私しか勝たん彼は全くもって隙が無い。鋭い眼光、獣のように敏感な耳、気配を感じる力に長けていて反射神経も抜群に良い。戦場に立つ武人ならば当然かもしれないが張遼ほど隙が無い人物を、郭嘉は知らない。少しくらい力を抜けばいいのにと冗談めかして言えば、いつ何時だって油断したくないのだと力強い返答がくるものだからそれ以上の追求はできなかった。
「目の辺り、塵がついているよ」
日が沈んだ涼しい夜、風が少々強かった。郭嘉が指摘すると張遼はそっと己の右目の辺りを指で拭い、取れたかと尋ねる。
「ううん、反対の方。そう、目蓋のところ……ああ違う、もっと、睫毛に近いとこ」
「そんなに取れないものでしょうか」
「うん。何か、小さな粒がくっついているように見えるのだけれど」
強く擦るようなことはしないがなかなか取れないのが気になるようで歩んでいた張遼の足は止まってしまった。郭嘉もまた歩みを止めて彼の前へと回り、顔を覗き込む。
「……どうですか」
「駄目みたい。取ってあげようか?」
「お願い致します」
素直に頼ってくれた張遼に気を良くし、郭嘉はくすりと笑う。
「睫毛の生え際の辺りなんだ。目を閉じていてもらえるかな」
郭嘉の言葉に従って張遼は静かに目を閉じた。口も閉じて触れられるのを待っているせいで二人の会話も止む。風の音しか聞こえない中、郭嘉はゆっくりと両手を彼の顔へと伸ばした。
左手は彼の頬へ置いて右手で閉じられた瞳の上を優しく撫でる。くすぐったかったらしい張遼は立派な口髭をもぞもぞと動かして落ち着かない様子だったが何とか耐えている。
「ねぇ、屈んで欲しいな」
注文をつければ張遼は大人しく身を屈めた。まだですか、とやや不思議そうな声が聞こえてきた辺りで郭嘉はその無防備な口元へさっと唇を寄せた。
一瞬だった。互いの体温も分からないくらい刹那だったが確かに柔らかい唇同士が触れ合った。
当然、張遼は勢いよく目を開く。鋭い両目が射抜くよりも先に郭嘉は顔を引いて手を離し、何事もなかったかのように距離を取る。
「……何を」
「塵は、私の勘違いだったみたい」
「郭嘉殿っ」
「貴方も案外、簡単に隙を見せてくれるんだね」
とてもいい。口癖になっている誉め言葉を言えばようやく悟ったのか彼は口元を片手で覆う。珍しく動揺を見せつつも、貴公にだけですと熱い声色で囁いた。