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    Jeff

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    Jeff

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    奪われたから、今度は、こっちが奪おう。
    2022/08/22

    #ラーヒュン
    rahun
    #ラーハルト
    rahalto.
    #ヒュンケル
    hewlett-packard

    Hope ほとんど上下していないヒュンケルの胸を、じっと見つめる。
     汗まみれで横たわる彼の相棒は、浅い眠りに落ちている。
     小一時間程熱にうなされ、消えない痛みに身を捩りながらのたうって、ようやく静かになったところだ。
     ラーハルトはサイドテーブルに肘をついて、片手で自分の額を覆う。
     脳に巣食った重たい霧を、この掌に吸い取ってしまえたら。
     気を取り直して立ち上がると、古いランプに火を灯した。寝室の窓を閉めようとして、低く垂れさがった曇天に目をやる。
     雨になりそうだ。
     
     
     
     ――潮時だ。
     ヒュンケルも、良く分かっているはずだった。
    「置いて行け、その時は」
     と、当然のように、彼は言った。
     二人の歩調は、最初に旅立ったときよりも、ほんの少し緩やかになっている。休息や食事のタイミングも変わった。
     気づいていないわけでは無い。だが、互いに何も言わなかった。
     いつか来るその時を、直視するのが怖かったのか。
     それとも、徐々に受け入れつつあったからか。
     が、あの日は何故か、ヒュンケルがあっさりと将来を語り始めたのだ。
     何がきっかけだったかは、良く思いだせない。
    「俺はいつか、一歩も動けなくなるだろう。明日にでもそうなるのか、何年か先になるのかは、全く見当もつかんが」
    「だろうな」
     と、ラーハルトは振り向かずに答える。
     予想通りの返答に、ヒュンケルはクスクス笑う。
    「だから、もう無理だと思ったら、俺はその辺に転がしておいて、先へと進んでくれ」
    「言われなくても、そうするつもりだ」
     ラーハルトは進行方向を遮る枝を掴むと、ばき、と折って道を作った。一つだけ実っていたプラムを見つけて、肩越しに投げる。
     慣れた調子でキャッチしたヒュンケルは、紫色の果皮を嗅いでみた。
     野生の香り。 
    「お前が引導を渡してくれたから、俺は本当の自分を生きることが出来たんだ。感謝している」
     プラムの感触を楽しみながら、ヒュンケルがしみじみと言った。
    「貴様の余生に付き合ってやるほど暇ではない。まだ役に立つと思ったから、同行しているだけのこと」
     ラーハルトの声音は変わらない。
     が、長い付き合いだ。ヒュンケルも、相棒の真意は痛いほど分かっている。
    「俺はお前に、何を返してやれるのだろうな」
     と、ヒュンケルが呟く。
     一度殺してしまったし、魔槍は損傷状態で返却したし、今はただの戦闘不能な相棒だし。と、ぶつぶつと数え上げている。
     ラーハルトの頭痛が少々増強する。
     この人間には、自身が命を削って他人に与えてきたものをすっかり忘れ去ってしまう、稀有な才能があるのだ。
    「何もいらん。そこにいろ」
     ヒュンケルは答えない。
     会話はそれだけだった。
     さくさくと落ち葉を踏む二人の足音が、ざわつく心を静めていく。

     
     
     ラーハルトは再度、寝台の脇に腰かけると、眠る相棒の姿を呆然と眺めた。
     先刻よりは比較的穏やかに見えるとは言え、眉はかすかにひそめられ、真珠のような汗が額に輝いている。
     間断なき悪夢が、彼の魂を徐々に削り取っている。
     かたく閉じられたままの睫毛の縁に、小さな涙を見つけた。
     ラーハルトは右手を伸ばし、ヒュンケルの胸にかざしてみた。逡巡したのち、白いリネンのシャツに触れてみる。
     そして、自分でも何をしているのか分からないまま、服の隙間に手を滑り込ませた。
     左の乳房の少し下に、掌を押し当てる。
     鼓動を確かめるように。
     うっすらと、ヒュンケルの瞼が持ち上がる。
     ラーハルトは動けなかった。
     伝わってくる密やかな心拍と、浅い呼吸と、体温。
     しっとり濡れた皮膚の、信じられない柔らかさ。
     全身が石になったように、動けなかった。
     衣擦れと共にヒュンケルの片手が動き、胸の上に降りた。ラーハルトの手を覆うように。
     二人分の重みが、その心臓を実在のものとして、記憶に刻み付けていく。
    「……まだ発っていなかったのか」
     ヒュンケルの声は、ランプの灯が爆ぜる音よりも微弱だった。
    「置いて行く、という、約束だろう」
     ラーハルトは黙っている。
     ヒュンケルは苦労して首を傾け、彼を真っ直ぐに見た。
     ラーハルトは逃げるように俯き、目を閉じる。
     窓枠が軋み、隙間風が足首を撫でた。
     鳴り響き始めた雨音が、いよいよ勢いを増してくるのが聞こえる。
     冷たい嵐の夜が闇色の腕を差し伸べ、小さな宿屋の寝室を抱きしめている。
     やがて、ヒュンケルが微笑んだ。
     乾燥してひび割れた唇を開いて、また閉じる。
     迷った末に、しゃがれた声でラーハルトの名を呼んだ。
    「最後にひとつだけ。お前に、贈り物があるんだ」
     重ねた手が温かい。
    「ずっと、伝えたかったことだ。お前は認めないだろうし、誇りを傷つけてしまうかもしれないと思って、言えなかった。だが、事実だ。お前もいつか、知らなければならない事実なんだ」
     鼓動が少しだけ早まるのを、ラーハルトは感じた。
     魔族よりも脆弱で、打つ回数の限られたその臓器が、早すぎる結末に向かってリズムを刻み続けている。
     どんよりと顔を上げたラーハルトの目を、紫の瞳が捉えた。
     熱を帯びて潤み、秘密を知ってしまった子供のように煌めく、その双眸。
    「……お前は」
     ヒュンケルが、言葉をかみしめるように、ゆっくりと告げた。
    戦闘機械マシンなんかじゃない」
     
     
     
     みぞれ混じりの強風が吹き付ける。
     ラーハルトは魔槍を引きずりながら、闇の中を歩き続けた。
     相棒の眠る宿屋の明かりは、もう、雷雨のはるか向こうだ。
     一歩一歩が、これほどまでに重く感じられたことは無かった。
     自慢の俊足はぬかるみに捉えられ、強靭な体幹が木の葉のように風によろめく。
     今まで揺らぐことの無かった視線は鋭さを失い、ほんの数メートル先すら認識できないほど茫漠としている。
     外套がはためき、フードはもう役に立たなかった。黄金色の髪があっという間にびしょぬれになり、首に張り付いた。
     振り返るな。
     もう終わりだ。
     終わったんだ。
     自分の使命を果たせ。
     お前に何ができる。
     冷徹に戦局だけを考え、
     ただマシンのように敵を倒す。
     それが、それこそが、
     俺の――
     ぼう、と轟音が頭を薙いだ。竜の咆哮に似たその風圧に、息を呑んで立ち止まる。
     ぽつりぽつりと浮かぶ空虚な思考が、風の音に吹き散らされる。予測不能なうねりが、容赦なく脳内に入り込んで暴れ始める。
     両手で耳を塞ぎ、泥の中に膝を付いた。
     叫びは嵐に攫われ、涙は雨に溶けていく。
     耳鳴りが頂点に達し、すべての理性が砕け散ったその時。
     ――真っ白になった心に、何かが灯った。
     ラーハルトはゆるやかに目を開けて、行く手に無限に広がる闇を見た。
     引きちぎられそうなほど激しく揺れる森の木々が、膨張し、踊り狂い、ある一点を指し示している。
     ラーハルトの背後に打ち捨てられた、今にも消えそうな、小さな光を。
     『気づけ。思い出せ。目を開け』
     『手遅れになる前に』
     『まだ、間に合う』
     遠い遠い、見知らぬ空から降り注ぐ、歌のようなその言葉。
     片膝を付き、魔槍を拾い上げた。
     漆黒の森に向かってひとつ吠え、唸る突風に逆らって立ち上がる。

     そして沼地を蹴ると、全力で、元来た道を走り始めた。
     

     
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