「大地を赤く染めようか」
そう叫んで己自身を振るい、戦場を駆ける松井の姿はとても綺麗だ。普段は蒼白い肌が薄桃色に高揚して、返り血は花を散らしたように松井を飾る。形の良い唇の両端を引き上げて敵を屠る松井の勇姿を視界に入れて、僕は足元に崩れ落ちている骸から刀を引き抜いた。
実際のところ、大地は赤く染まったりはしない。滴った血は地面にしみ込み、黒々とぬかるむだけ。その染みすら直に消えていって後には何も残らない。
そんな面白味のない現実を思い浮かべつつ、先走り気味の松井の制止というか援護というか、まあそんな事に向かった。
「松井、走り過ぎ」
背中を預けて立つとそう声を掛ける。
「血を流すのは僕だけでいい」
「君も流す必要はないよ」
「しかし、僕は」
「真っ赤な大地なら僕が見せてあげる」
え、と松井が僕を振り返る気配がして握った鋒が下を向いた。
「良いから構えて。まずは無事に還ること」
遡行軍が僕らを取り囲み、松井は鋒を持ち上げ、僕は鞘を添えて刃を上に目の高さで構えた。
「軽傷で還るよ。中傷以上ならきっと間に合わない」
靴が地面を蹴る音と敵大太刀が上げた咆哮が同時。辺りに鋼と鋼がぶつかる耳障りな悲鳴と砂煙が立ち込める。
やがて黒い瘴気と血煙が霞のように消え失せ、僕たちの舞台は勝利の凱歌を上げた。
本丸に帰還して、部隊長は審神者へ報告に行く。怪我をしたものはそれぞれに手入れ部屋へと入った。
「桑名」
「うん」
軽傷で済んだ僕と松井は手入れ部屋が空くまでの間を使って、約束を果たしに行くことにした。
本丸を出て人里へと降りる。そろそろ夕刻を迎える天は端から夜を滲ませつつあり、昼の名残の日差しを稲刈りを終えた田んぼへと注いでいた。
「この向こうだよぉ」
「?」
目の前に大きな土手が現れる。この先は大きな河になっていて本丸の短刀たちもよく遊びにくる場所だ。いつもの調子で軽々と登る僕の後を追って松井が足を踏み出す。溜息が聞こえたような気がしたけれど聞こえなかった事にしよう。
後ろを気にしつつ登っていく僕とは違い、急な斜面と地面を覆う雑草、なにより戦装束の靴の所為で足元が滑るのか松井の足取りは重い。あ、と思った時にはよろけて身体を支える為に手を前へと伸ばす。その手を咄嗟に掴んだ。
「階段になってるところだと遠回りになっちゃうんだ」
「平気だ」
体勢を立て直した松井が掴んだ手を振り払おうするからぎゅう、と握る。
「繋ぎたいんじゃなかったの?」
振り返って見下ろした。上から見下ろすと前髪越しじゃなくなるから彼の瞳がよく見える。少し逸らされる碧空色。
「……桑名が繋ぎたいんだろう?」
「そうかもね。さ、もう少し」
頑張って、と握った手に力を込めて引き上げ、ふたりして土手を登り切った。
そこには――、
一面の赤、紅、緋が在る。
隣に立つ松井の息を飲む音が聞こえた。
土手一面に咲き誇る彼岸花。川を挟んで向こう岸の土手にも群生している。夕焼けが始まった天を映して川面も赤く染まっていた。
「松井?」
喜んでくれるかと思っていた松井の表情が段々と暗くなる。またきっと、余計な事を考えているんだと思う。
「……僕の業はこんなに美しいものじゃないんだ」
それでも目を逸らさずに赤を映す瞳。
「彼岸花っていろんな呼び名が何百もあるんだよ。有名どころだと曼珠沙華とか」
視線は向けられない。でもちゃんと聞いてくれているのは解った。
「死人花。地面を染めているのは間違いなく【死】だよ」
松井が僕を見る。僕は松井を見ずに足元の花を手折る。
「この花には毒があってね、特に球根にたくさん含まれてる」
はい、と摘んだ花を松井に差し出せば、躊躇いがちに伸ばされた碧い爪が受け取ってくれた。
「君が血を流さなくても地面は勝手に死に染まるし、勝手に赤に染まる」
「どんなに隠しても内側には毒だって溜まる」
「君の本当のところは僕には解らないけれど、松井の事はとても綺麗だと思うよ」
大きく見開かれた碧空色がゆったりと一度閉ざされ、弧を描いてもう一度僕を捉える。そして手にした彼岸花に視線を落とし、そのまま花から手を離した。空になった手にもう片方の手を添え、胸の前で強く握り締める姿は何かに祈っているようにも見える。
溢れ落ちた花は咲き続ける花に紛れ、じきに全て枯れて黒ずむだろう。
君が血を流そうが流すまいが大地が赤く染まる事はないのだから、だったら血なんて流さない方がいい。
「そろそろ帰ろっか」
「ああ」
手のひらを差し出せば今度はすぐにその手に松井の手が重ねられる。帰りは少し遠回りして帰ろうかな。
‥了