慕情 ふと書類から顔を上げ、時計を見るともうすぐ日付けが変わるところだった。手元の灯りがぼんやりと古い書物の背表紙を照らしている。『あの方』が本棚から選んで勧めてくれる書物からは、ほのかにサンダルウッドの香りがした。
あの方の香り…今は自分がその香りを纏っている。
胸元に落ちる自分の髪は淡い金色をしている。あの方の月明かりのような色の豊かな金髪が風に靡くのを見るのが好きだった。200年以上を生きた老人だとは思えない、凛々しい後ろ姿をいつも追いかけていた。あの方のように自分も…と研鑽を深めてきたつもりだった。結局自分はあの方に選ばれなかったのだけれど。
己の中に宿した『黒い自分』を、私は自覚していた。そしてその暴走に抗えなかった。
あの方を殺めた黒髪のもうひとりの私は私を嘲笑う。
『欲しいものを手に入れたまでだ。お前を選ばなかった老ぼれなど、この世には必要がないだろう?それに…これで彼奴の全てはお前だけのものになった。お前はこれに夢中だったではないか』
───違う。
私が欲しかったのは物言わぬ骸ではなく、荘厳さを感じさせるあたたかな小宇宙を宿し、凛とした威厳のある声でアテナを語り、吐息は芳しく、肌に血の通う色を浮かべた、『シオン』という名の方だった───
もうひとりの『私』に反論しながら、今宵もスターヒルへ向かう。頂きの祭壇には永遠の眠りについた方が横たわっている。豊かな金髪を掬い取ってキスをしてから、野に咲いていた矢車菊の小さな花束を組まれた手に持たせるようにして供えた。
触れた手は冷たく、私を拒絶する。
あなたは今宵も私に応えてくれなかった。
────遠くない未来に私もそちらに行くと思います。
あなたと、あなたの後継者である友を葬った罪を女神によって裁かれる日が来るでしょう。
もしも会えたなら、愚かな私を叱ってください───
尊い方の唇に自分の唇を重ねる。
狂おしい想いを込めて。