星を巡る①②星を巡る①
僕たちの会社、ジェターク・ヘビー・マシーナリーは無くなった。
正確に言うと兄さんと僕とで終わりにした。
会社を閉めるにあたって、社員が生活していけるように斡旋して、まぁ様々な問題があったから終わりにするまで数年を要したけど。
それも乗り越えて、僕たちは今、地球にいる。
ハァ、と息を吐くと白く浮かんで雲みたいに見える。
物資を運ぶために改造されたMSのコクピットにいても、キンとした空気に肌が震えてずり落ちた毛布をかけ直した。
寒さや暑さという感覚に慣れるまでは大変だった。
完璧な空調設備のフロントに甘やかされた僕たちは、簡単に体調を崩したし、無茶をし続けた兄さんの自律神経もだいぶ弱っていたから、僕よりも兄さんの方がよく熱を出していた。
実は今もそうだ。
いつもは荷物が積まれている荷台には、今、兄さんを寝かせている。
今朝フロントを出発する時は通常の顔色だったのに、今は熱のせいで頬も赤くて、降ろされた前髪も汗で額にくっついているから、いつもより幼く見えて、見ていて心許ない。
肺の辺りが通常よりも速く上下している。
手首に嵌めたバイタルをチェックするためのバンドが、兄さんの熱の高さを僕に伝えてきて、胸が騒いだ。
「……兄さん、少し冷たいよ」
汗で貼り付く前髪を指で分けて、濡らしたタオルを額に乗せると、瞼がゆっくりと開いた。
「……ラウダ……?」
「うん。そうだよ。今日の配達は終わってるから、安心して」
「ありがとう、すまない」
「謝るのは無しだって、いつも言ってるだろ」
「そうだったな……ありがとう、だった」
「うん、そうして」
地球へは食料や生活用品や薬などを届けている。
生きている人たちへ届けている。
頼まれれば、瓦礫を片付けたりもするし、畑を作る手伝いをすることもあった。それは兄が望んだことで、僕は兄に無理矢理くっついてきた。
「兄さん少し起きれる? お茶をもらったんだ。熱が出て体が弱った時に飲むといいんだって」
「ん」
ゆっくりと兄さんが体を起こす。
マグカップに注いだお茶を手渡すと、両手で受け取った兄さんは湯気から香るお茶の匂いに少し顔を顰めた。
「……これ、苦いやつだな」
「そう。苦いやつだね。でも慣れればおいしいよ」
「そうか……?」
「兄さんの体調が回復したら、お礼に行こうね」
「そうだな。お礼、考えとく」
コーヒーの苦味は好むのに、薬草の苦さにはいつまでも慣れないらしい。一口飲んで歯を食いしばって眉根を寄せている。
そんな人間味のある表情に安心する。
僕たちの前から姿を消そうとしていた兄さんを思い出すと、今でも震えがくる。
人ではない顔をして、空に消えていきそうな、すべての表情が抜け落ちた顔は、本当に怖かった。
人ではなくなってしまいそうで、溶けていってしまいそうで。怖かった。
苦手な味のお茶を飲んで、顔を歪ませる。
そんな兄の顔に、僕は心底安心しているなんて、たぶんきっと伝えることはしない。
星を巡る②
「……ここに在ったはずなのにな」
「うん」
暗く低く響く兄さんの声に、兄さんの方は見ずに短く返す。
レーダーや地図には存在している集落は、廃墟と化していた。
兄のブーツの音が響く。砂利と土を踏んだ音につられるようにして、僕も兄さんの後ろに続く。
壊れて朽ちた壁には蔦が這っている。
家具だった物や、生活用品、土と泥にまみれた未開封の缶詰なんかもあった。
それらの生活の跡地には、草や花が生え、緑が溢れている。
「……住めなくなって、移動したのかな」
「かもな。でも、よかった」
そう言って俯いた兄さんは、しゃがんで何かを拾いあげた。茶色の塊に見えたソレは、片手の取れたくまのぬいぐるみだった。
「……砲撃の跡がなくて、うん、よかった」
小さく呟かれたそれは、独り言なんだろう。
優しい目をして、少しだけ口角のあがった笑みをした兄さんは、くまのぬいぐるみを軽くポンポンと叩いて、壊れた塀にかろうじて引っ掛かっているかつて窓枠だった物の近くに座らせた。
「ラウダ、今日はここでキャンプするか?」
「え、まぁ……いいよ。晴れてるし、火も使えそうだしね」
「よし。決まりな」
夕焼けを背に、腰に手を当てた兄さんが軽快に笑う。僕もつられて笑った。
モビルスーツの荷台から野営に使うための道具を下ろす。
兄さんが手際良くテントを組み立てる音を聞きながら、僕は食事の用意をする。
火にかけたスープがグツグツと煮える音。
缶詰から鍋に移しただけのそれは、トマトとベーコンに玉ねぎがあらかじめ入っていて、それだけでも栄養が取れるので、重宝している。
テントを組み立て終えた兄さんがナイフを使い、硬めのパンを器用に切っていく。まな板も無いのに均等に切り別けていくので、ついつい魅入ってしまう。
「腹減ったのか?」
勘違いをした兄さんは、切り別けたパンを僕に差し出す。その勘違いは愛おしくもあるので、僕は差し出されたパンを手には取らず、噛み付いた。
「……自分で食えよ」
「ふふ、うん。そうだね」
よく噛むとじんわりとした甘みが口の中に広がる。うん。美味しい。兄さんの手から与えられたものだと思うと、よけいに美味しい。
「甘えん坊め」
そう言って笑う兄さんは、綺麗だ。
下ろされた前髪で勇ましい眉毛が隠れているせいもあるのか、儚さもありつつ隠れた色気がある。
スイッチが入ったみたいに、胸がトクンと脈打つ。
「……兄さん」
甘えたように呼べば、今度は勘付いてくれたらしい。ナイフとパンを簡易的なテーブルに置いて、僕の隣に来てくれた。あってるか?と問うような目。
大丈夫。合ってるよ。
兄さんの顎に手を添えて、上を向かせて唇を重ねる。
兄さんは目を閉じているけど、僕は薄目で兄さんをみながら口づけを重ねる。
軽いリップ音が続く。
合図を送るように下唇を舐めると、控えめに唇が開かれた。兄さんの口の中に自分の舌を侵入させて、兄さんの反応のいいところを攻める。
「ん、む、ぅ、ん」
かわいい兄さんの声。
もっと、もっと、聴かせて欲しい。
互いの形を確かめるかのような口づけを、僕らは時々繰り返す。
ちゅ、と音をたて唇を離す。名残惜しくないかと言えば嘘になった。
「ラウダの口のなか、パンの味した」
無邪気に笑う兄さんは、キスという性的な行為をしたあとでは、なかなか目に毒だ。
ふー、と息を吐いて空気を変えた。
「ごめん、食べよう」
揺れる炎を見ていると不思議な気持ちになる。
オーロラって見てみたいよな、と小さな兄さんが記憶のなかで笑う。小さな手が指差す映像端末には、漆黒に揺れる色とりどりの光のカーテン。
でも僕は、その虹色が映り込む兄さんの瞳の方が、オーロラよりももっと綺麗だと思っていた。
「オーロラって、どこで見られるんだっけ?」
「……ラウダって昔の話しをよく覚えてるよな」
スープを掻き混ぜていた兄さんの横顔が、炎に照らされて眩しい。
急に幼い頃の話をしても応えてくれる。その思い出の共有も愛おしい。
「うーん。今の地球だと、無理かもな」
「そうかな」
兄さんの瞳に映る赤や黄色の炎の色、そこに青色が混ざれば、もうそれだけで。