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「えっと、おれと花火しない?」
はぁ?と嫌な顔を隠しもせずに眉を顰めた影浦に、まぁまぁ話を聞いてよとまとわりつく。
春と夏の間。うっとおしい梅雨時期の、数日間だけ続く雨の切れ間。さんさんと輝く太陽が日中これでもかと急に気温をあげて、一気に体温調節機能が根を上げてしまいそうな天気が連日続いていた。
トリオン体ならばなんら気にすることはないけれど、あいにくすでに生身に戻った体はじんわりと汗をかいている。
今日も今日とて、陽が落ちてしんと静まったこの時間帯でも残念ながらあまり気温は下がらなかったようだ。
「……花火」
「そう、花火」
合ってるよ、と頷きながら肯定をくり返す。
なんだかんだ優しくて面倒見の良いカゲは、おれ相手じゃなければよほど機嫌が最悪な時を除けばいくら突飛な内容だって話くらいは聞いてくれる。
ただし、その相手がおれとなればおとなしく話を聞いてくれるかは五分五分で、さらに聞いたうえでキレずに同意をしてくれたことといえば……いっこも思い出せないけれど。
「なんで」
「もらったから?」
「誰に」
「カゲのお母さんに」
「はぁ!?」
そう。何を隠そう、この話の発端はカゲのお母さんである。
おれの勝機といえばそのカード1枚のみなので、できればここで畳みかけてしまいたかった。
「今日ね、お昼に商店街でばったり会って。カゲのお母さんだなって思ってこんにちは〜って挨拶したら、『ちょうど良かった、雅人と遊んでやって』ってさ」
「アァ!?」
「そんなすぐキレないでよ……カゲのお店って夏だけ花火屋さんでもするの?」
「んなわけあるか!」
「え、でもダンボール抱えてたよ。しかも『レアキャラでイケメンの犬飼くんにはお店に出す前に特別にあげるわね〜』って言われたけど」
「あのくそババア……!」
「口が悪いな〜」
ほんの5本ほど束ねられた花火が2つ。犬飼の手のなかで行儀よく自分の出番を待ち構えている。
いつもの半分ほどの目で呆れたように花火へ視線を落としたカゲが、閉じるのを忘れた口からギザギザの歯を覗かせていた。
すこし間をおいてから、めんどくさそうにガリガリと頭をかく。
「アー〜……夏に店来たガキに渡す用」
「え?花火くれるんだ?」
「小学生以下な」
「ふぅん。いいサービスだね」
「つまりおめーは小学生以下のガキ」
「へぇ、まさとくんは小学生よりバカなんだ?」
「ざっけんなよ!」
先にケンカをふっかけてきたのはカゲのくせして、先に墓穴を掘るのもだいたいカゲだ。
おれは丁寧にそれを指摘してあげているだけなのに、いちいちめくじらを立てて大変だな、といつも思う。
「でさ、この本数だしすぐ終わっちゃうでしょ?みんなのこと誘うほどでもないし……カゲのお母さんから貰った手前、カゲとやらないのもなんかアレだしさ……」
ここでケンカが始まってしまったら終わりだと思ったおれは、花火を束ねた紙をいじりながら咄嗟に仕切り直す。
カゲのお母さんがおれとカゲのシフトを把握しているなんて万が一にもあり得ないのだが、昼過ぎから夜にかけての防衛任務がちょうど重なった今日はこれ以上ない絶好の開催日和だった。
終わった時間帯を見計らってカゲだけをうまく捕まえることができたらちょうど良いな、なんて思いながら任務をしていたからか、時折うっとおしそうにチラチラおれを見ては舌打ちをしていたカゲのほうから「てめー言いたいことがあんなら言えよ!」と任務終わり健気に作戦室の前でカゲを待っていたおれに切り出してくれたので、これ幸いと告げたのが先のセリフというわけだ。
「…………どこで」
「えっ」
「やんねーなら帰る」
「やるやる!やろ!今すぐ、えっと、どこなら怒られないかな……」
びっくりした。
全然期待していなかったわけではないけれど、それでもカゲがいっしょに花火をやってくれる可能性なんて、諏訪さんが禁煙を宣言するくらいの確率だと思っていた。
あっけなくフられると想定していたおれは「じゃあ『犬飼くんは花火を楽しんだみたいです』ってカゲのお母さんにお礼言っといてよ」と締めくくってこの話は幕を閉じるものだと思っていたのだ。
カゲのお母さん、最強のカードだな……と呆気にとられながら、おれは急いで花火ができそうな場所を脳内で検索する。
「火は?」
「えっ」
「ライターかなんか、あんのかよ」
「持ってるわけないよね」
「……ちょっと待ってろ」
「は?」
そう言うなり作戦室に引っ込んだカゲが、ほどなくしてチャッカマンを手に戻ってきた。
「なんでそんなもの持ってんの?」
「……ヒカリがアロマだかなんだかのローソク大量に持ち込んでんだよ」
「じゃあ影浦隊って今めちゃめちゃ良い香りがするんだ? なにそれウケんね」
「癒しがどーのこーの言ってたけど、あれは3日で飽きる顔だな」
ふ、とカゲの口角があがる。
ずいぶん優しい顔もできるんだな、なんて思ったけれど。そういえば、おれが相手じゃなければとことん愛情深いひとだったっけ、ってぼんやり思う。
「…………さっさと行くぞ」
「え?」
「早くしろ」
「わ、まってまって!」
犬飼のことなどお構いなしにスタスタ歩いて行くカゲを慌てて追いかける。
決めたらすぐに行動できるところがすごいな、とひそかにずっと思っていた。
脳と身体がぴったり連動してて動物みたいだ。
どんな時も理想の結末から過程を導いていく犬飼には絶対にマネのできない部分で、ほんのすこしだけ羨ましい。
まぁ、だからといってカゲのようになりたいなんて思わないけれど――背中を見ながらそんなことをあれこれ考えていたら、急に振り返った顔がしかめっ面をしていた。
「んっとに、てめーは俺を不快にさせる天才だな」
「まじ?おれって天才だったんだ」
「そこだけ拾ってんじゃねーぞ!」
「ごめんごめん、なんか刺さった?」
「……わけわかんねー」
「なにが?」
「…………うぜ〜」
会話らしい会話もないままに住宅街を抜けて行けば、そこだけまるで異空間のように木々が生い茂る場所へとたどり着いた。
「……神社?」
「ここならバレねーだろ」
「なるほど」
深夜の小さな神社。まわりは木に囲まれていて、人の気配なんてまるでない。警戒区域にほど近いそこは、もう参拝する人もほとんどいないのだと一目見て分かる場所だった。
「神様の前で火遊びかぁ」
「すぐ終わんだろ」
「まぁそうだけど」
寂れた祠の前にふたりぶんの荷物を置いて、見やすい場所へ花火を並べる。
たった10本の花火だけれど、久しぶりのそれに犬飼は結構わくわくしていた。
「水はこれでいいよね」
「おう」
道すがらあらかじめ自販機で買っていた缶飲料を飲み干して、同じように買っておいたペットボトルの水をすこし注ぐ。
そんなに数も多くないから、きっとこれで充分だ。
「どれからする?」
「とりあえず火ぃつけるぞ」
「え? っちょ、まってそれアロマキャンドルじゃないの!?」
「ローソクいるだろ」
「……いや、ローソク……だけどさぁ……」
止めようと思った瞬間に火が灯ってしまったのを見て愕然とする。
てっきりチャッカマンから直接火をつけるのだと思いこんでいたし、べつにそれで問題なかった。
自分の隊のオペレーターが癒しを求めて作戦室へ持ち込んだという手のひらサイズの小さなアロマキャンドルを、よもや男ふたりの花火に使うだなんて……カゲはやっぱり馬鹿なのだ。
「……ぜったい怒られるだろ」
「あ? 1個減ったことにも気づかねーだろ、あいつ」
「ばかだな、女の子はすぐ気づくよ」
「……おまえ、なんか良い案考えとけよ」
「うわ〜〜これはひどい」
場違いにほんのりと香りはじめたラベンダーがあまりにも可哀想で、だんだんと笑いがこみあげてくる。
「っふ、すげーイイ匂いでウケる」
「……さっさとやって、さっさと帰るぞ」
「犬飼了解」
黄色だのピンクだのビビットでカラフルな見た目の花火に目移りしながら、銀色と青が交互に巻き付けられた1本を手に取る。
ラベンダーが香るキャンドルへそっと近づけていけば、あっという間に移った火が上へとのぼって一気にパチパチと弾け出した。
「うわ〜久しぶりにやると楽しいかも」
「そーかよ」
「すげーキレイ。写真でも撮る?」
「いらね〜〜」
「あっ、まってソレおれが次にやろうと思ってたやつ!」
「んなもん早いもの勝ちだろ」
どぎついピンクの大きなマッチみたいな花火は、シンプルな見た目のわりに案外勢いよく散って楽しいのだ。
「ちょ、2本はずるいだろ!」
「両手あんだからべつにずるかねーよ」
始めてみればあっという間で、なんやかんや言いながら競うように取りあってみるみるうちに減っていく。
きっとお兄さんがいるカゲにとってはそれが当たり前で、姉ちゃんしかいないおれにとってはすごく新鮮だった。
「ついにこれが最後の1本か〜」
「おら、とっとと火ぃつけろ」
「え〜なんかもったいないな」
「もったいぶってねーで、早くしろよ」
いつの間にか、肩が触れあう距離で自然と隣にいた。
カゲの、となりに。こんなに近くに。
花火を持ったおれの手首ごと掴んで、いじめっ子みたいな悪い顔をしたカゲがぐいっと勝手に火を付ける。
最後の1本は、あっけなく火が駆け上がっていってすぐにパチパチパチッと花が咲いた。
それを見て、カゲはギザギザの歯を隠しもせずに笑ってて。
――はじめてだ、と気付いてしまった瞬間に、ばくん、とひとつ心臓が音を立てた。
「……っ!」
花火に照らされた金色の瞳が、おれを見る。
目があって。
体温がもっとずっとすぐそばに感じる。
上手に息ができなくて。
ゆっくりと傾けた顔に、惹き込まれる。
――ちゅ、と唇が触れた。
金色はおれを見つめたまま、おれも、それを見つめたまま。
やわい感触が熱をもって、それを確かめるように、くっついたまま食まれた。
ちゅう、ちゅ、と音が鳴って、ゆっくりと離れていく。
パチパチパチッと手のなかで弾けていた最後の花火は、どんどん小さくなってぱたりと消えた。
「…………まちがえた」
なんだよそれ、と思って。女子相手だったら殴られてるだろ、と思って。サイテーじゃん、と思って。
なのに――まっかな顔で、耳まで染めて、狼狽えているカゲが、どうしようもなくかわいい。
そっとカゲとおれの吐息が絡んで、そして……ちゅう、ともう一度おれからも触れる。
こんなの、だって、暑くて。
「……まちがえちゃうよね」
神様の前で左手を取ったりしたら、間違えちゃうわけで。