『その夜にー寂銃ー』 その瞬間。
貴方はその穏やかな瞳で、ただ前を見据えていた。
2thDRB決勝が終わり、中王区に急遽招集されたリーダーミーティングに向かう左馬刻を見送って、銃兎は煙草に火をつけた。
会場を共に出てきた理鶯には先に宿舎となるホテルに帰ってもらった。
自分が誰を待つのか分かっているのだろう。何も聞かず頷いてくれた理鶯に今更ながら気恥ずかしさがこみ上げる。
別に、待つ必要などなかった。何を約束をしている訳でもなし。ミーティングがどれだけかかるのかも、彼がそのまま出てくるのかすら銃兎は知らないのだから。
陽が落ちて冷たさを増す風に揺れる紫煙を、見るとはなしに目で追いかける。
それでも、このまま帰りたくなかった。
明朝には全員中王区を離れる。そうすれば、またしばらく顔を合わせることも出来なくなるだろうから。
……なぜ、貴方は。
先程終えたばかりの決勝を思い返す。
今回の結果はある程度予想されていた。追われる立場となった彼らには厳しい戦いとなるだろうと。要らぬ中傷や心ない言葉も彼の耳には入っていたことだろう。それでも、彼は些かもその居住まいを乱すことなく、揺るぎなくあの場に座していた。その姿は正しくディフェンディングチャンピオンにふさわしいもので。
シブヤの優勝が決まった瞬間であっても、彼の姿は王者のそれだった。
あの瞬間。貴方はいったい何を見ていた?
衆人環視の下敗者となる、あの瞬間を銃兎自身も知るからこそ、そう想う。頂点から降りる彼と、昇ることさえ出来なかった自分とでは違うと分かっているけれど。それでも、俺は。
「銃兎君?」
かけられた穏やかな声に振り返れば、白いコートを羽織った寂雷が開いた扉から真っ直ぐこちらに向かってくる。常の白衣とは違う、体のラインにそった細身のデザインは寂雷の姿の美しさをより際立たせていた。
思わず見とれてしまう自分に頭を振って、取り出した携帯灰皿に吸いかけの煙草を落とす。
「左馬刻君を待っているのかい?
彼ならもうすぐ出てくるよ。」
自分を前にしたその言葉に苦笑して、銃兎は首を振る。
「左馬刻には野暮用があるから先に帰れと言われています。
貴方こそ。あの二人なら貴方を待っていそうなものですが。」
見渡しても、銃兎以外この場に人影は見えなかった。そのもの言いに、今度は寂雷が苦笑いする。
「一二三君と独歩君には先にホテルに戻ってもらっているよ。
彼らには、まずは二人で感情を整理する時間が必要だろうから。」
そうして、見交わした互いの瞳に耐え切れぬ笑みがこぼれる。
「いや、すまないね。」
「難儀な性分ですね、お互いに。」
「ふふ。……待っていてくれて、ありがとう。
私も、君に会いたかったよ。」
寂雷の細く長い指が、銃兎の冷えた頬を滑る。指先に伝わる冷たさに彼はふと眉をしかめた。
「すっかり冷えてしまったね。中で待っていてくれればよかったのに。」
「中で女共の好奇の視線に晒されるのはごめんですよ。
歩きながら、話しませんか。」
自分に触れる指を取り、そっとくちづける。
できないことなど何もない、この手から滑り落ちたもの。
まるで、祈りを捧げるがごとき口づけにふと寂雷の纏う気配が揺れる。一瞬のそれを隠して、口を開く。
「……行こうか、銃兎君。」
「寂雷?」
その手を銃兎に預けて、寂雷が優しく指を絡ませる。今このとき、この体温だけが互いを繋いでいた。
そうして、寂雷が纏うものにようやく銃兎も気付く。
「……寂雷、貴方は」
「なんだい?」
どこまでも穏やかなその声に、その姿に、ぎりと歯を食いしばる。
「いつまで、『そう』してるんですか。」
「………、」
「それが貴方の優しさだと分かってますよ。でも、その他大勢の優しさなんて俺にはいりません。」
「手厳しいね、」
ホテルまではほんの数分で着いてしまう。今しか、できない。
寂雷の頬に手を添え、その瞳の奥までも覗き込む。
「貴方はそんな、穏やかなだけの人ではないでしょう。牙も爪も、隠しているだけだ。
……俺にまで、隠しますか。」
「銃兎君、」
全てさらけ出して、ぶつけて欲しいと願うのは傲慢ですか。
「私は君を、傷つけてしまうかもしれないよ。」
「それもまた、貴方でしょう。それに、」
貴方が与える傷ならば、本望ですよ。
最後まで言葉にできなかった。抱き込まれ奪うように、噛みつくように与えられるそのくちづけに心が満たされる。
「あまり、人を煽るものではないよ。銃兎君。」
穏やかな口調で、折れんばかりの力で、食いつくさんとするその眼光で、全身で自分を求める激しさもまた、貴方だ。
威厳をもって座する王であり、その胆力と剛腕をもって群を統べる餓狼。
他者を満たし与える貴方の飢えを、一体誰が知る?
「わざと煽っているんです。だから……いいんですよ。」
満たしてください、貴方を。
仄暗い望みのままに、我が身を差し出す生け贄の兎。
あれは、自己犠牲の美談なんかじゃない。何より、兎自身が望んでいたんだ。愛しき者に喰われることを。
捧げられた、食べてしまった者の苦悩など考えもせず。
むしろ、貴方の傷となればいい。と。
「……仕方ない子だね。」
硝子越しに挑発してくる薄い笑み。煽ってくる言葉もあからさまに、此方を揺さぶろうとするその性根がかわいくてならない。
でも、君も知らないだろう。
君の、ほんの小さな仕草一つで容易く私を揺さぶることを。
それは、君が君であるが故に。
悩みためらい、挙げ句潔いほど真っ直ぐ向かってくる君だから。
私も、身の内に燻る焔をさらけ出してしまうよ。
さあ、諸共に焼け落ちてしまおうか。
それもまた、君の望みだろう