その身体のぬくもりよ「おかえり、早かったね」
「会食をドタキャンされてしまったもので」
もこもこのルームウェアで着膨れした彼女は足先までルームソックスに包み、その上毛布に包まりながらソファに縮こまっていた。限界まで引き延ばしたであろう袖口に収まりきらなかった指先が膝上に置かれたマグカップを支えている。冷え切った自分とは対照的に、随分と暖かそうな格好だった。暖房の効いたリビングは空っ風に吹き付けられた体をじわじわと暖めていく。
「食べてくると思ってたから何にも用意してないや」
「連絡を怠ったのはこちらですのでお気遣いなく。栄養補助食品で済ませます」
「……用意するからちゃんとあったかいご飯食べて。外寒かったでしょ」
日中の最高気温すら二桁に届かなくなるこの時期、夜は凍えるほどに寒くなる。タクシーを使ったとはいえ、マンションの前に停めさせるわけにもいかず少し離れた大通りから自宅まで数分歩いただけでも体の芯まで冷え切るような心地だった。愛用している手袋を事務所に置いてきてしまったことが悔やまれたが、家に帰ってきてしまえばもうそんなことはどうでもいい。
荷物を足元にどさりと置く。ついでに厚手のコートもその場に脱ぎ捨てた。短時間であればシワにもならないだろう。食事の用意をするため飲みかけのココアをソファ前のローテーブルに置いた彼女に近付く。
「ええ、それはそれは寒かったです」
「この毛布使ってて。インスタントになっちゃうけど先にお味噌汁かスープか持ってこようか」
「それは後程」
キャラクターものの毛布をこちらへ差し出しながら立ち上がったあんずさんの肩を押してソファに戻し、自分もそこに乗り上げる。ぽけっと首を傾げた彼女の首元だけが無防備だった。タートルネックを着てくれていればよかったのに。パーカー型のルームウェアはまるでどうぞ触ってくださいと言っているかのように首筋が剥き出しだったから、遠慮なく、両手をそこへ差し込んだ。
「みぎゃあ゙!!」
その場で飛び跳ねるのかと思うくらい大袈裟に彼女の身体が跳ねた。おそらく反射的にだろうが蹴飛ばされそうになったので、手を離さないままにそれを躱して太ももの上に腰を下ろし、足の動きを押さえ込む。諦めの悪い膝下がじたばたと動いていた。俺の両手を引き剥がそうと手首を掴んだ両手に込められた力はあまりにも弱い。可愛らしい。
触り続けてぬるくなってきたので、一度手を離し裏返して再度手の甲を少し上の位置に押し当てる。続けてびゃあとあがる情けない悲鳴。震える肩。どうにか逃げようと藻掻く肢体。笑ってしまうほどに無力。
「づめだい゙」
「自分はとても温かいです」
「性悪!」
「存じておりますとも」
頸も肩口にも手のひらをべったりと当ててようやくあんずさんの首元が冷えた。デコルテの方まで手を差し込めばまた彼女は暴れ出して腕をばしばしと叩いてくる。
ボア生地に守られたその手首はまだ温かいだろうか。彼女がこの部屋でぬくぬくと得た体温を全部奪ってやりたい。手首にも足首にも、腹にも腿にも手を伸ばして、自分とあんずさんの体温が同じくらいになったらきっと丁度良いと思うのに。
「凍え死ぬ……」
「死なせやしませんよ」
恨みがましげにこちらを睨む彼女が途端に寒そうに見えたのが不思議だった。ようやく指先が温まってきたことに満足したので彼女の首元を解放してやる。つい先程床に放ってしまった荷物を片して着替えるかとあんずさんの膝の上から退こうとしたが、不意に両手を掴まれたことによって阻まれた。
「手が寒かったなら普通にそう言えばいいのに」
悪戯を嗜めるように、両の指先はあんずさんの手のひらの中に閉じ込められた。じんわりと温かいのだろうと思っていたその場所は存外生ぬるい。
「まだ冷たいね」
はあ、と息を吹きかけられて爪先を撫でさすられる。ひとしきり揉んだあと、両手は内側までがモコモコの彼女の上着の両ポケットに導かれた。間抜けな絵面だと思った。彼女の素肌の方が温かいし、どうせならそっちに触れていたい。ポケットから手を引き抜く。
「あったまった?」
「まだ寒いです」
彼女の両頬を包み込んだ。そこもまた生ぬるい。彼女も奇妙な鳴き声はあげず、ただへらりと笑っていた。
「やっぱりスープ持ってこようか?」
「今はいいです」
「お風呂沸かそうか」
「動くな」
「はぁい」
好きなだけどうぞ、と独り言のように呟いて彼女は瞳を閉じる。頬に当てた両手を更にその上から包まれる。先程までココアで温められていたはずの指先の温度は、とうに自分の手と同じところまで落ちていた。
頬から手を離す。もういいの、という言葉を無視して、踏みつけられていた毛布を拾い上げた。ついでにテーブルの上へを伸ばし、エアコンの設定温度を二つ上げる。彼女の身体を抱きすくめて、毛布を被った。
身体はまだ温まらない。