贖罪ファルムス王国による魔国連邦侵攻は後の歴史でも人類最悪の愚策と評されている。
二万を超える王国軍が魔国連邦へ向かう途中。
邪な行いによる流れた血によってその地に眠る暴風竜ヴェルドラを呼び起こし、兵のほぼ全員が行方不明。
唯一帰還したのが、エドマリス国王、大魔導士ラーゼン、大司教レイヒムのみ。
ファルムス軍の行った無抵抗の女子供への虐殺行為も露呈されその愚行は西方の国々に広く伝わった。
当時ファルムス軍に加担していた軍関係者だけでなく商人、冒険者、傭兵などは魔国連邦が中心となる経済圏で不遇な扱いをされた事は仕方のない事であろう。
その男は当時傭兵として魔国討伐に参加していた。
ファルムスによる宣戦布告をするために組織された異世界人が含まれる軍から少し離れて行動していた。
傭兵達が受けた依頼は「魔物討伐」であった。
ジュラの大森林は魔獣の巣窟である。
宣戦布告をするための軍の障害物除去が自分達の任務だと思っていた。
が、現実は違った。
森に入りしばらくすると男は異変に気付いた。
数年前に森へ入った時は休む間もなく魔獣が襲ってきたのにただの一匹も襲ってこない。
傭兵隊はリーダーを含め十数名で組織されている。
もしかするとパーティーとしては多い人数を警戒し魔物側が避けているのかもしれない。
そう結論付け気にせずに森を進むと魔物の子どもを数名発見した。
少し離れて様子を観察する。
緑色の肌の子供、イノシシのような体躯の子供など、見た目だけで人間と違うのはすぐわかった。
「リムル様が戻ってこられるのはお昼過ぎたってお父さんが言ってた」
「お花をいっぱい飾ってお迎えしようね」
楽し気にはしゃぐ子供たちの様子に一瞬和むが、子ども達だけで遊べるほどにこの森は平和なのかもしれない。
それでは仕事はないかもなぁ……などと思案していると傭兵達のリーダー格の男が飛び出し腰の剣で緑色の肌の子供に切りつけた。
その場にいた誰もがあっけにとられて動けずにいたらリーダーが叫ぶ。
「何をしている! 仕事だぞ」
魔物……確かに魔物ではあるが無害の子供である。
「いや。魔物といっても子供を切りつけるような事は……」誰かがリーダーにそう言うと別の傭兵がいきなりそいつを切りつけた。
「なにを!」
「俺達が請け負った仕事は魔物討伐。子供だろうが関係ない。志気を下げる奴は切り捨ててよいと軍団長から命令を受けている」
切りつけられた奴は致命傷というわけではないが、次に切りつけられたら命を落とすだろう。
「さぁ仕事だ」
子供たちを殺せという命令にたじろぐが、やらなければ自分が殺されるのはりかいできた。
既にその場から逃げ出している魔物の子供を誰かが追いかけ切りつけた。
切りつけられた子供から血しぶきが飛ぶのが見えた。
「お前はどうする?」
自分以外の者達は既に子供達を追いかけていたので慌てて男も追いかけ、そして剣を振り下ろした。
子供から出た血が自分にもかかる。
緑色の肌でも出てくる血は赤いのだななどと変な事を感心しながら、取りつかれたように子供達を追いかけ次々と剣を振り下ろす。
途中からは数を数えるのが面倒になり、ただ目につく者を狩るようになった。
街に入ると子供を守ろうと大人が現れたがまとめて狩った。
夢中で狩っているとリーダーの男から「そろそろ撤収するぞ」と号令がありファルムス軍に合流しファルムスへと帰還したのだった。
どうやって帰還したのかは覚えていない。
次にある魔国連邦侵攻作戦は参加する気にはなれなかった。
無抵抗の者を虐殺する行為。
逃げ惑う子供を追いかける悍ましい姿の自分。
その事実は男には到底受け入れられる事はできなかった。
なので傭兵としての経歴は葬り去る事にした。
帰国してすぐに傭兵を辞める手続きをすると名を変え、闇市場を利用し商人の経歴を入手しファルムス王国を出て西側の小国で商人として新たな人生を送る事にした。
仕事を順調にこなし妻をめとり、今年の春ごろには新しい家族を迎える予定だ。
手に入れた新しい人生は順風満帆と言えるだろう。
その後のファルムスの転落を見て男は自分の判断は正しかったと確信していた。
つい数刻前までは。
子供が生まれるので収入を増やそうと考えていたところにやってきた商業ギルドの依頼を受けた。
指定された場所は繁華街にあるカフェと呼ばれる食事処だ。
個室が用意されており、依頼人と会う事になっている。
男は時間通りにやってきて指定された席に腰を下ろす。
依頼人はまだ来ていないようだが席で待っていればそのうちやってくるだろう。
そんな事を考えていると自分の座る目の前の席にいつの間にか誰かが座っていた。
「時間通りとは感心だな」
重厚感のある声は男の声。
かぶっていたフードをとると蒼髪の美青年が現れた。
人間ではない事は額に生えた一本の白いツノでわかった。
脳内に危険を知らせる警笛が鳴りすぐにその場から逃亡したかったが、座った椅子ごと無数の糸にからめとられ立つことすらできなかった。
「依頼も聞かずに席を立とうとするのは礼儀がなってないようだな」
蒼色の髪の男はが無表情でそう告げる。
おそらくその男が何か細工をしたのだろう。
「な、なんなんですか! あなたは! 商業ギルドの依頼とはいえ初対面でこんな無作法は許されませんよ」
震える声でクレームを伝えてみる。
脅しにはならないだろうが、ギルドの依頼である以上自分の身の保証くらいはしてもらえるはずである。
「商業ギルド? あぁ……お前の身元が届け出通りならギルドも動くだろうが偽造したものならそれも無理だろう」
鼻で笑うように言い捨てられた言葉に男は血の気が引いた。
「なぜ……それを……」
数年商業ギルドで仕事をしているが、巧妙に偽造された経歴がバレる事はなかった。
「簡単な話だ。お前が殺した子供の記憶を読み取り、殺した者を探したからな。経歴の偽造は巧妙だったが転生でもしない限り俺達から逃れる事はできない」
「何を言って……」
「殺された子供を生き返らせた後、殺される寸前の記憶から探った」
「はぁ?」
「記憶を読み取れるスキルのある者に読み取ってもらい思念で伝達できる」
そこから先は造作もない事だとそう告げられ男は沈黙した。
凡人に過ぎない人間では理解の範疇を超えている。
しかし、これだけは理解した。
男が捨て去った傭兵として魔国連邦で行った許されざる過去の行いをこの魔人は知っている。
恐らく粛清にきたのだろう。
「先に名乗っておく。俺はソウエイ。この姿を見てわかると思うが魔国連邦の者だ」
「て、テンペストの……」
「魔王リムル様の隠密を任せられている」
「オンミツ?」
「……まぁ情報部のようなものだ」
「お、おれを殺しにきたのか?」
男の問いにソウエイはフッと笑みを浮かべる。
「我が主はとてもお優しい方だ。かつての敵であろうと悔い改めた者は受け入れてくださる」
「……」
「お前にとっては償いの機会が与えられたと思っていい」
ソウエイは鷹揚にそう告げるが男には意味が理解できない。
「……リムル様の為に働けと言っている」
「それはどういう」
「なに。簡単な仕事だ。俺達の駒として情報を集める手伝いをしてくれればいい」
「情報?」
「お前が商人として入手した情報をこちらに流したり、こちらが指示する相手の情報を探ったりが主な仕事だな」
「……」
「報酬はギルドで提示した通り。内容によっては増額もあるが具体的な金額は依頼事にかわるがな」
条件はいい。
おそらくこれからの生活を考えたら断らない方が正解だろう。
しかし条件が良すぎる。
「あの……もしもですよ。この依頼を断ったりしたら……」
ソウエイは窓の外を指さした。
その指の先をみて男はぎょっと驚愕する。
このカフェの向かいにある別のカフェのオープンテラスに男の妻が見知らぬ女性と楽し気に話していた。
この時間は買い物に出かけているはずなので、そのカフェにいても不思議ではないのだが……。
「お前の妻が話している相手は俺の部下だ。見た目は人間に見えるが龍人族でこちらから命令を送れば……」
「……わ、わかった。全部そちらの言うとおりにするから……妻は何も知らないんだ。頼むから」
「承知した。詳細は後ほど商業ギルドを通して伝えよう」
そう告げるとソウエイは影に溶けるように消えた。
椅子に絡みついていた糸も消えている。
背中にはびっしょりと汗をかいていた。
ほっと息を吐き出し、無事に生き残った事に安堵する。
安心した直後、今すぐ妻の元へ行こうと席を立ちあがると個室のドアをノックし遠慮がちにウェイトレスが顔を出した。
「あのぉ……ご注文はお決まりですかぁ?」
ソウエイとの会話が異質すぎて何も注文していなかった事に気付いた。
おそらくだが今後目立つ振る舞いはしない方がいいのだろう。
何も注文せずに出ると悪目立ちするだろうから、男は仕方なくコーヒーを注文したのだった。
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ソウエイの傍の影が揺らぎ音もなくソーカが現れた。
「ソウエイ様。ターゲットの妻との接触できました」
ソウエイが頷くとソーカは直ぐに知り得た情報を話し出した。
「概ね前情報と変わらないようだな」
「はい。子供が生まれてくる事にも罪悪感を感じているようで従順な協力者として役立ってくれると期待できます」
「締め上げすぎると暴走するかもしれんな。力加減が難しい」
「負荷が強すぎると自暴自棄になると?」
「……しばらくは監視を続けろ」
「承知しました」
了承の意を伝えソーカの姿はまた影に消えたのだった。