glim　夜半、フーゴはなんとなく目を覚ます。窓の外には曙の女神の気配もなく、世界は当分夜のままであろう。カーテン越しににじみ出す冬空の冷気が、夜を一層長く、静寂にしているようだった。耳鳴りのしそうな静寂の中耳をそば立てると、隣から静かな寝息が聞こえてくる。
　イルーゾォのだ。　
　イルーゾォが静かに眠っている。　
　フーゴは頭を巡らせてイルーゾォに目を向けた。暗がりでぼんやりとしていた視界も、次第に慣れてはっきりと輪郭が浮かび上がってくる。寝床を同じくするのは今やすっかり当たり前になったけれども、フーゴはいまだにイルーゾォの寝顔が隣にあることに少し慣れないでいる。　
　半年間、ずっと見下ろしてきたのだ。自分の命が繋がっていることにも気づいていないような、死に顔のような寝顔を。　
　自分が眠っている間に事切れているのではないかと、心配になって夜中起き出すことが幾度もあった。今だって時折そのことを夢に見て目が覚めてしまう。たとえ夢の中で夢だとわかっていても、今この時のように。
　しかし実際のところ、イルーゾォはとても気持ちよさそうに眠っている。普段はきゅっと上がった口角も、いまは緩んでいてなんとものん気な無防備な寝顔である。だがまつ毛は恐ろしく長いし、横顔は彫刻作品のように整っていて、顔にかかる黒髪が妖艶さを添えている。のん気なくせに、本当に綺麗だった。　
　フーゴはもぞりと動いて、イルーゾォの体にぴったりとくっつく。温い。長く豊かな髪の香りと、ほのかにボディソープの香りがする。幸福とはきっと、こういうことをいうのだろうとフーゴは思った。あの半年間からすれば夢のような幸福だ。だから不安な夢も見るのだろう。
　感慨深く寝顔を見つめていると、イルーゾォの目がうっすらと開かれた。
「……あ、起こしてしまいましたか？」
　気まずそうに口を開くフーゴに、イルーゾォはぼんやりとした目つきのままやさしくほほえんだ。
「きにすんな。……それより、眠れねえなら、あったかいの作ってやろうか？」
　体を起こそうとしたイルーゾォを、フーゴは慌てて引き留める。
「いえ、どうかこのままで。今だって十分、あたたかいんですから……」フーゴは一瞬逡巡し、はにかんだ。「やっぱり、抱きしめてほしいです。その方があたたかいから」　
　その言葉を聞いたイルーゾォは満足げに目を細めると、フーゴをつつみこむように抱き寄せた。昼間であれば「甘えため」とかいって意地の悪い笑顔になるものだが、肌寒い夜中は別だった。誰も知らないような――おそらく、プライドの高い彼のことである、チームメイトにも見せたことのないような――やさしい眼差しで受け入れてくれるのである。鋭く光る赤い瞳も、今は蝋燭の灯火のようなやわらかな光を宿している。イルーゾォもイルーゾォで、寂しがりなところがある。寒い夜中は尚更寂しさが身に沁みるものだ。イルーゾォに素直に甘えることがフーゴの甘やかし方で、フーゴを甘やかしてやることがイルーゾォの甘え方で、その逆もまた然り。なんとも面倒な関係だが、チグハグなくせにどこか妙にウマの合う二人には不思議とそれが心地よいのである。　
　フーゴはイルーゾォの背に腕を巻き付けながら胸に頬をおしつける。イルーゾォの胸は広くて、じんわりと温かい。とくとくと胸を打つ鼓動も、静かな呼吸音も肌の匂いも、全てが心地よい。フーゴは思わずため息をついた。
「本当にあたたかいですね。あなたの腕の中は」
「前にも言ったが、生きてりゃ誰だってあったかいんだからな」
　イルーゾォは気の抜けたふわふわとした声でつぶやいた。
「でも、こんな風にするのはあなたが初めてだから。これからも、ね」
「……そっか」
　それだけ言うと、イルーゾォはフーゴの髪を不慣れな、しかし優しい手つきで撫で始めた。温もりと規則的な胸の鼓動に安心感が満たされたのか、次第に瞼がとろんと重くなってきて、浮き沈みしていた意識はじんわりと沈み始める。眠りに落ちるその刹那、イルーゾォがまたやさしくほほえんだような気がした。