家の都合で政略結婚することになったさねぎゆ。最初の頃、さねみはぎゆのことをいけ好かない奴だと思っていたし、言葉数の少なさや表情の乏しさから何を考えているのか分からない気味が悪い奴だと思っていた。ありていに言ってしまえば、嫌っていたし、避けていたのだ。
けれども、内心どう思っていようと、書面上ふたりは正式な「ふうふ」となってしまったのだ。お互い、嫌でも顔を合わせなければならない。同じ空間で暮らさなければならない。さねみは気が重くて仕方なかった。
しかし、それも数ヶ月と続くと、多少なりとも感情に変化が訪れる。
ぎゆうは根っからの悪人ではないし、性格が悪い訳でもなかった。
表情の変化も言葉の数も相変わらず少ないが、だからと言って無愛想ではない。いや、どちらかと言うとあれは天然に近い。それに、なんだかんだで放っておけないと感じている。さねみは少々複雑な心境になっていた。
それからまた時間が経った。結婚して半年が過ぎた。この頃になると、時々ふたりで出かけるようになっていた。
なんて事はない。食事をしたり、買い物をしたり、ぶらりとドライブに出掛けたり。その程度の事だ。それでも、さねみは、その時間が、空間が、居心地良いと確かに思ったのである。
結婚して10ヶ月近くが過ぎた。白状すると、さねみは自分の中で育った感情を自覚してしまっていた。
ぎゆうの事が好きだ。ずっと、この時間が続いてほしいと願うくらいには想っていた。
もうすぐで結婚して一年になる。さねみは、ある計画をしていた。
それは、一年の記念日にぎゆうに告白をする事。家の都合ではない、自身の想いをきちんと伝えよう。そして、自分からプロポーズしよう。そう決心したのだ。ーーが、そんな時。さねみは両親から、さねみとぎゆうを結婚させた張本人達から「もう互いに利益がないから、この結婚はなかったことにする」と一方的に告げられ唖然とした。
さねみは引き留める両親を振り解き、ぎゆうが待つであろう自宅へと急いで向かった。家に戻ると、ぎゆうがいつものように出迎え、さねみの心がふわりと温かくなる。けれども、ぎゆうは何かを察したのか、普段の無表情はどこに行ったのだと思うような、ぐしゃりと歪に歪んだ笑みを浮かべたのである。さねみが咄嗟にぎゆうの名前を口にしようとしたが、それよりも早くぎゆうが告げる。
「もう、これで自由になるんだな」
ぎゆうのその台詞に、さねみの喉がヒュッと嫌な音を鳴らした。
ずっとぎゆうはそう思っていたのか。自分との生活に息苦しさを感じていたのか。さねみらしかぬ弱音が出そうになる前に、ぎゆうが言葉を続けた。
「お前が俺を嫌っていた事は分かっていた。それでも俺は、お前と…いや、なんでもない。いつも迷惑をかけて、苛立たせてしまって本当にすまなかった。今度こそ家族になるべき人と幸せな結婚生活を過ごしてほしい」
心の底から願っているのだと、ぎゆうは言う。声を振るわせ、気丈に振る舞い、それでもさねみの事を手放せるのだと知らしめる。ーーなんだ、それ。
確かに最初はそうだったかもしれない。いちいち苛立って、疎ましく感じて、何かある度に声を荒げて、むしろ何もなくても視線を鋭くさせていた気がする。こうして思い返せば、随分と散々ではあった。けれど、どうしても放っておけなかった。気になってしょうがなかった。知れば知るほど、同じ時間を過ごせば過ごすほど惹かれていったのだ。
それなのにぎゆうは、今もなおさねみに嫌われていると思い込んでいる。ぎゆうとさねみは家族になり得ないのだと。さねみが幸福だと感じていたぎゆうとの生活を否定する。
無性に腹が立った。久しぶりに怒鳴ってやりたくなった。
あぁ、でも。そう思い込ませたのは、他でもない己自身で。
二人の未来がないと先に告げたのも、己の方だった。
過去に戻れるのならば、あの時の自分に会って殴り飛ばしてやりたくなる程の後悔が押し寄せる。しかし、それはどう頑張っても叶わないし、何よりそんな事をしている暇があれば、一刻も早く誤解させたままの状態をどうにかするべきだ。
「…なぁ、ぎゆう」
2人きりの時に名前を呼んだのは、今が初めてだ。これまでは『外』にいる時だけの形だけだったもの。政略結婚だからと、愛がないからと、互いを家族ではなく他人のままとして苗字で呼んでいたが、それも今日で終わりにしよう。
結婚して11ヶ月と20日。計画は全て無駄になったが、最早そんなもの些事である。
「今からお前に言いたい事がある」
泣いてくれるな。否定してくれるな。
俺の幸福は、お前と共に在るのだから。
ぎゆは、さねみを愛したから幸せを願って離れようとした。
さねは、ぎゆに恋をしたから手離せなくなった。
多少感情に差はあれ、想い合ってるのは確かで。