キャスとパルが子どもを助ける話 この街には月に一度、朝市が開催される。露店は活気にあふれ、巨大魚の解体ショーやプラムのたたき売りなんて催しまである。地元の住民だけでなく朝市見たさにわざわざ観光へやってくる者もいる始末だから、それはそれは賑やかで愉快。そんな街中をきょろきょろしながら、薬師キャスティは「お祭りみたいで楽しいわね」と独り言を言う。屋台からかおる香ばしさに鼻腔がくすぐられ「うまそー!」という声も聞こえてきそうなくらいである。市に並ぶ薬草や旅の道具みたさに早くから起きて出てきたわけだが、思ったよりも人々でごった返しており心底驚いた。
キャスティは旅人である。そろそろこの街の出立を考えているので荷物をある程度まとめておかねばならない。仲間も入れて八人の大所帯で旅をしているから消耗品も多く、いくら買っても足りなくなるなどしょっちゅうだ。度々、狩人のオーシュットに手伝ってもらってその場で調達するも、街でしか手に入らない道具も多い。キャスティは買い物用のメモを片手に人の海へと繰り出した。
朝市は宝庫だった。見たことのないビビッドなカラーの果物や、香しいスパイス、異国から持ち込まれたらしい粉薬なんてものもある。後ろ髪をひかれる思いだが、キャスティは必要なものだけを丁寧に買っていく。たまに店主から「美人さんにはおまけしちゃうよ!」と多めに品を渡されることもあり、キャスティは優しく笑いながら礼を言う。朝市は売り子も客も笑顔に溢れているので余計に心地が良かった。
さて。みんなから頼まれたものを買い終えたのであとは薬の調合に必要な材料を少々。キャスティは両手に荷物をもって、目的地の薬屋へと向かう。到着してみれば店前に一際目を引く黄色が映った。彼の帽子と黄色のコートがやけに色鮮やかに染みたのは何故だろう。
彼は商人パルテティオ。キャスティの旅仲間であった。
「こりゃあいいハーブだな。香りも強いし、なにより新鮮だ。この品種なんて育てられる土地が限られるせいで手がかかって大変なんだよな」
露店の薬草やハーブを品定めしているようだ。背中越しからでも楽しそうなのがわかる声色だ。キャスティはそのままパルテティオと店主である老婦のやりとりに耳を澄ました。
「あんた若いのによく知ってるねぇ! うちの農園で今朝摘んだばかりだよ。自慢じゃあないけどうちで採れた子たちは質がいいからおのずと味もいいってわけさ。ほかにもこれを使った茶葉なんてのもある。こっちは日持ちするからお土産にも大人気、さぁおひとつ500リーフでどうだい」
気をよくしたからか老婦の口はよく回る。
「ばあさんが丹精込めて育てたハーブだ、買った! ……と言いたいところだが、実はちょいと持ち合わせ的に厳しいんだ。どうしたもんかな」
彼が申し訳なさそうに言ったあと、人差し指を立てて店主に提案をし始めた。
「なあ、ばあさん。2000リーフで茶葉を5袋買わせてくれ。あんたがその手を痛めながら摘んだハーブは悪いようにはしねえ。俺は旅の商人をやってるんだが、こりゃあ今まで見た中でいちばんの出来だ。ばあさんの顔だって随分日に焼けてる。毎日手間暇を惜しまずに面倒をみてたんだろ? 仕事柄茶を出す料理店なんかにも出入りするから、そいつらに『おすすめの農園がある』って紹介もちゃんとしとくぜ」
キャスティは彼の背中越しに商品を見やる。あれは茎にとげがあるタイプの植物だ。手袋も突き通してしまうほどの鋭さを持つため、育てるときも収穫するときも気を使わないと怪我をするし、他の作物に傷をつけるかもしれない。ほかの種と比べて繊細だからこそかかる手間を彼は知っている。そして彼女の腕の良さを見抜いたからこその交渉だったのだ。
「全く。そんなに言われちゃ売るしかないじゃないのさ。持ってきな!」
「ほいきた! 商談成立だな、ありがとさん!」
元気な一声が響く。
少しのやり取りで人を知る商人の目にキャスティはいたく感心した。
「お姉さんもなんか買ってくかい」
キャスティの目線に気づいた老婦が声をかけた。男は後ろに他の客がいるのを知って身をどかそうとする。
「おっと、邪魔したな……って、キャスティじゃねえか」
「ふふ。おはようパルテティオ」
彼に軽く挨拶をして、必要なものを老婦へ伝えテキパキと買い物をする。「まいどあり」と紙袋を渡され、地面に置いていた鞄へと詰め込んだ。いつもの肩掛け鞄も背負っているので合わせれば相当な量である。
「随分な荷物だなあ。手伝うぜ」
力仕事も任せとけと言わんばかりにパルテティオは荷物を抱え込んだ。自身の荷物があるにも関わらずまるごと手に持つ。返事をまたずに手を貸してくれるところが彼らしいなと少し笑い、キャスティは礼を言った。
ピークを越えたからか朝市の喧噪も落ち着いていた。買い物も終わったので直接宿へ帰るのも考えたが、キャスティもさすがに疲れたそぶりを見せる。それを察知してか「人ごみすごかったもんなあ。向こうに座るところあるから行こうぜ」とパルテティオが気を利かせてベンチまで案内する。街のはずれにある川沿いの道には人もまばらで、静かな空気が流れていた。
ふたりはベンチに腰掛けてのんびりと雑談をしていた。
「朝市は思ったよりも収穫があったからすぐにでも旅に出られるわね」
「そりゃあよかった。ところで、薬鞄に似合わねーブツがいくつか入ってるが」
「ロープのことかしら。ソローネとオーシュットから『獲物を捕まえるように欲しい』ってお願いされたのよね。こっちはヒカリ君とアグネアちゃん用に刃物を手入れするための道具、これはテメノスとオズバルドの杖磨き用の布」
「荷物用にまとめりゃあ……って、そんだけ入ってたら無理もねえか」
「そうなのよね。たくさん買いすぎちゃったわ。ところで、パルテティオはさっきのハーブ以外に何かいいものは見つかったのかしら」
「おう、相当いいもんが買えたぜ」
「どんな品物なの?」
「ん? いやぁえっと」
なんだかばつが悪そうにパルテティオが視線を逸らす。世間話のつもりだったが聞かれたくない内容だったのだろうか。キャスティが首を傾げた直後だった。
「兄ちゃん! にいちゃん!!」
子どもの声だ。
キャスティは荷物もそのままに誰よりも早く駆け出す。なにがあったのか考える前に身体が動いてしまう彼女をパルテティオも追う。
柵――道と河原を区切るためのもので大人の腰くらいしか高さがない――を掴んで男の子がうろたえていた。キャスティは駆け寄り、ひざを折って彼の肩に優しく手を添える。怪我でもしたのかと声をかけるも、泣きじゃくっていて要領を得ない。
「川のなかだ!」
パルテティオの鋭い声が飛ぶ。水流の真ん中でかすかな水しぶきが見える。キャスティが立ち上がり、柵に手をかけようとした瞬間「これ預かっててくれ!」とコートと帽子を押し付けられた。
パルテティオは軽々と柵を越え、河原を走り水面に飛び込む。派手な音がしたと思った次にはもう溺れていた子を抱えていた。キャスティも彼らのもとへと向かうため柵をまたいだ。
子どもはパニックになっているせいか依然として手足をバタつかせている。これではパルテティオごと溺れてしまう。キャスティは鞄の中からロープを出すと柵に括り付けパルテティオへ投げた。
「そこのあなた! 毛布を持ってきてちょうだい」
騒ぎを聞いて集まった大人たちにキャスティは指示を出す。
パルテティオは自分のコートを河原に敷くよう言い、キャスティは即座にその通り動く。
子どもの様子をみるに少し弱っているが意識はあるようだ。キャスティは注意深く診る。呼吸、肺の音、水は吐ききったろうか。足や手に怪我は。大事ない。確認してから身体を温めるための薬草を手早く調合する。川の生水を飲んだ影響も考え、毒消しの薬草も混ぜよう。
一連の素早い看病をみて、やはり彼女は薬師の中でも一位二位を争うほどの腕前と俊敏さだとパルテティオは思った。
「……にいちゃんが、ぼくの、ボールとろうとしてっ、それで」
弟はぐしゃぐしゃに泣きながら事の次第を教えてくれた。腰を落としてパルテティオは弟から話を聞く。兄が河原へ転がったボールを拾ってやろうと、川に近づいたところで足がもつれたのだという。
「大丈夫だ。このねーちゃんに任しときな。きっとお前の兄ちゃんはだいじょうぶだ。俺が保証するさ」
濡れた手袋を外し、小さな男の子の頭を優しく撫でてやった。パルテティオは彼女なら絶対に救えるのだと絶対の自信があった。
診てる間に子どもたちの母も駆けつけてくれたらしい。兄は無事であること、薬を作ったので残さず服用することを伝えた。しきりに頭を下げ礼を言う母に事なきを得た。
「いやぁ、どうにかなって良かったな」
パルテティオは毛布にくるまれた兄とそれにびったりくっつく弟をみながらしみじみと言った。
「あなたがすぐあの子を引き上げてくれたから大事に至らなかったけど、川に飛び込むなんて無茶したらダメよ。まずは助けを呼んで、つかまれるものを投げ込んであげなきゃ」
「悪かったって。キャスティが今にも飛び込みそうだったから、ついな」
「それは」
言われて気づいた。柵があるとはいえ無意識のまま川へ進もうとしたのはその通りだった。危険を顧みずに無茶をするのは自分も同じことだ。旅の仲間からよく𠮟られたのを思い出して少し苦笑いする。
「……ほんとう、大事にならなくてよかった」
「おう。キャスティが診てくれたから助かったようなもんだろ」
キャスティは「私だけじゃどうにもならなかったわよ」と水が滴る男に言った。
「あ!!! やっべぇ、荷物ほったらかしだ!」
慌ただしく走り出したせいで地面に水気を含んだ足跡ができる。キャスティは心地よい騒がしさに目を細めてあとゆっくり歩いた。
ベンチの荷物は特に盗られるでもなくそのままだった。だが中身までは不安だったらしい、パルテティオは着いてすぐ置き去りだった自身のバッグをごそごそと漁る。あ、あったぁ。よかったー。ほっとした声を出したあと、おずおずと後方のキャスティに向き直る。
「……よかったら、これ、貰ってくれねえか」
少し照れ臭そうにパルテティオから差し出されたのは押し花の栞だった。
「これ……」
受け取りながら薄い水色の下地に咲く真っ白な花弁を見た。
「すごく、きれいね」
「それ、今朝の花屋で見つけたんだ。趣味の一環で栞も作ってるっておっちゃんがいてさ。あまりここいらじゃ見ない花だって言ってたな。これ見てたら、いつだったかキャスティが教えてくれた白い花ってのを思い出したから、それで」
美しいという言葉が陳腐に聞こえるほどに、素朴な栞に心奪われた。目でなぞるように凛と咲く花をみた。キャスティの心には、なぜか懐かしさと同時に寂しさが去来した。
「へーっくし」
びしょ濡れなまま立っていたパルテティオが盛大にくしゃみをする。
「風邪、ひいちゃうわね。帰りましょうか」
「帰ったら風呂入んねーとな」
結局、後日風邪を引いたために出立が遅れたのは至極当然の話である。