タイムパラドクスゴゴフシ♀ I 『予定“不”調和の痴話喧嘩』◇
もう一度チャンスがあるなら、きみはどうしたい?
***
「おまえ、ほんっっと可愛くねーのな」
いつも通り、と言ってしまえばそれまでの憎まれ口。五条悟は彼女――二つ年下の生意気女へと、眉目秀麗な顔立ちを歪めて不愉快を示した。だが流石、この利かん坊が繰り返しディスを唱えるだけのことはある。暴言を受けた後輩・伏黒恵の方も、ただでは転ばないと迫力の滲む眼差しで男を睨み返した。
「そっちこそ、もう少し大人になったらどうですか? すこしは夏油先輩を見習った方がいいですよ、クソガキ先輩」
「なんでそこで傑の名前が出んだよ。悠仁の次はあいつに色目? ほんと男なら誰彼構わず惚れっぽいのどうかと思うわ」
「下世話な勘ぐりお疲れ様です。きっとアンタ自身が女をそういうはけ口としてしか見てないから、そんな風にしか人間関係を捉えられないんですね、哀れみすら湧きますよ」
「は? 俺こー見えて純情一途だし? お前が俺の何を知ってるっての?」
「ほら悟、もうそれくらいにしな」
一触即発、いや既に爆発済みの険悪さ。呪霊を相手に一丸となるべき友垣が仲間割れなど、憂慮すべき事態だ。だが、慣れた様子で仲裁に入った前髪の少年は、なんとも緊迫感のない様子で相方の肩を叩いた。はじめに言った通り、残念ながらいつものことなのだ。これは少年にとって何十回目の捻転と玉砕である。
「すっこんでろ傑、今日こそはこのヘチャムクレに言ってやらなきゃ気が済まねえ」
「うん、言いたいことっていうか、伝えたいことがあるって話だったもんね?」
「応よ、この日のためにちゃんと散髪にも行ったし、事前のイメトレも完璧だぜ。なのにこいつが!!」
人に向かって指をさすな、と親に教わらなかったのか、残念ながらこの情緒キッズのお坊ちゃんは本当にご存知でないのやもしれない。思いっきり不躾に向けられた人差し指の矛先では、伏黒が持ち前の鋭い目つきを更に悪化させて顔をしかめている。挑発としては満点、本来の目的としては零点だった。
「今日こそは、俺の気持ちを伝えようって言ってんのに!!」
聡明な読者諸君でも、あの書き出しからこの珍奇な場面の光景を正しく読み取るのは至難の業だったろう。なので改めて耳打ちして差し上げると、今高三男子の胸キュン告白シーンです。 ふむ、無理がある? それは少年の恋路の勝ち筋の話?
「言われなくてもアンタが俺のこと目の敵にしてるってくらいわかってますよ。だからこっちは極力アンタと関わらないように、目立たないようにしてんのに…こんな呼び出してまで絡んでくるの、いい加減にしてもらえますか。虎杖まで巻き込んで断れなくすんの、陰湿ですよ」
「い、いやぁ~ふしぐろ、俺は五条センパイの誤解を解いてもらおうと、自分から協力をね?」
引きつった笑顔で少女の後ろに控えるのは、伏黒サイドの友人であり恋の支援者のピンク頭くん。今日も五条の誘いをブッチする気まんまんの級友を、なんとか宥めて校舎裏まで引きずってきてくれた大健闘ものの彼であるが、その健気ながんばりは肝心のお殿様のしょうもない失言で脆くも風に溶けて消えた。
「俺が! お前を! これからずっと守ってやるって言ったのの、何がフマンなんだよっ! 歌姫から借りパクした少女漫画だったら今頃星とか丸いてんてん飛んでるはずだろ、このへんに!!」
「弱い、雑魚、役立たずって戦力外通告受けて喜ぶ術師がいるかよ。あんたに頼らなくたって、今度の任務は一人で成功させて見せます」
「なんでそーなんのさ!? ねえ傑、俺なんか間違ったこと言ってる!?」
「うーん、セリフの唐突さは否めないとしても、今のは伏黒の卑屈さもちょっと問題かな…」
遠い目の前髪少年は若い二人の前途を憂う。ま、大体見えていた結果といえばそれまでだが。一大告白とまではいかずとも、これまでも伏黒が五条からの不器用なアプローチで神経を逆なでされて大喧嘩となるのは日常茶飯、世界はまったく予定調和の中で回っていた。気持ちばかり空回りして言葉選びを絶妙に間違える五条と、そんな彼から向けられる好意を信用できずからかいの一貫と思い込む卑屈な伏黒。どうしてこうも相性の悪い二人が恋の天秤をあっちこっちと騒がせているのやら。そのかけちがうボタンの歴史を見守ってきた友人一同としては、雑でもいいからいい加減前に進んでもらいたいのだ。
「あのね伏黒、悟はこのとおり口も態度も悪いけど、君を憎からず大切に想っているんだよ。お近づきになりたくてしかたないんだ」
「ちょっ! 勝手に言ーうーなーやー!!」
「小学生の情緒ですまないね、私が通訳するから、話だけでも聞いてやってくれないかな。彼は君を真剣に慮っているよ」
「真剣に、前に出さず守ってやらないといけないって心配するくらい弱いんですか俺。田舎に帰れと…暗にそう仰ってるんですね?」
「うんもう君にも伝わるようわかりやすく言うけどさ、ヤらせてやってくんない?」
「センパーイ!! 投げやりにならんで! 気持ちはわかるけど!!」
流石にその嘆願からワンナイトに繋げられたとしてもワンチャンは無いと代打・虎杖が夏油の口を塞ぐ。五条はその後ろでもじもじとポケットに手をつっこみ、明後日の方向を見上げて上ずった声を絞り出した。
「ま、まあ? ヤる、っつか、お前にその気があんなら? オレ、時間作ってやらんこともないけど? こ、今度の週末とか、確か任務入ってなくて暇してるだろ。お前どーせ友達いねーし俺が特別に、さささそ、さそっ、」
「なんで今の夏油先輩の匙投げパスで続行できると思えんの? 先輩のポジティブさ、すげーと思うけど若干引くよ?」
五条は、服の下でレシートでも丸めているのか、腰のあたりからガサガサガサガサとやかましい。そっけないのはフリだけで、前のめりになって返事待ちしているのがまるわかり…なのは、一般論で、あいにく意中のあの子には適用されないようだ。
「ヤラセとかサソリとか、言ってる意味がよくわかりませんけど。とにかく俺は五条先輩になんか頼るつもりは無いんで。それじゃ」
「あっ ちょっ ふ、ふしぐろ~~!!」
足早に踵を返した痩身を、半テンポ出遅れたピンク頭が追いかける。必死に引き止めてくれたが梨の礫で──校舎裏には、ため息とともに項垂れる前髪と、サングラスから涙を溢れさせて立ち尽くす情けのない大男だけが乾風のなか取り残された。五条少年の拳の中で、くしゃりと紙くずがよれる音がした。
***
「よし、全員いるな。資料を配るぞ」
三年担当術師・夜蛾正道が教室を見渡す。まばらな人影は四つ、なんの因果かつい先日校舎裏でコントを演じた面子が揃っていた。五条がちらりと肩ごしに背後を見やれば、不自然に距離のあいた端の席で伏黒は静かに背筋を伸ばしていた。未練タラタラの五条とは大違いに、これから任務へ臨むにあたって私情など一切持ち込まないと態度で示している。回ってきたプリントにも気づかず後輩を注視する色ボケ坊やの脳天へ、いかついゲンコツが容赦なく落ちる。
「っっでぇええ…!! ぁにすんだ暴力教師!」
「いいから後ろに回せ」
「センパイ、ふしぐろには俺が渡すからさ…」
「…チッ」
気を使われているのが不愉快だった。五条の描く本来のプランであれば、今頃晴れて伏黒と結ばれ、全身にキスマークをへばりつかせて人前だろうとべたべた甘えてくる彼女をクールに宥めて大人の余裕を見せつけているはずだったのだ。なんなのだろう、この数メートルぽっちの断絶は。
「(…脈なし、ってやつなのかなぁ)」
さしもの五条とて、ふと不安にかられることもある。けれどこの物語の始まるより前、五条と伏黒は頁の外で痴話喧嘩の数だけたくさんの交流を重ねてきた。その中には、頬を熱くするような、ふたりだけの時間も存在する。あの日絡めた視線のほどけなさに、吸い込まれるように唇を寄せたのは……直後に邪魔が入ったことの悔しさが見せた、都合のいい夢だったとでもいうのだろうか。五条は、道化た空回りの続く青い春に、柄にもなく落ち込んでいるらしかった。上の空の彼に代わって、空気を読んだ虎杖がわざとらしく声に出してオーダーを読み上げる。
「なになに〜? へー廃工場の呪霊ねぇ。敵は一体、等級は準一級……え、夜蛾センセ、これ、四人も必要? 俺たち見学要員?」
「ン、まじだ。準一級一体っつうのにやけに分厚い派遣じゃん。俺ひとり居りゃ十分だろ」
「お前ら、資料は最後まで読んでから意見しろ」
海千山千の担当教官は、御三家の御曹司相手にも物怖じしない態度を貫く。夜蛾は腕を組み直し、やれやれと五条の机に向き直る。
「だいいち、悟一人に任せるなど言語道断だ。この間もお前の独断専行について、一般人へのもみ消しが大変だったんだぞ」
「ギェへへ、サーセン」
「前も言ったが、当分は任務外での術式使用は禁止だからな。破ったら停学だ。夏油もよく見ておくように」
「気をつけてはおきますが、あまり期待はしないでくださいよ……それで先生、ざっと資料を拝見しての確認なのですが」
夏油もまた、相方のおもりは慣れたものなので無理難題も軽めに受け流し、読み込んだ資料を指でぱしんとはたく。
「コイツ、敷地のどこに現れるかわからないんですか?」
「ああ、ポイントだけでなく…今回の厄介なところは呪霊の出現条件もイマイチ掴めていないところだ」
「なるほんね、だからこの四人かあ」
逆向きにした椅子の背もたれを抱き込んだ虎杖少年は、錚々たる顔ぶれに混じる自分の異物感にそうして得心した。最大戦力である五条はさることながら…オールラウンダーである夏油、索敵探知に優れた伏黒、そして身体能力特化タイプの虎杖だ。彼は呪力探知はサッパリだが、だからこそ呪術で周りを視ることに慣れた術師が見落としがちな物理現象を五感で嗅ぎ分けるのは得意とするところだった。今回の案件は、宝探しゲームが前座に楽しめるらしい。
「特徴は? 流石に姿も特性もわからないで探すのは厳しいですよ」
「形状は異形(フリークス)、能力は定かではないが、遭遇した人間の精神に干渉するタイプの可能性が高い。幸いながらまだ発生したてのため、犠牲者も出ていない」
「その分奴さんの戦闘サンプルもねーってか。悠仁お前ちょっとボコられてこいよ、頑丈なのが取り柄だろ」
「悟」
「なんだよ、連携プレーの話しただけじゃん」
「まあーまあー、俺がタンク担当なのはマジだしね…伏黒も抑えて抑えて…」
夏油が短く相方を諌めたのは人道的な観点からではなくて、そういう友人を馬鹿にした物言いが相方意中の彼女の神経に障ることへの忠告の意図が大きかった。全くなぜ彼は学習してくれないのだろうかと、眉間を揉んで首を振る。そして、頭痛に目を伏せる夏油の耳に入ってきたのは、伏黒の思わぬ申し出だった。
「誰かが敵の出方を見なくちゃならないなら、俺がやりますよ」
これには夏油だけでなく、全員がぎょっとして伏黒の方を向いた。少女は背筋をぴんと伸ばした薄い体躯で、ガタイのいい野郎衆が負うべき役を買って出たのだ。流石に無理がある。厳つい男どもが揃って血相を変え、伏黒を筋肉で埋もれさせるようにひと囲みにする。
「はぁ? 恵が? 寝言はそのペチャパイが俺よか分厚くなってから言えよ」
「セクハラへの叱責は後でよく言っておくよ。けど悟の言う通りだ伏黒、適性を見ずに名乗りをあげるなんて君らしくもない」
「しんぱいしてくれたん? あんがとな伏黒、でも俺は全然やれるよ? むしろ先輩に頼られて光栄っつーかさ」
三者三様の口ぶりだが、異口同音に伏黒を慮って辞退を勧めていた。それが彼女のプライドに障ったのだろうか。伏黒恵は気難しい面差しをいっそう厳めしく吊り上げ、断固として譲らなかった。夏油と虎杖が揃って表情を曇らせる。これは例の告白騒ぎが、悪い方向の意固地を生んでしまっているのでは…
「めーぐーみー! きいてんのかよ、なあ!」
「暑っ苦しい…」
むぎゅむぎゅと、豊かな胸筋に潰されて少女の頑固が余計に凝り固まっていくのがわかった。夜蛾は、頭ごなしに否定するのではなく伏黒の意図を問うてみることにした。
「伏黒、自薦するからには合理的な理由は述べられるのか?」
「はい先生。囮役が虎杖じゃ、精神干渉系の敵への対処に不安があります。万一操られでもしたら、止めるの骨が折れるでしょ。その点俺なら、ゴリラ先輩の言うとおりのザコですし。万一があっても先輩たちなら抑えられるでしょうから」
「ふむ、お前が弱いかどうかはさておき……人選の面では、一理あるな」
ヤケかに見えたが、思いのほか的を得た意見だった。一考の余地があったのか、夜蛾も真面目な顔で顎髭をさする。
「それに、たとえ任務中に俺が欠けても、索敵は夏油先輩の呪霊でもカバーできますし…」
「……まあ、そう言われてしまうと理屈が通ってしまうね」
「駄目だ駄目だなんだその屁理屈! 俺はぜってー反対だからな!!」
「はあ? 俺は呪術師に向いてないザコ助って、あんたが言ったんでしょ」
「言ってねーしそんなこと! おれは、他の誰よりもお前を助けてやれるのは俺だって言ってんだよ!」
「アンタが出張らなきゃいけないような、一番のお荷物で悪かったですね!!」
「なんでそうなんの!? 耳おかしーんじゃねえの!?」
またもやヒートアップし出した痴話喧嘩に、ガッデムの喝が飛ぶ。四の五の言わずにとにかく行ってこいと、半ば強引に送り出された四人は気まずい空気の中、出立すべく校舎から叩き出された。……前途多難な二人の間には、不自然な空間ができたまま。
《続》