「だったら一度、弓場さんと寝てみたいんですよね」
「ア」
何言ってやがる、と換装体ではない透明なレンズの奥で、目を剥いた。
「ちょっと前に女の人と初体験を済ませたって話はしましたっけ」
「……されてはいねェーな」
「誰とまでは言うのはさすがにプライバシーの侵害だから言いませんけど、ボーダーの人で前から親しくはしてたんですけど、一カ月前くらいだったかな、ボーダーを辞めて三門市を出て行くから、最後の思い出に一度だけダメかなって」
「……」
「中学の時に第一次侵攻だったでしょう? それで復興だボーダー入隊だって色々とバタバタしてて、ぼく、ひとりの人とちゃんとお付き合いってしたことなかったんですよ。キスと、まあそのちょっと先くらいまでは経験してましたけど。でも仮にも女性にそこまで言わせて断るのも、悪いんじゃないかと思ったんです。弓場先輩は叱ります?」
「同情で寝る是非とか以前に幾ら部下でも、犯罪になるワケでもあるめぇ下半身事情に、隊長とはいえ俺が口を出す謂われもねえからな」
いがらっぽい顔ではあったがそう返す弓場に、良かった、と王子は顔をほころばせた。弓場先輩に叱られなくて、とも。
「まあまあ気持ちは良かったんですよね、さすがに。繁殖の為に構成された体で交わるわけですから、それなりの快楽は在って当然なんでしょうけど」
生物の授業の一環のような王子の口振りに、弓場は表情を選びあぐねた末の苦笑いで応じた。抒情的に感じろなどとは言わないが、弓場とて童貞ではなくなった日のことは、それなりの思い出のひとつではあるのだ。
「もしかしたら、あちらがお上手だったって可能性もありましたけど。それで、どうせなら、男の人とならどうなのかな、って」
「どうしてそうなる」
「試せることだったら試してみたいじゃないですか。人生は一度きりなんですし。好くなかったら、外れくじを引いたなってそれきりにしちゃえばいいやって。おかしいですかね?」
「……
弓場さんならもしかしたら男性相手の経験もあるんじゃないかって
「あいにくだが、ねェーよ」
「残念」
<中略>
「仕方ねえ奴だな。人の弱みにつけこむのが得意なのは今に始まったことじゃねえのは知ってたが」
少女めいた清楚な顔で獰猛な戦い方を厭わない、美しい獣。
そしてきっといつかこの手元から旅立ち、牙を剥くことが約束された猛禽。
ならば。
「……ぁ」
腰を抱かれ、かすかにわななかせた王子の花びらを飾ったような唇に噛みつくように、弓場のそれが重なる。
押し込まれ、蹂躙する舌に、呼吸さえもままならず、王子は溺れる者のように弓場の背を抱いた。
墜ちる間際を見極めたように、やがて弓場が唇を引き離す。
「……ゆ、ば、さん……?」
「こんなのが褒美ってえのなら、いいさ。可愛い部下がそれを望むっていうならくれてやる」
けどな王子、と後ろ頭を鷲掴みにして、恫喝めいて、しかし瞳に諦観を少しだけ交えた苦笑を浮かべながら弓場は囁く。
「いざとなってから、臆しても牡が止まらないってのは承知しとけ」
「分かってますよ、ぼくだって。そこまで愚かじゃありませんもの」
笑みを象っていた王子の唇が、降りる再びのキスの寸前に、泣くのを堪えるようにわななくように震えたのを、果たして弓場が悟っていたのだろうか。
それは、王子には分からなかった。