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    Katsuki

    @katsukihazakura

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    Katsuki

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    純白の結婚、漆黒の記憶

    こちらは、悠脹webオンリーに書き下ろした、他の話とは別軸の未来ifになります。
    期間中には完成が間に合わなかったのですが、書き上がりました。オンリーで読んでくださった方には、お待たせして申し訳ありませんでした。
    なお、完成版は、12kanアンソロに寄稿させていただきました。

    #悠脹

    純白の結婚、漆黒の記憶 その男と行動を共にするようになって、一度冗談のように尋ねたことがある。
    「もう俺にはオマエしかいないんだとしたらさ、オマエのこと、抱いていい?」
     その男、脹相が、あまりにも自分に優しくするものだから。
     勘違いしたわけじゃない。ただ少し、意地悪を言ってみたくなっただけだった。
     自分の何もかもを受け入れてくれて、一緒にいてくれるこの男は、どんな反応をするのだろう。俺たちは兄弟だろうと、困った顔をするのが見たいだけだった。もしかしたら、本当にそれすらも受け入れてくれるかも知れないと、試したいだけだった。
     俺の聞き方が、あまりにも軽かったからなのか。男から返ってきた答えは、意外なものだった。
    「それは、オマエが俺と結婚したい、そういう意味か?」

    「え? どうしてそうなるん?」
    「そういう行為は、生涯かけて、互いを大切にすると、誓った者同士がするのだろう。つまり、結婚だな。結婚するまでは、清い身体でいないといけないものらしい」
    「それは、百五十年前の知識?」
    「いや、俺の器となった人間からの情報だ。百五十年前と大差ないようではあるが」
     今どき珍しいのではないか。たまたまそういう考えの人に、受肉したってのか? 
    「それは、そういう考えの人もいるっていうか……俺は、その……」
     説明しかけて、墓穴を掘っていることに気付いた。そんな正当な気持ちで声をかけたわけではないことを知ったら、脹相は俺を軽蔑するだろうか。

    「悠仁は、まさか、あの男が母にしたように、俺を弄ぶつもりはないだろう。オマエはそんなことはしないはずだ。だから、オマエが本気で俺を抱きたいと言っているなら……」
    「あー! 待って、待って! 確かに、こんな状況でする話じゃなかった。今の話は忘れて!!」

     居た堪れなくなって、遮ってしまった。話の続きを最後まで聞いていたらどうなったのだろうか。
     実際、あわよくば、という気が、なかったと言えば、嘘になる。この男のせいで、俺は人事不省に陥り、宿儺に身体をいいように使われたんだ。それは俺が弱いせいで、悪いのは俺なんだけれど、この男がいなければ、と恨めしく思う気持ちは、確かにあった。
     だから、そのモヤモヤした思いを、この男にぶつけて発散させられたら、という妄想に、そのときは取り憑かれていたのかも知れない。
     結果的に、脹相の愚直なまでに純粋な発言に、虚をつかれて、俺は頭を冷やした。

     それっきり、その話を蒸し返すことなく、俺たちは薨星宮で別れた。
     とにかく、そのときは、俺に脹相を愛しているなんて自覚は、これっぽっちもなかったんだ。

     そう、そのときは。

    ***

     その話を、俺はどうして五条先生に話してしまったんだろう。血迷っていたとしか思えない。
     ただ、脹相の、貞操感覚とかそういうのが、現代とそぐわなくて戸惑った、ということが言いたかっただけなのに。
     でも、先生からは、別の反応があった。

    「なるほど、結婚かー! その手があったか」
    「え……どういう、こと?」
    「いやね、脹相の処遇で上と揉めていてね。半呪霊なんて危ないもの、祓えだ、封印しろだ、うるさいんだけどさ、」
    「そんなの、ダメだ!」
    「うん、分かってるって、悠仁。だから、何とか彼の手綱を取ってます、とアピールできる手段を思いついたよ」
     先生が俺に、意味ありげに微笑む。
    「婚姻の縛りって、知ってる?」

     婚姻による縛り。それは、現在の結婚制度が確立する前から、呪術界にはあったという。それは、男女に限らない。むしろ、ある目的のために、男同士で交わされることも多かった。
     縛りによって、互いを害することにつながる行為の一切ができなくなり、害されることを阻止するための行動が義務付けられる。
    「例えば、片方Aを人質にとって、もう片方Bに危険な任務を与えるとするじゃん。そうすると、Bは、Aの身の安全のために、絶対に裏切れなくなるし、Bが死ぬとAも死んじゃうから、Bの持つ力が強制的に引き上げられて、任務を達成することができるようになるんだ。まさに死に物狂いでね。江戸時代に妻を都に人質にとっていた藩の中には、実際にこの縛りを採用していたところもあるみたいだし、もし男同士で互いが互いの人質になっていたら? 強制的に、狂戦士バーサーカーを二人手駒に加えられるってわけさ。秘術中の秘術だね」
    「待って。それだと、二人が示し合わせて逃げ出したら、意味なくない?」
    「そこはね、結託して悪さをするって言うのもね、結果としてどちらかが斃れる可能性があることから、相手の命を守るために、普通は選択できないようになってるんだよ。二人だけの意志で戦うには、互いに死んでも悔いがないくらいの、大義名分が必要なのさ」
    「分かったような、分かんないような。それで? それがどう脹相と結びつくの?」
    「脹相と誰かにこの縛りを結ばせて、相手を人質扱いとしておけば、彼に生きてもらったままで、上も納得するんじゃない?」
    「はぁ……で、誰と?」
    「そこなんだよね。今、この縛りがほとんど伝わっていない理由って、何だと思う?」
    「?……さあ」
     正直、話が急展開過ぎて、頭がついていかないんだけど。

    「一つには、縛りを結ぶための、婚姻の儀を執り行える術師が、残っていないこと。でもまあ、こっちには、術式コピーができる、優秀な後輩がいるから、何とかなりそうだとして。
     もう一つは、この縛りに耐えられる素体が、なかなかいないんだよ。相手とある程度対等のレベルでなければ、縛りのバランスもとれないしね」
    「じゃあ、脹相に見合う相手って?」
    「そうだねー、等級で言ったら、一級以上だけど、そんな人が、大人しく人質役を引き受けてくれるとも思えないし、やっぱり難しいか」

     脹相が、結婚する。女性と、いや、そうとも限らないけれど、誰かとそういう――。
     とても考えられないと思った瞬間、口をついて出ていた。

    「あのさ、その相手って、俺じゃダメなの?」
     五条先生が、目隠し越しに、驚いた目をするのが分かる。
    「その話、冗談だって、言ってなかったっけ?」
    「今はもう、性欲とかそういう話じゃないんだ……ただ、脹相を取られたくないというか……多分、本当に好きになったん、だと思う」
     先生の方を向けない。正直、笑われると思っていた。
    「そうか……確かにそれは、悠仁にとっても悪い話じゃないかも知れない」
    「え?」
    「実はね、悠仁の処遇についても、まだ中途半端なところがあってね。一応しっかり封印したとは言え、いつ宿儺が復活するかもって、心配している輩も多いんだ。でもこの縛りを結べば、少なくとも脹相が生きている間は、宿儺がまた表に出てくる可能性をゼロにできるからね。脹相と併せて悠仁の管理も一括してできるとしたら、上も受け入れやすいかも知れない」
    「俺は、脹相に釣り合う?」
    「そうだねー、宿儺が活性化した状態だったら、難しかったかも知れないけれど、特級呪物の脹相と、宿儺封印後の器の悠仁なら、素体としても十分強いし、釣り合いもちょうどよさそうだ」
     それなら、願ったり叶ったりかも知れない。
    「だけどね、この縛りは、婚姻によって、二人に配偶者という新たな属性を付与するものなんだ。それまでの関係を上書きすると言ってもいい」
    「つまり、脹相と俺は……」
    「兄弟じゃなくなるってことだけど、それって彼が納得するかな? まあ、悠仁のためなら、聞いてくれそうだけど」
    「いや、俺のためとかは、脹相には言わないで」
     おとうとのためになる、そう聞いたら、アイツはきっと引き受けてしまうだろう。流石に脹相の気持ちを差し置いて話を進めてしまうのは、弟という立場に甘え過ぎてしまっている。
    「脹相の話も聞いてみたいからさ、ちょっと待っててもらっても?」
    「構わないよ。ゆっくり相談しておいで」
     俺は狐につままれたような気分で、帰路に見たはずの景色は、何も覚えていなかった。

    「愚問だな」
     脹相の第一声は、至極あっさりしていた。
    「そもそも、俺が兄弟以外の相手を第一に考えて行動できるとは、とても思えない。百歩譲って、他人を愛することができたとしても、だ。兄としてオマエにすべきことを犠牲にしてまで、結婚相手を優先することなど、できるはずがない。こればかりは、俺が九相図という呪いである以上は、仕方のないことだ。それならば、唯一生き残っているオマエを第一に考えて行動できるように、オマエと縛りを結ぶことの方が、理に適っている」
     その、脹相独自の思考回路から導き出された答えは、弟である俺との結婚を受け入れる、ということらしい。
    「そんな簡単に、受け入れられるもんなのかよ。俺たちは、兄弟なんだろ。もっとこう、兄弟同士の結婚について、倫理的に悩んだりするとか、そういうのはないの?」
    「呪いの俺に、人の倫理が関係あると思うか?」
    「処女結婚にはこだわりあるのに?」
    「それは互いの誠意の問題だからだろう。いや、悪かったな、悠仁。人であるオマエは気にすることだったな。オマエが抵抗あるというなら、その話は断ってくれ。他の誰かと縛りを結ぶ話も含めてな」
    「待てよ。この話を受けなければ、オマエは死刑になってもおかしくないんだぞ」
    「オマエの気持ちを踏み躙ってまで、生きるのはごめんだ」
    「じゃあ、俺がもし、嫌じゃない、としたら?」
    「……そうなのか?」
    「……うん」
    「……」
     もっと、悠仁とか何とか、叫ばれてもおかしくないと思っていたが、脹相はしばらく黙ってしまった。俺にそういう目で見られていることに、今初めて気が付いたんだろうか。

    「忘れちゃった? 昔、俺がオマエのことを抱いてもいいか、聞いたこと」
    「あれは、オマエが忘れろと。冗談のつもりではなかったのか」
    「本当の冗談なんて言える状況じゃなかっただろ」
     当時と今と、心持ちが違うことについては、脇に置いた。
    「だからね、この話は俺が五条先生に持ちかけたようなもんなの」
     そのとき俺は、脹相に肝心の話を伝えることを、すっかり忘れていた。

    「さっきの話で、縛りによって新しい関係性が上書きされる、と言っていたな。兄弟としての絆は、どうなるのだ?」
    「そのときはさ、本当に伴侶として、俺のことを愛してもらえると、嬉しいんだけど」

     このときの俺は、脹相があまりにすんなり結婚を受け入れるものだから、正直もやもやしていた。結婚が前提とかって、重たいこと言っておきながら、脹相の気持ちはそんなに軽いものなのか? いや、そもそもが重過ぎて、代わり映えしないのかも知んないけどさ。もっと、弟と結婚することを、いや、俺との結婚を、重く受け止めて欲しかった。結婚が何か、脹相は全然分かっていない。この縛りを成立させるために、俺のことを伴侶として愛していなくたって、兄弟愛だけで結婚を受け入れている可能性すらあった。だから、こう言ってしまったんだ。

    「もし兄弟じゃなくっても、俺のこと愛せる?」

     脹相の口は、開いたまま言葉を発しなかった。
     本当は、ちゃんと考えさせてやりたかった。今の互いを想い合った気持ちのまま、付き合って、それで結婚を決めるのが普通だろ。だが、そこまでの時間は俺たちには残されていないだろう。先生の言うゆっくりは、せいぜい一週間かそこらの話だ。中途半端に時間を与えられて、気持ちが通いきれないまま、やはり断られることになるのも怖くて。
     俺は結論を急がせてしまった。脹相の気がかりに、気を留めることもなく。
     それを、俺は後で悔いることになる。

    ***

     脹相の気がかり――もし兄としての記憶も、上書きされてしまったら?
     兄弟でなくても、愛せるか。
     これほど恐ろしい質問はなかった。
     記憶を失ってしまったとしたら、俺はどうなってしまうのだ。
     もう一度悠仁のことを、殺してしまうのではないだろうか。そのときに、血の絆もなくなっていたら? 手を止めることも、できなくなる。
     あのときに流した冷や汗が、再び湧き出てくる。
     弟を殺しそうになった恐怖。それすらも感じなくなってしまったら。俺はどうすればいいのだ。
    ――これは、賭けだ。
     己を、そして悠仁を信じるしかないと、脹相は一人、決意した。

    ***

    「本当は証人が多い方が縛りの力も強くなるんだけど、君たちは表向きには存在が認められてないから、仕方ないよね」
     婚姻の儀は、脹相と俺と、五条先生と、乙骨先輩の四人で簡単に執行された。
    「秘伝の書を読んだだけなので、上手くいくか分かりませんが、この後お二人は、同じ家で一晩を過ごしていただけば、翌朝には縛りが成立するようです」

     二人になると、脹相は改まって俺に言った。
    「悠仁、頼みがある。今からしばらくの間、俺がいいと言うまで、俺と兄弟だと言うことは、俺の前では黙っていてもらえないだろうか」
    「え、それは、新婚……の気分のため?」
    「まあ、そう思ってもらっても、構わない。まずは、約束して欲しい」
    「分かった、いいよ」
    「俺に、何があってもだぞ」
    「やけに念を押すな。何かあったん?」
    「やはり、悠仁に聞かれた質問の答えが、まだ見つかっていないのが気になってな。一度、兄弟であることを忘れて、しっかり考えさせてもらっても、いいだろうか?」
    「それは、ありがたいけども……脹相こそ、大丈夫? すぐまた、お兄ちゃんだぞって、言い出さない?」
    「そうだな、それも寂しいな。新婚だというのに悪いが、今宵は兄弟として、名残を惜しんでもいいだろうか」
     それは、つまり、今日は、初夜的なことはしないって訳か。でも、脹相が、ちゃんと二人の関係について考え出してくれたことを、嬉しく思った。
    「仕方ないなぁ。まあ、今までと急に何かが変わるわけじゃないしな。オマエとあの、そういうことするのも、オマエの気持ちをちゃんと聞かせてもらってからの方がいいだろうし」
    「すまんな」
    「じゃあ、待ってるから」

     そのまま、取り留めのない話を続け、呪霊を狩っていたときのように、並んで眠った、次の朝。

     横にいる気配が、変わったのを感じた。

     あのときの、俺への殺意に満ちた目の男が、そこにいた。

    ***

    「オマエは……虎杖、悠仁?!」
    「オマエ、なんかおかしい……」
     互いに、目の前の存在が、本来そこにいるはずのないものと認識する。
    「虎杖! あのとき確かに、殺したはずでは?!」

     俺が脹相の異変を理解するよりも、脹相の殺意が急上昇し、攻撃体勢をとる方が、早かった。咄嗟に俺も、距離をとって、穿血が来たとしても急所を守れるような姿勢で待つ。
     だが、脹相の周囲に、血の匂いが漂うことはなかった。
     動揺する気配――もしかして、穿血が打てないのか? 見た感じ、顔の模様も変化した様子はない。それでも、殺意に任せてこちらへ突っ込んで来ず、攻撃の機会を窺っているのは、以前の戦闘で、俺との近接勝負が美味くないのを、覚えているからだろう。そう、赤鱗躍動が使えない状態では。

    「脹相、オマエ……術式が、使えないんだろう」
    「クソッ! どうやらそのようだが、何故分かった。オマエが俺に何かしたのか?」
    「違うけど、今の状況を、俺は少し、説明できると思う。だから、一旦、休戦するわけには、いかん?」
     状況を説明して欲しいのは、こっちの方なんだけど。だが、まずは戦闘を回避するのが先だ。
    「いいだろう……話を聞いてやる。だが、そこから一歩も動くなよ」
    「大丈夫。俺は何もしないから」

     信用など一欠片もしていないような眼差しが刺さる。
    「多分、俺たちは今、お互いに攻撃できないような状態になってるはずなんだ。その、オマエがどこまで覚えてるか知らないけれど、俺たちはその……」
     この状況で、婚姻の話を持ち出して、信じられるはずがないと思った。逆上させる可能性すらある。
    「互いに攻撃できないなら、領域とも違う……何かの縛りか?」
    「そう! 縛りを結んだ状態だから! 一旦戦うのは諦めて、オマエの今の状況も、教えて欲しいんだけど」
    「何故縛りなど結んだんだ。そうだ……何も思い出せない。オマエは、弟たちの仇で、俺は渋谷でオマエと戦っていた。だが、その後のことは……ここは、渋谷ではないな? 今はいつだ、時が経ったのか?」
    「脹相、本当に思い出せないのかよ。オマエは俺の……」

     言いかけて、はっとする。兄弟の話をするなと、昨日言われたことが、足を引っ張る。
     それを言った脹相が、今ここにはいなくなってしまったという事実。認めたくないが、それを受け入れざるを得ない状況に、愕然とする。
     新婚だから兄弟の話をしないなんて、今はそれどころじゃないだろう。だが、脹相が言っていた"俺に何があっても"が、こうなることも織り込み済みだったら?
     俺は何かを試されているのだろうか――俺は脹相との約束を破れない。

    「何だ虎杖、はっきり言え。俺が記憶を失った間のことを、オマエは知っているんだろう」
    「分かった説明する、だから怒らんで聞いて」
     さて、どこから説明すべきか。
    「あ、アイツ! 脹相、加茂憲倫は分かるか?」
     脹相の表情が険しくなる。
    「加茂、憲倫――! 俺を作った男だ」
    「そう、ソイツが、本当は羂索といって、でも渋谷では夏油傑を名乗ってて、事変を起こした首謀者だったんだけど」
    「何だと夏油が? アイツ――!」
    「そう、俺たちには共通の敵だったんだ。オマエは利用されてたのを怒って、俺たちに味方をしてくれたんだよ」
    「待て、俺は、オマエが壊相と血塗を殺したことを、赦した覚えはないぞ」

     心が痛い。やっぱり脹相は、俺が弟だから二人の死を受け入れてくれてたんだ。俺が弟じゃなかったら、赦されない――。

    「まぁ、いい。今の俺ではなく、記憶を失くす前の俺は、オマエを赦していたと言うんだな」
    「そうみたい、でも分からない――」
    「どっちなんだ」
    「分からないけど、脹相は、俺に優しくしてくれるようになって、それで」
     言うなら、今しかないと思った。

    「婚姻の、縛りだと――!?」
     脹相は、怒りと恥で顔を真っ赤にしながら、それでも、一通りの話は聞いてくれた。

    「俺自身が狂っていたとしか思えないが、今の状況からは、信じるしかないようだな」
     そうなんだよ、側から見たら、そう思われてもおかしくないんだよオマエは。でもそれが、俺の兄貴だった脹相という男なんだ。
    「だが、俺は呪いだ。理由もなく狂うはずがない。術式にかけられて騙されていたか、オマエを赦すような何かがあったのか」
    「冷静なんだな、オマエ」
    「弟と加茂憲倫に関することでなければ、俺の心は基本動かないからな。他のことなどどうでもよい」
    「俺もその男にひどいことをされた被害者だとしたら、同情して赦してくれた?」
    「かわいそうだとは思うかも知れん。だが、弟たちを殺したことは、それだけでは赦せない」
     また心が痛んだ。

    「なぁ、俺たちに縛りをかけた人たちに、会いに行ってみない? 記憶を取り戻す方法が、分かるかも知れない」
     脹相はその提案に乗ってくれた。だが、彼が玄関をくぐろうとした瞬間、動きが止まった。
    「おかしい、家から出られない。そういう結界か?」
    「そうみたいだね、俺は普通に出られるけど」
    「俺だけが出られない縛りか。まぁいい、オマエは行ってこい」
     家に残す脹相が心配ではあったが、自分に危害を加えることも、できないはずだ。
     俺は早速、五条先生の元へ向かった。

    ***

    「へぇ、何でそんな、敵将を娶りました、みたいなことになってんの?」
     辱めを受けるくらいなら殺せとか言ったかな、と呟く先生を、同席していた伏黒が小突く。
    「趣味悪い」
    「ごめんね、悠仁」
    「アイツは、生きることを簡単に諦めるような莫迦じゃないよ」
     先生の冗談を怒る余裕すら、俺にはなかった。

    「そうだねぇ、兄弟としての属性が上書きされるときに、やっぱり記憶も持っていかれちゃったかも知れないねぇ」
    「何とかならんの?」
    「うーん、無量空処で、強制的に脳に情報を流し込んで思考を活性化させたら、記憶が戻る可能性はゼロじゃないと思うけれど、廃人になるリスクの方が高いから、お勧めはしない」
    「じゃあ、俺が瀕死になったら、術式で兄だと再確認できたりしない?」
    「血縁に気付いてくれる可能性はあるけど、それで記憶が戻るとは限らないな」

    「でも、ちょっと状況が、おかしくないですか? 何で虎杖は結界を出られて、あの人は出られなかったんだ? そもそも、婚姻の縛りに、結界とか、あるんですか?」
    「恵、いいところに目をつけた。そもそもが古いしきたり。伝わっていないこともあるかも知れないから、もう一度調べ直した方がいいね、婚姻の縛りのこと。恵、憂太と一緒に、お願い」
    「俺からも頼む。俺は、脹相の様子が気になるから、戻って付き添うことにする」

    ***

     そうだ、アイツは何も諦めていない。生きることも、俺を殺すことも。
     帰宅した俺は、それを早くも思い知った。

    「それ、どうしたん?」
    「家の中から出られないのであれば、することもないからな。新婚の真似事に付き合ってやる。作ったから、オマエも食え」
     食卓には、無造作に食器が並べられ、鍋には、得体の知れないスープが煮えている。
     俺を心からもてなす気がないのは明白だった。寂しい気持ちで、淡々と席につく。スープは、美味しくも不味くもなかった。
    「悪いんだけどさ、俺、毒は効かないんだ」
    「チッ」
     俺に耐性があるから、毒を入れるのは、危害を加える行為にはノーカウントということか。
    「いくらでも食べてやるから、また作ってよ」
     また舌打ちが聞こえた。

     新婚生活の相手は、俺がそれを共にしたいと望んだ男ではなかった。
     俺が好きだった脹相がいなくなって。
     一番最初に、俺が欲をぶつけたいと思っていた、敵の脹相がそこにいる。
     自分より強かった彼を、組み伏せて思うようにしてやりたい。そう思ったのが始まりで、今こそあのときの彼に好き放題して、鬱憤を晴らすことも可能な状況だと言うのに。
     俺にはそれができなかった。
     本当に脹相のことを愛していたから。
     でも、もう相手に届かないのであれば、それが愛であることが辛くて。何もできないのは、その行為が危害にカウントされているからだと思うことにした。

    ***

     別々に眠った、その夜。
     気配を察知して跳び起き、彼の腕を掴む。乗り込んできた脹相の手には、包丁があった。
    「チッ。術式がダメなら、何だって使ってやるさ」
    「無駄だと思う。オマエの気配はさ、よく分かるんだよ」

     一週間ほど、呪霊を共に狩って過ごしていた話をした。そのとき、寝ていても、近付く気配が、脹相なのか、呪霊なのかを、判別する必要があった。最後の方こそ、脹相のは気にせず眠り続けられるようになったけれども、気配まで忘れたわけじゃない。
     黙って聞いていた脹相が、少しばつの悪そうに立ち去ろうとした、そのとき。異変が起きた。
     急に身体に力が入らなくなったように、脹相がその場に崩れ落ちたのだ。
    「脹相!」

     駆け寄って、助け起こす。
    「すまん、体が動かない――」
    「どうしたんだ、もしかして、縛りのペナルティか?」
     とりあえず脹相を、そのまま俺のベッドに寝かせた。
     術式も毒も使えなかったから、武力行使に出た。傷を負わせることはなかったものの、代償に、身体の力を奪われてしまったのではないか。
     何度も生命を狙われたことに関しては、何とも思わなかった。俺はそれだけのことをしたのだから。だから、その結果として動けなくなってしまった男のことを、そのままにはして置けなかった。

    「気にすんなよ、脹相。俺に世話をさせてくれないか?」
    「呪力で何とかなるから、しばらくは食事も排泄も、心配はいらない。放っておいてくれ」
    「でも、せめて、身体の向きを替えたりはしないと。実はさ、俺、戦いが終わって、オマエとの婚姻が決まるよりも前のことだけど、少しばかり病んじゃってさ。もう平和になったのに、戦いのことを思い出すと眠れなくなって、自暴自棄んなって、動けなくなったんだ。宿儺が封印されて、呪力のバランスがおかしくなってたのもあった。そんとき、オマエがずっと、俺の世話をしてくれてたんだよ」
    「この俺がか」
    「暴れても何しても、文句一つ言わずにな」
    「それはつまり、俺はオマエと、付き合っていたから、ということか?」
    「いや。そういう理由じゃなかった。それでも……家族みたいなやつだった」
     兄とは言えないが、これならセーフかな。
    「とにかく、オマエは俺に、何でもしようとしてくれたんだよ。俺が返しきれんくらいに。だから今、ちょっとくらい、俺に手伝わせてよ」
    「……好きにしろ」
    「ありがと」

     まずは、今の脹相の状況を、五条先生に連絡して、不要だと言っていた食事も、作ることにした。
     脹相は結局、食べてくれた。手が動かないから、俺が一口ずつ運ぶたびに、黙って口を開けて待っていた。
    「懐かしの味で、記憶が戻るなんてことは、流石にないか」
    「これは俺の好きだった料理なのか?」
    「いや、そういうわけでもないけど、よかったら次は作ってやるよ」
    「……あぁ」
     脹相が少し素直になったのに気をよくして部屋を出ようとしたとき、虎杖、と声をかけられた。

    「……他にも、記憶を失くす前の俺との、話はあるか? 俺は、自分のことも、オマエのことも、よく知らないからな。何か思い出すヒントがあるなら、教えて欲しい」
    「も、もちろん! たくさんあるよ!」

     脹相との思い出を、兄弟関係抜きに話すのは、極めて難しかったが、その要素を抜いてみて初めて、アイツがどういうつもりで俺と接してきたのかが、分かるかも知れないと思った。
     でも、分かったのは、兄としてではない、脹相に対する自分の想いばかり。改めて、以前の脹相に会えないことが、辛くなった。

     夕食のとき、思い切って、脹相の身体を起こし、自分の身体にもたれさせて、抱き抱えるようにした。
     脹相は特に、文句も言わず、されるがままになっていた。
     起き上がった方が食べやすいかと思ってのことだったが、縁遠くなってしまった脹相の冷たい身体に、少しでも触れて、温めてやりたかった。いや、本当は、温めてもらいたいのは、自分の方だった。

    「俺とオマエには、体の関係があったのか?」
    「え! な、ないよ、全然」
    「それにしては、自然な感じだな。オマエがこうして俺に触れるのは、初めてじゃなさそうだが」
     それは、オマエが、俺によく触れてきたからだろ……兄としての、オマエが。
    「俺は、その、記憶があった頃のオマエと、そういうこともしたかったんだけど、オマエは、結婚してからがいいって、そう言ったから」
    「無理に手は出さなかったのか」
    「オマエは強いからな」
    「そうだな。こんなことにならなければな」
     意外にも、その口調には、前ほどの殺意を感じなくなっていた。俺はそれで、少し調子に乗ってしまったかも知れない。
    「いや、本当、こんなことになる前に、オマエを抱かせてもらえばよかったよ。そうしたら、もう一度抱いたときに、俺との関係を思い出してくれたかも知れないのに」
    「……今の俺とも、そういうことをしたいと思うのか? 一応この俺は、オマエの配偶者らしいぞ」
    「バッカ、今はそれどころじゃないだろ。まずはオマエの身体が元に戻る方法を、考えないと」
     だって、オマエは俺の好きだった脹相とは違うのだから。

     実際どうしたものかと思っていたが、脹相は翌朝にはすっかり動けるようになっていて、俺は拍子抜けした。
    「昨日は、迷惑をかけたな」
    「あっそう……よかったな」
     ペナルティは、一日で切れるのか。
    「もうオマエに危害を加える気がなくなったからかも知れんな」
    「どうして?」
    「……恩には報いなければならない」
    「そうかよ……かと言って、これからどうしたもんかね」

     改めて休戦を経て、状況打開のため、今の脹相との間に妙な一体感が生まれた頃、先生たちから連絡が来た。今から先輩や伏黒を連れて、家にやって来るという。
     いきなりで慌てたが、兄弟の件の口止めだけは忘れなかった。

    ***

    「なぁんだ、脹相、動けるようになったんじゃない」
    「いやぁ、虎杖君。色々なことが分かりましたよ」
    「今までの話で、おかしいと思う点を突き合わせたら、ある結論に到達した」
    「は? え?」

     矢継ぎ早に説明を始めようとする二人を制して、先生が言った。
    「じゃあ最初に一つだけ、重要な質問。君たち、婚姻の儀を行った夜、例の行為を、最後までちゃんとしたかな?」
    「して……ないです」
    「やっぱりね」
     五条先生が、意味ありげに頷いた。
    「先生、どういうこと?」
    「つまりさ、君たちはさ、まだ婚姻の縛りがかかった状態じゃないんだよ」

     まず、婚姻の縛りだとしたら、矛盾すること。結界の差だけではなかった。
     脹相が俺に殺意を抱くこと。行動に移すだけでなく、それ以前からしておかしかったのだ。まして、未遂とは言え、刃物を使って攻撃をしようとすること自体があり得ない。従って、ペナルティなども、本来は存在しない。

    「それで、婚姻の縛りが成立する条件を改めて調べてみたんだ」
    『同じ家で一晩を過ごす』というのは、つまり。
    「文字通りの意味じゃなくて、ちゃんと初めての性行為を成立させる必要があった」
    「ちなみにこれ、片方が童貞や処女じゃなくなってても、不成立だったようです」
    「現代に廃れた理由には、それもあるみたいで」
     いや、脱線している場合ではなく。
    「つまり、脹相が記憶を失くしたり、動けなくなったりしたのは、何だったんだよ」
    「婚姻の縛りとは、別の術式、あるいは縛りによるものだ」
    「芝居じゃなさそうですもんね」
    「そんなの一体、誰が……」
    「それが可能なのは、ただ一人――」
     皆の視線が、ほとんど無言になっていた男に注がれる。
    「脹相本人しか、いないでしょ」

    ***

     それで、もう一つ、分かったこと。
     脹相は、婚姻の儀を行う前に、一人天元様を尋ねていた。脹相もまた、婚姻の縛りが成立する本当の要件について独自に調べ、一人把握していたことになる。
     それでも動機については、結局分からずじまいだった。
     そして、五条先生が帰りがけに言い残していったことも、俺たちを惑わせていた。

    『で、君たちはどうなの?』
    『……二人とも、ハジメテ、ですけど』
    『じゃあ、まだ婚姻の儀は有効だから。でもまあ、こんな状況だし。ちゃんと縛りを成立させるか、破棄にするかは、悠仁に任せるよ』

     脹相はさっきからずっと、何も言わない。痺れを切らして、俺から話しかけた。
    「婚姻、このまま解消することもできるってよ。オマエがここから出られないなら、俺が出て行けばいいし」
    「虎杖。オマエはそれでいいのか? 俺に気を遣うな。俺の記憶を取り戻したいのだろう?」
    「オマエこそ。弟たちの仇の俺と、このまま一緒にいていいのかよ。殺す気がないなら、もっと辛いだろ?」
    「いや……」
     いつか、アイツと同じような会話をしたことがあった。そのときアイツは、俺を受け入れてくれたんだった。今の脹相から、同じ言葉を聞くことができないのが、もどかしかった。
    「……何考えてんの?」
    「俺が何を考えて行動していたか。それを辿ることが、解決のためには必要なんじゃないか?」
    「悪い……そうだよな」
     俺は脹相の隣に腰を下ろした。

    「そうだな。術式の封印と、武力行使した場合のペナルティについては、理解できんだよ。きっと、俺を殺したくなっても、絶対に俺を攻撃しないように、最大限の配慮をしてくれたんだと思う」
    「ということは、記憶が消えることを、俺は想定済みだったんだな。家から出られなくしたのも、俺が混乱してどこかに行ってしまうのを防ぐため、か」
    「あ! もしかして……俺があんなこと、言ったから?」

    『もし兄弟じゃなくっても、俺のこと愛せる?』

    「オマエは何と言ったんだ」

    『俺がいいと言うまで、俺と兄弟だと言うことは、俺の前では黙っていてもらえないだろうか』

    「……呪いだよ。オマエはある種の呪いにかかったから、俺を愛してくれた。その呪いがなくなっても、また愛してくれるか聞いたんだ。だからオマエは、呪いにかかる前の状態に自らなった。そういうことだったのか?」
     じゃあ、全部俺のせいじゃないか。俺が脹相を追い詰めたせいで、アイツはいなくなってしまったのか?
     悲痛の叫びと共に頭を抱える。

    「後悔してるのか?」
    「そうだよ、俺の呪術師としてのこれまでなんて、あのときこうしてたらよかったとか、そういうことだらけだよ。オマエの弟たちのことだって」
    「……悔いてるんだな」
    「あぁ」
     自分の心に嘘はつけなかった。脹相の前だったからこそかも知れない。
    「もっとやりようがあったんじゃないかって、あの涙を見て思ったんだ。やらなきゃこっちがやられる、仲間も一般人も助けないといけない、だから仕方なかった、そう思おうとした。でも、あのとき何とかできてたらって、ずっと思ってた。オマエを悲しませることも、怒らせることもなかったのに。オマエと殺し合いをすることもなかったのに。そうしたら……あんなにたくさんの人を宿儺に殺させることもなかったのに」
    「その気持ち、俺は知っていたのか?」
    「分からない。俺に気ぃ遣って、聞いて来なかったから。俺も言えなかった。だって、結局は、俺自身が楽になりたいだけだったから。俺の苦しみの原因の一部を、間接的にでもオマエに背負わせることなんてできなかった」
    「贖罪のつもりか?」
    「違う。オマエのことが好きだったから。オマエをこれ以上悲しませたくなかったし、嫌われたくなかったから。ごめんな、やっぱり俺には、脹相と一緒になる資格なんてないよ。今のオマエなら、なおさらだろう」
     脹相はじっと俺を見ていた。その目に、冷たさはもうなかった。
    「いや。オマエの気持ちには、俺も寄り添えていなかったのだろう。オマエをよく知っているはずの俺が知らないことを、この俺が知っている。不思議な優越感だな。オマエの懺悔、確かに聞いた。オマエはもう、罰を受けたんだ。それでまた新しい罪を背負ったというのなら、それは俺も同罪だ」
    「何で、オマエが」
    「俺もな、最初はオマエを許せなかった。だが、もう一人許せないやつがいた。壊相と血塗を、たった二人で行かせてしまった、俺自身だよ。このことも、俺はオマエに話せていなかったんだろうな」
    「もっと、オマエと話をしてればよかった」
     そうしたら、オマエが一人いなくなるなんてことも、なかったはずなのに。

    「なあ、オマエの知る俺は、そんなに無責任なやつだったのか? オマエを置いて消えてしまってもいいと、本当に思っていたのか?」
    「分からない。自己犠牲も厭わないやつだったとは思う」
     それが弟のためになるのなら。今の脹相には言えないけれど。
    「オマエのためを思ってやったことだと?」
    「それは、うん、そうなんだと思う」
    「オマエのためになったのか?」
    「まさか。本当何考えてんだよって思う」
    「フ、悪かったな……だがな、一つ断言できるのはだな。俺には弟がいる。俺からのオマエへの気持ちがどんなものであったにせよ、弟たちを蔑ろにするつもりだったはずがない。たとえ皆もう生きていなかったとしても」
    「そう……だよな」
     脹相は、また戻って来るつもりがあった、ということになる。
    「俺は、自身にかけた縛りに、必ず解除の条件を設けているはずだ。それならまずは、俺がオマエの投げた問いに答えを出せば、何かが変わるだろうか」
    「出せんのかよ、答えを」
     脹相はしばらく考えていたが、意を決して口を開いた。

    「……アイツらを、壊相と血塗を、悼んでやれるのが、もしも俺とオマエだけだと言うのなら。それは、俺がオマエを受け入れる理由になると思う。虎杖、いや、悠仁。この身、オマエに任せよう」
     何を言われたか分からなかった。オマエは俺を、殺したいほど憎んでいたはずなのに。弟だとも知らないのに、どうして。
    「オマエが躊躇するのも無理はない。俺はオマエが好きになったという俺ではないのだからな。だから、元の俺をオマエに返してやろうと言ってるんだ。だが、俺が失った記憶を取り戻すには、おそらく先に進むしかない。悠仁、オマエは、俺に呪いがなくてもオマエを愛せるか尋ねておきながら、記憶を失った俺を愛することはできないのか?」
     雷に打たれたように感じた。
    「……そうだ、オマエの言う通りだ。オマエは、俺が愛した、優しいオマエではないけれど、俺のために冷静に考えてくれているところとか、弟を第一に考えてるところは、やっぱり俺の好きな脹相なんだなって思うよ。だから……やっぱりまた、元のオマエに会いたい。今のオマエが、俺を受け入れてくれると言うのなら」
     ありがとう、脹相。
     もう、遠慮はできなかった。

    ***

     夢の中、俺の隣にいる人は、俺のよく知る人だろうか。ずっと、逢いたかった――。
     はっと、目が覚める。この、隣にいる気配の正体は。

    「脹相? 脹相!?」
     ガバッと身を起こして、彼をゆすると、脹相は目を開けた。
    「悠仁?……悠仁だな。俺は、オマエに証明したぞ」
    「証明?」
    「兄でなくても、オマエを愛せることを」
    「やっぱり、そのために、こんなこと? 二度と記憶が戻らなくなるかも知れなかったのに! 俺が悲しむとは思わなかったのかよ」
     脹相は、怒りを受け止める代わりに、起き上がって、俺を優しく抱きしめた。
    「すまんな。それだけじゃなかった。むしろ、こうしていなければ、本当に記憶を失うところだったんだ。こちらの方が、俺にとっては大事な理由だった。聞いてくれるか、悠仁」

     婚姻の縛りによる属性の上書き。兄ではなくなること。兄としての記憶も消去されてしまうこと。それは、脹相の呪いとしての根幹に関わることだった。最悪の事態などいくらでも想定できた。
     それを回避する方法として考えたのが、記憶を一度他所に移して、属性の上書きが起こる瞬間に、兄弟である事実を隠しておくことだった。そして、婚姻の縛りが成立した後に、記憶を戻す――これが仕掛けだった。
     記憶をただ封印したのでは、上書きで取り出せなくなる可能性があった。そこで考えたのが、"虎杖悠仁へ危害を及ぼす行為を禁ずる縛り"と、その代償としての、記憶の一時的剥奪だった。
     だが、メリットばかりでは縛りは成り立たない。脹相はこれに、婚姻の縛りが最後まで成立せず、記憶が永久に戻らなくなるリスクを掛け合わせることで、縛りに効力を持たせたのだった。

    「俺はな、悠仁。オマエと婚姻の縛りを結ぶことで、たとえ術式が使えなくなったって、呪いでないただの人間になったって、それで寿命が縮んだって、全部構わないと思ったんだ。だが、許せなかったのは、弟であるオマエの記憶を失うことだった。オマエをただ憎んでいた頃の俺に戻ることだった」
    「じゃあ、やっぱり俺のためかよ。分かってるんだ、オマエがやってることは、全部俺のことを想ってなんだって。そういうところが嬉しいけど、自分が不甲斐なくなる」
    「いや、違う……縛りがあれば、オマエに危害を加えることはないはずだった。オマエの安全は最初から保証されていた。だから、これは俺自身のためだった。俺が、もう何も奪われたくなかったからだ。そしてそのためには、オマエの協力が不可欠だった」
    「あ、だから、兄弟のことを言うなって言ったのか」
    「あぁ。もしオマエが約束を破ってしまっていたら、記憶を消したことが無駄になり、やはり上書きと共に戻らなくなる可能性があった」
    「それだけじゃないぞ。俺と、記憶を失くしたオマエが喧嘩別れする可能性だってあっただろ」
    「それも賭けだったな。だが、俺は俺の判断を信じていたし、オマエのことも信じていた。オマエの問いには、最初から答えは出ていたんだよ」

    「ならさ、オマエがしてくれたことは、やっぱり、俺のためでもあったよ。俺だって、オマエが兄弟として過ごしたあの時間を、忘れて欲しくなかったから。それに、オマエのそういう想いを、ちゃんと教えてもらえたから。こっちはさ、オマエが兄としての義務感だけで、俺と結婚するつもりなのかもって、心配してたんだぜ」
     まったく。誰が結婚について分かってないって? めちゃくちゃ考えてくれてたんじゃん!
     気恥ずかしくなって、ふともう一つの可能性を口にした。
    「でも、俺が童貞でよかったな。それで不成立になることまでは、想定してなかっただろう?」
    「いや……実を言うと、そこまで調べていた。オマエが童貞というのも、まぁ、何となく、分かっていた」
    「……」
     だめだ、余計に恥ずかしくなったわ。

    「でもさ、少しは相談して欲しかったのはあるな。オマエ一人そんなに考えていたなんて」
    「すまんな、オマエを傷つけないための縛りの効果を高めるためには、記憶のヒントになるものは何も残せなかったんだ」
    「心は傷ついたんですけど」
     脹相を殴ってやりたい気持ちは、婚姻の縛りのせいなのか、久しぶりに見た暖かい眼差しに心がほぐされてしまったせいか、宙に浮いてしまい、振り上げた拳は、勢いを失って、脹相の胸にポスッと着地した。
    「……おかえり、脹相」
    「ただいま、悠仁。本当にすまない。オマエに隠し事は、もうしないから。埋め合わせさせてくれ」
    「あぁもう、たっぷりな」
     改めて、脹相にキスをする。

    「そう言えばさ、昨日の夜の記憶はあるのかよ。アイツの意志は、どこかへ行っちゃったのかな?」
    「記憶を失くしていた間の記憶も、しっかりあるからな。俺は俺なんだが……オマエは、あぁいう方が、好みなのか?」
    「いや、そういうわけじゃなくて! ただ、ちゃんと、お礼を言いたかっただけ。俺を愛してくれて、ありがとうって」
    「そうか。俺もそれ以上にオマエを愛しているぞ。そして、悠仁に改めて、この俺を愛して欲しいと思う。オマエの兄で、かつ伴侶である俺を」
    「生涯愛するよ、もちろん!」
     もう一度脹相に抱きついて、押し倒す。

    「なぁ、縛りができて、俺たち、何か変わった?」
    「いや、何も。俺が、オマエのために行動し、オマエを想えばこそ力を発揮できるなんて、遥か昔からそうだったろう?」
    「強いて言うなら?」
    「晴れてオマエとこうして触れ合えるようになったのが、嬉しいということだな」
     結局、俺たちが賭けに勝って得たものは、この一夜の関係だけだったのか。いや、一夜きりじゃない。これからもずっと続いていく、新たな信頼関係だった。
    「うん……俺もだわ」
    (了)
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    脹相は彼のふたりの弟と同じように葬られた。俺は九十九さんの隣に立って、その様をずっと見ていた。命尽きるまで戦ったのだろうと分かる傷だらけの身体が火に抱かれ、骨になって、小さな壺に収められて、森の中に建てられた小さなお堂の中に収められるまでを、ただ静かに、目に焼き付けるように眺めていた。
    涙は出なかった。脹相の身体が灰になるときも、つめたくてかるい壺を胸に抱いた時も、脹相が収められたお堂の前に立った時も。俺は涙を流すことも、お堂に手を合わせることも、目を瞑って心の中で語り掛けることも出来なかった。俺はそれがなぜかわからなくて、お堂の前に立ち尽くして自分の中に押し寄せるさざ波のような音をずっと聞いていた。もう日が暮れるよと先生が俺の肩を叩いてくれたとき、俺はひとつだけわかったことがあった。
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