そのまんまの君が好きかさかさと6本の爪の長い脚を交互に動かしながら、
吸血鬼が接近してくる。
「退治人め…………殺してやるッ!!!!」
キシャァァァァ!!!
軋んだような声を上げながら、
そのうち数本をやけくそのように突き出し肉薄するそいつの攻撃を左半身を引いて爪を躱す。
ちり、と頬に何かが掠める感覚。
だけど、
そんなもん些細な違和感だ。
瞬間照準を合わせる意識にはまるで影響などありはしない。
1秒を何倍にも延ばしたかのような感覚。
そんな永遠にも思えるコンマ数秒。
当たる。
そんな確信とともに引き鉄を引く。
銃口から放たれた弾は、
右手一本でも寸分のズレもなく──まぁこの至近距離で外す方が難しそうだけど──吸血鬼の額に命中する。
麻酔弾は頭蓋を貫く事なく額で潰れて、
吸血鬼はそのまま目を回して意識を失った。
「ロナルド!!
そっちだったんだな」
銃声を聞いたサテツが駆け付けた頃には、
吸血鬼を縄でふん縛ってあとはVRCに引き渡すのみとなっていた。
「ああ。
でも大した事ない奴だったぜ」
警報が来て駆けつけたものの、
ってやつだ。
まぁ、
大した事無いに越した事はないんだが。
「ロナルド、頬……」
「ん?
あぁ……さっきちょっと掠めたとこかな」
手首の露出してるところで擦ると、
垂れていたらしい血液が赤く横に線を引いた。
思ったより血が出てるな、これ。
服とか汚れちまわないかな。
まぁ元から赤いんだけど。
「こいつVRCに引き渡すだけだろ?
後の事はやっとくから、
ロナルドは絆創膏買って来た方がいいんじゃないか?」
「うーん…………」
ごし。
なんとなく濡れた気がしてもう一度拭うと、
やっぱり同じくらい血が付いた。
思ったより深かったんだろうか。
それか、
細く長く系か。
「なんとなく顔色も良くない気がするし」
「え?
顔色?
言われてみれば……なんとなく……、
怠い? ような?」
気が??
しなくも……ないような???
「…………大丈夫か?」
「大丈夫だけど…………そうだな、
ごめんサテツ。
あと頼んでもいいか?」
もう一度頬を拭う。
やっぱり同じくらいに、
血が付いた。
顔色悪いっていうか、
顔面傷付いたから顔色悪く見えるだけじゃね?
街灯も薄暗いし。
なんて思わなくもないが、
こんだけだばだば血が出てると鬱陶しい。
ずっと拭いてる訳にもいかねえし。
「おう。
気を付けて帰れよ」
「お母さんかよ……ガキじゃねぇんだから」
ひら、と手を振るサテツに照れ臭くなりつつ、
ひらひら手を振り返す。
そういえばドラ公が卵買ってこいとか牛乳が無くなったとかなんとか言ってたな。
絆創膏ついでに買って帰るか。
なんて思いつつ、
夜風を感じつつ事務所へと脚を向けた。
のが、
多分一時間くらい前の話だった。
「うぇっ……気持ち悪ぃ……」
目が回る。
怠い。
頭ん中がガンガンする。
真っ直ぐ歩けねぇ。
さっきっから何回かスマホが鳴ってる気がするが、
取ろうとしてなんとか手を伸ばしてポケットに手を突っ込んだ頃には鳴り止むを繰り返してる。
何回も電話してくるくらいならインターバル短くしろよ、
そしたら取れたってのに。
ああ、
ようやくポケットから抜けやがった。
今更だぜ、今更。
もっと早く抜けてれば、
電話なんか幾らでも。
あ、やばいなんか変なの押したかも。
ドラ公と徹夜明けに入れた数々のアプリがさっと記憶をよぎるけど、
その一個たりとも鮮明に思い出せない。
全然わかんねーや、
なんだろ……ぐるぐるしてちかちかする。
うわ、やば。
吐きそ。
「ぁ」
かたん。
スマホが地面に落ちた。
あんまりに調子が悪くなって、
これはヤバいと思ってとりあえず路地裏に駆け込んだのが多分まずかったんだと思う。
だけど。
赤い衣装は格好良い退治人の証だ。
帽子を被ったシルエットはシンヨコで屈指の実力を持った退治人の。
あんまりの気持ちの悪さに、
背中を壁に預けて、
ついそのままずるずるとへたりこむ。
尻が地面についたところで、
あぁこれもしかして一回座ったらもう立てないやつじゃねえかと気付いたが、
もう既に立てないからどうしようもない。
こんな姿、
誰かに見られたら。
こんな、
情けない退治人なんて。
赤を託してくれた兄貴に、
同じ帽子を許してくれたヴァモネさんに、
こんな姿なんか見せられねぇ。
もし仮に、
ロナ戦読んでくれてるファンに見つかったら、
情けなくて幻滅されちまう。
かっこよくて、
強い退治人。
俺がなりたいのは、
俺が憧れてたのは、
こんな情けない退治人なんかじゃなくて──。
「ロナルド君、
そんな所で何勝手にくたばりかかってるんだ」
「…………なんで」
誰も来ないはずなのに。
人気のない路地裏で、
誰にも連絡できなくて、
誰にも見つかりたくなくて。
だってのに、
なんでお前。
「何でって君……さっきアプリ開いただろう。位置情報でスタンプがついてフレンドに送れるってあれだけ説明したのに。
まぁそれがなくたって、
君の行動くらい予測できない私じゃないからな」
そもそもアプリ入れた記憶すらねえし、
俺いつお前とフレンドになったの。
全く記憶にない。
全然わかんねえ。
「しらねぇ」
座ってすらいられなくなってきて、
そのままずるずると地面にへばりつく。
ああもう俺このまま起きれねえかも。
「あっバカ寝るんじゃない!!
汚れるだろう……全く、
誰が洗うと思ってるんだ」
「どらこう」
我ながら、
掠れて今にも死にそうな声だ。
だったら喋んなきゃ良いのに、
なんで俺、
喋ってんだろうな。
「折角探しに来てやったっていうのに君と来たら……」
「さ……がし、に?」
ピロリロリン、
と繰り返してるのはドラ公のスマホだろうか。
何の音だっけ、
えっと…………あぁ、呼び出し音だ。
でも、
誰に?
「あぁもしもし?
サイコ犬仮面所長?
いや……あぁ、
ロナルド君見つけたんだけど、
ちょっと………………あぁそう。
………………連れて来いって?
そんな無茶」
ガチャ。
プー、プー、プー、プー。
地面からでも聞こえる電子音。
切られたんだな。
っつーか何、
犬仮面所長って……まさか。
「さ、ロナルド君。
歩け………………なさそうだな」
「むり」
もう起き上がるのすら無理。
ぐるぐるして、
ちかちかして、
気持ち悪くて、
頭がガンガンして。
最悪だ、
こんなの。
「情けねぇ…………こんなの……」
ずび。
鼻水と涙が溢れ出した。
吐き気も止まらねえし、
頭痛だって酷くなる一方だ。
なんだよ、
なんなんだよ。
「あー泣くな泣くな。
君が情けない事なんかいつもの事だろう。
何を気にしているのかなぁ……全く……」
はぁ、
と大きなため息が聞こえる。
やっぱり呆れてるんだ。
失望されてる。
あぁ、ダメだったんだ。
ドラ公にも嫌われる。
ざり、
と靴が地面を擦る音が遠ざかっていく。
置いていかれる。
嫌われた。
俺はやっぱりダメだった。
かっこよくて強い退治人になんか、
やっぱりなれなかったんだ。
遠ざかっていくヴァモネさんの背中が見える。
サテツもショットも、
どっかに行っちまう。
兄貴も。
ドラルク、も。
ひとりぼっちだ。
真っ暗で、
ひとりぼっち。
また、
ひとりになる。
あの事務所で、
ひとりきり。
「おいロナルド君、
生きてるか?」
「ぁ…………」
いつのまにか瞼が閉じていたらしい。
暗いのは純粋にそのせいだった。
「生きてて良かったよ。
君が捕まえた吸血鬼の爪に毒があったらしいって、
腕の人から連絡があってね。
君いつまで経っても帰ってこないし、
腕の人はロナルド君が怪我してたって言うしで大騒ぎだよ。
まぁ私に見つけてもらえて良かったじゃない。
そこら辺で野垂れ死ぬよりさ」
「なさけなくて……かっこわるい、から……、
いなくなったんじゃ、ないの」
あぁやばい、
口からなんか出そう。
鼻水は啜ると気持ち悪いから垂れ流しだし、
意味不明の涙が流れて止まらないし。
ほんと情けねえしカッコ悪いしで、
これじゃ見捨てられたって文句のつけようがないだろ。
「…………ほんと馬鹿だねぇ、ロナルド君は。
君の情けない姿も恥ずかしい姿も、
私はもう幾らだって見て来てるんだよ。
君が情けないのなんか今更だよ。
第一、私が君をまともに運べるとでも思ってるのかい?
これを持って来たんだよ。
ほら乗りたまえ」
これ、
って何。
疑問に答えよう、
と思った訳じゃ多分ないんだろうけど。
「これだよこれ」
ガラガラとけたたましい車輪の音。
目の前にずいっと押し出されて来たのは、
小汚い台車の頭んところだった。
こんなうるせえのに、
俺よく気が付かなかったな……
なんて感動してる場合じゃねえんだよ!!!!
「むり」
だってそれ汚えし。
俺荷物じゃねえし。
そんなので運ばれたら恥ずかしいし。
「バカ言ってる場合か!
ここでくたばってる訳にもいかないだろう。
VRCに行ったらサイコ所長が作った解毒薬がある。
即効性だそうだからすぐ治るだろうが、
とりあえずVRCに行かない事には話にならん」
「…………おれのこと、
きらいに、なって、ない?」
ドラ公に嫌われようと好かれようとなんてこと無いはずなのに、
なんで俺は今目の前のクソザコ砂おじさんにこんな事聞いてんだろう。
その上、
そんなくだらない事聞いてバカじゃないか、
って呆れられる事よりも、
嫌いだって言われたらどうしようなんて、
そんな事の方が怖いだなんて、
俺どうしちゃったんだろう。
「何言ってんのバカルド君。
嫌ってたらこんな小汚い路地裏まで君を迎えになんか来ないだろう」
「じゃあ……すき?」
「どうしたのロナルド君……、
めんどくさい彼女みたいに…………」
あ、やっぱ……めんどくさいって思われてたんだ。
嫌われてたんだな、俺。
身動き取れずにじっとしていたら、
はぁと大きな溜息が聞こえた。
「私はね……、
吸血鬼にも人間にも構わず優しくてお人好しで、
馬鹿みたいに突っ込んでいっては間抜けな目に遭って、
それでも退治人を辞めない君が好きだよ。
脱稿ハイで奇行に走る君も、
セロリを見て奇声をあげる君も、
フクマさんに追いかけられて泣いてる君も、
それから──勿論、
かっこよく退治人をやってる君だって、
私は好きなんだよ。
君と過ごす時間は、
今までの時間の中で今のところ一番楽しい」
色々と、
嬉しいというか恥ずかしい事をたくさん言われた気がするけれど、
一気にそんなに言われたって全然わからない。
普段だって言われ慣れて無いんだから、
今だったら尚更だ。
「…………?」
半分も理解できなくて視線だけでドラルクを見上げる。
ゆっくりと近づいてくる顔は、
月明かりが街灯かの逆光になってよくわからない。
「つまり、君の事が好きって事だ。
ロナルド君」
お前、
そうやってると他の誰よりも吸血鬼っぽいな。
言おうとした言葉は、
直後重ねられた唇の衝撃でどっか遥か遠く──多分南米くらい──まで吹っ飛んだ。
「鼻水と涙と汗とでこんなに汚くなってるロナルド君にでも、
平気でキスできるくらいにはね」
お前何、
そんなの。
ずりぃ。
反則だ。
だって、そんな…………。
「ロナルド君?!
おい寝るな起きろ!!
君を抱き上げられるとでも思うのか?!
この私が?!」
いろんな衝撃とその他諸々で限界を迎えた意識が遠ざかる向こう側で、
ドラ公がぴーぴーぎゃーぎゃー叫んでた。
好きなら気合いでその台車に乗せてみせろ、
クソザコ砂おじさん。
だけどまぁ、
取り敢えず。
上半身だけは、
気合いで台車に乗ってやるよ。
これ以上は無理だけど。
にしても、
なんて都合の良い夢なんだろう。
ドラ公が、
俺の事好きだなんて。
「で、私……返事貰ってないんだけど」
次の日。
気が付いたらVRCのベッドで寝てた訳だが、
起きたら元気だったから普通に事務所に帰った。
というか、
長居すると被験体にされそうな勢いだったから取るものもとりあえず急いで帰って来た。
VRCを出たのが夕方の5時過ぎくらいで、
家に帰ったらいつもより早く起きたらしいドラ公が普通に飯作って待ってた。
ドラルクが連れて来てくれた、
なんてマッドサイエンティストもとい所長が言っていたので見つけてくれたのはきっとドラルクなんだろうけど、
どっちにしたってきっと途中から意識が朦朧とした俺の夢なんだろう。
そう思って、
とりあえず礼だけ言って、
飯食えるかって聞かれたから食うって言って。
普通に出て来た好物の唐揚げを齧ったところで、
そんな事言われて。
「………………へ」
ぽとり。
齧った唐揚げが皿に落下した。
正面に座るドラ公と見つめ合う事数秒。
「夢じゃなかったんだ……あれ」
「夢だと思ったのか、脳筋ゴリラめ」
反射で殴ったら、
いつも通り砂になる。
夢じゃ無い、のか。
………………そっか。
「おい殴って誤魔化すな」
文句を垂れながら復活して来たドラルクの、
人間より温度の低い唇に触れるだけのキスを。
と思ったけど、
力加減と距離感間違えてゴチンといい音がして、
ドラ公は再度砂になる。
「うるせぇ」
なんて言いながら、
落とした唐揚げを箸で救出する。
あぁもう、
デメキンにもジョンにもメビヤツにも生暖かい目で見られてんじゃねぇかっ!!!
いい加減にしろよチクショウ!!!
時と場所を考えやがれっ!!!!
自分自身の顔がやたら熱い事には敢えて気付かなかった事にして、
とにかく目の前の唐揚げを片付ける事に専念する。
それを見つめるドラ公が、
視界の隅でやたら嬉しそうな顔をしていたのも、
やっぱり俺は気付かないって事にした。
そう言い聞かせないと、
居た堪れなくて仕方なかったし、
何より初めて自分からしたキスが不恰好で恥ずかしかったから。
最初から最後までカッコ悪いって一体どう言う事だよチクショウ。
あとで見てろよてめぇ、
最高にカッコよく、
俺からも好きだって言ってやる。
ドラ公にばっかりかっこつけさせてたまるかよ!!
唐揚げの山を崩しつつ、
心の中で固く誓った。