さよならは、ひまわり畑で 死ぬほど走らされる中、ひまわり畑の前を意識が朦朧としながらも懸命に足を動かしていた。長く続くひまわり畑の道を肉体的、精神的にも追い詰められながら走っていた時は、大輪のひまわりが人間のように俺を見て嘲笑っている幻覚が見え、幾つもの声が重なって嗤う幻聴が聞こえた。
人間、極限まで追い詰められると、幻覚と幻聴が出るんだと教訓になった。体力がつき、山王の一員としてバスケをプレイし、自信がついたからだろうか。あの時のように、ひまわりが己を見て嘲笑っていることは無くなった。
今日も足を動かし、ひまわり畑の前を走る。
* * *
梅雨が明け、朝から初夏の日差しが肌をジリジリと焼く。一定のペースを心がけ走っていると、後ろから足音が聞こえてくる。
ちょうど隣に来た所で声をかけられた。一年の沢北だ。
「松本さん、おはようございます!」
「沢北、はよ。朝から元気だな」
「だって、朝から松本さんに会えたんですもん!そりゃあ、元気にもなりますって!」
「意味わかんねぇ」
軽口を叩きながら並走していると、ひまわり畑の前に通りがかる。
「もう、花が咲いてますね」
「ああ、夏になってきたな」
「インターハイまで、もうすぐッスね」
「……ああ、そうだな」
「…………」
先日の発表で名前を呼ばれはした。控え選手としてだ。沢北をエースに据えることは嫌でも理解した。自分は自分の役割を全うするだけ……とは思いつつも、気持ちを切り替えずにいた。
時折、遠くに行きたいような衝動に駆られるが、寮生活の松本は、そんな事出来やしない。
悶々としながら走っていると、急に大きな声で呼びかけられた。
「松本さん!」
「なんだよ……」
「いや……なんか、ひまわり畑の中に居なくなっちゃうかと思って……?」
「なんだそりゃ?」
沢北から意味が分からない事を言われ、首を傾げる。長く続いたひまわり畑も、目の前で途切れていた。
「ひまわり畑の中を走ってはいないんだから、中で居なくなる訳ないだろ……」
「そうなんスけど……」
「変な事言ってないで、体育館まで競走するぞ!よーいドン!!」
「あ、ちょっ!!ずるい!!」
今年も大輪に咲いたひまわりは、今日も変わらず空に向かって顔をあげている。
* * *
インターハイ初戦敗退……ノーマークだった学校に負けた俺達は、冬に向け以前よりも厳しい練習をしていた。
一週間ぶりにひまわり畑の前を走ると、大輪に咲いていたひまわりは、下を向いて枯れはじめていた。自分たちの様だと……何故かそう感じた。
心がザワザワと波打つ。早く走りすぎたい衝動に駆られ、松本はペースを上げて足を動かす。呼吸音が耳障りに感じ、キーンと冷たい音が頭に響いた時、肩を捕まれた。驚いて振り向くと、そこには沢北が肩を弾ませて佇んでいた。
「松本さん、ペース早すぎ」
「……ああ」
「……いつものペースで走りましょ。この後も練習あるんだから」
「そうだな……」
夢中で走り、もう直ぐひまわり畑が終わる地点まで走っていた。前を向き、弾んだ息を整えようと深呼吸をする。
お互いの呼吸音と鳥の鳴き声、時折吹く風の音しか聞こえず、ただ静かな時が過ぎた。少しして、沢北が口を開く。
「……松本さん、寝れてるんですか?」
「どうだろう。寝てても夜中、起きちまうんだよな」
「……」
「…………」
「……負けたのは俺の責任です。すみませんでした」
負けたのは自分の責任だと言う沢北に、身体の中で激情が暴れ回る。どうにか逃がそうと、手を握っては開き、力が入った身体を解そうとするが、結局抑えきれなくなり、振り返って沢北の胸ぐらを掴んだ。
「……っ!!!なんだよソレ!あの試合は、俺のせいだよ!!!あの失点がなければ、挽回できた!!お前もそう思ってるだろ!?俺を責めればいいだろ!!!!」
涙でボヤけた視界でも、胸ぐらを掴んでいる自分の手が震えてるのが見える。沢北の顔を見れず、顔を下げていると、ズッと鼻を啜る音が聞こえた。
「なんで、お前も泣くんだよ……」
「松本さんのせいじゃない……俺の、……俺がッ!!あんな事……祈ったりしなかったら…………ッ!!!」
うぅっと、泣きながら沢北はしゃがみこむ。それに合わせて松本もしゃがみ、ふたりで肩を抱きしめ涙を流す。
沢北のせいではない。分かっている。チーム競技だ。きっと己のせいでもない。歯車がズレ軋んだ結果なのだ。だが、自責に駆られ、あの瞬間の映像がスローモーションで夢に何度も出てくるのだ。助けてほしい。苦しい。もがくのは疲れた。
救いを求め、伸ばした手は体温の高い手に掴まれ、ふたり一緒に深い水底へと沈んでいくかのように、か細い鳴き声を出しながら、しゃがみこんでいる。
涙が止まったら、この感情は、この場所で吹っ切る。ふたりは言葉で伝えなくても、示し合わせたかのように同じタイミングで泣き止み、赤くなった目元と鼻を見て、ふたりで笑い合った。
枯れ始めたひまわりは、そんなふたりを見下ろしているかのように佇んでいた。
つづく