喜怒哀楽はない方が生きやすい楽しい事があればその分落ち込んだ時の落差が激しい。
常に心を静かに保つには、無駄な事は考えず、むやみに物事を口にしない事が原則。
これが、含光君が生きてきた中で学んだ教訓である。
回廊で藍忘機は足を止めた。
遠目から、一点を見つめる。夜狩から帰ったばかりなのか、多少汚れた衣服の弟子達と魏無羨がいた。先頭にいた魏無羨は後ろを振り向き、子ども達に先に着替えて身を綺麗にしてから指定した部屋に来るようにと指示をする。
皆が去ったのを確認した彼はくるりと身を翻し、藍忘機の所へ向かって走り、飛んだ。スタッ、と華麗にちょうど藍忘機の目の前に着地した彼は、ツイと人差し指で含光君のあごをなぞる。
「そんなに熱い視線を投げられると、いたずらしたくなるな」
「今帰ったのか」
「ああ。今回も骨が折れた」
一本足の猿に弟子たちを挑ませたが、予想通り逃げ回るばかりでなかなか倒せない子どもが多かったのだ。
「すーぐ俺の後ろに来て、魏先輩、どうしましょう、どうしましょう、ってなるんだよなぁ。だからさ、俺言ってやったんだよ。お前ら俺を藍啓仁だと思って夜狩に挑めってな。そしたらちょっとマシになった」
全員、最低2匹の一本猿を倒す事ができたのだ。
藍忘機はフフと小さく笑う。魏無羨はにんまりと笑い、藍忘機に抱き着いた。
「疲れた疲れた。藍兄ちゃん、俺を歓迎して、癒して」
「うん」
魏無羨の腰を抱き寄せ、彼の背中を肩から腰にかけて撫でる。
「んー。いい感じだ。でも、もうちょっと…」
「どうすればいい?」
「そうだなぁ」
魏無羨が手のひらで顔を寄せるようにと四本の指を揃えて来い来いとする。
顔を魏無羨の高さまで下ろすと、ちゅっと柔らかいものが唇にあたった。
「ハハ!ひっかっかったな!」
満面の笑顔が愛しい。自然と口が開く。
「君は、イタズラが好きだな」
雲深不知処に来て数か月。藍忘機と道侶として触れ合っていると、藍啓仁から恐ろしいほど注意をされる。そのため静室以外では口
づけはしない約束をしていた。それを、彼は破ったのだ。だからといって藍忘機が魏無羨を咎める事はありえない。
「そんなの、今に始まったことじゃないだろ?なんなら、また春営図でも見せようか?」
喜怒哀楽が少ない方が、生きやすい。無駄な事は考えず、むやみに物事を口にしない事が原則。
それは含光君にとって今も昔も変わらない。けれど、彼の前でだけは例外だ。ただの、男になる。
「くだらない」
「言うと思ったよ」
「そんなものより―――」
聡い彼はどういった言葉が続くのかすぐに理解する。
「―――俺の体の方が興味ある?」
うん、と頷く藍忘機。
「まったく、お前みたいな美人に誘われて断れる人間がどれほどいるだろうな?」
藍忘機は魏無羨にひっぱられるまま、蔵書閣の方向へ歩いて行った。
fin.