きみはシューティングスター act.0.5 事の起こりは、春というには随分と日差しが強い四月の朝。
大型連休を目前に控えた、よく晴れた平日だった。
ぼくはいつものように、中学からの持ち上がりの友人と他愛ない話をしながら高校への道を歩いていた。入学当時こそしゃちほこばっていたが、フタを開けてみれば地方の公立校。見知った顔が多くすぐになじんだ。
最初のうちは戸惑った見知らぬ通学路も、真新しくあつらえた制服も、すでに単なる日常の一片になっていて。同じようにリラックスした笑顔を向ける友達の顔に、木漏れ日が降り注いでいたのを覚えている。
「ねえ、きみ。ちょっと」
振り返ると、きりりと締まった濃い眉に、同じくらい締まったつり目の男性。長袖では蒸すような快晴にもかかわらず、汗ひとつかかずに真っ黒なスーツを着込んでいる。
「きみ、この動画の子だよね?」
立ち止まったぼくの隙を逃さず、彼は颯爽と近づいてスマホを差し出した。一時停止された動画サイトには、スタンドマイクを片手にギターを構えた、見覚えのある横顔。
すぐさま脳内で警戒信号が点滅した。「お」と声を漏らした事情を知る友人を、身振りだけで先に行かせる。
「……なんですか、あなた。人を呼びますよ」
何かあったらいつでもぶん殴ってやる——。スクールバッグを握る手に力を込める。しかし、男はそんなぼくの様子など気にもせず、
「ああよかった。きみを探していた。怪しい者ではないんです」
あからさまにホッとした表情で胸元をゴソゴソ探り出した。一枚の名刺を取り出す。
「芸能事務所でスカウトをしています、高坂です。単刀直入に申し上げます。きみに、私たちが立ち上げる新たなボーイズグループのメンバーになっていただきたい。グループ名は——“SIK(シック)”」
この瞬間からぼくの人生は、大きくうねることになる。
き
み
はシューティングスター
act.0.5
大型連休が明けた頃には、ぼくは生まれ育った地元を離れ、一人上京していた。
初めて足を踏み入れたタソガレドキプロダクション——親と高坂さんとの熱心な説得に流されたぼくが、恐る恐る所属を決めた事務所——にある小さな会議室には、なんとも居心地の悪い雰囲気が漂っていて。
「善法寺、伊作です。えと、芸名はISA、です」
ぎこちなく頭を下げると、グループメンバーだという二人は上から下までぼくをジロジロと眺めまわし、正反対の態度をとった。
「……SENだ」、といって立花仙蔵は備え付けの椅子に座ったままで噂以上の美貌を冷酷そうに歪め、
「KEMAだ。食満留三郎。よろしくな」と食満は立ち上がって、明るい笑顔で手を差し出してきた。しかし、どうしていいかわからず立ち尽くしていると、眉をひそめてさっさと座り直してしまう。
「えーと。SENはきみたちより1つ年上ということもあって、グループ全体のリーダーと、それからメインボーカルを務めてもらうことになっています。彼、すごく歌が上手でね。それに演技もうまいんだ。とあるミュージカルのオーディションに出ていたところを、うちのスカウトマンが声をかけたというわけです。SIKとしての活動が波に乗り始めたら、モデルや俳優業にも挑戦してもらいたいと思っています」
取り成すように高坂さんが言う。凡人のぼくからしたらオーバーワークに感じられてしまうが、仙蔵は「当然だ」とばかりに鼻を鳴らすだけ。才能も自信もあるのだろう。
確かにすごいけれど、こんな……なんていうか、高慢ちきな人がリーダーで、大丈夫なのだろうか。
ハラハラしていると、仙蔵を放っておいて、食満が勝手に自己紹介を始めた。先ほどの態度といい、短気なのかもしれない。
「俺はダンスリーダーを担当することになっている。小学生ン時からダンスやってて、中二の時に全国大会で優勝してるんだ。ダンスやってた時の事務所に推薦されてこの事務所に移ってSIKに入って、んでいよいよデビューって感じだな。運動全般得意だから、色々聞いてくれ」
「う、うん。ありがと」
ようやく笑みを返すと、食満もつられたようにニパッと顔面を綻ばせた。意外と世話焼きなのかもしれない。
「そんで? お前は? 何ができるんだ」
「え、ぼく? いや、別にぼくは……いたって普通の高校生というか。自分がなんでここにいるのかもよくわかっていないというか……」
「はあ?」「なんだと?」
二人はそろって素っ頓狂な声をあげた。助けを求めに高坂さんに視線を移す。が、こんな時に限ってスマホを耳に当て、誰かとしゃべっていた。
ぼくの戸惑いなんて気にもせず、二人はぼくを睨むように次々にまくし立てる。
「歌は?」
「ふ、普通かな。カラオケで80点くらい」
「本当に普通だな……」と、仙蔵は頭を抱えるし、
「ダンスは?」
「体育の授業でやったぐらい。ちなみに体育の成績は3」
「できるかできないかどっちかにしろよ……」と、食満は天を仰ぐし。
なんとも言えない沈黙の後、うんざりした表情の食満が、通話を終えたばかりの高坂さんに食ってかかった。
「……で? 素人に毛が生えたような我々は、今後どうすればいいんでしょうねぇ?」
嫌味たっぷりな口調に、スマホを内ポケットにしまいながら、高坂さんはさすがに苦笑した。
「まあまあ、そういきりたたないで。まずきみたちのデビューは八月一日、当日はお披露目ミニライブを予定しています」
と言って、地方出身のぼくでさえ知っている大型商業施設の名前を上げた。その中に入っている大手CDショップチェーンの催事スペースでライブを行うべく、すでに準備は進んでいるという。
「デビュー曲のタイトルは『shoooting starrr』」
「シューティングスター?」
「流れ星、ってことっすか?」
「そうです」
高坂さんは明るく笑って、「世間ときみたちとの出会いが、流れ星のような衝撃的で美しいものになるように、とのことです」と、わかるようなわからないような解説をしてくれた。
「……ちょっと待ってください。八月一日? 三カ月もないですよ?」
大人しく話を聞いていた仙蔵が、強張った表情で話を遮った。あ。察したぼくも動きを止める。体中から、ざあっと血の気が引いた。
「さ、三カ月でこのド素人を舞台に立たせる? この事務所は正気か?」
「仙蔵、言い過ぎだぜ……とはいえ、さすがに俺も同感だ」
白いこめかみに血管を浮き上らせた仙蔵と、哀れみの表情を浮かべた食満が、同時にこちらを見てくる。なんてプレッシャーだ。昨日まで普通の高校生だったんだ、少しくらいは大目に見て欲しい。だなんて、そんな泣き言言ってられないのが辛いところで。
気圧されたぼくが選べるセリフは一つだけ。
「が、頑張りますっ」
「当たり前だ!」
「我々のデビューの舞台、“完璧”にしないとただではすまさんぞ!」
「ヒイッ」
死にものぐるいでなんとか練習をこなした三カ月、しかしミニライブの結果はなんというか、案の定で——。
「伊作っ、なんださっきのあのAメロの入りは! 震え声なんだかビブラートなんだかはっきりしろッ!」
「うーん、ダンスもなー。今日はデビュー曲だけだったからどうにかなったけどよ、ゆくゆくは俺と一緒にアクロバットも担当してほしいし、まずは体幹しっかり作ってこうな〜?」
むわりと立ち込める夜の熱のせいだけじゃない。なかなか引かない汗を拭きながら、控え室でぼくはひたすら二人に頭を下げ続けていた。食満の言う通り、「shoooting starrr」一曲だったからどうにかなったものの、明らかに一人だけ足を引っ張るデビューとなってしまった。さ、先が思いやられる……!
「おーい、お前ら、片付けは済ませたか? 一度社に戻るぞ」
ハッとして顔を上げると、マネージャーさんが手招きをしていた。小太りな体にTシャツがぴったりと張り付いていて、蒸し暑い室内がさらに湿度を増したように感じた。
彼は高坂さんとバトンタッチするかのようにぼくらの世話をしてくれている。決断力も判断力もあり、ズバズバとモノを言うのでぼくは嫌いではないが、いまいちグループの士気は上がっていない。
その証拠に、手早く控え室を出た仙蔵と食満は面白くなさそうな顔をしている。イベントの予定なり演出なりを、彼が何でもかんでも決めてしまうのが気に入らないのだろう。ぼくが言うのもなんだけど、SIKの今後が心配だ。
ため息をつきつき、仙蔵と食満について廊下を進む。ミニライブの会場となったCDショップのあるフロアから、従業員用エレベーターを下って一階へ。裏口から外へ出るまで、誰も口を開かなかった。
——と。
ドアを開け、薄暗い路地に一歩足を踏み入れたその瞬間。
華やいだ声とともに、十人程度の男女がわっと駆け寄ってきた。
「仙さま〜、デビューおめでとう♡ SNSでアイドルになるって知った時は驚いたけど、やっぱり仙さまは何やっててもかっこいいね! あ、これ、差し入れっ」
「おう食満、ボーイズアイドルグループに入ったってホントだったんだな。見たぜさっきのステージ、相変わらずキレッキレだな〜」
いわゆる出待ちというやつだ。どうやら今日のステージを見てSIKを気に入ってくれたファンというより、仙蔵と食満の以前からの追っかけがほとんどらしい。二人も慣れているようで、「ありがとう」「さんきゅ」と軽快に対応している。
当然といおうか、なんと言おうか。今のぼくに声をかけてくる人なんて、誰もいなくて。
(二人はいいなあ)
世界で一人取り残されたようで、胸がずきりと痛くなる。そう思う自分に少しだけ情けなくなる。でも、すぐに切り替えられるのは、ぼくの数少ない美点の一つだ。
(そう感じるなら、努力するのみ、だもんね)
そうだ、彼らはぼくのような平凡な高校生とは違い、努力してきているんだ。羨望するより先に、ぼくにはやるべきことがあるだろう。
ぼくは笑顔を取り繕って、できるだけ気配を消してその場に佇んでいた。歌もダンスもまだまだだけど、この三カ月間でアイドルスマイルだけはうまくキープできるようになったはずだ。
疎外感をひた隠してニコニコ微笑んでいると、不意に誰かがぼくの肩をぽん、と叩いた。
「ISAくん、だよね?」
「え……」
振り仰ぐと、図体の大きな三十代ぐらいの男。左目を包帯でぐるぐるに巻いた異様な風体で、口元にはマスク、黒と赤の目がチカチカする派手なシャツと、明らかにまともではない姿に正直言っておののいた。
あまりの迫力に息を飲んでいると、男は肩に置いた手を不意に動かした。動きに無駄がない。カタギの体の使い方ではない。一体、何者——?
反射的に身を強張らせたぼくを気にもせず、彼は両手でぼくの右手を挟むようにして掴んだ。蛍光灯で逆光になった顔の中、右目だけを爛々と光らせて、
「やっぱりISAくんだよね? さっきのライブ、すっご〜〜〜〜くよかったよ♡♡♡」
突如として、ハート満載で滔滔と語り出した。
俗に言うドルオタ、というやつなのだろうか。事態についていけていないぼくを気にもせず、右手を掴んだままで滔々と話し続けている。ゴツい体格と、ぼくに向けられるやわらかな眼差しのギャップに脳がクラクラしそうだ。近くで仙蔵と食満、それから取り巻きの男女たちもポカンとしている。
「あ、はあ……ありがとうございます」
ようやく落ち着いてきて、目の前の男を観察する余裕が出てきた。
(こんな人、客席にいたっけ?)
インパクトのある風貌なのに思い出せないのは、ぼくがパフォーマンスに精一杯だったからだろうか。申し訳なさと同時に、もっとお客さんのことを考えて、一緒に楽しむべきだったな、と殊勝な気持ちになった。よし、今後はこれをぼくの戒めとしよう——。
ぼくが一人で脳内反省会を繰り広げている間にも、彼は先ほどのライブについて延々と語り続けていた。すごい。オタクの人って、本当に早口になるんだ。
「なんていうか、技術的にはまだまだ荒削りなんだけど、光るものがあるよ。一生懸命さとか初々しさとか、すーーっごくかわいかった応援したくなっちゃった♡ 何よりその笑顔っ! 笑顔がかわいい! 癒やし! 実はねわたしちょっと仕事で悩んでたことがあったんだけど、きみのおかげでぜーんぶどっかいっちゃった!」
そう言って男はようやく満足したのか、「ありがとね」と微笑んだ。
いつの間にか、視線がすぐ近くにあった。ぼくに合わせて腰をかがめてくれているのだ、と気づいた時、無性にうれしさが込み上げてきた。握られた右手がぽかぽかと暖かい。
「ちょっとなんですかあなた、そう気安くウチのアイドルに触らないでいただきたい。警察呼びますよ」
遅まきながら不審な男の存在に気づいたマネージャーが、焦りを孕んだ声でストップをかけると、
「あ、そう? ごめんねつい会えたのがうれしくなっちゃって」
彼はマスクの下でモゴモゴと言って、それでもまだ名残惜しげにぼくの手をもてあそんでいる。剥き出しの右目、一度マネージャーの方に逸らされた視線が、改めてぼくを捉えた。
——パチッ。
その瞬間、ぼくの中で何かが弾けた。
「わ、びっくりした。静電気? こんな季節に」
「え?」
驚いたぼくは咄嗟に手を離してしまった。まさか彼も何かを感じた? それとも本当に、ただの静電気?
「あーあ。残念だけど、今日はここまでということで」
驚いているぼくをそのままに、彼はぽりぽりと頭を掻いてぼくから一歩離れた。夏の闇にそのまま溶けてしまいそうな気がして、ぼくは弾かれたように声を上げた。
「あの、お名前を」
「わたし?」
呼び止められるとは思っていなかったのか、彼は毒気を抜かれたようにキョトンと立ちすくんだ。それから右目を三日月のごとくやわらかに細め、
「……“昆”だよ。ISAくん激推し、同担拒否なんでよろしくね」
また会おう、そう言って昆さんは、ぼくを振り返り振り返りしながら去っていった。その後ろ姿を盗み見ながら、ぼくはこっそりと、まだ暖かさの残る右手で胸を押さえた。どこからか仙蔵と食満の心配そうな声がうっすらと聞こえてきたが、曖昧な笑みをこぼすこともできない。初めてのファンの存在に呼吸ができないほど、ぼくの胸は高鳴っていた。
嵐が訪れる、予感がする。
いまだかつて見たことのない、きらめく火花の、予感が。
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お読みいただきありがとうございました!
2022.5.3(超忍FES開催おめでとうございます!)