タイムパラドクスゴゴフシ♀ Ⅴ 『いざとなったら花嫁略奪!?』***
「いざとなったら映画館を破壊する」
「悟、せめてもう少し小規模な犠牲に留めてくれ」
時間と場所は少し飛んで、駅から程近い大きな映画館。頭のところに怪獣が顔を出すユーモラスな意匠で観光地としても賑わう一角に、怪しげな二人がコソコソ身を隠していた。白髪の方は柄シャツに脛の出たボトムとゴツいスニーカー、前髪の相方は上下スウェットで、拳にはシルバーリングをバカほどつけた治安の悪い風体。多少顔が良くても話しかける気にはなれない。
「くそ、あの野郎、早速めぐみとサ店で楽しくお茶なんてしやがって…俺でもまだ二人きりで食事とかしたことねえのに…」
「いやでも店選びは素晴らしいと思うよ、このコーヒーとひとくちパンケーキ、なかなかどうしてイケるモグモグモグ」
「ちゃっかりテイクアウトしてきてんじゃねーよ!! あらほんと美味しい…今度ちゃんと客として行くわ」
ターゲットの尾行の一環で訪れた喫茶店、ようやく入店を許されたとほぼ同時に彼らが退店してしまったので、ふたりで慌てて跡を追って今に至る。待ち合わせ当初よりも目に見えて打ち解けた雰囲気の二人が、映画館を頂くビルに入って行くのが見えた。
「あいつ、ぜってー暗がりに乗じて恵にエッチなことする気だよ! 俺がその気まんまんだったもん!」
「やらかす前に自白ありがとう、絶対にやめろと釘を刺しておくね。…いや、彼のあの様子なら、映画鑑賞中にがっつくようなことはしないんじゃあないかな。どうやら女性の扱いについてはそれなりにこなれているふうだし」
「ヤリチン! 遊び人! 恵に性病うつす前に自力で死ね!!」
密かにその罵倒は、地元で浮き名を流してぼちぼちの相方にも刺さるのだが、まあ気分を損なうほど純情でもないのでスルー。夏油はマスター自慢のアイスコーヒーを啜り切ると、ストローから唇を離して映画館の入り口を見遣る。
「で? どうするんだ、ここから。まさか本当にテロに及ぶ腹づもりじゃないだろ。このまま外で待ち伏せるのか?」
「決まってんだろ、乗り込むんだよ! これ使ってよぉ!!」
五条がポケットから取り出したそれはひどくクシャクシャで、夏油は一瞬なにを翳されたのか分からなかった。力なくヨレて項垂れる長方形の印刷物。文字だけが無機質に印字されたそれは、不慣れな相方に代わって以前彼がコンビニで発券してやった……細い目つきがはっと見開かれ、相方へそれでいいのかと目で訴えかける。
「ケッケッケッ…どうせもう紙クズだ、ここで使っちまった方がエコでもあるからよ…恵の好きな男は環境と動物にやさしいやつ……」
「対極から理想に近づこうとする意欲は立派だよ悟…それじゃあ、遠慮なく使わせてもら」
「やっぱ無理ー!!! 前売り取ってまで、むさい男と二人で!? ヤダよぉーー!!!」
「ええい泣くな割り切れ! 中でポップコーンに溶かしバターかけたやつ奢ってやるから!」
ぱっとそれで笑顔になるのもどうなのだ。夏油は辟易を浮かべつつも、ここまでくれば呉越同舟だと相方の指からくたびれたそれを一枚引っこ抜いた。
***
ちゃらり、ちゃりちゃり。柴犬を模した銀色のチャームがゆるく揺れる。エスカレーターに身を委ねるあいだストラップを眼前に掲げる伏黒は、つい先ほど店先で惚れ込んだこのストラップのことがすっかり気に入った様子だ。
「あはは、そんなに喜んでくれたならプレゼントした甲斐があるよ」
「……はい、ありがとうございます。大事にします…」
「本当にそのコひとつでよかったの? いくらでも買ってあげるのに」
「いえ、これひとつですら勿体無いくらいです」
いささか時間を取られすぎてしまった。映画館のフロアへ向かう道中、ふたりは目当ての映画のポップアップショップに行き合った。珠玉のワンコアイテムの並ぶ店先に、伏黒が珍しく足を止めて食い入るように吟味を重ねたため、劇場へは予定よりだいぶ遅れての入場と相成る。もっとも五条は、それすら織り込み済みでスケジュールを組んでいたのか随分とのんびり構えている。
「さて、売店どれだけ並ぶか分からないし、先に発券しちゃおうね。恵は座席の位置に好みとか…んん?」
「? なんです?」
「いや、なんか発券機がエラー吐いちゃって。 おっかしいなァ」
五条の背から首を伸ばして自動発券機のパネルを見やれば、『無効な番号です』とある。
「やべ、発券パスワード、どうだっけな。流石に記憶があやふやだわ」
「チケット貸してください、エラーの文言的に違ってるのはこっちの予約番号の方かもしれません」
「……、ん」
一寸妙な間があったが、五条は素直に紙切れの片方を手渡してくれた。紙面にひきつれた皺を伸ばし、伏黒はよく確かめて印字された番号を入力するが……またエラー音。
「ダメですね、五条さんの言った通りパスワードの不一致なんですかね? 窓口に問い合わせて――」
「あーいいよいいよ、別に、まだ席の指定も済ませてないしさ。チケットの一枚や二枚取り直すの程度、惜しむほどケチじゃないよ」
「でも……」
「ほら、もう開始時間迫ってるしさ、時短で済ませよ! 僕はチケット買い直してくるから、君は売店でドリンクセットもらってきてよ!」
有無を言わさず背を押され、それ以上食い下がることもできなかった。あれよあれよともうすぐ開演。レジ横でポップコーンにバターがかかる様を眺めている、彼女の手にはくしゃくしゃのチケットが握られたまま。
***
上映が始まってからも、何か変わったことはなかった。帷が降りるが如くの薄闇に、うぶな少女はわずかに身体を強張らせたが……不埒な手が伸びるのは、もっぱらペアシートの中央に乗せられたポップコーンの山に対してのみ。当たり前のことだが、大人の五条は常識的な紳士だった。
「…………、」
筋書きは書き出して仕舞えばなんてことのないもの。子供と、家族のように育った愛犬。些細な喧嘩を発端に離れ離れになった一人と一匹が、互いを求めて無事再会を果たすまでをご大層な艱難辛苦で修飾した冒険譚だった。子供向けと軽んじるには奥が深く、けれど大人に薦めるにはちょっと安っぽい、そんな青臭い善性の物語。
『きみのご主人様はもう待ってないかもしれないよ? それでもいくの?』『わぉん!』
犬は人間の身勝手を憎まず、ひたむきに主人を想い走った。そこに打算も卑しさもない。できたらまた撫でてもらいたいなぁなんて素朴な願いを、我儘と勘定するのも野暮だ。やわらかな毛並みがボサボサに汚れて、爪が割れて腹に骨が浮いても、真っ黒な瞳から光が失せることはなかった。
『ずっとずっとずっと謝りたかった…! 僕がばかだったって、時間が戻るならなんでもします、神様おねがいって、ずっと…ずっと…!』
対して飼い主の少年は、随分と余分にあれこれ考えたものだ。何をしても罪悪感が付きまとう。忘却をこそ一番の罪と断じて毎日写真に追い縋った。その複雑でいて、非合理な在り方こそ人間らしさと呼べるのかもしれない。あの犬を見習ってもっと単純に生きればいいのに。恵は彼のことが少しばかり苦手だと感じて……その後すぐに自嘲した。
「(同族嫌悪だな。俺だってもっと単純に、気持ちを切り替えちまえばいいものを)」
言うは易し、実行できたらとうにやっている。人よりドライな伏黒ですら、恋の前にまともな合理性をなくしてしまうのだから、この感情的な子供にはもっと望めないだろう。……山場のシーンだ。有刺鉄線の走るフェンスを、傷を負うのも躊躇わずこじ開ける犬のけなげさに、座席のあちこちから啜り泣きが漏れ始める。
「ぅう…ぐす…」
「…っ…ふ…」
「…………、」
「んぐぅううゔゥ…ズビッッッッ ぐしゅっっ!!!」
「(いやうるさっ)」
何やら、客席の後方にとんでもない感動屋がいるらしい。鼻汁を啜る暑苦しい吐息のノイズが、無視できない程度ヘッドレストにぶち当たる。
「ひっぐ…ヴヴッッッ!!」
「(悪気はねえんだろうが、たまったもんじゃないな…話に全然集中できねえ。五条さんは――)」
ふと傍らに注意を向けたのと、シーンが切り替わるのが重なった。おなかのところの白い毛並みが画面いっぱいに映し出されて、劇場がわずかに闇から浮上する。すぐまた暗がりに沈むまでの一瞬、伏黒は言葉を失って、少し前屈の姿勢のままで目を見開く。
「……ぇ…、」
「………」
泣いていた、あの五条悟が。息も、気配も、何一つ平時からブレさせず、見間違いを疑うほど静かに。男はスクリーンをまっすぐに見つめていた。色を帯びた反射光がぼんやりと浮かび上がらせるその横顔には、感情の類は何も読み取れない。能面みたいな無機質さで、涙の粒だけが音もなくシートへ落ちていった。
『もう離さない! ずっと一緒だぞジョン!』
『おぅん!!』
スクリーンの中では待望の再会が果たされ、胸を震わす感動は最高潮に達した。けれど劇場に渦巻く興奮の熱気から、すっぽり抜けた区画が一つ。エンドロールの流れる間、二人分の空白だけが、時間から取り残されたみたいに静止していた。二人の間にうずたかく残った、ポップコーンは隔たりのまま。
***
「いや〜〜結構面白かったね、特に終盤の爆発シーン。感動ワンコものにあの火薬量、いる?」
「食いつくところそこなんですか」
人がまばらになったところで、二人はシアターを後にした。…先ほどの一幕は何かの間違いだったのかもしれない。映画が終わってぱっと振り向いたとき、すでに彼の笑顔は上映前のそれに戻っていた。継ぎ目が見えないくらいにシームレスな切り替え、それは、呪術師としての熟練の経験が成す単なる職業病のうちなのだろうか。伏黒が胸のつかえを気にしてうまく会話を続けられずにいる…そんな気まずい空気の中へ、聞いたことのある咽び泣きがフレームインしてきた。
「ゔぉうっ!!ンぐすっっ!!!!よがっだなぁ!!ジョン!!!」
「うお、さっきの…」
例の泣き上戸客、まだ泣いてやがるのか。そう呆れかえり、伏黒はなんともなしに声のする方を見る。廊下の隅、トイレ前のベンチでうずくまる大柄な体格。目立つ頭髪に、ガラの悪い私服…………どう見ても知り合いだ。
「げっっ…五条先輩…!?」
「あーあー、バレてやんの。尾行スキルがザルすぎでしょアホらし」
「え、五条さんは気づいてたんですか。てかいつから?」
「さてねー」
毛ほども興味がない様子で、大人の五条は手元のスマホをいじっている。と、泣きじゃくってる方の五条に近づく影。チンピラ二号、これも見覚えしかない身内だ。
「ほら悟、ハンカチ濡らしてきたからそのベチョベチョの顔どうにかしな……あ。」
「(夏油先輩まで! なんでこんなとこに…!!)」
ぎょっとした伏黒が慌てて顔を背けたのと、夏油がそちらに気づいたのは殆ど同じタイミングで。少女が何か言う前に、ぐいっと横から手を引かれる。バランスを崩しそうになって、体が反射で引っ張られた方向へと走り出す。
「ちょっ、五条さ、えっ!?」
「あはは、恵、逃げるよ!!」
「いや別に逃げなくても、っ力強、うわ、…っあーもー!!」
「ん!? あーこら待ちやがれー!!」
人混みへとわざと突っ込んでいく二人を、いまさら捕捉した若き六眼がばたばたと追いかける。だがどうにも距離が縮まらない。映画館のビル外まで鬼ごっこは続き、業を煮やした五条少年はようやくひらけた上の空間へと翔び立とうと呪力を練る、が。
「悟! 夜蛾の言いつけ! 停学停学!」
「ッだーー!! 黙っといてくれよそこは!!」
「これだけ目撃者が居たら無意味!! 地道に走れ!」
「むーりー! 撒かれるーー!!」
最強コンビが聞いて呆れる情けなさで、チンピラふたりはひいこら人混みをかき分けていく。その50メートルほど先を駆ける白髪とウニ頭。
「はっ、は、っ」
準備運動もなく走り出したせいで横隔膜が引き攣る。呼吸のリズムも乱れてうまく整わない。ああ全く、こんなの初めてのことだ。理由もわからず駆け出すなんてことも、未来からきた先輩に振り回されるのも――気になる異性と手を繋ぐのも。何もかもが頓珍漢でちんぷんかんぷんで、伏黒はなんだかわからない衝動のまま、ついには往来で笑い出してしまった。手を引く男も輪唱して盛大に笑う。
「ふ、はは ははっ くは、 はっ…!」
「んふふ、あははは!」
「ふふ、なにが、面白いんすか」
「めぐみこそ! あっはは、あーおかしい!!」
「くくっ……!」
都会の通りで行き交う誰もが顔を見合わせ、走る男女を見ている。何がそんなに愉快なのか? ――その実彼ら自身、沸き立つおかしさの正体なんて、たぶんわかっていないのだ。足がもつれそうな急カーブ、免税ドラッグストアのゴチャついた店先、ラーメン屋の打ち水、跳ねる雫に初夏の日差しが乱反射して、ふたりの逃避行をスローモーションに演出する。
「あはは、あ、恵こっち! 追いつかれちゃうから、早く!」
「むちゃくちゃ、言ってんじゃ、ねえっ、ははっ!」
青春を演じるには随分ちぐはぐな年齢差だったが、この瞬間だけ切り取ればふたりはまさしく子供だった。意味もなく小突いて、引かれて、くだらなくはしゃぐ――後のことなんか考えるだけ野暮だと、伏黒は珍しいくらい頭を空っぽにしてからだの全てを思いつきに任せた。遮二無二足を動かして、辿り着いたのは……
「……駐車、場?」
急に立ち止まって、弾む息が落ち着かない。先導する男の手には、くるくる遊ばれる印籠のような何か。似たようなものを、車送迎を務める補助監督が扱っていたと――そこまで思い至ったあたりで、ぴぴ、と電子音。目の前でまるで無関係の顔をして眠りこけていたピカピカの外車が翼を広げ、お姫様を迎え入れる。
「最大速度でかっ飛ばしちゃうからさ、行けるとこまで行ってみよう!」
そんな行き当たりばったりでいいのかと、彼が学長に提出していた計画書のことを片隅に浮かべながらも。伏黒恵は酸欠でハイになった衝動のまま彼の手を取り白銀のSUVへと飛び乗った。
《続》
⇨次章『大海原へ陽は墜ちて』
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展示はここまでです! ここまで先輩五になにひとついいところがなかった気がしますが、次章あたりから流れが変わる…はず?
後日このサンプルは支部にも一話ずつ投下しますが、もうすこし続きも読めると思います!
全12章を予定しているので、楽しみにしていただけると嬉しいです。
読んでくださりありがとうございました! ごふし&ごめふしサイコー!