キスから始まる萩松(大学生編)幼い頃に見つけたふたりだけの秘密の場所。丘を登ると開けた場所に出て視界を遮るものがなくて、花火が綺麗に見られるとっておきの場所だった。途中、整備されていない道を通るのでこんなところまでわざわざ来る人はいない。
地元の花火大会でのいつもの所といえばここだった。だが、もう、ここで一緒に見るのも最後だろう。
「萩! ちょうど花火始まったみてぇだぜ」
タイミング良く、花火が始まったようだった。空を見上げて、よく見える場所を探して腰を下ろした。
次々と打ち上げられる花火があの頃より小さく見えるのは自分たちが大きくなったからだろうか。昔から変わらず夜空に咲く大きな花。そして、それを見つめる想い人も目に焼き付けておきたかった。
「綺麗だな」
「そう、だな」
何が、だなんて。陣平ちゃんの方が綺麗だよ、なんて言えたら良いのに。言ったところで「は?」と言われるだけかもしれないが。冗談めかしてなら言っても良かったのだろうか、と親友としての距離感が分からない。
「萩、こっちばっか見てんなよ」
「あ、バレた?」
「分かるっての。そんなたこ焼き食いてぇならもう一個買ってこりゃよかっただろ」
見てたのはたこ焼きじゃねぇんだけどな、という言葉は飲み込んで。
「まぁ、やるけどよ」
ほら、と差し出されたたこ焼きをいただく。冷めていたが、陣平ちゃんがくれたというだけで美味しかった。
「あ、陣平ちゃんソースついてる」
ここ、と親指で唇の周りを拭う。こんなこと普通の親友はやらねぇよな、という思いはあった。それでも、親友で終わるのは嫌で自分は特別になりたいし、少しでも意識してもらえたらと思っていたから。
「ば、っか……!」
赤、青、黄色、緑、ピンク。色とりどりの夜空を彩る花に、最近はスマイルや音符なんかの変わった形もあるんだな、と言いながら。
「陣平ちゃん、いまのハートだったぜ」
「逆だったな」
「な」
しばらく空を見ていると、打ち上げられる花火の音にかき消えそうな声がふと聞こえた。
「萩は、俺とでよかったのかよ」
「……何が?」
「誘われてただろ」
そういえば、というのは声を掛けてくれた女の子達に失礼かもしれないが、そういう誘いも少なからずあったなと萩原は思い返す。グループで一緒に行こうというお誘いもあったし(松田くんも一緒に、といわれていたのは絶対言わねぇけど)や、ふたりで行きたいと声を掛けてくれた子もいる。きっと、松田を誘った自分のように、勇気を出してくれたのだろう。
「俺は陣平ちゃんと来たかったんだよ」
「……そうかよ」
「陣平ちゃんこそ誰か一緒に来たい子いたんじゃねぇの」
「んー」
いるのか、いないのか。微妙な返事だった。松田の初恋以来そんな話はしてこなかったから、自分から話を振ったくせになんだか気恥ずかしくて居心地が悪くなる。聞いたくせに聞きたくなくて。
自分へ向けられている好意には疎いこの鈍感男め。陣平ちゃんはまっすぐ気持ちを伝えることしか知らないから、自分のように回りくどいのには気づかないのだろう。それを分かっていてずっと一歩を踏み出せずにいたのは居心地の良い自分だけの特等席を失いたくなかったから。そこがたとえ、一番手に入れたい場所じゃなくとも。
この恋は、叶わないと思っていた。ならばいっそここでケジメをつけても良いんじゃないか。
花火大会という非日常が、ギリギリで保っていた想いを弾けさせた。
「萩?」
指先に触れると、急にどうしたんだと松田が振り向く。
世界にふたりだけのような錯覚に、花火の音が遠く聞こえる。触れた指先はふりほどかれることなく重なったまま体温を分け合って、心地良いなと思った。
「まつだ」
自分が思っていたより甘い声だった。何度も呼んできた名前が別の色をしているのに驚いたのは萩原だけではない。聞いたことのないような声で名前を呼ばれて、驚きで丸く見開かれた目がこちらをまっすぐ見つめる。
いまのたった一言でぜんぶ気づかれてしまったのかもしれない。いままでそんな声色で松田を呼んだことはなかったから。愛しさを煮詰めたような色をした声は、好きだと告げていた。
それならばせめてちゃんと伝えて振られれば良かったなと悔いても遅いけれど。だが、止められる気配もないので絡んだ視線はそのまま、続けた。
――いいのかな。いいんだよな。
何も言われていないということは、少なくとも拒絶ではない。都合良くそう解釈して、あとで殴られでも何でもするから、とゆっくりと距離を詰めた。逃げないで、と願う気持ちで手をぎゅっと握る。
もうすぐ唇が触れるかという寸前、松田がはた、と何かに気づいたかのように弾かれて後ずさった。願い虚しく、離れてしまう。
「なっ、てめぇ! 何しようとしてんだ!」
「だっていまそういう雰囲気だったでしょ!?」
「そ、だけどよ……」
松田の瞳が期待していたように見えたから、引き寄せられてしまっただけだ。なんて、ただの言い訳に過ぎないけれど。ずっと、心の奥ではそうしたいと思っていたのは自分だ。
その気持ちが溢れてしまったのが、たまたま今だっただけだ。
「……とでも、すんのかよ」
「え?」
顔が逸らされ、逆方向に落とされた松田の声は花火の音に重なって萩原の耳には届かなかった。
「そういう雰囲気だったら、萩は誰とでもすんのかよ!」
「……っ!」
期待、してもいいのだろうか。紅く染まっているだろう顔が見えないのが、惜しいなと思った。
「しねぇよ。陣平ちゃんだから、してぇと思った」
目の前でふたつの青が揺れる。そこにもう花火は映っていなくて、視線を独り占めする。
「松田」
――キス、していい?
「聞くなよ」
勝手にするなと怒ったり、許可はいらないと怒ったり。我儘なお姫様だこと。それでも、振り回されるのが嫌じゃないと思ってしまうあたり、惚れた者負けなのだろう。
「それより先に、言うことあんだろうが」
――萩の気持ち聞いてねぇ。
恥ずかしそうに逸らされた視線の先に溢された言葉。また焦らされるのか、と思うけれど、こんな可愛いことを言われてそれに応えないなんてことは許されない。お預けされたって、きちんと向き合わなければ。
そんな表情をされて、期待するなという方がどうかしている。胸の鼓動が激しくなって、隣に座る松田に伝わってしまうんじゃないかと思うほど煩い。するりと指先を捕まえると同じだけの力で握り返されて、ふりほどかれることはなかった。
自分たちの間に言葉はいらないと思っていた。ずっと、怖くて言えなかったたったの二文字。それでも口にしなければ変わらないものはあって。ずっと変わらずあって、これからも変わることなんてないと思ったふたりの関係を、変えたいと思ったから。
「陣平ちゃん」
これまで星の数ほど口にしてきた名前を呼ぶと、顔が上げられて視線が交わる。この真っ直ぐな瞳に幼い頃からずっと――。その瞳に捕らわれて、ずっと映っていたいと、たったひとりになりたいと思った。
「好きだよ。ずっと、陣平ちゃんの一番になりたかった」