ……せっかくだからっていうか……もうちょっとだけ、その、話したくて」

     カリムはうんともすんとも言わないジャミルの横顔を見ているのがなんだか怖くなって、断られるのが怖くて、俯く顔をビニールで覆う。
     けれど、ジャミルが突っかかっていたのはそこではなくて。

    「今、なんて言った」
    「えーと、家に来ないか……って」
    「ちがう、その前だよ」
    「前?えーと、なんだっけ……バイトの帰りで……」

     ふっ、と含み笑いがジャミルから漏れたかと思うと、それははっきりとした笑い声に変わって。

    「え?え?なんだ?なんで笑うんだ?!オレ何か変なこと言ったか?」
    「いや、まさかお前の口からそんな言葉を聞く日が来るとは」

     そう、そうなのだ。
     別に、カリムの家に上がるかどうかなんてことはジャミルにとっては深刻な問題ではなくて、むしろ今世のカリムが“アルバイトという名の労働”をさも当然のようにこなしているらしい事実の方が信じ難かったのだ。

    「え?……えぇ?どういうことだ?オレがバイトしてるのってそんなにおかしいか!?」
    「まあ……少なくとも俺の知ってるカリムは、お世辞にも労働に向いてるとは言えない奴だ」
    「うっ……それ言うかあ……?でも、当主になりたてでお前に付き添ってもらってた頃の商談は……失敗の方が多かったよなぁ」

     痛いところを突かれて不服そうな顔をしたかと思えば、この世界には存在しない“昔”を思い出して、カリムは「なはは」といつものように笑った。本当に何も変わらない。アルアジームだったカリムも、アジームになって間もない頃のカリムも、こうしてコロコロと表情を変えてはよく笑っていた。目の端にうっすらと浮かぶ笑い皺が、への字になる眉が、あれだけ手酷く裏切られても尚、絶対の信頼を寄せ続ける自分にしか見せないその笑顔が、いつの間にかどうしようもなく愛おしくなってしまって。

    「うわっ!光った!」

     遠くの雲が一瞬青白く光ったかと思うと、腹の底に響くような雷鳴が空気をびりびり震わせて、カリムの空いた左手は咄嗟にジャミルの服の裾を摘む。

    「カリム」
    「……ご、ごめん」

     誤魔化しようのないほどにカリムの声は震えて、裾をつかむ力は一層強くなった。こうなってしまったらもう、選び取るべき選択肢なんてひとつしかないじゃないか。

    「……この分だと、もうひと雨来そうだ」

    「悪いがすこし世話になるよ」
    「ほ、ほんとか!?」

     食い気味にジャミルに詰め寄る眼差しは一気にぱあっとーーそれこそ生前よく例えられた宝石のように輝いて、視線の先でジャミルはすっかり参ってしまった。突然流れが、空気が変わって調子が狂うこの感じにいつだって流されてきた。これが所謂”成り行き“の正体だ。

    「オレ、ジャミルならずっと居てくれたって構わないし、いつでも大歓迎だ!」

     そう言ってカリムはジャミルの手を取ると、降り止まない雨の中をばしゃばしゃとしぶきをあげながら駆け出した。どこもかしこもしっかり水に浸かったコンクリートの上に、ふたつの波紋が生まれては広がり、広がっては消えていく。

     ああ、だから嫌だったんだ。すっかり冷えた手を握られながら思う。きっと自分はまた、こいつの人生にとことん付き合わされることになる。そうして自分の人生もまた、半分はこいつでできているみたいになって。
     「やめておけ」そう強く思ってやまないのに、世界が鮮やかになっていくのはなんと皮肉なことか。前世、夢にまで見た“カリムのいない自由な世界”は、こんなにも不自由で満たされないものだったなんて知らずにいられたら、俺はこうじゃなかったのに。



     俺も、あいたかったよ。


     ーー


    「ここがオレの家だぜ!」
     そう高らかに宣言してカリムが足を止めたのは、じめじめとした古臭い団地の一角だった。ジャミルはカリムの前世での暮らしぶりを嫌と言うほど見せつけられてきたし、その恩恵にも預かってきた身なので、目の前に広がる光景にしばらく開いた口が閉じることはなかった。
     所々にヒビや亀裂の走る階段を三階まで上がり、人がすれ違えるかどうかの狭い廊下の一つ目のドアに、カリムは小さな蛇のマスコットが付いた鍵を差し込んだ。ぎいと音を立てる扉が開くと、懐かしい匂いがジャミルの鼻をくすぐって、奥深くに眠っていた記憶は波のように押し寄せる。

    「あー……えっと、驚いたか?こんなで」
    「ああ、大分な……」
    「見た目は派手じゃないけど、住み心地は結構いいんだぜ」

     促されるがままに、たった二人でぎゅうぎゅうになるほどに狭い玄関へ上がる。ぱちっと音を立てて点けられた明かりの先には、木製の柱と畳張りの居間。窓の向こうのベランダには物干し竿と洗濯機。必要がないのか、それとも住んで間もないのか、箪笥と低いテーブルのそばに座布団が置かれているくらいで家具らしい家具はなく、一層古臭さが際立つ住まいだった。
     少しでも思い入れのあるものは捨てられないし、帰省の荷造りをする度に寮長室をトランクでいっぱいにするようなカリムだ。これだけ質素な部屋で暮らしているとなると、本当にカリムなのかどうかも疑わしくなってくる。

    「これ、タオルな!好きなだけ使ってくれ!あとは……着替えだな!ジャミルにはちっちゃいのしかないかもなあ」

     呆然と玄関に立ち尽くしたままのジャミルに山積みのタオルが手渡されると、カリムはバタバタと居間へ戻り、押入れを漁り始めた。ジャミルからは次から次へと引っ張り出されて宙を舞う服だけが見えるので、畳む手間を思うと何とも言えない気持ちになった。

    「たしかこの辺に……あ!これなら着られるかな、おーいジャミル!そこ寒いだろ?上がってくれよ!いま風呂もあっため直すからさ!」
    「な、おまえ」

     いくら何でも手際が良すぎる。それに気遣いもできる。多少乱雑なところはあるが、それを差し引いても十分すぎるほどにジャミルは混乱していた。

    「お前……本当に“あの”カリムか?」

     冗談混じりのつもりだったけれど、声色にはどうやったって困惑がにじみでてしまって、それを聞いたカリムは服の散らばる居間から顔を覗かせた。

    「なっはっは!ジャミルは面白いこと言うな!オレはちゃんとオレだよ。間抜けで、不器用で、能天気で傲慢“だった”……まあ、あの頃とは色んなことが違いすぎて、信じてもらえないかもしれないけどさ」
    「……そういう意味じゃない」
    「ん?じゃあどういう……」
    「お前なあ……言わせるなよ……」
    「はは、ごめんなあ、やっぱりオレは“鈍感野郎“のままみたいだ」
    「ああもう……!”感心した"ってことだよ。大体な、信じてなかったらこんなところまで来てない」

     ジャミルはそう言うと、ようやく靴を脱いで居間に続く短い廊下踏みしめた。途中、進む度ぎいぎいと軋む床に「この家、本当に大丈夫か?」なんて口走るところだったけれど、なんとか飲み込んだ。

    「お!よくわかんねーけど褒められた……んだよな?ありがとな!ジャミルが着られそうなの、これしかないんだけど、良かったら帰りに着てってくれ!」

     カリムが差し出したのは、どう見ても寝巻き素材の長袖シャツとよくわからない柄のサルエルパンツ。これで帰れというのはさすがに酷だが、当然ながら悪意はなかった。ファッションセンスがない……というわけではないのだが、これがカリムが知恵を絞ったジャミルのための最善策で。
     ジャミルはこれを着ていくつもりは毛頭なかったけれど、受け取った服を畳み直すと壁沿いにおろした荷物の側に置いた。

    「うち、給湯器が古くてさ、多分沸くまで四十分くらいはかかるんだ。それまで、お茶の時間にしようぜ!麦茶でいいか?」

     ジャミルが頷くとカリムは廊下を戻って台所へ向かう。よく見ると、この家はもともとあった壁を所々撤去しているようで、台所と小さな食事スペースらしい空間は玄関のすぐ隣に位置していた。

    「お前、麦茶なんか飲むんだな」
    「意外か?最近見つけたこれ、うまいのにすげー簡単に作れるんだよ!水があるだろ?で、その中にこのパックを淹れておくだけで完成だ!最初は苦くてあんまり好きじゃなかったけど、今はもう慣れたし、ちゃんと好きだぜ!」

     カリムは食器棚からグラスを二つ取り出すと、冷蔵庫で冷やしていたピッチャーの中身を注いでいく。仕上げに製氷室から拾い上げた氷を数個ずつ落とすと、からんという心地のよい音が静かになった部屋によく響いた。

    「ごめんな、ほんとは熱砂の国で飲んでたような、甘い茶を出してやりたかったんだけど……お茶って結構高級品なんだな」

     申し訳なさそうに微笑んで戻ってきたカリムと、その手の中で汗をかいていくグラス。

    「いいや、十分だ」

     それくらいしか言ってやれる言葉がなくて、こいつの前では不器用で捻くれ者でしかいられない自分を呪いながら、ジャミルはテーブルに置かれたグラスに手をかけた。まるでタイミングを合わせてくるかのように、隣に座ったカリムが両手で握ったグラスに口をつける。どちらが先に口を開くか、我慢比べのような長い間のバックミュージックは、窓の外で強くなっていく雨音と、近づいてくる雷の音だ。

    「元気に……してたか?」

     口火を切ったのは、口をつけるだけつけて飲んでいる振りをし、その間を凌いでいたカリムの方だった。

    「……まあ、そうだな。それなりに」
    「……そっか、よかった」

     今までなら続くはずの何気ない会話はあっという間に途切れて、また振り出しに戻る。お互いに中身は変わっていないはずなのに、どうやって話したらいいのか、一体何から話したらいいのかがわからない。

    「そういうお前は、"あの後"どうしてたんだ」

     ジャミルが苦し紛れに絞り出した話題に、カリムは顔が自然と引き攣ってしまった。さあっと血の気が引くような感覚。ガラス越しに氷に触れる手から、身体が凍りついていくみたいだった。

    「あの後……って?」
    「俺がーーいなくなった後」

     窓の向こうで空が白く光った。先程とは比べ物にならない轟音が立て付けの悪い窓を揺らしても、向き合ったままの二人はぴくりともしなかった。

     ジャミルは前世、僅か二十歳で命を落とした。
     ナイトレイブンカレッジを卒業して、成人を迎えたカリムがアジーム家の正式な当主となって一年足らずの出来事だった。アジームの屋敷は刺客による襲撃を受け、カリムを庇ったジャミルは深い傷を負ったのだ。
     事態が収束した頃、お抱えの魔法士や医師が駆けつけ懸命な処置にあたったが、医療でも魔法でも治癒は追いつかなかった。
     お互いに“ジャミルがいれば”、“カリムがいれば”、二人は大丈夫の筈だったのに。
     ジャミルは掠れる声でカリムに「生きろ」と笑いかけてまもなく、その腕の中で息を引き取ったが、いつか盗み見た寝顔のような穏やかな顔をしたジャミルを前に、カリムは涙も出なかった。泣いたところで、子どもの頃から言われ続けた"泣き虫"と罵ってくれる相手ももういない。泣けない自分に代わって空が大粒の涙を零し始めた時、カリムは初めて自分の半分はたしかにジャミルでできていたのだとわかった。


    「……オレな、そんなに長生きしないで死んじゃったんだ」

     苦い笑みを浮かべたカリムから語られた"その後"にジャミルは言葉を失った。てっきり、お前は天寿を真っ当したのだとばかり、と。

    「毒でも刺客でもなくて急に。それこそ黒い馬車が迎えに来たみたいに、気がついたら死んじまってた。はじめは“せっかくジャミルが守ってくれたのに”って思ったよ。……でもな、心のどっかで"もしこのまま生まれ変われたら、またジャミルに会えるんじゃないか"って……期待しちまった」

    「最低だよな……そんなんじゃ合わせる顔もない。でも、それでも、どうしても会いたかった。会ってちゃんと謝りたかった。約束守れなくてごめんって。そんで今度こそ、ゼロから友達になってほしいって」
     
    「だからな、いまジャミルが隣にいて、また話ができるなんて、オレには幸せ過ぎるんだ……ああ、夢見てるみたいだ」

     唇を震わせ、目の端に小さな涙の粒を浮かべて微笑むカリム。五畳の居間は静まりかえって、弱まり始めた雨だけがその沈黙を埋める音になる。
     目の前で今にも泣き出しそうなカリムを、ジャミルは静かに抱きしめた。

    「ジャミ……ル?」
    「……夢で堪るかよ」
    「え……?」
    「俺はいつだって覚悟してたさ。ああやって死ぬことくらいな。それに俺は、お前の隣に居座り続けることをを自分で選んだんだ、別にお前に責任はない」

     何も言わないと思った。何もしないと思った。だって悪いのは絶対に自分で、これは最期までジャミルを自由にしてやれなかったことへの"罰"だとカリムは思っていたから。
     だから当然、ジャミルからそんな言葉をかけられるなんて思っていなくて。

     カリムは何を見るでもなく、ぼうっとただ前だけを見つめてジャミルを抱きしめ返した。生まれ変わってからも、両親、友達、たくさんの人と数えきれないほど抱き合ってきたけれど、この懐かしくてやさしい温もりはジャミルだけがもつものだ。

    「まあ、強いて言うならあと十年は生きててもらわなきゃ割には合ってないとは思うが、そこは目を瞑って……」

     ばちっ

    「ん、なんだ?」
    「停電……か」

     突然、家中の明かりという明かりが落ちて、ふたりの視界は暗闇に放り出される。こういう時は下手に動かない方が良いということは、前世ではよく役立った知識のひとつだ。
     部屋に満ち満ちていたセンチメンタルな空気は突如断ち切られて、いつのまにかカリムの涙も綺麗さっぱりなかったことになっている。
     ジャミルはカリムの切り替えの早さは長所だと思っているけれど、流石にこういった情緒的な場面でそれが出ると、なんとも言えない気分にもなる。

    「もしかして、さっきの雷か?たぶん凄い近くだったよな……?あ!!」
    「おい!おま、急に、抱きついたまま立ち上がるな!」
    「ジャミルの風呂が!!」
    「俺の風呂ってなんだよ……こんな時にお前は一体何の心配してるんだ……」
    「だって!……だって、せっかくジャミルが来てくれたんだ!狭い家だけど、できることは全部してやりたい!!」
    「カリム……仮に沸いていたところで、お前は客人をこの暗さの中風呂に入れるのか?」
    「あ……うう、そうか……。っじゃあ他に!他に何かしてほしいことないか?!俺にできることなら何だってやるぜ!」

     言い出したら聞かないのがカリム。目的が達成されるまではとことんしつこく、諦めることを知らない。ジャミルは暗闇に慣れ始めた目で辺りを見回したが、何と言っても家具がない。テーブル、箪笥、服が散らかったままの押し入れ、ハンガーラックのラインナップではカリムを満足させられる頼み事のヒントは得られなかった。

    「してほしいこと、ねえ……」

     ベランダの柵越しの空は相変わらずどんよりと暗く、外から大した明かりは望めそうにない。
     このままここで、命が尽きるまでこうして抱き合っているんじゃないかと疑うほどに互いを解こうとしなかった二人の間にその時、なんとも言えない間で、ぐうと音が響く。ジャミルはそれに被せるように咳払いをしたけれど、少しだけ遅かった。

    「ジャミル、おなか減ったのか?」
    「うるさい、俺だって腹くらい減る」
    「よし!オレも腹が減った!飯にしようぜ!」

    「はあ……本当に忙しい奴だなおまえは……」

     今の今まで風呂の心配をしていたかと思えば、突然「これから夕飯にしよう」なんて言うこの突拍子のなさに、二十年は振り回されてきたのかと思うと、ジャミルは改めて過去の自分を労ってやりたくなった。けれど、この懐かしい感覚に少しだけ心が踊ってしまったことも確かだった。

     ーー

    「う〜ん、やっぱり電気、戻らないなあ」
    「そう簡単に復旧しないさ。今晩は……無理かもな。SNSを見てもこの辺り一体は今も停電のままだ」
    「そんなあ……こんな時、魔法があればなあ」

     台所横の小さなソファで繰り広げられる何気ない会話。二人の間には押し入れから発掘した防災リュックにあったランタンが転がり、青白い光がぼんやりと天井を照らしている。

    「レンジも動かないし、火も使えない……クラッカーはもう全部食べちまったし……う〜ん、飯くらいはジャミルをもてなしてやりたかったんだけどな……」
    「まともな料理は作れないとして……食材もないのか?何か生で食べられるようなものがあるかもしれない」
    「お!サバイバルみたいでカッコいいな!野菜とかはここの棚に入ってるぜ!」

     一般的に言えば非常事態のこの状況で、二人の緊張感はゼロに等しかった。この世界では、生きているだけで命が狙われることも、離れ離れになることもないのだから仕方のない話かもしれない。
     ランタンの灯りが棚の中を行き来させて、ジャミルは銀色に光る何かを見つけた。

    「なんだこれ」
    「ん?ちょっと見せてくれ!」

     ジャミルが取り出したそれは、何やら食べ物のパウチのようで、軽く揉んでみると中身は液体状であることがわかる。表面には賞味期限の印字があるくらいで内容物の記載はなかった。

    「レトルト食品か?期限は……ギリギリ問題ないが、さすがに得体のしれないものを食べるには抵抗があるな……」
    「あー!!」
    「な!?なんだよ心臓に悪いからこの距離で突然でかい声を出すな!!」
    「ジャミル!思い出した!これ、カレーだ!」
    「はあ?!どうしてお前が」

     どうしてお前が、カレーなんか。

     ジャミルは今も変わらずカレーが好きだけれど、前世、カリムはカレーが大嫌いだった。元は好きだった。ジャミルが好きなものはカリムもぜんぶ好きだったから。けれど、どうしたって自分の皿によそわれたカレーの毒見で倒れたジャミルを見てしまっては、好きではいられなかったようだった。
     NRCでの学生時代、問題ばかり起こすカリムに嫌気がさして、ジャミルは一度だけ冗談混じりに「今日の夕飯はカレーを作ってやる」なんて口にしたことがある。カリムは「それだけは嫌だ」と泣き出しそうな顔になって何度も謝るものだから、その時ジャミルは自分がひどく悪い奴のように感じたのだった。
     それほど、カリムにとって“カレー”は忌むべき存在であるはずなのに。

    「オレな、いつかこうしてお前に会えたら、どうしても一緒に食べたくて、それで。前はほら……叶わなかったからさ」

     床に視線を逸らしたカリムの顔が、ランタンの灯りから外れて仄暗さに溶ける。ジャミルは眩しすぎるくらいの灯りの中で、その様子をただ見つめていた。

    「でもお前、嫌い……なんだろ」
    「うーん、まだ好き!とまでは言えないけど……それでも、この世界のオレは“ただのカリム”だろ?オレが生きてて嫌な思いをする奴がいないってことは、飯に毒が入ってることもない!ジャミルも、誰も毒見なんかしなくていいんだって、そう思ったらどんな飯も美味く感じるんだ。だから」

     ”一緒に食べたい“
     そう言ってカリムはジャミルに送られていた視線を真っ直ぐに返した。
     きっと、カリムには叶えられなかった夢が山ほどあった筈だ。将来のこと。家族のこと。未来のこと。もっと大切な夢なんていくらだってあるだろうに、それでも生まれ変わったこの世界でカリムが願い続けたのは、”大切な幼馴染と食事をともにする“たったそれだけのことで。

    「……わかった。食べよう」

     カリムの声にならない声が狭い台所に漏れ出して、灯りのない家の中がぱっと明るくなっていくようだった。

    「レトルトなら常温で食べても多分……問題ないだろう」
    「なあなあ、さっきの防災リュックの中にレンジであっためるごはんあったよな!?あれにかけて食べようぜ!今持ってくるぜ!」
    「待てカリム。“レンジで温める米”は“レンジで温めて”食べるものだ」
    「へへ、何とかなるって!今日はオレが”毒見“するからさ!」

     停電してからおよそ二時間。この暗闇にもすっかり慣れたもので、今は手元ほどの大きさだが灯りもある。居間にへ駆けてすぐ戻ってきたカリムの手には、しっかりと非常食の米のパックが握られていた。
     二つの皿に一パックの米と、一パックのカレーを取り分け、スプーンを滑らせる。湯気が出ていない点を除けば、見栄えはカレーライスとして合格点の出来だった。

    「よし!まずはオレが……!」

     二人はこの家の中で最も広い居間のテーブルにつくと、ランタンを真ん中に。風呂が沸くまで飲んでいたグラスの側に皿を置く。カリムは気合十分といった具合に豪快に皿からその一部を掬い上げると、口を精一杯に開いてそれを迎え入れた。もぐもぐと咀嚼する中で、時々、小さくガリガリという音がしているのをジャミルは聞き逃さなかった。

    「嫌な音が聞こえた気がするが……」
    「硬いけどこれはこれでアリだ!斬新な食感ってやつだな!」
    「不安しかないな……お前の舌を信用するぞ」

     今度は向かい合わせに座ると、アイコンタクトで互いに”その時“を伝えあった。

    「「いただきます」」

     手を合わせ、スプーンを手に取り、口に運ぶ。動作ひとつ見逃すまいと、カリムはジャミルを食い入るように見つめる。喉仏が上下に動いて、一口目を飲みこんだのを確認すると、恐る恐る尋ねた。

    「どうだ……?」
    「……」
    「あ!もしかして、ジャミルの口には合わなかったか?」
    「くっ……」
    「ごめん、口直しに水、持ってくるな!」
    「く……、ははっ、ははは!」
    「え……?あれ?え?えっ?」
    「カリム、おまえ壊滅的に毒見の才能がないよ、なんだよこれ、はは!」

     まさかこの状況でジャミルが笑い出すだなんて、カリムは夢にも思わなかった。あまりのことにしばらく呆然としていたけれど、ジャミルが笑ってることが嬉しくて、それにこんな風に笑うジャミルがなんだか可笑しくなってきてしまって、ついにはつられてしまった。

    「でもいいだろジャミル!もうそんな才能、必要ないんだから」

     笑いすぎたのか、それとも始めからだったのかもわからないままに溢れてくる涙は、ぽたぽたと二つの皿の上に落ちていく。
     要加熱米なのだから、当然米は固かったし、味も悪かった。カレーだって熱砂の国のようにスパイスをブレンドしているわけでもない、当たり障りのない味だった。それでも、今まで食べたどんなものよりこれが一番美味しく感じたのは二人とも同じだった。

    「カリム、また泣いてるだろ」
    「ジャミルだって、ジャミルだってそうだ」
    「俺のは笑い涙だからいいんだよ」
    「へへ、じゃあオレも笑い涙!」

     いつか夢みた世界で泣きあって笑いあう。
     こんなのってまるで、“友達”みたいじゃないか。

    「オレ、今度はジャミルの作ったカレーが食べたいな」

     灯りのない五畳の空間。世界で一番、まずくて美味しいカレーを頬張りながら。


    「……そんなもん、いくらでも作ってやる」

     二人は未来を約束した。
     前世は一緒に進むことのできなかった”その先“を。
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    6章、ジャミルが帰ってきた日の夜に
    手を繋いで眠るふたりのおはなし
     ジャミルが、帰ってきた。
    擦り傷、切り傷、痣と、体のあちこちを傷だらけにして。無事……とは言い難いけれど、それでも生きて、帰ってきてくれたのだ。


     突然の誘拐劇から2日間。”万全のセキュリティを誇る魔法士育成名門校“という信頼に足る肩書きを、たった数時間で失ったナイトレイブンカレッジでは臨時休校が続いた。
     通信手段を含め、外部との接触は不可能。駆けつけた教師陣も負傷者の手当に周辺の警戒、生徒への指示出しで手一杯。事態の全容把握にも、現場確認にも手が回らない。そんな、文字通りの混乱の渦中に置き去りにされた者の数、ざっと数百名。
     寮での点呼を終え、体育館に急遽集められることとなったオレ達生徒にまず言い渡されたのは、"無期限の休校”と“寮内での自主学習”だった。この学園の皆は、熱砂の国の打楽器に負けない程には賑やかだ。時たまこうして開かれる集会中も、まるで調音されていない楽器の演奏のように、それぞれが声を発しては教師の怒りを買っていたし、オレはそんな自由な空間が嫌いじゃなかった。
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    金の刺繍に絹のドレス
    キラキラ輝く装飾品
    そして大好きな人からのたっぷりの愛情

    注いでくれる人を待っている


    TIÁM(ティアム)
    ペルシア語。はじめて”そのひと”に出逢ったとき瞳におどる輝きのこと。



    雲ひとつなく晴れた空の下、どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。ジャミルの憂うつな気分とは正反対の穏やかな朝だ。昨晩は、担当教授が笑顔で出した解かせるつもりが無い課題に四苦八苦し、ほとんど眠ることが出来なかった。苦労はしたがその分評価点は期待出来るだろう。
    大通りから一本外れたこの脇道はアパートから大学へ向かう近道だ。今日は月曜、楽しい楽しい一週間の始まりだ。
    花屋の前を通り過ぎ、眠気覚ましにカフェでコーヒーをテイクアウトする。舌先で苦味を転がし心を無にして歩いていると、裏道には到底相応しくない派手な店の前に差し掛かり、うっそりと目を細めた。
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