真木晶、17歳!真木晶、17歳!
「シノ、好きですよ」
「シノってほんと、格好いいですね!」
真木晶、17歳。高二の夏だった。明日から夏休みだって浮かれてて、友達といつもより遅くまで話し込んじゃって。門限ギリギリに、自転車立ち漕ぎで息を切らして、家へと続く坂道を上っていく。強く、ペダルを踏み込んで。
「わあっ……」
ふいに視界が開けて、目の前に大きな月が現れた。
「今日って満月だったっけ……?」
ずっと外に居たのに、全然気が付かなかった。さっき別れたばかりの仲良しの子に写真を送ろうと、カバンから取り出したスマホを大きな月へと向ける。
「おっきな月……怖いくらい」
呟きながらシャッターを押すと、突然世界が真っ白になった。眩い光に飲み込まれている。
何……!?腕で目を覆いながら、遠くの方でガシャン、と自転車が倒れる音を聴いた。
**
「ようこそ、賢者様!」
「はじめまして、賢者様!」
気が付くと、歓待を受けていた。私は異世界から毎年ひとり選ばれる『賢者』という役目の、今年の当選者らしい。
魔法使いと名乗る人たちは容姿があり得ないくらい整っていて、そんな人たちにちやほやされるのは悪い気がしない。
『賢者』なんて言っても、特別やることはなくって。召喚した時点で『賢者』の力は勝手に備わっているし、後は一年に一回襲来するというこの世界の月、《大いなる厄災》を、魔法使いたちが追い返すのを応援でもしてればいいらしい。
月が襲来?なんて驚いたけど、年に一度の恒例行事みたいなもので、今まで一度も失敗したことはないし、気楽に構えて良いそうだ。後は無事に月が還って行ったのを見届けたら、晴れてお役御免。私は元の世界に戻って、次の賢者が来るんだって。
まさに、夢のような日々だった。
元の世界なら、絶対にあり得ない。目の前で実際に飛び交う魔法は、どうしたって心を躍らせた。
魔法使いたちはみんな親切だし、賢者には安全な宿と食事が無償提供される。一年経ったら目が覚める、夢の世界に来てるんだ。めいっぱい、楽しまなくちゃ!
それに、これはもしかして……!
高校二年生。女子校育ち、彼氏なし。夢見がちで幼かった私は、待ちに待った恋の予感にときめいていた。この世界で、とんでもない運命の出会いが待ってたりして……!?
**
魔法使いって長寿なんだって。
賢者の魔法使いにも、いろんな人がいる。
もしも恋に落ちるなら。
あんまり、大人すぎない方がいい。初恋だってまだなのだ。経験豊富な相手に翻弄されるような恋は望んでいない。
もっと、純なやつ。
できたら、同じくらいの年頃で、女の子慣れしてない人がいい。友達の延長線上、みたいなのがいいな。男友達なんていたことないけど……。
格好良くて、友達に自慢できるような、そんな人がいい。
**
同じ17歳だったシノへの恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった。
シノは、ちょうど良かった。
格好良くて、強くて、同い年とは思えないほどしっかりしてて、ちょっとだけ影があった。好きになるには申し分がないほど素敵な男の子で、それでいて全く私になびかなかった。
だから遠慮なく、私は彼に好きだと言ったのだ。来る日も来る日も。恋を、楽しんでいた。
元の世界に帰る日が近付いた頃、私は彼に言われたのだった。
「オレをお前の、思い出作りの道具にするな」
うんざり、という言葉が、ぴったりな顔だった。
元々かなり冷たくあしらわれていたけれど―――それ以来口も利いてもらえなくなって、そのままその世界を後にした。
初恋はそんな、苦い失敗談で終わった。はずだった。
**
ゴウンゴウンという音に揺られて目を開けた瞬間に、記憶は蘇った。
私は帰った。魔法の世界の一年は元の世界の一週間で、あの満月の夜、坂の上で自転車の横に倒れていた私は、救急車で病院に運ばれた後一週間眠り続けていたらしい。
不思議な、長い夢を見ていた気がする。そうなんとなく思ったくらいで、この世界で過ごした一年の何もかもを忘れていた。シノのことも。苦い幕切れをした初恋のことも。
―――このエレベーターを知っている。開いた扉の先の世界を。
私は再び、『賢者』に選ばれたのだ。
**
「賢者か!?」
「賢者が来た!」
扉が開いてすぐ、こちらに駆け寄る足音がした。知っている世界。だけど、様子が少し前とは違う。
「早く来てくれ!説明は後でする!」
誰かに手を引かれて、そのままどこかへ連れられて行く。
何かが焦げる匂いがする。怒号と、焦りを含んだ声が聴こえる。なんだっけ。この世界、こんなんだったっけ?もっとのんびりしてて、お気楽な感じじゃなかったか?
ぼうっとしながらただ手を引かれるまま足を動かしていると、すぐ近くに大きな月があった。
「え、なにこれ……?」
確かに元の世界よりは大きい月だった。でも、ここまでじゃなかった。こんなに、なんで、禍々しいの……?
**
「……というわけなんだ」
スノウとホワイトと、後は知らない魔法使いが数人。
見覚えはある。けど、やっぱり記憶とは少し様相の異なる魔法舎で、話を聞いていた。
今年の《大いなる厄災》はいつもと違ったと。いつもは簡単に追い返せていたのに、今回は……
「仲間が10人、石になった」
「10人も!?」
青ざめる。だって、もしかしたら、その中に知っている魔法使いがいるかもしれない。
「シノは……」
「シノ?シノを知っているのか?」
片目を隠した、栗色の髪の騎士風の男が声を上げた。
「はい。……私、二度目なんです」
「二度目?」
「前にも、賢者としてこの世界に来ました」
「はて……」
双子が顔を見合わせた。
「そう言われると、見たことがあるような?」
「ないような?」
「我ら、それなりにベテランの賢者の魔法使いだと思うんじゃけど?」
「二回選ばれた賢者は初めてじゃな」
「《大いなる厄災》もいつもと全く違っておった」
「異変が起きておる。これ以上何もなければよいが……」
「賢者よ。前に来た時とは勝手が違うやもしれん」
「おぬしの命も、危険にさらすことになるやもしれぬ」
「それでも、おぬしの力が必要じゃ」
「また我らの手を取ってくれるか?」
螺旋を描くような、独特の虹彩に見つめられる。必死さや緊迫感が伝わって……今までと違う何かが起きていることを肌で感じた。
「わかりました。私にできることがあるなら」
そう言って、ふたりの手を取る。ああ、なんだか前もこんな風に手を握ってもらったことがあったなあ、なんて思いながら……
**
「新しく来た賢者じゃ」
次の日、食堂に集まった魔法使いたちの前で双子に紹介される。
知っている顔、知らない顔、どちらもあった。覚えがあるけど、ここに居ない魔法使いは不在なだけなのか、それとも……
「あの……これで全員ですか?」
昨日私の手を引いた、騎士風の男に声をかける。確かカインと名乗っていた。
シノの無事を確認しそびれていた。強い魔法使いだったから、大丈夫だと思うけど……
「いや、負傷した魔法使いには休んでもらってる。様子見がてら、挨拶に行くか」
カインの後ろを付いていく。いくつか部屋を回った最後に、二階の一室の前で止まった。
「後はここだな……あ、シノとは顔見知りか」
カインは気さくに微笑んだ。知らないからだ。私が、前に、どんなだったか。
前もこの部屋はシノの部屋だった。私の……賢者の部屋の、斜め向かい。忘れない。だって何度も、ここに来ていた。
「ようシノ、調子はどうだ?」
何も知らないカインは、私の戸惑いなどお構いなしにシノの部屋の扉を開ける。
カインの影からそっと覗き見ると、ベッドの上に懐かしい黒髪と深紅の瞳を見つける。
「シノ……!」
思わず声を上げた。だって、傷だらけだったから。印象的だった、強くて真っ赤な瞳は包帯に隠れて片方しか見えていない。体中ぐるぐる巻きだ。なんで?強い、魔法使いだったでしょう。あなたは、強くて、格好よくて……
「誰だ?」
怪訝な声がする。
「ああ、新しい賢者さんだ。前にも来たことがあるんだって。顔見知りだろ?」
カインはそう言って私を振り返った。シノの視線が、私を捉える。
私を、認識した瞬間に。その顔が憎々し気に歪んだ。
「ああ……知ってる」
それから吐き捨てるように言った。
「オレはあいつが嫌いだ」